田中修子 2019年5月17日17時50分から2021年10月14日14時07分まで ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]痴情のもつれじゃありません 平川某氏と私のあいだに起こったこと、あなたはわたしのネタになる宣言等/田中修子[2019年5月17日17時50分]  平川氏との接触前、私は最低限の抗うつ剤一錠で過ごしていた。  いまは、約二十錠に増えている。  現実生活にも支障をきたしていた状態が一カ月ほどほどあったろうか。  「えっ 痴情のもつれで私が怒ってると思われている!?(……あ〜、平川さん無暗にポジティブシンキングにそう思い込みそう、そし周囲に妄想を垂れ流しそう)」 というのが、fiorinaさんから平川綾真智氏についての今回の騒動について、Twitterを通じてDMをいただき、やりとりをしているときに抱いた素直な感想だった。  いったいどこから書き出せばいいんだろう。  私のこころの状態を先に言えば、私はいま、「感情を抑圧しない」というカウンセリングのセッションを受けている。過去、怒りを抑圧する環境にいつづけ、自分に向けて自傷行為に及んでいたため、怒りを感じ、怒りの感情を対象者にむける、という、健常者ならばある意味で誰でもやってきたことかもしれないことを、34歳の私はいま、カウンセラーさんと二人三脚でやっている。  おかしな状態である。そうか、怒りとは、真っ赤な炎が、真っ黒い海を舐めるているように、痛く、重苦しい。それが胸のまん中を荒らしているのか、と。  私はこの文章をほとんど推敲せず書く。しっちゃかめっちゃかの乱文になるかもしれない。  まず最初に書いておこう。今回、私は詩人の平川綾真智氏に対して怒っているのでは、おそらくない。  現実でPSW(精神保健福祉士)とカウンセラーの資格を持つ平川某氏について怒り狂っている。そして彼からその資格がはく奪されることを願ってやまない。  なぜ、私がこのことを重視するかといえば、彼は心理のやり方をもって悪意なく人を傷つけている。彼に悪意がないというのは、文学極道にある謝罪をみていただければわかる。悪意がないとうことはおそろしい。っていうかこの謝罪、悪意がないからなにもかもしかたないごめんなさいってことか。悪意がなかったら人刺していいって思ってる人々が管理しているサイトってことなのかな。ごめんなさいで済んだら警察も弁護士もいらないよね(極道の方って、ふだん自分がすんでいる世界がグロテスクだからか、本当に弱い人には優しかったりするよ。「文学極道」のかんばんおろして「文学チンピラ」にしちゃえばどうでしょう? いや、チンピラだって年齢行くとすごくあったかみのある人になったりするじゃない、精神疾患者ならば基本的にはもうちょっと遠慮するし、サイコパスにしては頭悪い。うーん、そう、いっそのこと、「頭 悪 い 」にしちゃえ。)  http://bungoku.jp/blog/20190227-736.html    正直言って、私一人であれば、たとえ私に被害者の面が多くとも、沈黙していようかと思っていた。実際に私が被害に遭ったと思ってから三か月が経っている。22歳のときに精神年齢が3才と5才とそれぞれ二か所の精神病院で診断された私の精神年齢はいま思春期にさしかかっているところで、世の人々のことを多く知らないのであるが、異常を「感じ」た瞬間さっさと断ち切っておけばここまでならなかったんでない? と自分にセルフツッコミ入れることもしばしばである。ま、解離して生きてきたため、その「感じる」というところが麻痺しているのだけど。  しかし、私が他被害者と思っている2名と、ゆっくりゆっくりつながりをもち、やりとりをしたところ、事態は思った以上に深刻で悪質だった。そうしてやっと遅れて、怒りがこみ上げてきた。(ptsd患者は自分自身のためには怒りを感じづらいが、似たような境遇にある人を通して怒りを感じることができ、そうして回復へ進むことができる「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン) ※ちなみに、犯罪被害者に起こりがちな二次被害「あなたは我慢すべきだった」等はすでに経験済みです。前からですが、左腕はとてもボロボロです。  被害者は私を含め3名である。  私は私の回復のためと「感じ」この散文を現フォにアップする。しかし、同時に同じくらいに、他被害者二名の名誉が守られたリ回復されてほしいと「感じ」ている。その折り合いとして、散文urlを今晩中に被害者二名に読んでいただき、彼女らが訂正されたいところは好きなようにしてもらおうと思っている。そして、明日中にツイッターアカウントにこのurlを連動させる。(2019/5/18十代の女性詩人さんより許可を頂く 2019/5/22二人目の被害女性より記事訂正の依頼を頂く 2019/5/23気持ちに不具合を感じ連動は見合わせている)  特に10代の女性詩人は、私のように週一回の通院とカウンセリングもなく、詩の先輩もなく、ほぼ孤立無援の状態でさらにカバードアグレッションを受け続け、精神薬が増薬になっている。平川氏と同じ九州詩壇であることで、「あの子は病気だからいうことを信用するな」という情報操作も行われていると、ご当人と電話して伺った。  サイト内の人間関係をばらす(というより彼の妄想が披露される。だんだん疑問に思って当人たちに尋ねると、そんなことにはなっていないと言われる)とか、涙声になるとか、私とおなじだったが、ツイキャスのアイドル役をやらされる等、私よりひどい目にあっていた。  ツイッター上だと好戦的で被害妄想を抱くキャラクターに見えるし、実際に被害妄想は、できるだけ調整するがどうしてもあるという。(この時点で彼女は自分の病識をつかもうとしており、生活やパートナーとの折り合いがつけば落ち着いていくだろう。現実生活そして詩壇でのサバイブを祈る)  とても心細そうな声を出し、また自分の病識をつかもうと悪戦苦闘している様子が伺えて、私は、うんと昔の自分をふと思い出した。私は正直言って彼女の詩はよくわからない、しかし、あたりまえの、30代の大人として、彼女をなんとか守りたいと思う。私は30代の大人が、10代の子を利用する様をみたくない。大人は子どもを守るべきである。その逆転現象、子どもが大人に粗雑に扱うのを、もちろん私自身が体験し、見てきたことでもあるが。  また、彼女のように何かしら病気・事情を抱えている弱者を狙う、というのもあまりにも悪質に過ぎるだろう。  