帆場蔵人 2019年5月22日0時04分から2019年9月16日19時47分まで ---------------------------- [自由詩]膝の虚(うろ)/帆場蔵人[2019年5月22日0時04分] まだ、崩れていない膝がふるえている わずかにたわみ、重みにたえているのか 生きてきた時間といま生きている時間に ふるえながらも踏みだし、よろめき それでも倒れない、屈するたびに なんどまた伸ばされてきたのか 時に血に塗れて、己の血か、誰の血か 長い歳月をたえてきた樹木のようで 細く、だが強かに根を張り続けた足 動き続ける膝には時間にほられた 虚がある膝蓋に閉じられた深い虚 いつか骨となりすべてから解き放たれる そのときまで膝は虚を抱えてふるえてのびあがる ---------------------------- [自由詩]手/帆場蔵人[2019年5月22日13時43分] 手を 引かれて見知った町を歩く 老いた漁師の赤らんだ手が まぁ、まぁ、呑んでいきな、と手まねく あすこの地蔵、おどしの地蔵さん、脅しな 明治の頃、沢山の人がコレラで死んだ 焼き場はいっぱい……あすこで焼いたそうだ あすこに祖父さまはおどし番に立ってたんだ 小さな手、大きな手、硬い手、柔らかい手、 手が、沢山の手が積み上がり 人々の静かな祈りに眠っている 手を 引かれて、そっと手を合わせ、 見知らぬ町の顔を、その輪郭を、手でなぞる ---------------------------- [自由詩]枇杷の実ゆれて/帆場蔵人[2019年5月22日23時13分] 枇杷の実、たわわ、たわわ、と ふくれた腹をかかえて転がりそうな 夕陽に照らされ景色をゆすって風を くすぐり、たわわ、たわわ、と 悲しげな その実に 歯を立て しごきとる、なぜにこんなに甘いのか 山の頂、風にゆさぶられ、私はひとり みんなひとりでゆれている 夕陽をすくって帽子をかぶり たわわ、たわわ、と家路を急ぐ どの道行こうと俺はひとりだ 夕陽をすくった帽子に残る 僅かなぬくみは枇杷の甘さか 山でぷっ、と吐きだしたあの種は いつか芽をだしまた枇杷の実を結ぶ それだけが嬉しさだ ---------------------------- [自由詩]のんべんだらり/帆場蔵人[2019年5月23日23時29分] 夢みつつ、ひとつふたつ 昼間から夢ばかり数えて そんなあなたには猫だって 退屈を噛み殺しているわ そんな皮肉にもぼくというやつは こたえもせずに退屈ってのは どんな味がするんだい、と 猫にきいてしたたかに顔を掻かれて 本当に仕方ない生き物であるが 詩人がのんべんだらりとしている 世間の方がきっと幸せだろう 夢みつつ、ひとつふたつ そんな生活を夢見ながら 額に玉の汗掻いて たまの休みに また猫に顔を掻かれて 呆れられていたいのだ なぁ、猫よ、おまえは虎に なりたいのかね、おまえの 夢もひとつふたつと数えてみたい 夢みつつ、ひとつふたつ きりがない、きりがないから 楽しいのだろう、なぁ、猫よ のんべんだらりのんべんだらりと いきていきたいのだよ ---------------------------- [自由詩]うたとみず/帆場蔵人[2019年5月26日0時14分] 歌が、つたっていく 庭の忘れられたような手水鉢に 雨どいからひとしずくひとしずく 水はいつか溢れるだろうか 歌が ひとの器から 溢れだすように きくものをえらばない 染みいる地をえらばない そのようなものになりたい 手水鉢に生えた苔のように おのずとそこにあらわれ ひとしずくひとしずく あふれだすそのときまで みずであったころを おもいだそうとしている ---------------------------- [自由詩]鶴を折るとき/帆場蔵人[2019年5月27日21時16分] おまえの手には もう半ば潰れた 折鶴が死んでいた 折鶴がまた羽ばたくことを信じようとする 瞳に縋りつきたい誘惑、がある だけど、告げなくては いけないのだ、小さな手よ おまえの手には死が、ぼくの 