帆場蔵人 2019年9月22日18時28分から2020年4月19日0時14分まで ---------------------------- [自由詩]山を歩く日/帆場蔵人[2019年9月22日18時28分] 緑陰を行くとき ざわめきになぶられ 足音すら影に吸い込まれ 山野の骸になり 骨を雨風に晒して いつのまにか 苔生していく もう 誰にも 祈られない 石仏の膝もとで やがて枯れ葉が降り積もり 秋の風の冷たさを思えば 雌鹿が私を跨いで駆け抜けていく 草陰に埋もれた石仏の眼差しになるのは 山間を吹き抜ける風になることと等しく 遠く鶏舎から響く牧歌に乗り 私はいつしか大海を吹き荒び 浜辺で遊ぶ人々の足に絡みながら 見知らぬ港の市場に吊り下げられた 鳥の羽根を儚み草原で泣き荒ぶ 風はうねり逆巻いていく 寒さばかりの国では老人たちが 雪原の彼方で樹氷に変りゆき 幼児から常なる火を奪う冷たい手 凍りつきかける信仰にそれでも 縋り涙を捧げる声が聞こえる 風は鳴き荒ぶばかり だが海に写る風を観るものは それを無視することはできない 命を運ぶ波風を見定める船人たち 今、緑陰のなかに直立して 苔生した石仏と、風が残した 足跡を飽くまで眺めている どこへ? どこかへ、風は吹くまま ---------------------------- [自由詩]貝売りの唄/帆場蔵人[2019年9月29日9時26分] 欠けてしまった二枚貝片われさがし ひとひらひとひら、と夜に鳴き笑う 悲しみが過ぎると諦めがふりそそぎ 空になってしまったら笑うしかない 欠けてしまった 二枚貝、誰もみな二枚貝 ひとひらひとひらひとひら、と 鳴いては 笑い生きて死ぬ 欠けてることは 諦めて 孤独に真珠を みがくのさ ---------------------------- [自由詩]靴が旅立った日/帆場蔵人[2019年10月1日23時46分] 軒先に脱いだ靴が消えた 会社にばかり通ってる靴だから 会社に向かったのかもしれない いや、しかし、通勤電車に嫌気が さして旅に出たのかもしれない 文なしの旅先で困ってやしないか いやいや、或いは僕みたいに 仕事ばかりでない、誰かを 見つけて軽やかに弾んで いるのかもしれない そうして僕はと言えば素足で 庭土に触れて冷たいとか暖かいとか こりゃ、痛いとか眼をおっぴろげて 空をみれば驚き焦った木々の葉が その顔色を変えていく、赤く赤く おやおや、素足も悪くない ---------------------------- [自由詩]予兆/帆場蔵人[2019年10月4日17時40分] 秋月の夜の樹々のざわめき 風の卵たちが孵化しはじめ 餌を求めている誕生の産声 雛たちはまだそよ風で 樹々から養分をもらい ゆるゆる葉は枯れ雛は みるみる成長しながら 嵐への導火線を引いて はらはらと落ちたまり 颱風の 発生が 告げられ 風の雛たちは息を潜め 風切羽が膨らんでいく ふつふつ、と滾る鍋のなか 溶けかけた眼が、みている ---------------------------- [自由詩]レモンがなる頃に/帆場蔵人[2019年10月13日20時14分] さて、秋か そろそろ秋か まだ夏か、と 迷う、日に レモンが採れた、と 走る声あり、爽やかな 気配に夏が背を向けて すれ違いに部屋を 出て行きました まだそこかしこにいる 夏の同胞たちと共に 仕舞われる風鈴の音色を 足音に歩みさります さて、秋だ そろそろ秋だ もう、秋だ レモンが採れました、と便箋に ペンを走らせる、秋日に 夏の日々を奪われた 庭木が夏の屍たちと 庭の片隅で呟きます れもんが、とれました れもん、が、とれました 台所の小窓から 流れ込む呟きを 便箋に書きつけ レモンが採れました、と 封筒に閉じ込めて送る 青いレモンを蜂蜜に漬けて 手紙が届く頃に来る人と 夏の育てた果実をすっかり 秋ですね、と味わう頃に 釣瓶が落ちるようにすとん、と 秋の暮れがやってくるのです ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]秋の海へ/帆場蔵人[2019年10月17日23時59分] 海は待っている。誰かを待っている。それは潮風に溶けた予感だ。海へと続く秋の小径に吸い込まれて行く時、私は知らず足早になっていく。透明な水に青いインクを落とした色の拡がりが、あの松の林を抜けた先にある。 夏の客たちは秋の海をまじまじと見た事があるだろうか。