「病気のことがあるから信じてもらえないし、そういうふうにさらに情報がゆがめられていて……」  平川某氏とその周囲の人間とは、そのように、人を孤立させることに長けている人間だ、と直感した。彼らの行く先々で、特にもともと精神的な何かを抱えている人々たちの人間関係が断裂されている。私は当初、狭いこの現代詩界という場所で、ひとびとがお互いに不信を抱いている状態がいったいぜんたいなんなのかと思っていたし、愚かにも文学極道ツイキャスはそれらの断絶状態を打ちやぶるものだと思って宣伝してもいた。違った。少なくとも彼らこそが現時点での現代詩界での「壁」である。ただ、「なれ合いこそが筆を弱くする」ともやっとわかってきた。私は症状が悪化しいい子をできなくなってから、表現が尖ってきた。このように孤立し喧嘩し争ってこそ、筆は鋭くなるのかもしれない。  そう、私は生まれつき孤絶した人間であった。  さて私は、精神疾患はあるが、症状としての誇大妄想はなく、カルテもある。証言は信じられるタイプの人間である。そのため、主治医には今回の件で現実でも対処するように勧められているし、それに励まされてもいる。詩人の人間関係というのはあやふやであるが、この医院がある限り私は精神的に孤立しない。  しかし、10代の女性詩人の味わった孤独と辛さを思うと、ひとりの大人として、情けなく思う。  彼女は私のように安全な依存先をほとんど持たない。やっと漂着できた言葉の浜で一年半近く、心理の手法を知る者によってカバードアグレッションを受け続ければ、症状が悪化して当たり前だ。  皮肉なことに、彼女はその症状の悪化によって、平川某氏よりも平川綾真智氏よりも、比べ物にならないほどまともな人間であることが証明されたのではないかと思う。  次にもまた女性詩人で被害者がいた。  この被害者女性が平川さんを信頼して人には話しづらいことを相談していたのに、それを勝手に他人に話し、その人が情報を利用して不利益を生じさせようとした。  カウンセラーには守秘義務があって、順守する。PSWにもまた、秘密保持義務がある。私が主治医に診察中に「カウンセラーが心理の手法を使って人の悩みを聞いて、その悩みを周りに操作してばらすということはありえるんでしょうか?」と「心理職として絶対に許されないこと。」と顔をしかめていた。主治医への依存を防ぐために、あまりアドバイスをしない主治医であるにも関わらず、彼が私に現実での行動を勧めたのは、私の回復もためもあれば、やはり際立って悪質であるという認識をもったからであろう。  つまり、なにを言いたいかというと、「心理職の平川某氏は、その心理職を持ち続けることが、すでにできない」のである。……あれ。そうか。書いているうちに整理できたんだけど、平川某さんはもう「すでに」九州の精神保健福祉士でいることができないんだね。そうかそうか。  さて、これからはどれだけ心理の手法が悪用で、なぜ私が怒っているかという説明にはいる。  これは「理解しようとしてくれる人」に届けばいい。様々な事情があって精神疾患を抱え、そして状態で生き続けようとする人を理解する気持ちが少しだけある人だけでいい。  心理のやり方で悩みを聞く、というのは、分かりやすく言えば言葉のハーブ療法とでも言おうか。  うつ病等精神疾患を脳の癌としよう。もともとみな脳のつくりが違う。そうして、罹患した部位も浸潤してしまっている濃度も違うから症状は様々である。精神科医は西洋薬を与えつづけ、心理ではことばのやりとりでおだやかに症状を鎮める。  特に、心理の人間のほうが、クライアントと対面でおしゃべりをつづけるため、かえって病み、自分自身が脳の癌を得たりする。ほかにもさまざまな現象が起きる。クライアントにのめりすぎて恋愛感情をもったリ、支配欲・憎しみ・面倒くさいという気持ち等をもったりする。とくにptsd患者の場合、セッションそのものがトラウマの反復となったりする。私の友人でも、レイプ被害を細かく話している最中に主治医に性的対象とみなされ、セッション中に主治医にセクシャル・ハラスメントを受け、主治医を通しての世界への安心感を絶たれて、最終的に自死を遂げた子がある。また、病気のままの自分で仕事をしたいと思って中途半端なカウンセリングもどきを学び、病んだ男性にアドバイスをしているとき、目の前で自慰をされて仕事が続けられなくなったという子がいたこともいま思いだした。  できるだけそのようなことが起こらないように、1回50分のセッション・価格・手法は年々進化しつつあり、近年ではSV(カウンセラーのカウンセリング)が義務付けられているはずである。  カウンセラーたちは、SVを通し、常に「自分が病んでいないか」をチェックしつづける。  それなしには必ず潰れます、というのを知人のカウンセラーからきいたことがある。  私自身、昔に、きちんと場所と金の境界がある場で、カウンセラーに陰性転移を起こされたこともある。性的なものではなかった。おそらく憎まれたのだと思う。一時間一万円支払っても嫌われる自分というのは、最悪な気分だった。それ以来、個人のカウンセリングは信用しておらず、精神科医と提携できちんと交代のカウンセラーも用意されている、いまの医院を選んでいる。  というわけで、もう平川某氏って潰れてる。病んでるひとが病んでるひとにカウンセリングもどき、自分の言葉のハーブをばらまき続ければ、それは、「洗脳」「依存」すごいことになる。    私には家庭があり、彼に恋愛感情を抱いたことはない。  また彼自身も「友人になりたい」という名目で来たのだから、友人以上になりたかったわけではない、と信じたい。しかしおそらく彼は、半ば友・半ばカウンセラーというあいまいな立ち位置で私の話しを聞くうちに、おそらくは私に「陰性転移」していたのではないかと、いまは思う。陰性転移というのは、先ほど述べた通り、カウンセラーがクライアントに対して性的だったり恋愛的だったする感情を抱いてしまうある種の症状である。彼のまわりには、そういった話題に事欠かないようであるが、ようするに常にそういう状態なのだろう。  そこで私を支配しようと、沢山のデマをふりまき、不信に思った私がその真実を明らかにしたとき、「なぜ裏切った! なんで、なんで、なんで」という「精神分析モドキ」をおこなった。この「三回のなんで」は心理の手法だという。そしてそれが、普段記憶を解離させていきている私の焼けただれた部分にメスを入れることとなった。  私は「私は根本的に男性不信があります。