ナンモナイデス 2018年10月24日12時55分から2019年2月13日21時37分まで ---------------------------- [自由詩]預けるまで/ナンモナイデス[2018年10月24日12時55分] 誰も寝ていない寝台の上に まだ戒名の付いてない 母の骨箱を座らせる ダウンロードしておいた 浪曲を流す 追い追いと涙が溢れる ---------------------------- [自由詩]錠前/ナンモナイデス[2018年11月4日21時41分] 待ちかねていた 陽の射さない 真冬のバス停 一人 二人と 去り始め 待ちかねているのは まっている私と 知らぬ間に 尾行してきた 黒い影 ちゃりん ちゃりん 鈴が鳴る 待ちかねていた 人々が 一人 二人と バスに乗る あの黒い影も 待っていたのか バスに乗った ちゃりん ちゃりん ドアが閉まり バスは出た 私は バス停の辻にある 肉屋でコロッケ 一個買う 食べおわる 頃には 家に着く 今晩は誰もいない ダイヤル錠 をまわす ---------------------------- [自由詩]詩病なる自分/ナンモナイデス[2018年11月6日21時29分] 自分は幽霊を見たことがない 父も出てこないし 母も今のところ出てくる気配がない 昔から死後の話は多い 哲学者だって哲学者として生まれ変る 事を信じていたようである 自分は生まれ変りではないと思う 生まれ変っても自分でしかないのなら 生まれ変ってもしょうがない 自分は自分が生まれ死んでゆく この世が不思議である 自分はどんなに偶然とはいえ この世に存在してしまった 自分はとりあえずいつかの時か死ぬ 自分が死ねばこの世を知る者がいなくなる 一応 死とはただそれだけの終焉にすぎず しかし 自分の終焉とは この世の終焉でもあり 宇宙も終焉する はてさて ならば次の世に生まれることはできない はずである ならば なぜ自分は在り得たのであろうか 自然史 地球史上のただの偶然 偶然在り得てしまった悲劇 自分は泣く なくなるまで泣きつづける 誰にも看取られる者もなく 息をひきとらざるをえない 自分の自分らしい 近未来を予感して 嗤う自分 自分は形而上学に逃げない 自分はオカルトに逃げない 自分は宗教や科学に逃げない 自分は自分の詩を開示する ---------------------------- [自由詩]綺麗な湧き水/ナンモナイデス[2018年11月17日14時13分] いい意味で 伏流水は川底を 映すのであろうか?  その顔面を 嗤う筋筋を ---------------------------- [自由詩]感化/ナンモナイデス[2018年11月29日18時02分] 感化されようとは 思わないが あの目は純粋なのです どんな幸福を 謳う人のそれよりも 憑かれた目 ---------------------------- [自由詩]通り過ぎる幻影/ナンモナイデス[2018年11月29日19時23分] シルエットは幻想を 発たせる 砂丘をゆく 裸体 寝返り 振り返る未来  ザクッ、ザクッ… 足跡のない過去 ---------------------------- [自由詩]だいなし/ナンモナイデス[2018年12月9日11時10分] 皮をむく リンゴの皮をむく 指の皮をむかないように さびたナイフでむく リンゴの皮を 細く永く 丸めれば 染色体のような 人の形になるような 真新しい 乳母車に乗っている 皮が見つめていた 刃物と果物と 裸の毛物 ---------------------------- [自由詩]平成三十年大晦日覚書/ナンモナイデス[2018年12月31日18時42分] 年も死ぬ大晦日。明日には新年が生まれる。 ドイツの哲学者・マルクス・Gによれば、 「世界」は存在しないという。 《平成》などと言ったところで《日本人》 以外には何の意味もない。しかしだから・ こそ世界は存在出来ているのでもある。 昭和二年産まれの母の世界は平成三十年に 終わった。来年の元号はもう決まっている。 将来とはそういうものである。 大晦日には横溝正史・唯一の短編SFを読も う・と思っている。2018年は犬神の祟り の年でもあった。特に我が家にとっては… ---------------------------- [自由詩]ちょうどよい/ナンモナイデス[2019年1月20日21時35分] ちょうどよい  たとえばそれは、3日後のカレーだったり…  7篇ほどの短篇だったり・表紙だけ眺めては ちょうどよい  やっぱり時間だ・・・・・・夕闇に埋もれる前の幻影  衣類をたたむ。取れかけのボタンを見つける… ---------------------------- [自由詩]概念を反省す/ナンモナイデス[2019年1月29日21時31分] 自分を開示し、されているのは、人間ではない。 個としての生が開示している意識でありえている限りにおいてではある けれども、それが自分でありえているということである。。 人間とは概念であり、実在しない。 げっ歯類というのも便宜的に使われている概念である。 生物分類に用いられている用語ではあるけれども、それは実在しない。 ネズミと呼んでいるのは自分である。 《それ》を見つけたとき、 脳裏に浮かび、発してしまうのが『ネズミ』といわれ言う、 言葉であった。 ネズミと呼んでいる《あれ》を自分はいったい何時知ってしまった のであろうか… マウスならいつもPCを使うときに使っている。 昔読んだ雑誌だったろうか、B・G氏がゼロックス社かどこかに、 忍び込んだときたまたま見つけたのが3っつボタンの、 ポインティング・デヴァイスであった云々… ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]不死の女/ナンモナイデス[2019年1月30日20時50分] 不死の女を殺した。