ほんの少し青が深さを増し、ほんの少し波が日に日に高まっていく。邪魔っけな入道雲が取っ払われて、鰯の群れが雲を為して光を浴び泳いでいく。 夏の客たちがすっかり居なくなった海辺はとても広く静かで、その豊かな光景は夏よりも味わい深い。ただ泳ぐにはクラゲが多過ぎる。しかし、それも海月、水母と書くとまた面白い。 中秋の名月の夜に海月が海に無数に浮かぶなら、私はどの月を愛でるだろう。また水母と書けば母なる海の潮騒の音に身の内の血潮が騒ぎだす。松林の薄暗がりで下草に隠れる潮の香を踏みしめながら、私の心は秋の海と戯れている。それこそが潮風に溶けた予感だ。海は待っている。私達を待っている。踏み出していく光の下、青の拡がりの中へ私は溶け出していく。 ---------------------------- [自由詩]なんとか生きている/帆場蔵人[2019年10月18日21時30分] ボタンを掛け違えちゃいけませんよ なんにしても些細な事から 間違いは起きるんですから 言葉が頭に刷り込まれている ひとつ、ふたつ、みっつ、と 数えていく、掛け違えたボタン どれだろうか、別れた人達や 割れた茶碗、受からなかった 大学の受験票、バンパーの凹み どこから掛け違えたのか ひとつ掛け違えたらすべて 狂っていくのは必然だ ボタンを掛け違えちゃいけませんよ なんにしても些細な事から 間違いは起きるんですから 亡霊が頭に入り込んでくる ひとつ、ふたつ、みっつ…… どれだけ手繰っても掛け違えた ボタンがみつからない、もしかしたら 掛け違えていないのかもしれない 僕は亡霊に問いかける 生まれつきボタンが掛け違って しまっていたなら、間違いは 最初から起きていてそれは もう、手遅れじゃないか 祖母に、父に、母に、兄の 亡霊に、言葉に問いかけ 朝霧のなかをさまよい 夜の波音を追いかけて 川を遡行していくのだ ボタンを掛け違えちゃいけませんよ 言葉が壁に、高いダムになり、阻まれる 堰き止められた源流は今や飽和して 嵐を待っている、決壊せよ! 決壊せよ! 避難勧告のアラームが唐突に鳴る 亡霊を吐き出し、言葉を意味を降らせよ 亡霊を轢き潰し、言葉を意味を破壊せよ 亡霊の軛を壊し、言葉を意味をみつけよ 禁煙を破って煙草を吸えば喉と肺が 途端に軋み始める、生きているのだ ボタンを掛け違えちゃいけませんよ なんにしても些細な事から 間違いは起きるんですから ひとつ、ふたつ、みっつ、間違いが 積み重なって訪れる幸福だってある あるいはどちらか解らない死に方も ひとつ、ふたつ、みっつ…… 緩んだ蛇口から垂れる排水口へ 掴みかけた意味が呑み込まれて いく明日に向かうでもなく 亡霊たちは一様に口を開けて 言葉の雨を受けて再生する その形を微細に変えていく 台風一過の朝、洗い流された全てを前に 私もまるで亡霊のように朝陽を浴びている 微細に変わり続ける細胞の歌を聴きながら その全てが私であり、間違えなどない 生まれつきボタンを掛け違えてたなら それが僕なのだ、その歪さこそ人間だ ズレている植木鉢を元に戻して 灰に変わっていく光を吸い込み 僕は激しく咳き込んでしまった ---------------------------- [自由詩]栗への讃歌/帆場蔵人[2019年10月27日23時35分] 課題詩・秋に再挑戦 『栗への讃歌』 青い雲丹のようであった トゲトゲが今やえび茶色に 染まり機は熟したと落ち始めた 栗よ、お前は縄文の昔から 人びとの口を楽しませ、飢えから 救ってきたそうではないか そんなお前を足で踏みつけ実を 取り出す私たちを許してほしい 私は私の先祖たちがしてきた事を 繰り返しているのだ、お前のその えび茶色は実に食欲に火をつける マルーンとも言うが、マロンには 相応しい色味ではなかろうか 縄文に生きた人々は お前を生で食べたという しかし、私たちは お前たちと共存するうちに 甘栗、栗飯、栗きんとん、と 絶え間なくお前たちを 美味しく頂こうと 励んできたのだ 祖母が口をひらく 昔、偉いお坊さんが 念仏の礼にもらった 焼き栗を地に蒔いた その栗は一年に三度花咲き 三度実がなるのだという 夏から秋にかけて 三度栗はたくさんの 恵みを里にもたらしてきた 祖母が里の秋を歌う声が 里山に響き渡る、南方に 出征した父の帰りを待ちながら 栗の実を煮ていた親子は もう母はなく子は老いて 栗を拾っている 遥か昔から 繰り返されてきた