それはレイプされていたからで、それは親に愛されていなかったからです」という突然の内面の直面化に遭い、発狂していたらしい。現実のカウンセリングでは、「レイプされていた」「親に愛されていなかった」というところは、私自身の記憶があいまいなところもあって、カウンセラーも避けているところであった。  記憶がどのようにあいまいかというと、これがまた非常に書きづらい。たとえばレイプ男性との行為は基本的には思い出せないが、事後に自死しようと思って太ももの動脈を切り刻み、バスタオル一枚が血に浸ったという映像ははっきりと思いだせる。親に愛されていなかったというところは、例えば母の顔が思いだせない。写真を何度見ても、数日後には「あの人がどんな顔だったかわからない」となってしまう。「防衛」という機能なのだそうだ。  文章を書くという力を取り戻し、自信をつけ、その二点は思い出しても思いださなくてもいいように、少しずつ時間とその他の経験が柔らかい包帯のようになって、やけどをいやしながらかさぶたになって剥がれ落ちる手助けをするように、慎重に慎重にセッションを行っている最中の出来事だった。日中の抗不安薬は、心臓に負担にかかるものに変わった。  それでも、それからもしばし、「こんな誠実でいい人が私に何かするなんて、私の方に原因があるはず」と連絡していたりした。  カウンセラーもどきからクライアントもどき間の、セッションもどき内での、トラウマの反復であろう。あれからいままでにない症状がはじまって、現実生活での折り合いに苦慮している。  脳の方は素直に恐怖を感じ、安定剤も抗うつ薬もぐんぐん増えて、ほとんどの連絡手段を断てたのが、「詩をめぐる冒険 閉ざされた可能性」のころか。  やっと本当に「完全に恐怖し、怒り、絶対に関係を断ち切ろうと思った」のが、実は今日である。それまでにほとんどの通信手段・SNSも、ブロックしたものの、お付き合いがあった詩のDMチャットに彼の管理するツイッターアカウントがあったから。今日、さっき、最後の彼が管理しているツイッターアカウントをブロックできた。  えっ、こんなに迸る文句があるのに、さっきまでほとんど更新はないとはいえ、最後のツイッターアカウントひとつとつながってた。なにしてんの、私。  書いていて思う。  友人からのDV被害とかって、本当にジワジワくる。そこにくわえて心理の手法が加わっているはずである。さらに、適切な医療機関にかかっている私も含め、「悩んでる女性詩人三人」がまるっとターゲット。仏の顔も三度までっていうじゃん。一瞬で三人、ってことはさ、もうないよ、仏の顔。 ・秘密保持をできていないカウンセラー・PSW→現実の平川某氏 ・なぜか、女性への支配が異常にある心理の手法を使える30代の男性詩人→平川綾真智氏  どっちにしても、ダメだ。  私がネットストーキングに「感じた」期間は一か月ではなく、もっと短い。しかし、DVなれしてるこの私が恐怖を感じたんだから、ほんとうに、彼は何かがおかしい。  伝言ゲームみたいによくわかんなくなる前に、書かなければならないことを、書いた。  fiorinaさんの「全部まとめて小説にしてしまいましょ! 修子ちゃんの身にはこれからもいろんなことが起こるだろうけど、ぜんぶネタだと思いましょ!」を聞いて「受け取ったとき」「スッキリ」「感じた」ので、これから私にかかわる人は全部私の小説のネタになります宣言もしておこう。  質問がおありになりましたら、コメント欄にください。できるだけお返事します。ネタにもなります。 2019/5/17 平川氏は詩界と精神医学界にとって危険であると判断し記述する。 2019/5/18 10代の女性詩人よりこのままでいいという許可を頂く。一部、主治医とのやりとりを思い出しながら訂正する。もうひとりの女性詩人より連絡を待っている。 2019/5/22 状態が悪いためなかなか書けなかった。この状態でツイッター連携し、またも二次被害に遭うとさらに状態が悪化すると判断し、当面ツイッター連携は見合わせる。ふたりめの女性詩人さんより記事修正のご依頼をいただき、変更する。 ---------------------------- [自由詩]あじさい/田中修子[2019年6月8日13時36分] 濃灰色に、重く雲があって 息苦しいような午前中に 雨がふりだした 傘が咲くだろう ひとはそのひとの人生のために 雨の底を歩いてゆく 歩んだ歩数のおおさ すくなさ おもさ かろさ かろやかにたくさんあゆみたかったと思いながら わたしはそのひとつひとつを数えながら  ポトッ ポトッ  ザー…… ザー……  トトトトトッ トトトトトッ  ピチャ ピチャ ピチャ  シャルルル シャルルル ことばにしきれない 雨のその音 音の数より人生があって そのひとつぶひとつぶが 少し歪んだがらす玉のように 正円でなくとも できるだけ 空の涙のように 澄んであればいいと 一日中 夜まで降りしきる 赤い麻のカーテンの向こう マンションの窓に橙色のあかりが やがて消えていく時間まで 眠れないでいる 濃紺の夜 (ひとのすくない北の国の夜は真っ黒だった 都会の夜はすこし なにか明るくて目をつむっても 手で瞼を覆っても 隠れることができない) 車のタイヤが雨溜まりをよぎる音は波の音に似ているらしい 海のそばですか とたずねられた いえ 海のそばではありませんが そうか 水が耳のなかにひたついて なみうっていて あんなにも恋しかった 海の底 が、こんなに近くにあったのだと知る 学名 Hydrangea macrophylla 水の器 七色の小さな手が無数に合わさり鉛色の雲を瑞々しくたたえた天に向かってひらく 雨粒をうけとめ それを飲み干していくのは アマガエルそうして子どもたち、夢想にふける自我なんて 雨をうけとめつづけた器その内側からやがて水そのものがあふれ出し 地を満たすなら 箱舟にのせて流してしまいたい 羽ばたく白い知らせを待って  時期に咲く花花があの神話を生み出したの いえ、二度目の洪水なの 耳からつながって頭蓋のなか 人魚が水死体を喰らう みなそこに 紫陽花の鉢植えをおきたい 淡い あかむらさき・あおむらさき 白い紫陽花もあるよう 北欧のランプみたいだね みなそこを光らせよう アジサイという題名で小さな詩のようなものをつぶやく 鳥の鳴く苑 どきどきする心臓に赤い接吻が降りしきる わたしのゆびさきも求愛の嘴   紫陽花には 陽 という字が入っていて 梅雨の時期 煙る雨の中 永遠のように反射しながら光る 雨の日だけ、あの花から 紫の陽が差す  梅雨の時期 ほんとうに 紫陽花のまわりは 粉ガラスのように