手にも死が織り込まれているのだと あの煙りとなって空にとけていく 手にもそれは織り込まれていた 鶴を、一羽、折ろう 陽が沈むまでに一緒に 鶴を、一羽、折ろう 半ば潰れた折鶴を、手に、祈ろう 鶴を折り、生きていくしか しょうがないのだ、ちいさなてよ 鶴を、一羽、折ろう 陽が沈むまでに一緒に 鶴を、一羽、折ろう すべ、ての 折鶴が 地に落ちる 終わりを おまえが 信じて いる としても 鶴を折ろう ---------------------------- [自由詩]午睡の刻/帆場蔵人[2019年5月28日2時34分] 窓から 射しこむ ひかりに揺れる 小さな寝顔のうえで 未来がうず巻いている シエスタ 君は宝島を見つけたのか シルバー船長や オウムのフリント うず巻く海原を越えて 高らかに笑いながら シエスタ 君は夜明けを迎えて 人を救い人に救われ 愛し愛される英雄に なれるだろう シエスタ 君は大人になって 称賛と勝利を浴びて 絶望も挫折も一時の スパイスでしかない 引力ですら君を止められはしないし その歩みはたくさんの花を産む ガーベラ、ニゲラ、カスミソウ アネモネ……枯れた花も輝いて でも、明日は当たり前に残酷で 夢のまた夢 窮屈に背中を丸めて 一山いくらになって 一山いくらの缶詰めで 飢えを満たし満たされず 蒔いた種は奪われて ひとり眠る夢のまた 夢のなか この 揺りかごを懐かしむ 明日があるのかもしれない 窓から 射しこむ ひかりに揺れる ちいさな寝顔のうえで 未来がうず巻いている ただ祈っている 君が眠るとき その寝顔に ひかりが 射すことを シエスタ したたかに でもやさしい うたたねの音いろが うず巻き続けることを 午睡に微睡む君は未来へと 逆巻いている、シエスタ ---------------------------- [自由詩]それぞれに川は流れている/帆場蔵人[2019年5月30日23時06分] すべての川は流れている すべての故郷の川は流れている 耳を傾けるならその川の流れを 聴くことができるだろう 乾ききった風と砂しか入らない 窓からせせらぎが流れてくる 台所の床をひたしてあなたの こめかみに触れてひたひた 今日の夕飯は肉じゃがを作ろうか それともあなたが今、耳を傾けている その川からすくいあげる故郷を 皿に盛ってくれるだろうか もう帰ることのできない はずの故郷の川の中州の 茂みに潜んでいる沼狸は どんな瞳をしていたのか 深夜の排水パイプを流れる音 あれはぼくの故郷のせせらぎ ---------------------------- [自由詩]魚屋でギターを売っちゃ悪いのかよ/帆場蔵人[2019年6月2日3時05分] 近所の魚屋にギターが売られていて 魚屋のじい様、年季の入った海軍御用達の 看板を磨いてぴかぴかにして笑っている こいつはまた活きのいいギターじゃないか そういうとじい様は息子が若い頃に弾いてたからといいながら 最近では顔もだしよらん、と腹ただしげに杖をカンカンと鳴らす ちょいと失礼、ギターを借りて一曲弾けば じい様、お前さん、うちの息子より上手い もんだと感心している、まぁ、そうだなぁ 二十年前よりは上手くなったもんだよ なぁ、親父、今日は漁連に仕入れに いかねぇのかい、鰆がくいてぇなぁ 話してるうちに私が誰か親父のなかの 歯車が噛み合って、馬鹿やろう、魚屋の 店先でギターなんか弾きやがって、と 怒りながら店を閉めてしまった 買い置きしてた鰯を置いておくと 親父は手早く捌いて煮付けを作っている 上手いよなぁ、母さんより、上手いよ また翌日の早朝には店を開けて ギターや骨董品が店先に並ぶ 日曜日には私も店先を掃除している まだ幼かった日のように親父の罵声を 聴きながら、魚屋を開いている ---------------------------- [自由詩]だいたいそんなもの/帆場蔵人[2019年6月5日19時24分] そうして雲海は焼け落ちて さよならすら許さない晴天 山を下ろう沢の流れに沿って 箱庭みたいな町に足を踏み入れて