その動作を真似て 孫も栗を拾う 三度と言わず何度でも 栗よ、これからも人はお前を 拾い続けるのだ ---------------------------- [自由詩]台所の海/帆場蔵人[2019年10月29日18時13分] 水道水にヒマラヤの岩塩を溶かして 瓶に注いでいけば四〇億年前の海だ 空っぽの冷蔵庫の唸りとぶつかる 海鳴りに耳を傾けている台所の 卓上の猫たちの我がもの顔 原始の海に釣り糸を垂らす 僕が何を釣り上げるのか、と 食卓にあがる獲物を観る瞳と 海の香を嗅いでいる小さな鼻 火にかけた鍋のなかで四〇億年後の 海の生命も静かに耳を傾けているのは 自分たちのルーツに興味があるから? 台所の海はあまりに静かだ 思索の釣り糸は揺れない アミノ酸でも、足そうか 光合成しないと駄目なのか 時だけがたれていく なんにしてもカンブリア爆発も 生命が海から上がってくるのも まだまだ先だから鍋から皿に 盛りつけた煮魚を僕は食べる 猫たちは原始の海など忘れて 僕の周りをグルグル回って 空腹を満たして寝てしまう 真夜中の卓上に置かれた海に 注がれる視線と時と月明かり 釣り糸はまだまだ揺れない ハルキゲニアやアノマロカリスは まだかと猫たちと眠りの糸垂らし 台所にはシダ植物が密林をつくり 陸に上がった魚のヒレが夢を擽る 恐竜たちが闊歩して瞬く間に滅びて 猿たちが狂乱のうちに滅びさりゆき 夕飯の魚の骨がゴミ箱で身をよじる ふと、目を覚ました早朝に冷え切った 原始の海はとても静かで糸も揺れない 指先で海を掬い舐めとれば瞬きの内に 僕のなかで四十億年が過ぎ去り血潮が 静かに海鳴りする、卓上の海は静かだ あまりにも海から離れてしまった もう後戻りは出来はしないから 四〇億年前の海を窓から降らせた ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]ハロウィンの夜、木星は見えているか/帆場蔵人[2019年11月2日1時36分] 陽が次第に落ちてゆるゆると薄暗くなった町を歩いている。信号機の赤で立ち止まる。まだ青が潜むうすぐらく滲んだ空に爪のような三日月が覗いていた。じっ、と真上を見上げればそんな空しかないのだ。雲はどこか、星はどこか、闇もない。私はそこに落ちそうになる。まるで流れが澱んだ淵のように見続けてはいけない、ひろがりだけがあった。ガードレールをつかみ金属の確かさを錨にして、私は眼を閉じる。夕餉の匂い、車が道路を削っていく音、空気のながれが私を包んでいる。 ゆっくりと上向いたまま、眼を開ければ三日月の爪先がこちらに向いていた。そしてその傍らに星があった。あれは木星だよ、と私の背後を走り魔法使いの仮装をした少年が角を曲がり姿を消した。そういえば幼い頃、父に肩車されて星を眺め歩いたことがあった。仕事人間の父との数少ない想い出だ。兄も傍らを歩いていて、私達は望遠鏡を奪いあった。父は別に星に詳しいわけでもなかった。だから星座について何か聞いた覚えはない。ただあれは木星だ、という父の声が頭のなかに浮かんで消えた。星座に詳しくない父が教えてくれた数少ない言葉が今更ながらに頭に過ったのか。明日の夜、父は生きているだろうか。そして私も生きているだろうか。それは解りはしないが、明日の夜もし生きていたら父の所に行きあれは木星なのか尋ねたい。あれから三〇数年が過ぎたのを私は今さら思ったのだった。 明日にはもう木星が月の傍らに見えないとニュースを見て知ったのはそれから数時間後のことだ。いつだってそのときしか出来ない事があるのだ。そんな事を考えながら私は普段飲まない焼酎を煽って布団を被った。 ---------------------------- [自由詩]冬のしゃぼん玉たち/帆場蔵人[2019年11月6日7時15分] 冬のしゃぼん玉たち 雪にはじめまして やぁ、はじめまして それからさよなら ふれたら消える友だち めくばせしながら ふるりふるり のぞきこんでごらん ほら うつるよ 雪も太陽も夜もきみの瞳にうつる しゃぼん玉もきみの悲しみさんも どうぞおはいりなさい みんな みんなおはいんなさい 冬の木立ちの あたま まで いっしょにゆきましょう 冬のしゃぼん玉たち みんな抱えて 冬の息吹きを 受けながら ふるりふるり あてもなく ふれたら消える友だち おさきにゆきます 雪もゆるりと とけてゆきます みなさんまた逢いましょう ゆきましょう ほらあの雲の