きらめいていくから 牙をむいたシャチでさえ そのまわりを くるくるくるくる 泳いでしまって そのくちもとが すこし 笑っている すこし欠けた空想がめぐりめぐる くらい深層のゆめのなかに やはり空想の紫陽花の鉢植えをおくと そのまわりだけパッと明るくなった 人魚たちは水死体の肉を喰うのを少しやすんで イソギンチャクやフジツボで飾りした黄色や紅色の傘をさして たまには女どうし 華やいだ噂話をする その色情の鱗を つゆ色にくるおしく染めて みなそこにも雨の季節がきたようだ ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]複雑性PTSDという病、メンタルハラスメントにあってからの再発と回復/田中修子[2019年6月10日18時13分] 複雑性PTSDという病気と、メンタルハラスメントにあってからの再発と回復を、ただ淡々と、いまその症状に苦しむかた、それからいわゆる健常者のかたにも届くような書き方で書いてみたいと思っている。 想像してほしい。 あなたはいつも通りの生活を送っていた。そうしてそのときやらなければならない仕事をこなしていた。小学生だったり、大学生だったり、社会人だったり。 ありふれた日々だ。退屈なことも嫌なこともあるが、時たまの気晴らしのために働ける。うっとおしい梅雨の時期には紫陽花が咲き、ビニール傘の雨粒越しにその紫陽花が煙るのを見てすてきだな、と感じたりする。 そこにとても高圧的な人が一群やってくる。その人々は少し前まで、あなたの両親だったり、クラスメイトだったり、仕事先の仲間だったり、趣味の友人だったりした。その人々がまるで豹変したかのようにあなたを罵ったり、無視したり、情報操作をしたりする。 彼らはとても姑息で、ほかのおおくの世界からあなたを分断する。その人々があまりにも巧妙にあなたを孤立させる。(私の両親は地域の有力者だ。だから、「あの人がああするのであればあなたがおかしい」という二次被害には、ずっとずっと遭いつづけてきた) 「のたれ死ね」「お前が悪い」「秘密をバラしてやる」「あんたが一番損をするんだからね」 あなたは恐怖する。体の方では交感神経と副交感神経のバランスがおかしくなる。セロトニンという物質が不足して、生きたいという気持ちが薄くなり、世界は灰色になる。食事は砂を?むようだ。味がしないのでいくらでも食べてしまい、食べ過ぎて太るとよりあざ笑われるので、のどに突っ込んでトイレに戻すようになり、よりいっそう自己嫌悪に陥る。あなたは不信の眼差しで世界を睨みつけるようになる。そうすると、目つきが悪いという理由で全く知らない人に絡まれたり、暗くて引っ込み思案そうという理由でさらにあなたを利用する人々を呼んでしまう。真夏だというのに空は灰色だ。酒を飲むと少し気分が紛れることに気づく。やがて気分を紛れさせるために飲んでいた酒が、酒がないと生きられないようになる。あなたはあなたを異常、意志の弱い人間だと貶め始める。 困り果てたあなたは精神科のドアをノックする。多くの精神科では、ろくに話も聞かれないまま、多くの病名が付き多くの薬が出される。精神薬に不信を覚え代替療法やカウンセリングでなんとかしようと思うかもしれない。カウンセリングの世界にも、たくさんの間違ったことがある。たとえば私は親に連れられて受診し自分の成育歴に悩みを持っているという状態で「境界性人格障害」という診断を受け続け、精神分析を受け続けた。(現在では、境界性人格障害の幼児期に虐待や無視が多くみられることから、解離性障害に病名が変更になっている)この時点でそれまでにない侵入性の悪夢からの不眠、自分を切り刻んだり焼いたりする自傷行為が激しくなった。 ここで、ゆっくり話を聞き、あなたが悪いのではなく、あなたの上に様々な問題が噴出してしまっているだけだと理解を示したり、その恐怖がはじまる前の、正常なあなたにいつかは薬なしで戻れると信じてくれる精神科や、PTSD患者に精神分析をしてはいけないという知識のあるカウンセラーに当たれば、それは回復の一歩になるだろうが、その病院を探し当てる前に、あなたはボロボロになってしまっているかもしれない。 かつて、体中のあらゆるところから血を流し、包帯を買う金もなく、傷の上に生理用品をセロテープで巻き、その上からフェイスタオルを結んでいた私のように。 あなたは精神疾患者になった。 なったらなったで今度は、自分に自信のない人が自分より下のものを見つけて叩くために「メンヘラ」と名付けている世界がはじまる。あるいは病的な行動そのものが魅力を持つ若い層に「メンヘラ」と、少し畏敬の念をもって呼ばれ始める。(「メンヘラ」という呼称を考え付いたのはどの層だろう。) やがてあなたは「メンヘラ」である自分自身にしか価値を見出せなくなり、「メンヘラ」らしい行動をし始める。ODしてみた、腕を切ってみたとネットで誇示してみる。「メンヘラ」仲間同士で集まるうちに、自死者が出る。あなたは自死を願うようになる。 しかしやっと日本にも新しい知識が普及しはじめている。虐待や苛めに遭えば、PTSDを罹患するのは当たり前である。自身の病識を持って回復し、生き抜く「サバイバー」という言葉があると。 メンタルハラスメントという単語は私の造語である。 しかし、私の友人にも、レイプ被害を克服しようとする精神科医とのセッション中に、精神科医に性的な被害を受け、その精神科医を通じての回復が不可能になった子がいた。あれを一体何と名付けるかといえば、メンタルハラスメントというのがしっくりくるだろう。彼女は結局、慢性貧血からの心臓肥大で、季節の変わり目に心臓発作で亡くなるというある種の完全な自殺を遂げた。その友人は幼児期から家庭内で性暴力を受けていた。彼女が複雑性PTSDという精神疾患を罹患しなければ、つまりその状況で健常に生きていたら、その方が「異常」ではないか。 彼女のことを引き合いに出すのは、ためらいがある。しかし、おそらく彼女が遭った目と似たような目に、今回私も遭ったのだろう。 つまり、精神科医や心理職というものも、PTSD症状に詳しくなければ、あまり、信用してはならないのだ。ましてや、ネット上にいる自称心理職など、PTSD患者は、決して、絶対に、信用してはならないのだ。 そして、その手の人というのは、どこにでもいるのだとあらためて噛みしめる。 友人が被害に遭ったのは精神科医であった。私が被害に遭ったのとその仲間の方々は、現実の世界では、援助職であったり、いいお父さんであったり、倫理学者であったりするらしい。 「加害者タイプ」にあなたが思い浮かべるのはどんな人だろうか。