あの角を曲がりこの角を曲がり パン屋で焼きたてのフランスパンを その先のコンビニで新聞とミルク 顔も知らない政治家の立看板のある 辻を右に曲がれば、海だ 年寄り犬は今日も欠伸みたいな 鳴き声でリードを握る人は 昨日と違う、気づいてる? ほんの少しずつ傾いてゆく 何かが溢れ落ちてまた水平になる あの海の水平線みたいに揺るぎない 日常なんてきっとないのだ フランスパンと新聞とミルクを 抱えて通っていくこの日常も 焼け落ちた雲は波間にもみえない さよならすら許さない晴天だ なのに水平線が揺らぐほど バターを買い忘れて後悔するのだ そんなものだろう ---------------------------- [自由詩]雨後に/帆場蔵人[2019年6月8日0時57分] 雨の雫に濡れた畑の瑞々しさ 自然を開き破壊して得た日々の糧 だからこれほど輝いているのか ぬかるんだ畑に足あとがみえる だれの足あとかは知らないが きっとだれかの足あとで あなたもこの畑の瑞々しい緑の間を 何が正しいのかと自問しながら 歩いたのだろうか、だれかの足あとよ それは誰かのひとつの道だろうか ひとつの道、わたしが進むべき ひとつの道、さがしてたたずむ ひとつの道、道をつくるのだ ゆっくりと畑の足あとを追い トマトを胡瓜を籠につみながら よく肥えたトマトをひとつ残す この後に来るだろう生命に残す かたわらには水や雲の路があり 生命は常に動き続け過ちも悔いも 呑みこんで道を路をつくり続ける もう自然ではあり得ないけれど あの葉から滴る雨の足音のように 大地に足あとをつけてひとの道をゆく ---------------------------- [自由詩]倒れゆく馬をみた/帆場蔵人[2019年6月11日15時24分] あれはいつだったか 陽炎にゆれながら倒れゆく馬をみた 北の牧場をさまよったときか 競馬場のターフであったかもしれない 或いは夢か、過労死の報を聞いた 快晴の街角であったかもしれない 或いはあの川面にぶつかったときか なぜ、おまえが倒れたか なぜ、おまえが息絶える その眼に何がうつろうか とおくとおくたくさんの 蹄のおとが地をゆらして あぁ! もう狂い馬だ、狂い、馬だ 尻に火をつけられて、幸運の前髪を 掴め!と急かされる、皆、狂い馬だ 産めよ、増やせよ、やめてくれ 狂い馬!来るいまだ、走れっ! 鞭がはいる、無知なのがいる 焼き尽くされて、いく、理想とか 正しさ、なんて掴めないものに 尻に火をつけられる毎日だ 川岸でずぶ濡れの身体を抱いて なぜ、おまえが倒れたか なぜ、おまえが息絶える その眼に何がうつろうか なぜ、なぜ、なぜ、と もう聞かないでくれ 陽炎のなかに おまえは歩み去る 走る ことも 働かされる ことも なく もう、なぜ、などと 聞くものがいないところへ たおれゆく 馬を うつくしいうまをみた ---------------------------- [自由詩]五月が過ぎて/帆場蔵人[2019年6月19日23時31分] サンザシの花咲き 山椒の粒、匂いはじけ 街灯がポッポッと灯り 夕餉の匂いとけだす 懐かしいその匂い 五月が過ぎてゆく 帰る家もなく 靴はすり減るばかり 腹はぐぅぐぅなるばかり 月も星も食えやしない 歌ってみたら 石が投げられ 当たりに行けば 今宵の宿は病院か あぁ、しかし、明日はどこ サンザシの白き花、懐に 捧げるひともいやしない五月 実山椒の佃煮入りの握り飯ひとつ 腹にいれ歩いてた六月がまた来る ---------------------------- [自由詩]かげおくり/帆場蔵人[2019年6月20日20時41分] 自分が動けば影が動くことを 不思議に思ってしまった少年は 影の、また、影の連なりに戯れ続け いつのまにか大人と呼ばれるようになり ふと、空を仰ぐ、影が空に送られていく 少年は空にあり空は少年のうちにあった もう、春夏の声が舞散る 枯れ葉のみえない足音に変わり 影だけを纏い歩いていた ---------------------------- [自由詩]剥き出し/帆場蔵人[2019年6月22日22時30分] そろりそろりと剥ごう 皮をつつつ、と剥ごう 夜を剥いで朝を剥いで 私というものが どこでもない場所で剥き出しで 死んでいる、或いは 台所で皮を剥がれた 剥き出しの野菜や肉に混じって 切り分けられ、冷凍され鍋で 煮込まれ、皿に盛られて 要らぬ皮や脂はゴミ箱や 排水管に流されていく私というわたし 俺というおれ、だれかに喰われていく 無造作に噛み砕かれ、また噛まれもせずに あらゆる場所ですべてが剥き出しに なっていく、もう夜も朝も昼もなく どこでもない場所を向いて 洗濯物に混じって剥かれた私の皮が まるで人ごとのように下がっている 庭の飛び石の間で ごろり、と無造作に なにがあろうとも赤剥けくたびれ 俺は新鮮に死んでいたいのだ ---------------------------- [自由詩]眩暈/帆場蔵人[2019年6月25日23時38分] 前庭に鯨が打ち上げられて 砂が、チョウ砂が舞い上がれば 世界は揺れて空と大地は ぐわぁんぐわぁんと回転しながら 遠ざかったり近づいたり もしチョウ砂が黄砂のように 気流に乗るなら、あの港をぬけて 沖へ沖へと耳は運ばれて大海を 泳ぐ魚たちの仲間入りができるだろうか セミとザトウを獲っていた親戚から もらった耳石は片方しかなかったので 鯨になり損なってしまった そしてチョウ砂が舞う日は 三つの耳石が共鳴りをして 僕は前庭器官でダンスする 壁と天井と床を掴むように ひとり踊る聴砂が舞う日に ベランダから身を乗り出して 海を懐かしむ打ち上げられた鯨の耳 ---------------------------- [自由詩]痛み/帆場蔵人[2019年7月7日21時33分] あるくとおく、流れ流れて 流されてきた弱さを恨むのか 水にとけた光に問いかけた 転倒した月日の果てしなさ ただ勘違いしていただけだ 月日は数えるだけしかなく 切り売りして歩くお前など 誰が買うというのか、痛みだけだ 残されたのは痛みだけだ、痛みは 確かな明かりではないか、痛みは 手が、足が、鼻が、背中が、 ある、と知らせてくれたのだ 倒れこみ水は冷たいと知る 転がり続けて仰ぎみた、風にうごめき はりつめた空を割いて 花が、わっ、と、咲いて、いた もう、歩く、こともない 地に根が満ちるような痛覚は ひとのかたちをしていた ---------------------------- [自由詩]夏の記し(三編)/帆場蔵人[2019年7月15日20時53分] 1 夏雨 梅雨の長雨にうたれていますのも 窓辺で黙って日々を記すものも ガラス瓶の中で酒に浸かる青い果実も 皆んな夏でございます あの雨のなか傘を忘れてかけてゆく 子ども、あれも夏、皆んな夏、 皆んな皆んないつかの夏でございます そろそろ夏は梅雨をまき終えて 蛍の光を探して野原を歩いております *** 2 夏の鶏冠 紫陽花寺の紫陽花が枯れてゆき 昼か夜か、ゆるりと池の蓮子はひらく 息をゆるりと吐くように息吹いてゆく 白雨に囚われた体から漏れるため息のよう しかし、それは曇天を燃やしてやって来た 色褪せてゆく庭を 悠然と歩き時に奔放にかけ 地を啄ばみ曇天を燃やす 焔のような鶏冠を頂き 枯れゆくものを見送り 咲きくるものを迎える 使者のように ひぃ、ふぅ、みぃ、よ、の鶏が 梅雨を啄ばみながらその鶏冠で 終わらない夏に火をともす いつのまにか蓮子がひらき 続いてゆく夏の小径を私の足は 軽やかに動き白雨を突き抜けて 入道雲を呼びつける使者になる *** 3 黄昏れる怪談 夏の放埓な草はらの彼方に 白く靡くのは子どもたちが言いますに 一反木綿だそうなのです また海に迎えば落ちてきそうな入道雲 あれが見越し入道だと笑っています 片目を閉じて一つ目小僧、物置きの 番傘は穴あきのからかさ小僧、はてさて では子どもたち君たちはなんの小僧か あゝ、楽しくてこの怪談はちっとも 涼しくないのです、子どもたちは 手を繋ぎ私の周りを周ります 夏の夕べに誰彼と行き交う人が笑います 後ろのしょうめんだぁれ?