そのさきへ ゆきましょう ゆきましょう はじけて消えるそのさきで また逢いましょう 積もる雪 ふるりふるり ---------------------------- [自由詩]小さな秋/帆場蔵人[2019年11月6日22時17分] ちいさい秋みぃつけた、と 歌う、子らがいなくなって 久しい庭で百歳近い老木が 風にひどく咳をする また長く延びる影を 煩わしく思った人が 老木を切り倒して 春には明るい庭で 山は桜に宴を開く 夏は乳母車を押して 川のせせらぎがいく わたしは眠りのなか やがて晩秋という 秋の末っ子が切り株の 年輪を数え終わる頃 切り株に桐の葉が傘をさす わたしは葉陰で眼をさます 桐はきりなく天を突き刺す のびあがっていく、冬をつん裂いて 春、夏、秋、冬、のたくさん子ら 数限りなくまた歌に興じている ちいさい秋、みぃつけた わたしは葉陰で眼をさまして 晩秋という秋の末っ子の歌に 耳をすましている、小さな秋 ---------------------------- [自由詩]園庭/帆場蔵人[2019年11月14日19時46分] ぼくの庭の死者たちがつぶやいている 《今年は雨が少ない……不作かも》 祖父かそれとも伯父か、まだ顔がある 死者たちはざわめく葉影のささやき 裸足で庭を歩けば確かに土は乾いていて 限られた水脈をどう流れたらいいのか 昔からの猫たちが足にぐるぐると 巻きついてくる、一番さきには今年の 二月にいなくなった茶虎と三毛 その毛がぼくから水分を奪っていく 反対側の猫たちは萎びていつかみた 臍の緒みたいになって境い目は失われつつある 顔が喪われた死者たちは木石のように 庭にある、それらがなんであったのか 想い出されることはないのだけれど 強い風の日には鳴動して震え 雨の日には痕跡が浮き上がる さらさらと崩れていきもする ぼくの庭にさよならとただいまが 腐葉土のように降り積もり おかえり、になった ---------------------------- [自由詩]ひかり、を/帆場蔵人[2019年11月16日23時35分] 早朝に薄くかかった霧に町は静止しているようだ。ビニールハウスは無防備に丸みのある腹を見せて草木もわずかに頭を下げて眠っている。 狭霧の中を電車だけが走っていく。 この外に動くものなどないのだ。電車のなかに流れ込んできた霧の重みに誰もが黙して身をシートに沈めている。いくつかの唇から、つ、と鱗がぬめり零れて跳ねた。まつ毛を膝頭をかすめて霧の流れへいたる。やがて老いも若きも変わらない鱗の燦めきが唇から滝となって電車の床を打ちはじめる。軽さや重さから解き放たれたように音もなく。 電車がトンネルに入ると透明な燦めきは闇を、人びとの足を濡らして鼓動や吐息、静脈や動脈、浮遊する塵芥の静寂を吸い込みいっぴきのさかなへと変貌していった。さかなは電車を包みこみトンネルの暗やみに燦めく尾を引いて泳ぐ。 やがて、この世界のどこかで誰かが、ひかりを、求めた。 電車がトンネルを抜ける。晴れ渡った野の景色がひろがるなか、背広姿の男が頭をかくん、とゆらしたのを機に赤ん坊が泣いた。上下する電線から雀が飛び立ち、ビニールハウスへと作業着の老人が入っていく。車内にはひかりがあり、それはとてもありふれていた。 動き続ける世界を電車が走っていく。 まるで血潮のように流れゆくすべてを観続ける、誰かの視界のなか。病葉が風に舞った。 ---------------------------- [自由詩]求めるもの/帆場蔵人[2019年12月3日23時02分] 頭部のない地蔵が地に突き刺さり私は石くれを拾い集めて供えていく。顔は覚えてくれているのか、と問われても元より知らない。けれども手を合わせることだけは遠い昔に習ったし、あの鳥のように歌を供物にしてあの花のように枯れるのも倣うのだ。やがて屍を滋養に花が咲きまた誰かそれをつむ。石くれは宮殿の礎になりいつか人が住む。 宮殿の周囲には花が幾万も咲き誇り、鳥たちが囀っている。それを見もせずに人びとは好き勝手に無駄口を叩き、手を叩き合う。絶えることのない空胞と花火の炸裂音は誰の心も打つ事もなく空騒ぎはかさを増していく。誰も頭部のない地蔵が自分たちの立つ地下に突き刺さっているなど考えもしない。手を合わせることもなく、祈りはどこに向かうのか。 私はふと虚しくなり、奥へ奥へと歩んでいく。そうして最奥で見つけた枯れた井戸に身を投げる。砕け散る私の頭部。