私は、ある時まで、加害者というのは、まっとうな悪人だと信じていた。つまり、物心ついた時から犯罪に興味を持ち、常に?をつき、酒を飲みながら女を犯し、窃盗を繰り返し、自分が罪を犯していると知り、やがて刑務所に行くような人々など。 このような絵に描いたように歴然とした悪党も、もちろん、いるのかもしれない(だが、もちろん、そのようなタイプの人にも、成育歴やその時の社会の抱える問題が積み重なっているはずである)。 しかし、いちばん恐ろしいのは、「善良な、優しい人」が自分のこころに無自覚な嘘をついて行ってゆく加害であることを、思い知る。アウシュビッツからの数少ない生還者であるプリーモ・レヴィが、生還後に一番苦しめられたのも、このタイプの善良なドイツ人であった。彼が収容所で骨と皮になってやせ衰えて病気にかかり、ドイツ人の医師に受診できた時、その診察室の窓から仲間のユダヤ人を破棄するための煙突が見える状態にありながら、そのドイツ人医師は、「あなたはなぜそんなに不幸な顔をしているのですか」と尋ねたという。そして、戦後、そのドイツ人医師からは、収容所でそんなことが起こっているはずがなかたったことと、自分は善意の人であるということを強調する手紙が来たという。 圧倒的な否認のもとに行われる、善意あるいは無知、被害者に責があるという「犯罪」にすらなりえない、それ。 彼女の苦しみを、いまになって、すこしだけ知れたと思う。 「少しでも他人を信頼した私がいけないのではないか」 彼女は、メンヘラと自分を卑下していた私に、サバイバー(被虐待児で精神疾患を罹患せざるをえなかったものが、回復して自分自身の生き方を取り戻す)という言葉を教えてくれた友人だ。将来は、被レイプ女性を診る精神科医になりたいという夢をもっていた。 きっと許してくれると思う。 前回の、平川某さんの記事は、文章それ自体が怒りを解き放つというものであり、攻撃性を帯びたセラピー文章であった。 ある意味で、このように自分の怒りに直面し、言語化できるというひとつの自信を持ったと同時に、いただいたコメントなどを拝見して、これではいけないのだ、と自戒の念をもった。 「精神疾患者が何か錯乱しながらものを書いている」 それ以上の文章にしなければならない。 私は、精神疾患者といわゆる健常者の枠をこえて、だれにも届く文章を書きたいと願う。 このところよく思う。いったい、精神疾患とは何で、健常者とはなんなのか。 今回私に遭った出来事はどうも、狭いネット詩界で、意外と多くの人に影響を与えているようだ。そして、この出来事自体を茶化してくれた作品まで出てきた。私はその作品をみて大いに笑った。そうして、自分のなかでユーモアの感情が死んでいないことにひどく安心した。 その作者が、「ハラスメントをするひとも、されるひとも、同様に弱いひとなのだ」という視点を提示してくれた。 そうなのだろう。 私は、治療の方針で現実でやらなければならないことがある。と、同時に、どこかで、治療の過程でメンタルハラスメントに遭って苦しんでいる人、あるいはPTSDの状態で精神分析を受け苦しんでいる人にとって、参考になる文章を書きたい、と思う。 PTSDの状態で、精神分析というメスで脳のやけどしたところを切り刻まれる、ということ。 私がいままで十年以上の時間をかけて克服してきた症状は以下のものだ。発症は、祖母の介護の強要を受け、彼女が目の前で転落してきた日にすれば、二十年以上もたっている。 アルコール依存症、自傷行為、拒食・過食や過食嘔吐の摂食障害、醜形恐怖、視線恐怖。 中学生のときから口止めとともに不適切なカウンセリングへのたらいまわしが始まり(これを精神的な子捨てという)、22歳にやっと自力で自分に合いそうな医院につながった時には、極度の貧血状態によって精神薬の投薬を始められず、鉄剤で内臓を治してから一日五十錠の投薬が始まった。 それから約十年間、回復に費やした。そして、一時期すべて寛解するに至った。 長かった。あまりにも多くの時間と、一部内臓の健康を失った。 過覚醒(不眠)の症状だけが根強く残り続けている。 今回、再発症したのは自傷行為と過食嘔吐だ。メンタルハラスメントにあったのが二月だったろうか。それがじっくりと効いてきて、目に見えるものになってきたのが四月半ばくらいだったように思う。当初、訳が分からなかった。薬だけが増え、やっと主治医に何があったのか口頭で伝えられたのが四月半ば。主治医はトラウマケア専門医で、いままで精神分析や催眠療法などでボロボロになってきた人をたくさん見てきたようだ。それで、なぜここまで症状が悪化したのかをやっと把握できた。 新しく出た症状は記憶の欠落と、覚えのない文章を友人に送るというものであった。 記憶の欠落という新しい症状が一番恐ろしかった。いぜん希死念慮がひっ迫して右の首を切って既遂しかけるということがあったが、記憶が欠落している間にもしそれを起こせば、止める術がない。五月中は、あたらしい症状の把握に、自分が使える時間と気力ほとんどを費やした。 記憶の欠落と、覚えのない文章を送り付けていた等は、解離止めの投薬によって収まり、腕を切るという自傷行為が、過食嘔吐へとうつっている。覚えのない文章を、うけとめてくれた友人、うまいことスルーしてくれた友人には感謝するしかない。 現在出ている症状、過食嘔吐は、子どもが保育園に行っている間に行う(2019/6/11 昨夜この文章を走り書きしてから、過食嘔吐の衝動は収まっている)。子どもがいる間はなるべくものを食べないように心掛けている。このところ、鶏肉とチーズは胃に収まることを発見した。夫には事情は話してあるし、過去の症状が再燃しているということを、担当カウンセラーと把握してもいる。 もちろん、過食嘔吐というのは、非常に惨めな気持ちになるものだ。 記憶の欠落は一か月で投薬で落着き、腕を切る行為は、二次被害(「あなたが我慢すべきだった」等)のほか一回で収まった(計二回)。 この過食嘔吐も、近いうちに収まることを願ってやまない。 私はうつ病チェックをすると、常時27点ほどある。7点以上は精神科へ、という点数だ。もう慣れてしまったが、おそらく普通の人々より慢性的な感情麻痺があるのだろう。22歳のとき自分で選んだ、カウンセリングが義務付けられているトラウマケアに特化した医院へ、週一で通院している。 メンタルハラスメントにあった直後、私はそれまで興味を持たなかった箱庭療法にいきなり興味が出た。いまのカウンセラーはPTSD患者への知識が深く、安心できる。 