と 聞くなかに見知った子どもはいないので ひとつも名前を呼べません ---------------------------- [自由詩]夏の階に立ち/帆場蔵人[2019年7月22日23時44分] とり忘れられ 赤々と熟れ過ぎた トマトが、ふと 地に落ちひしゃげ 鴉が舞い降りた 赤い飛沫を舐めとるように嘴で何度も つつき、カァァァァァァ、と鳴けども 人びとは潰れた野菜など気にもしない 棒もち鴉を追っても、ただそれだけだ 唐柿に赤茄子、蕃茄に珊瑚樹茄子…… お前の呼び名は数あれど 鴉になんの意味がある 人の呼び名も数あれど 鴉になんの意味がある 熟れ過ぎたトマトをもぎとり齧りつく 赤い、飛沫が、白いシャツを汚して 熟れ過ぎた夏がたらたら落ちてゆく 名前など意味もなく嚥下されてゆく 誰も彼も、ふと、落ちてしまいそうな 夏の階に立ち、私の名前がたらたらと 意味を失ってゆけば鴉が舞い降りてくる ---------------------------- [自由詩]悲しみもなく/帆場蔵人[2019年7月28日14時21分] 苦しみの吐息に 吐息を返しては 沈黙を掌に掬い いたわっている 理解は出来ず感じることしか出来ない 砂粒ほどの些細な重みが 僕に付着して堆積していく 払いのけることもなく あるがままに なすがままに ふりつもり、ふりつもり やがてあなたが苦しみの吐息を忘れて 天にすべてを返す時まで わたしは待っている 沈黙を掌に掬い 手を合わせると そこには全てが 集まって弾ける ぱんっ、と命が天に流れていく ---------------------------- [自由詩]夜香/帆場蔵人[2019年7月31日22時57分] ひとつ 齧れば夜が欠けて 林檎は白い肌さらし 屋烏に及ぶ口笛の哀しき音いろに 艶めいて 夜の香りを染めていく ひとは哀しく身はひとつ ひとつ 齧れば夜が欠けて 林檎がひとつ染まるなら 林檎がひとつ砕け散る 悲鳴の音いろを みるがいい 哀しき色はどんな色? 苦いか甘いかしょっぱいか、ひとつ齧れば 屋烏は飛んで雲隠れ 林檎は色を失った 朝陽に紛れ延びた手が林檎を高く放り投げ 林檎はひとつ、日もひとつ ---------------------------- [自由詩]戯れ言/帆場蔵人[2019年8月4日18時35分] 竜笛が竜の鳴き声であるなら 詩も竜の鳴き声でなくてはならない ドーナツに穴が空いているなら 詩も穴だらけでなくてはならない 人が嵌って抜けられなくなる 罪深い穴を我々は掘り続けている なんて非道な輩だと末には腹に 穴があけられるだろうから 夏にはとても風通しが良くなる 風鈴だって吊るせるだろう もういなくなった二匹の猫たちの 首輪を指で回せば腹の穴を猫たちが 通り抜けていく、猫を追うように 指先から腹の穴に入ればするすると 身体は穴の中に吸い込まれてしまう どこか遠い草原で 汽笛でも霧笛でもなく 少女が竜笛を鳴らすとき どこまでも平らかな草原は 竜の背であり猫たちが 少女と戯れて…… 猫たちの首輪は部屋の隅に転がっている ドーナツの穴を食べても腹の穴は塞がらない 生きてるから穴を掘り続け、いつかそれが 墓穴になるのだろうか、台所の鍋の蓋を とれば底に焦げついた私が横たわり 竜笛が竜の鳴き声であるなら 詩も竜の鳴き声でなくてはならない ドーナツに穴が空いているなら 詩も穴だらけでなくてはならない そう叫び生き絶えた ---------------------------- [自由詩]片われの夢/帆場蔵人[2019年8月9日1時21分] 片われをなくした ビーチサンダルが 木陰で居眠りしている その片われは今、どこで 何をしているのだろう 波にさらわれ海を渡って 名も知らぬ遠い島で椰子の実を 見上げて流離の憂いを抱くのか いつも故郷では夏の日暮れに片われを 失くしたビーチサンダルがあちらこちら ぽつり、ぽつり、と寄る辺なく 捨てられていた、町を出る数日前に その片われに足を入れようとした 足はそのビーチサンダルには大き過ぎ 