砕け散れ宮殿よ。枯れ井戸の底深く私は突き立つ。大地に捧げられるのはこの身ひとつしかなく。手は合わされている。ただ合わされている。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]秋霧の朝に/帆場蔵人[2019年12月4日0時58分] 課題詩『秋の霧』対応随筆 夜勤明けの朝には霧が深く立ち込めていることが、しばしばある。僕の住む地域は盆地であり、すり鉢の底に水が溜まるように霧も溜まり濃い霧の中に町は沈む。視界も悪くなるので、自然、自動車も心持ち速度を抑えて緩々と走っていくことになる。この霧なら今日は晴天になるだろう。通学児童の色取り取りのランドセルを横目に、秋の霧が出る日には晴天になる、と教えてくれた人を思い起こしていた。 僕は臆病な少年であった。夜のトイレ(昔、田舎の便所は屋外にあった)など年長の兄を夜中に起こしては不平を言われたものだ。ある朝にサッカーの早朝練習に行こうとして立ち込める霧を前に、玄関先で立ち尽くしていた。兄はさっさと僕を置いて友だちと行ってしまった。人通りも車の通りも少なく皆んな霧の中に吸い込まれて消えてしまうような不安に足が竦む。坂を登ってしまえばグラウンドまで川沿いを五分もかからないというのに。練習をサボったら父はもう月謝を払ってくれないだろうし、もし大丈夫だとしてもチームメイト達に臆病な自分を笑われるのは七歳の少年には辛いものだった。そうしてしばらく、ぼんやりしていると誰かが坂を下りてくるのが見えた。ハゲ頭に帽子を被り眼はぎょろり、と突き出ている。虎じい、だ。年寄りだが背中はちっとも曲がっていない。虎じいは杖で霧を払うように歩いてくる。そして僕に気づくと、なんやボン、かと厳つい顔に笑みを浮かべてほれ、飴や、と懐から差し出してきた。僕がなかなか、受け取ろうとしないのをみると、オヤジさんには内緒やで、と一層、顔の皺を深くして笑うのだ。 虎じいとの出会いについて書いておこう。当時、小学校で敬老の日に市内のお年寄りに向けて手紙を書いて送る、という行事があった。特定の人物にではなく誰に届くかわからないお手紙、だった。僕はやっつけ仕事で長生きしてください、とかなんとか書いたのだ。数日後、返信が届いた。とても嬉しかった、もう少し生きて見ようと思います、と子どもにもわかる丁寧な文面でお礼が綴られていた。良ければ遊びに来てください、とも書かれていた。僕は折を見て虎じいの家に遊びに行った。会ってみると文章から想像したような穏やかな風貌ではなかったが、とても良く笑う人だった。虎じいは若い頃、日本中を旅したそうでその話はとても面白かった。飛騨高山で天狗に会った話や兵隊をしていた頃に支那で一つ目小僧に化かされただの、子どもを楽しませるためのよもやま話だったのか、本当の話だったのかはわからないが虎じいは子ども相手に同じ目線で話してくれる愉快な人だった。しかしある時、父にその話をすると不機嫌な顔をしてもう行くな、という。理由を聞けば、うるさい、と怒鳴りつけられた。怒り出すと平手どころか、何が飛んで来るかわからない父だから僕はその日から次第に虎じいの家に足を向けなくなった。祖母が、筋もんやったからなぁ、と呟いたがその意味は幼い頃の僕にはわからなかった。 そんなわけで恐る恐る飴を受け取ると虎じいは、久しぶりやなぁ、とゴツゴツした手で頭を撫でてくる。何をしてるのか、と聞かれたので川沿いのグラウンドまで行きたい、というと、なんや兄貴に置いてかれたんか、と僕の手を引いて歩き出した。歩きながら、もごもごと謝ると虎じいは笑って話し出した。 「ボン、知っとるか。この霧いうんは雲と同じもんなんやで。わしは昔、飛行機に乗ってたんや。雲はな綿菓子みたいに見えるやろ。せやけど、違うんや。あれはミルクのなかを泳いでるみたいなんや。そんで雲の上に出たらそらぁ、お天道さんが近くに見えてなぁ……」 虎じいの話の間、僕らは雲の中を歩き続けた。誰かとすれ違ったようにも思ったけれど、よく覚えていない。霧への漠然とした不安を忘れて富士山の頭上を飛行機で飛び越え雲の海を見降ろしたらでっかいナマズが雲の中から顔を出した、という虎じいの話に夢中になり笑っていた。やがてグラウンドが霧の中でも見えて来ると、虎じいはもう一人でもいけるやろ、と僕の背中を押した。別れぎわに、秋の朝に霧が出たら昼にはよう晴れるんやで、と虎じいは笑いながら土手に降りていったのだった。