箱庭療法というのは、砂のおかれた箱庭に、ミニチュアの人間・動物や家、恐竜・花・マリア像・阿修羅像などのミニチュアを置いていくもの。例えば、私にとってマリア像は母性本能を意味する。私は虐待する母と無力な父の組み合わせの被虐待児である。マリア像の後ろに父と思わしき男性が完全に砂に埋もれてしまうこともある。 蛙やトカゲなどを私は現実で見るとかわいいと思うが、箱庭療法ではどうも加害者のイメージを持つらしい。ある時、ベッドに横たわる少女の上に蛙やトカゲがのさばっている状態の箱庭が出来上がった。 「この女の子が無力な私で、この一番気持ち悪いのがHさんで、私のこころとからだを搾取する対象としてみている。それからまわりにうじゃうじゃいるのが、仲間の人たち……私いま、こんな状態なんですね。自分自身では平気だと思っていたけど、少し彼らから距離を取らないと危ないです」 そんな風に、自分でもわからない自分のこころの状態を言語化し、距離をとるなどの行為をとってきた。逆に、箱庭の状態を見て、コミュニケーションをとろうとすることあった。 過食嘔吐は摂食障害にあたる。拒食なども摂食障害である。 これは、自分の意志では、ほとんど食欲の制御ができない状態をさす。 摂食障害は、母親とその子(特に娘)の関係に密接に関係するらしいが、なぜか、という理由は明確にはわかっていないらしい。 「複雑性」がつくと、たしかにすこし特殊かもしれないが、PTSDはだれもが罹患しうる病である。 それからまたうつ病とも実は密接な関係があるのではないかといまは思っている。「うつヌケ」という、うつ病からの回復を描いた漫画を読んだところ、多かれ少なかれうつ病を抱えているひとの中には、過去にちょっとしたキズを抱えていた。私のように状態が悪いとき、瞬きすると祖母が目の前で落ちていく等のある種典型的なラッシュバックというほどでなくとも、「小さいときお母さんやお父さん、先生に〇〇といわれた」という、ちょっとしたつらい心のヒッカキ傷が、のちに過労体質になったり自己肯定感の低い人になったりする経験は、みな、あるだろう。 最初に書いたとおりだ。それはあなたのところにも、普通に、少しずつやってきて、少しずつあなたを侵食する。……そういう意味では、戦争とも共通点があるかもしれない。私は自分や友人にあったことを、「こころの戦争が、だれにも気づかないうちに、ごく局地的に起こっていた」と人に説明することもある。 いじめに遭ったり、通りすがりにレイプに遭ってもなるし、震災に遭ってもなる。 事故や事件を目撃しただけでもなる場合があるし、友人や近親者が自殺してしまい、「なぜ気づけなかったのか」と自責の念にかられて、すぐれない気持ちが続くようであれば、それもまだ一種の罹患である。 また、ある種のひとびと、絶対に自分は精神疾患とは関連がないという否認や防衛の強い人々にとって、頭痛やめまい、腹痛などの身体化表現というかたちをとることもある。 そうして、私にでた症状、アルコール依存症、自傷行為、拒食・過食、過食嘔吐、醜形恐怖、視線恐怖などは、PTSD諸症状の典型である。 正常と異常というものがある。正常な人は、異常との間に大きな壁を置き、異常者を収容所のなかに押し込め、特別という焼き印をおす。あちらに行った人は、おかしいひとなのだ、と。そして、壁の向こうで起こっていることを、自分にはほとんど関係のないゴシップとして扱う。……しかし、頭痛やめまい、腹痛などのストレス性のものを含めれば、この世に完全な健常者などいるだろうか。 たとえば今回私やその他の女性に嘘をつき、悪態をつき、無視をしている「善良な」人々は、いったい「何者」なのだろうか? 私はこの人たちが、自称・文学をやっている人々ということに驚く。彼らはおそらく、最も、文学とは縁遠いところにある人々だろう。自分の中の醜い心理に直面しなければ、細やかには人間のことをえがけないだろう。 私? 「本当にいい人たちは、収容所からは戻ってこなかった」 死んでしまった子たちは、本当にまじめで、優しい子たちだった。家族を恨まず、加害者を恨まず、すべて自分が生まれたことがよくなかったと引き受けて、亡くなっていった。 ある意味で、いま生きているというそれだけで、私は相当年季の入った悪人である。醜い心理状態の人たちのもとで、それらをつぶさに観察し、ある時は利用し、生き延びてきた。-人は醜い、私も醜い、神も持たない私が信じていたのは、雨だれの音や咲く花、青い夕暮れや、一人ぼっちで聞いた夜の、真っ暗い海の音、そして亡くなった子のうつくしい思い出である。 私は死後、彼女たちがいったところとは別のところにいくだろうと夢想する。しかし、いまここに私の脳もからだも生きている。 回復して、収容所から一歩出、雨の音が美しく聞こえ、気に入った傘の色を見ながら、雨に黄色い花がしなだれ落ちるのを歩いて、振り返るとき、正常な人こそが私を狂気に追いやった人間であったことを思い知る。そして、いわゆる健常者が、「私はぜったい正常だ」と言って自らの狂気から目をそらす弱い人にしか見えないことがある。むしろ、収容所のなかで、生きようと、病識を得ようとあがく人こそが、大いに正常なのではないかすら、と思うこともある。 PTSD患者は、みな戦友だと思っている。それぞれが傷つき、攻撃的になったり依存的になるため、あまり近づくことがかなわない。-それでも戦友だ。私に起こったことが戦友たちの今後の知識になればいいと願っている。 ---------------------------- [自由詩]だいどころ/田中修子[2019年7月1日16時29分] ほら、あの窓から記憶を 覗いてごらんなさい。 風が吹いてカーテンが まだ、朝早すぎてだれにもふれられていない ひかり を孕んで揺れている。 そこにはかつてあなたの( )があった、と、重たくふくらんだ ひだ が、ささやきかけてくる。もうすぐうみつきね。まちをゆくと沢山の母たちに、笑みをもらう、やがてこのひとたちの仲間になってしまうんだわ、おなかのなかにいるのは。 (追憶する夜の森。月と星がさいごのおおかみを照らす。ひたばしれ) あの ちいさな、みち溢れた空間をおぼえていますか? 覚えてます。くっきりと覚えてます。うつくしく、やけついたようなんです。やけついて離れないんです、あの日々が、あんまりととのっているから、そこに少女のまま、ありつづけるんです。 ほら、前髪はハツリときりました。まゆげをかくすんです。それで少しゆるく、ふわふわにした髪の毛、椿油を塗りこんで、つばきが彫りこまれているつげの櫛で梳くわ。 いくたびも、いくたびも、赤く火花が散って、この黒い髪の毛に反射して燃え上がるまで。