履けたとしても片われはそこにいない わたしはそうして汽車に乗り町をでた 帰郷するまでビーチサンダルの事など 忘れて、故郷はただ美しい遠景であり 流離の憂いを帯びて、ふと、現れるのだった 帰郷の頃には汽車はなく電車が走っていた 帰ることで故郷は失われていき帰ることで 片われを求めていたあの日を思いだす 片われをなくした ビーチサンダルが 木陰でみる夢は ※名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る 椰子の実一つ 夕暮れの陽とともに沈んで ひとりひとりの胸に仕舞われる 片方だけのビーチサンダル ※島崎藤村 作・椰子の実、より引用 ---------------------------- [自由詩]転寝/帆場蔵人[2019年8月14日19時12分] 張り詰めたガラスはため息を吐くように割れていった。冬の静寂にすべて諦めたように、身を投げた人びとのように、ひと息に去りゆくものの気配に、なにが言えようか。握りしめた石を凍った池に投げつけていた幼い記憶が、冷たい朝の気配を感じる度にため息と変わりゆくとき、ぼくは告発されるのだ。 肋骨の隙間から心臓を突き刺せば みろ、怒りが噴き出した、これが 生命だ、怒れ、怒れ、怒れ! 激しく煙草を吸い尽くすように 刹那に怒り狂え蝿を叩き潰すように 人の苦しみを黙ってみている眼を 差し伸べない手を抉れ切りおとせ 路上に俺という俺を撒き散らして カラス達すら食わない自分を晒せ 告発されるのだ、ぼくは告発されるのだ。諦めの吐息のたびに、温かなスープを喉に通すたびに通り越してきたすべてよ、板子一枚下は地獄だ。誰も皆、変わらない。板子一枚下か、上か。氷が割れるか、割れないか。凍りついた池に誰に背を押されるでもなく進みでる。さぁ、怒りを秘めた一歩はどこに転がるのか、鬼やカラスたちが息を潜める、うたた寝の時刻…… ---------------------------- [自由詩]ちいさな手/帆場蔵人[2019年8月14日19時18分] お日さまをつかんだ ちいさな手、まだ開かない開かない 蛍になるか、星になるか、それとも お月さま、猫の瞳かもしれません お日さまをつかんだ ちいさな手、まだ開かない開かない ギュッと握れば花の蕾に変わってく ききょうになでしこ、夜には月下美人…… お日さまをつかんだ まだ開かない小さな手は さぁ、なんになる ---------------------------- [自由詩]縁/帆場蔵人[2019年8月18日23時12分] 風に飛ばされてゆく葉っぱを拾いあげ それを大切に懐にしまう人をみた まるで栞を挟むような手つきで 忘れられてゆくはずだった葉っぱが 何か違うものに変わったのだ ある日、出会った他人同士が肩を並べ 身を寄せ合う、引力のような縁が 葉っぱとそれを拾う手にも結ばれる 拾われる葉っぱと拾われない葉っぱの 違いなんて考えているうちに、時々 地球との縁を忘れて空に落ちそうになる 袖の振り合うも多生の縁 また、躓く石も縁の端という すべて前世の因縁らしい 今、躓いた石は前世の恋人か 親の仇であろうか、まさか、屋台で食べた おでんの芋、などではあるまいな ぼくの前世は おでんの 芋を 喉に詰めて 死んだらしい 腹立ち紛れに 蹴飛ばした 石ころが 窓ガラスを 叩き割る なるほど あのガラスと 石ころも きっと、縁があったのだろう 人の生には無数の縁が織り込まれ たまにあの葉っぱのような 縁が、ふいに宇宙の風に吹かれて 孤独な引力につかまるのだ ---------------------------- [自由詩]夏の終わり/帆場蔵人[2019年8月28日13時10分] 春、の終わりにとらなかった電話の着信音が夏の終わりに鳴り響いている。とても静かな夜、足音も誰かの寝息もブレーキを踏む悲鳴もふいに止んで着信音が何処かで鳴っている。トイレに座って狭い場所で口から漏れるのはぼくだけの声。ハンドソープの泡が消えていく。ベランダは緩く湿気た空気に満たされてうみのなかみたいで言葉は泡になるから黙っていよう。 人魚姫は言葉でした。 うみのなかでは言葉はいらないから言葉を知ってしまった彼女は陸で生きなければならなくなり、言葉になり、秘密が秘密でなくなったとき、彼女は泡になってうみでもりくでもないところへゆきました。だれもだれもしらないところへ。ひとひらの雪の子だけがそれを知っていますが、雪の子はしんしんと口を閉ざして、降り積もるだけです。秋に落ちた葉のうえをあるいた春は行方知れずできっとあの竹林でぶらぶらゆられています。あれは泡になるまえの言葉たちです。 着信音の陰に言葉が隠れている。夏の終わりを数えていると煙草の灰があかあかとしながら夜に落ちていく。ベランダの手すりに立ってぶらぶらゆれて(着信音は縄の軋み)首釣り台から笑ってみせる、なんて歌っていたお前は竹林でぶらぶらしてる。もうすっかり景色に馴染んだお前の眼はただの鏡だから、ぼくはぼくに怯えているだけだからもう言葉にして泡に変えてやるべきだ。そのとき着信音は言葉に変換されていくのだろう。そしてすべて泡と記す。 ---------------------------- [自由詩]夏の角/帆場蔵人[2019年9月2日1時05分] 夏の角が丸くなっていくのは夕刻です 角砂糖はアルコォルに融けながら 炎に包まれ送り火が星に燃え移ってゆくなかを茄子の牛がゆたりゆたり歩んでいきます 祖父だけは胡瓜の馬に乗り、秋や秋や、と 叫んで去っていきました、今年も祖父の顔を みれませんでした、風鈴を揺らした夏の 最後の風は祖母の溜め息かもしれません 蒼い、送り火が空を焼きながらざぶざぶ溢れ、津波のよう、精霊船が燃えながら流れ去り、秋を待ち焦がれ角砂糖がとける速度で夏の角を落として踊る人びとの輪、さざめき 夏の角は丸くなっていくのが、夕刻で、 花火が咲いて、さざめく眼の群れの海 空に還る魂の破裂、アルコォルと角砂糖 甘やかな匂いだけが秋を待ちながら 人と人の波間を漂っています…… 夏の角が丸くなれば、それは、秋、です 夏の角が、朝顔と咲いて、種を散らしました そして、秋、です ---------------------------- [自由詩]秋へ向かう歌/帆場蔵人[2019年9月16日8時16分] 遠い国の少年の歌声が柵を乗り越えて 仔馬がいなくなった落日に秋が来た 枯れ葉が地を水面をうちながら 次第に翳る空の気まぐれに高原で 樹々に寄りそう祖霊たちが笑っている やがて色褪せていく 花輪が木にかけられています あれは誰のものでしょうか 丘の小屋から子どもたちの歌声が 雨の木立を縫って歩く旅人の足音が 煮えたつ鍋のなかで茹であがってゆく ファルファッレ、白い蝶が掬いあげられ 口に流しこまれてやがて産声に変わる 秋を喜ぶ歌声にあわせ 花輪が埋葬されるものたちに たおやかにかけられてゆく ご機嫌よう、またおいでください 秋の訪れとともに去るものたちよ 柵を乗り越えた仔馬を見守る歌を歌え 高原の樹々に寄り添いながら 仔馬と白い蝶の戯れ、冬の先にいたる 遥かな山嶺を越えていく雲の行方を いつかの少年が見上げている ---------------------------- [自由詩]虚舟/帆場蔵人[2019年9月16日19時47分] 月夜の庭の物陰で土と溶け合い 消失していく段ボールの記憶よ 何が盛られていたのか、空洞となって 久しく、思い返すことはないだろう お前は満たされた器でなかったか 瑞々しい果実と野菜に陽の輝きが 盛られ滴っていた、またお前は 寄る辺なき舟でなかったか 人と同じく空虚を宿した 舟でなかったか ボール紙の波形は断崖の漣痕、そう 波間を漂う舟や魚であった名残り 遠い祖先のDNAと夕食の鯖が折り重なる 断層の幽かな揺れを指先でなぞる 生まれ来た人が齢とともに少しずつ 言葉や記憶を返してやがて去るように 庭の物陰に漂着しひとつに還っていく 段ボールが土との境を曖昧に溶けゆく 間(あはい)に尽きる人のなれ果て ---------------------------- (ファイルの終わり)