朝練の後、学校の授業が始まる頃には霧とともに雲も去り、晴天には青がいっぱいだった。虎じい、とあったのはそれが最後だった。サッカーや柔道に夢中になるうちに僕の生活から虎じいは遠ざかり、一年ほどして虎じいの自宅前を通ると表札がなく家の雨戸は閉められていた。 霧の町をぬけて自宅に辿り着く。夜勤で疲れた身体をソファに埋めて、カーテンを閉め切った部屋で眠った。遠い国まで流れていく雲の中、でっかいナマズが泳いでいく。その背には虎じいが杖を振り上げ笑いながら乗っている、夢など見ることはなかった。数時間後、目を覚ました僕は水を飲み渇きを癒して、カーテンをさっ、と開けた。秋の朝に霧が出たら昼にはよう晴れるから。当たり前のように秋のひかりが射しこみ、僕と部屋を濡らしていった。 ---------------------------- [自由詩]寂びる/帆場蔵人[2019年12月7日3時09分] フレームだけを残してフロンティアが 朽ちている、錆びたフレームを隠すように 蔦が這い、忘れられた、いろかたち 老人が指差す、そこが境目だと フロンティアがあったと、かつての 開拓地を指したのか、そんな車が あったのだと言いたかったのか 誰かの空間を越境して切り取り 誰のものでもない空間に線引きして 切り取り、所有する、足跡たち 境目に足を踏み出したとき、の 境目を線引きしたとき、の フロンティアのいろかたちを 人びとは覚えているのか その歴史を、その物語を 境目のフロンティアが朽ちていく フレームすら緑にのみこまれ 忘れられていく、いろかたち 木洩れ陽に陰と混ざり合い 誰のものでもなかった時間を おもいだしている空間の、夢うつつ ---------------------------- [自由詩]冬を越えるために・改稿/帆場蔵人[2019年12月14日16時05分] 冬に映える黒髪の獣の口から、あなたとの四季のため息が風に巻かれていくよ。あのシャボン玉がすべて包んで弾けたからぼくやきみの悲しみさんはもうないんだ。同じように喜びも弾けて消えるからまた悲しみさんはとなりにいる。シャボンが弾けるたびに忘れてきたものの悲鳴が、淀みなく流れる車に轢かれて消えていく。また1℃、冬が足をすすめて折ふしも降り始めた雪のように悲しみさんは心に降り積もり、傷つけあった獣たちは洞窟で冬籠りの夢のなか。とても寂しいけれど平穏な寝息が冬空に三角形を浮かべている。 それでも春に焦がれる浅ましき身としては、あの春に拾った桜の蕾の塩漬けを白茶に浮かばせ道行く人々に振舞い、たくさんの人が春を思ってくれることを願わずにはいられないのだ。ほっ、と温んだ悲しみさんが人びとに沁み渡り桜の記憶に花を咲かせるだろう。オーリオーンの足もとで戯れる二匹の犬が未来へと吠えたてはじめたから、ほら冬があんなに慌てている。空が白くぬかるんで。 ねぇ、悲しみさん、まだぼくの傍にいてくれますか。ただひとつ、ひとつだけしゃぼん玉を胸に懐いていることを許して欲しい。冬は寒いけれど、僕が僕の呼吸で春を迎える生き方を許してくれないか。それならきっと少し優しくなれるかもしれない。爪を隠し眠る黒髪の獣もどうにか人らしくみえるだろう。 ---------------------------- [自由詩]冬を歩く幻想/帆場蔵人[2019年12月22日23時21分] 庭の木も街路樹もすっかり 葉が落ちさり手をひろげて 雪を待ちかねてざわざわと さぁ、おいで、雪よ、おいで 歌いながら風を掬い夜を掬い 全身で冬の夜空を受け止めて 君は僕の手をひいてその木立ちを縫っていく 僕は君の手にひかれ、木立ちの歌を聴いてる 雪が降るまでにどこまでいけるだろう 雪が待ち遠しいと思いながらも 朽ちかけた落ち葉を拾いあげて 繋いだ手の間に縫いこんでいく ひとつの季節の幻想がひとつになれない 肌膚の間で編まれ街路樹を縫い続けていく 雪が降るまでにどこまでいけるだろう ぽつりぽつり、と 浮き上がる街灯が 幻想を打ち消してしまう 工事現場の誘導員が 僕らを日常へと誘っていく、夜の街角 マンホールの蓋がズレている あそこには辿り着けないんだ 街灯のなかを当たり前に歩いて ほら、雪が降り始めた コンビニで缶コーヒーを分け合いながら 僕らはどこまでもいけはしなかった ---------------------------- [自由詩]虚舟・改稿/帆場蔵人[2019年12月27日2時30分] 月夜の庭の物陰で土と溶け合い 消失していく段ボールの記憶よ 