燃えあがるわたしの髪の毛、ここは牛車のうち側か。 (あなたは子どもね--ほんとうに、子どもね。子どもをうんでみればわかるわよ。) (せんせいわたしは、ときをとめたんです。まるで、こどもをだいどころに閉じ込めてしまいそうでこわいんです。) 幾百も 幾百も 耳をふさいだ掌にきこえる音を、 問い返しつづけてきたあるひ。 あれらはただ ひかりのしたたりで、できていた ということに ふと気づいた シンクにむかう、銀色の祖母の髪の毛と、灰色のエプロン。皺がれた手は、すっと包丁を持っていて、ト、トトトト……と軽い音を立てて、きゅうりを薄く、薄く切って、その薄い、みどりいろの輪は包丁にまとわりつかずに、はらはらとまな板に綺麗に斜めに落ちていく。花びらのように。わかめときゅうりの酢のものですよ、わかめを食べると黒い髪になるでしょう。みどりいろの、すこしなまぐさい花を食むんです。お嫁にいきます、おばあちゃん私、お嫁にいきます、あなたの音の記憶をもって 骨。うちよせる澄んだ波が骨を洗うような貝の白は骨の色。 あんまり 憧れすぎて ほら、 胸のまんなかが きん色に 満ちて 満ちて 焦がれて --そこに、あなたがいたから。 ずうっと、あなたが、翠色に澄んだ汀に散らばって引いては寄せる、紫陽花のいちばん青い萼のように、死んでいて、くれたから。赤く燃え上がる後ろ髪ひかれながら、眩しい積乱雲を切断しながら、想い出をかかえていたのは、ひたすらに唇でなぞってはなぞって、そこに言の歯が、はらはらと、はらはらと、噛み痕をつけて歩いていくように --又、あのひかりへと、あるきだすんだ。 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]ツイッターからの転載に加筆、平川綾真智氏に対する私自身の解決/田中修子[2019年7月5日16時46分] 私に起こった、「平川綾真智氏に心理の手法で加害される」という件、一応の解決をみました。 まず、弁護士さんに何件かあたったのですが、事例がないということで引き受けていただけませんでした。 ただ、だいたい情報は集まっていたので、彼の所属しているはずの協会に問い合わせをし、担当の方に、私が虐待と性暴力を受けての精神疾患(PTSD)があるということ、精神分析もどきで状態が非常に悪化したこと(過去あった症状の殆どが再発した)という事情、瀧村鴉樹氏に教えた区役所の電話番号に嫌がらせの電話があったこと、それに対して警察に相談したところ平川氏のツイッターが監視されていることなど、お話ししました。 また、ほかの被害者の方のお話もかいつまんで申し上げました。 非常に丁寧に接してくださったうえで、悪質さに驚かれているようでした。 平川氏の登録はなく、「自称でやっているのかもしれない」ということ。もし登録があった場合には、所定の手続きを踏んで苦情の申し立てをすることが可能と教えていただきました。 確かに、心理の手法を連発するという悪質さ、情報漏洩まで含めると、そういった職業倫理を大幅に逸脱しています。 そうか、職業までウソであったか……やりそう、というのが率直な感想です。地域違いで探しだせなかっただけかもしれませんが。 文学極道からでた公式謝罪 http://bungoku.jp/blog/wp-content/uploads/oae-1.jpg (よく読んで頂くと分かるのですが、「違法性も悪意もない」とした上で、最終的に「べつに悪い人がいるんだもん」という支離滅裂な内容です) も読んで、違法性も悪意もないと言い切っているんだから繰り返す可能性がある文面のように見えると正直な感想を言ったところ、それは絶対に起こってはならないこと、となり、私の証言をデータ化して、それぞれの区の責任者の方に情報が下りていくことになりました。 私自身に悪化して起こってしまったことはもう取り返しはつきませんが、主治医の提案「心理の世界に居づらくすることはできる」というのは、ここに解決しました。また、警察や協会の方が協力してくださったことで、私が悪いのかもしれないという思いも払拭することができました。 ただ、今後も「平川綾真智」としてツイキャス・イベントに参加して心理の手法を悪用するというところまでは止められないでしょう。詩のイベントによく足を運ばれる、精神疾患・悩みのある女性は、どうぞ注意されますように。 --- 「怒りを開放する」というセラピー文章にお付き合いいただいた方、その後の経緯説明の散文にポイントやコメントをお寄せいただいた方、お騒がせいたしましたとともに、当時非常に症状が悪化していたころでしたので、意見をお寄せいただいたことにも助かりました。お礼を申し上げます。 今現在私は、彼ら彼女らとすべての接点を絶っています。 懸念材料は、瀧村鴉樹氏が福祉につなげるということで教えた区役所や病院に、これ以上の嫌がらせがないか、ということでしょうか。 もしそこに嫌がらせがあった場合、彼女もまた本当に信頼ならない人であろうとちょっと思って教えたところ、本当に嫌がらせの電話がかかってきたという……。 (ただ、また電話があった場合には、個人情報の漏洩と精神的苦痛という割とありふれた内容で弁護士を立てることが可能のように思います。) この件に対して、これ以上新しい記事を書くことがないように願っています。 ありがとうございました。 ---------------------------- [自由詩]クチナシと蜘蛛/田中修子[2019年7月6日17時53分] すこし朽ちかけたクチナシの白い花 濃い緑の葉のなかに 銀色の籠を 蜘蛛が編んでいて そのつましいようにみえて ほそうい ほそうい レース糸でできた瀟洒な籠のなかに 澄んだ雨粒が ころんコロンころんコロンと 何粒かしまい込まれていたわ。 やがてポロロンと溢れるクチナシ香水 みちゆくひとのあしもとを ほんのりと白く飾っていく 幽香 あまりにもあふれて 人は口がないように はなをひくひくさせてしまう そうして声がひととき 止んで 傘にたたきつけられる雨の音だけが あたりにパタタタタッて 鳴りはためく そのためにこの色白の女の胸元みたいな花は クチナシと名付けられたんだわきっと。 正確無比の編み手 蜘蛛さん、どうかあなた わたしの髪の毛に その 銀色の籠をかけて そしてまた編んで編んで、編んで 立体籠模様のレース飾りにしてはくれませんこと? ニシン業へ冬の荒波へと出かける男たちのために女が編むという セーターの模様 「海の男の鉄(シーメンズ・アイアン)」のように 銀の籠模様をつないで わたしがそこに入れるのは 果てしなのない空想! スーパーと保育園とおうちの行きかえりだけの 狭い世界でも ふと 耳を澄まし目をとめたとき 毎日違う音の雨が降り 紫陽花が咲き 小さな庭にはもみじがいつの間にか生えてきたの! 