長年の願望であった傘で殺してやった。 女がいつも帰りに渡る陸橋の踊り場で殺してやった。 赤いスカートが風で翻った瞬間、傘の先端を女自体にぶっさして、 ぐいぐい差し入れて、心臓をぶっさし殺してやった。 こうすればナイフで刺し殺したりするより死体は美しい。 傷口が付かないからだけれども… 何、どうせこいつはゲノム改造されて不死にされてしまった女に過ぎない。 厚労省も推奨しているぐらいだから。 まったく誰がこんな女を造ったのだろうか… 21世紀には倫理が崩壊してしまい何かと傲慢なヒトヒトとなってしまった。 不死の女は美人であり傲慢である。 だからみつけ次第殺されるのである。 罪に問われないという保障つきだからと言うこともあるけれども。 殺人がしたいとか、いろいろな殺し方を試してみたいとか、 不死の女の用途は無限にある。 ---------------------------- [自由詩]眼面/ナンモナイデス[2019年2月7日21時48分] 僕を支えるためにはそれなりの平面がいる。 いるだけではだめで、ひと時をすごすために、 腰掛であったり、テーブルであったり、 液晶の平面であったりと。生き造るには、 解体されるには、まな板というパースペクティヴ が開かれ、拡がっている。 我は割れる割れるガラスを割る… そして続けることになった原石の平面とは… ---------------------------- [自由詩]座れないAI/ナンモナイデス[2019年2月8日21時18分] 人工知能ってイスに座れないらしい。 ハードから見れば「臀部」が存在していない。 ソフトから見れば「疲れ」を知らないということ。 ゲームからすれば「イス取り」をプレーしたことがない。 ---------------------------- [自由詩]質問/ナンモナイデス[2019年2月9日21時46分] 命が二つか 人生が二回か ロボットのような再生可能なAI1か 永遠なる宇宙か 深遠なる宇宙か 未知なる宇宙か 幸せか 不幸か 普通か まじめか 素直か バカか 美人かブスかカワイイか 信仰しているか 無宗教か …なフリをしているだけなのか 排泄器か 生殖器か 見世物か 死にたいか 生きたいか 寝たいだけか ソクラテスか プラトンか アリストテレスか 面白いか 面白くないか 白い面を取れ ---------------------------- [自由詩]21世紀のリヴァイアサン/ナンモナイデス[2019年2月11日21時11分] 万人が万人の動画を撮る より刺激的な より衝撃的な より官能的な それは投稿され 万人が万人の評価を下す イイネ イイネ ポイントxxx 万人が万人を自然に連れ戻す 無謀な 野蛮な 無法な 万人は万人に闘争し続ける 憎悪によって 権利によって 猿真似によって ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]自然状態について/ナンモナイデス[2019年2月12日19時46分] 21世紀に入ってはじめはテロリストたちによって、 思い知らされてしまったし、グローバル経済によって 独占企業化が進行してしまったことと同期に政治まで 右傾化してしまった。ネットでは動画投稿が当たり前 になりもはや何でもアリの無法領域と化している。 スマホさえあれば何でもできると言う幻想はいまやあ たりまえすぎて自分たちがその中で蠢きあっている事 も忘れてしまっている。社会人としてのマナーや慣習 はまるでお笑いタレントのごとくそれと相似している。 理性ということばを自分がはじめて知ったのは原作の デビルマンを読んだ時であったと思う。 デーモンと合体するには理性の箍をぶっ飛ばさなければ ならない場面があった。もちろん少年であった自分には 何のことやらわからず終いで、そうゆうところはすっ飛 ばして読んでいた。 次に理性ということばに出くわしたときのことは記憶に ない。高校の倫理の教師が教科書を使わない変人だった。 教科書だけは買わせやがったくせに詐欺師のような倫理 感の乏しい一面がある人物であった。 学校で習った覚えがないというのも情けない話しだが、 きっと文庫本か何かで知ったのだと思う。 《理性》というと推論することや論理する能力のこと を言うらしい。自分は数学オンチなのでたぶん理性は ゆるく備わっているのであろう。ついでに《知性》とは 対象を把握する能力のことである。 ホッブズは自然状態に置かれたヒトを仮定した。 何も拘束するものがいないヒト・彼には《無限の自由》 があるのだが、他者にもそれはある。 《万人は万人に対して闘争している》ので、個々人 それぞれに《死への恐怖》に悩ませられる。 もちろんこのような仮定をいちいちしなくても、 裏社会でおこなわれている沙汰を思えば何時の時代に 限らず無法状態の領域は存在しているのである。 結局理性的判断をしなければならなくなるのは個人的 無法状態の恐怖から逃れ平穏な状況に移行する方策を 見つけることにあると思われる。 その方策のひとつが社会契約説であったりするのであ るけれどももっとしっかりした生活基盤を考える事が できないものであろうか・・・ ---------------------------- [自由詩]スペースな夜行/ナンモナイデス[2019年2月13日21時37分] 隣では シュークリームを食べている 車は光速度で スペース・ウェイを ランダムに 突っ走って 隣では クリームシューを吐いている もうすぐウェイから ワープしなければならない ショーケースには シュークリームが二つ アントなアタッチメントをはずした アンドロイドが一体 車窓を眺めていた・・・ ---------------------------- (ファイルの終わり)