何が盛られていたのか 空洞となって久しく 思い返すことはないだろう お前は満たされた器でなかったか ある時は瑞々しい果実と野菜が 陽の輝きと盛られ、たくさんの手が お前から生命の糧を拾いあげて 感謝を捧げ祈ったのだろう またお前は舟でなかったか 人と同じく空虚を宿した 舟でなかったか ボール紙の 波形は断崖の漣痕、そう 波間を漂う舟であった名残り 遠い祖先のDNAと 夕食の鯖が折り重なる 断層を指先でなぞれば 円やかな喜びも 指を裂く悲しみも 等しくそこに横たわり 誰かの流した涙に濡れて 確かにそこにあるのだ 生まれきた人が 齢とともに 言葉や記憶という積み荷を 少しずつおろしていくとき 舟はまた虚ろを宿していく 庭の物陰に漂着した段ボールが 土との境を曖昧に溶けてゆくとき 間に尽きて行く人の夢は 月光と風を虚に満たして 無限の海原へと舟出する ---------------------------- [自由詩]夜の筆記者/帆場蔵人[2019年12月30日1時05分] 千鳥足で夜は歩き濡れた草の間に風と横たわる。夜は朝に焼かれていく。私は夜の肋を撫でて、その灰を撒きながら昼を千鳥足で歩いていく。また夜が芽吹き、我々は酒を酌み交わす。何度死に何度産まれ何度生きたのか、私は夜の述懐を筆記する。幾千、幾億の夜。 ---------------------------- [自由詩]日暮れに口をあけてる/帆場蔵人[2020年1月13日3時13分] そこにいて、あそこにいて あちらにもこちらにもいる夕ぐれ 夕まぐれ、ぽつりと川の中洲に 陽が落ちている、ぽかんとしている 誰もが知っていて誰も知らない 歌を烏が知らないよ、と歌う なんだかぽかんとしてしまう みんながみんなぽかんとしてる あのぽかんから何が出てくるのだろう ぽかんとせずにみていたけれど 陽が落ちてなんにもみえないから ぽかんと口を開けたまま川風が なんとも気持ちのいい夜です ---------------------------- [自由詩]来訪者/帆場蔵人[2020年1月14日3時01分] いつものように歩いていたのに いつものように犬と散歩していた夜に いつもは足を止めもしない場所で 足が歩みを止めて犬が不思議そうに 足のまわりをくるくると回っている 線路下の細い道が口を開けて夜を 吸い込んでいる、あの先にはカエルの 墓がある、湧き水の池のほとり 幼い頃に友たちと戯れにいたぶり 殺したカエルの墓がある 友たちのひとりが、皆が帰った後に 石の上に叩きつけられたカエルを 池にかえしていた、私に気がつくと カエルのお墓はみずのなか、と笑った ちゃぽん、と水が打たれて響いた 彼とはもう会う事はないだろう 風の噂に九州辺りで台風の日に 貯水槽に落ちたとか、そもそも 顔すら思い出せない色白の少年 カエルのお墓はみずのなか 半袖半ズボンからのびた白い手足 斑ら地のカエルの頭が首から上に乗っている 月の寒い夜には境を越えて彼はやってくる ぐるぐるぐると喉を鳴らしている そら、道の暗がりから 手が出た、足が出た、白がはえる、はえる カエルがはえる、犬が吠えた いつものように足が歩みを止めれば お前が吠えてくれるのだ 月の寒い冬の道にはまた暗がりだけが横たわり いつものように私は犬にひかれて歩き始める 顔すら思い出せない幼い日の友だちの白い 面影はあの月の横顔のように満ちては欠け またあらわれるだろう、思い出せない 笑みをたずさえて、境い目を漂う、貌 カエルのお墓はみずのなか ---------------------------- [自由詩]ツギハギだらけ/帆場蔵人[2020年1月20日0時46分] 剥製を買ってオオカミの剥製を飾って 接ぎ目すら感じ取れない毛皮を撫でる この世は継ぎ接ぎだらけの嘘ばかりだ おべっかも愛想も 営業スマイルも苦手で だけれど避けることも 出来ずに皆が笑みを 忘れていった 犬も笑うのだという 人間と同じように口角をぐっ、と 引き上げて笑い声をあげるのだという 舌を出して歯をみせて耳を垂らして せわしく尻尾を振っている オオカミの牙よ そんな犬を 切り裂いてやれ 忘れてしまったのは 獰猛な笑みだ 僕の牙はヤワな犬歯だ 獣の名残りと撫でても 人の歯で、犬、の歯だ 剥製を飾ってオオカミの剥製をなぞって 牙に触れるとき獰猛な笑みと咆哮になる ツギハギだらけの身体がほどけていく 嘘に嘘を重ねた自分自身こそ オオカミの牙、獰猛な笑みと咆哮が 切り裂き、喰むべきものだった 剥製の接ぎ目をさぐる夜に虚飾を剥いで 継ぎ接ぎだらけの狼になるのだ ---------------------------- [自由詩]風景を食む/帆場蔵人[2020年1月20日17時27分] ひとつの風景の動きが 瓶に詰められてゆるやかに はっこう、していく 風景は酵母となり詩情とざわめき 月明かりが窓から注がれて神々の手が 攪拌を始めれば乳白色の神話の海になる 言葉に掬い上げられ幾層にも重なり 地となり山となり、形作られる生命の糧に 意味が火をつけて焼き上げていくのだ 狂おしいほどの空腹を、生という空白を 埋め立てていく、追い立てていく、そのとき 生きているのだ、発光しているのだ てらてらと艶めき焼きあがった詩の 三日月を齧りとる、夜がゆき朝がくる ---------------------------- [自由詩]暖冬のしたで/帆場蔵人[2020年2月7日16時09分] ゆきの降らない冬の日々 吊られたあらいざらしの Tシャツはふるえていた それはゆきを待つわたしのように 次第に乾いていく暖かい日差しのなか 磔刑にされしろくしろく待ちわびている 誰かのためでない 誰かのための祈りが 蒸発していく白々しく ---------------------------- [自由詩]わらしべのかげ/帆場蔵人[2020年2月14日4時21分] 遊べや遊べ わらしべ一本 わらしべ一本 遊べや遊べ 遊びをせむとや生まれけむ 誰もが一本のわらしべ握り 明日は長者か乞食ぼうずか 種もみの実りを待たずさり 中洲で噛みあう野犬の群に 案山子の眼がひとつ落ちた わらしべ一本 手放すならば その手はなんでもつかめるぞ なんでもつかみなんでも育て なんでも手放し空でもつかむ 遊べや遊べ 夕陽にのびた その影こそがわらしべ一本 わらしべ一本 遊べや遊べ 明日は長者か乞食ぼうずか 楽しや愉し 烏が阿呆と鳴いたなら 童に戻り遊びをせむとや生まれけむ ---------------------------- [自由詩]ひとりきり/帆場蔵人[2020年3月7日16時04分] ひとりぼっち、の人は ひとりぼっちの景色を 知っていて 遠くを静かにみつめている たまに夜半の丘に立っては 叫んだり泣いたりしている 眠れば星雲の渦にまかれて わからない ばかりの銀河を 考える人のポーズで 億年も 浮遊して考えずに考えている いつも陽が沈んでいく泣いたり 笑ったり、笑われたり、躓いて ながくながく一本だけど、ながく 伸びた人びとの影に微笑んでいる ひとりぼっち、の人は ひとりぼっちの景色のなか 雨ざらしの丘を登って みえるすべてに手をふり 枯れた花の墓を掘る 最終電車がゆき船が港をでていく また一日の背中が角を曲がり消えたら 電柱に背中を預けて考える人のポーズで ひとりぼっち、で 墓守りの歌をうたい まだ遊びたりないから ひとりぼっちで 遊び、生きている ---------------------------- [自由詩]春景に立ち/帆場蔵人[2020年3月28日15時16分] 風が強いから洗濯物を追いかけて 綿毛が背中を撫でていく、さよなら 踏みぬいてしまいそうな青い草地を 蛙が春へと飛んでしまったから ひとりきりで立ってます スイカズラの甘い蜜を分けあって いたのはまだ、雛鳥だったころで 朝陽のたびに同じ太陽に手をかざして 庭の草葉の陰で死んでいく鳩を看取った あそこにはほら、綿毛をなくした、花 それでも、花、でしょう 壊れてしまっても万華鏡はきれい クルクルとまわりながら温かな洗濯物を 抱きしめて後ろ向けに、落ちていく 懐かしい春という春の風のなか ひとりきりの、みじかい、旅路で 私の手にはまた皺が刻まれた ---------------------------- [自由詩]冬の虹はありますか?/帆場蔵人[2020年4月19日0時14分] ねこのお腹は温かい、ね アスファルトに倒れて 春を殴った肩よりも ねこのお腹も温かいね 初めて内臓に触れた朝の陽に 射られ冬を齧った犬歯より 切り裂かれていく弧をえがいて 腹でも、肩でも、犬歯でもいい 誰か冬の虹を知りませんか? ねこの内臓 は重くて あたたかい 歯の隙間に虹の欠けら がのぞくねこのお腹には あたたかい虹があるね それは冬だね ---------------------------- (ファイルの終わり)