若葉色の葉と朱の茎 土にもみ殻を植え込み混ぜて手入れさえすれば 毎年顔をのぞかせてくれるようになった ペパーミントとレモングラスを手に取って やかんにいれてわかして飲むと ハーブ・ティの出来上がり いえこれはたんじゅんなお茶ではありません きらめく蜘蛛の巣を髪飾りにした魔女が淹れた稀代の味がいたします。 息苦しく眠りづらい夜がずうっと続くわ よくない夢をみるの だから ちょっとついでだし ユングがいう原型を探しに行くわ 詩という白魔術をおこないますのに おのれとのたたかい 御守りは 知恵の象徴、蜘蛛さんは簪 そして たくさんの空想を入れた銀の籠の髪飾り 暗闇の深層を数瞬 照らし出す 老賢者はどこにいる? アニマ、アニムス グレートマザーは海となりわたしをのみこみ そして吐き出されて。 眠れない女が立ち枯れた木をみつめている けれど その 木に 赤ちゃんの寝息が すはすは かかると みて! ほら、簪と髪飾りがその木を しゃらしゃら 笹にして あっという間に 五色に金銀砂子 薄暗かった深層は青闇になり 鈍色の雲がかかって そのむこうに お星さまキラキラして ああ、簪蜘蛛さんあなた 棚機(たなばた)の乙女が悪い魔法にかけられていたの 織姫だったのね 御覧! 彦星があなたを迎えにやってきたわ 手を伸ばし懐かしく見つめあう ふたりに うやうやしく あのあまい香りを振りかけて差し上げたわ。 そこかしこに クチナシ香雨真珠の ふるふるまわりに かつて 雪の地の神がふらせたという この列島唯一の 叙事詩に記された 銀のしずくたちのように。 ※ セーターの模様の着想 鳩山郁子「ダゲレオタイピスト」より 童謡「たなばたさま」歌詞 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]身辺雑記と、詩について思うこと/田中修子[2019年7月10日9時38分] なぜ私が現代詩というものにたいして拒否反応があったのだろうと考えるとき、長い間、私という小さな視座から見える世界が、ある意味ではとても単純な世界だったことに由来することに気づいた。 生きるか死ぬか。 殺すか殺されるか。 敵か味方か。 これはおもに白黒思考というもので、幼児期虐待を経た解離性障害の人に良く見られる思考である。 本当にそういった世界で私は長らく生きてきた。私が両親に言われてきたセリフを友人に打ち明けた時、そしてまた私がレイプ被害に遭っていた時、「よく犯罪を起こさなかったよね。同じ環境にいて殺人を起こしてしまった人っているよね」と言われたことがある。 彼らと私の違いはいったいなんなんだろう。どこで私は殺人犯にならずに済んだのだろう。 そこで思い出すのが、私にとって、近代詩の言葉があった、ということだ。 室生犀星の、「故郷は遠きにありて思ふもの」という詩に、同じような孤独を生きた人がいたということを感じ取った。このところになって知ったのが、室生犀星もまた幼児期を孤独のうちに過ごした人であるということだった。けれど、その時は、そのようなことを知らずに、この人は確かに孤独を知り、そして美しい言葉を綴り、きちんと生きていたのだ-という、人生の目標のようなものができたのではないかと思う。あの時代の人々は、それこそ、栄養不良になればすぐ死んでいっただろうし、きっと現代の人より死が身近であったはずだ。紙もペンもいまよりもっと入手が難しかったのではないか。そのような人々が命を投げ出すようにして綴った文章だ。 あのころ、黒の文字が、まるでとても強い、それでいて澄んだ光を放っているように見えたものだ。 ほかにも、もっともっとたくさんの本を読んで、その中にありありと描かれる生き生きとした少年少女たちの冒険、あるいは私の知らぬ穏やかな生活が丹念に描かれた生活の随筆などを読んでその生活に思いを馳せるとき、私の「こころ」はほんの少し、動いた。(実は私は「こころ」というがなんなのかを知らない。おそらく、脳とからだが連動して起こる何かなのだと思う。) 自分と同じ精神状態の友人の二人目を亡くした時、私のなかに大きな火花が散った。あれは怒りだったと思う。 その怒りによって、「生き延びる」という選択肢が加わり、回復に転じたのが6年前だ。それからは心理治療もはかどった。 いまでは、世界はもっと複雑で、たくさんの色と感情に溢れている場所だと知っている。 喜びも悲しみも、花のように淡淡としあるいは苛烈な美しい色も、死体の流す血のように悲惨な色もあることも。 娘を授かったこと。私の体を通して、なにかとても良いものが、わざわざ子宮や膣という、とても狭いところを通り抜け、彼女も苦しかったろうに、血まみれになって泣きながらこの世にあらわれてくれたことへの深い喜びと感謝と。もしかしたら、大人になったらたくさん笑えなくなるかもしれないから、せめて子どものうちには、天からの贈り物のような笑い声を聞くために、私もよりよく生きなければならない。 私は長らく、とても、とても狭い世界で生きてきた。闘病中に寝たきりになったので、現実生活の対人関係はほとんど途切れた。このところ、自傷行為という一番深刻な症状が寛解に向かい、この状況を保てれば半年後から何か習い事をするという目標ができた。そうして、いつかボランティアといった形でもいいから社会につながりたい。 原家族という狭い、狭い檻に閉ざされている私も未だいて、それは父の死までおそらくは続くだろう、というのは私もカウンセラーも同じ見解である。愛されなかった子というのは、どこまでも親を思う、それは刷り込み現象のような生物的なレベルのものなので仕方がないのではないか。 このところ私はネットで友達ができた。外国人で、いま海外の紛争地帯に派遣されている兵士だ。全く知らない人だったのだけれど、助けを求めるような内容を看過できず、やり取りをはじめた。彼のたどたどしい日本語と、私のたどたどしい英語とでやりとりをしている。 私はネット上でのトラブルが続き、多少は用心深くなった。けれどもどうも彼のその状況は本当のようだった。 彼が、「so sad」と送ってきた写真には、丸太のように積み重なって転がされ、からだのあちこちが少しずつあり得ない方向に歪んでいる、血を流した兵士たちの遺体の写真があった。こと切れているのがひとめで分かったのはなぜだろう。綺麗に軍服を着たままの人、少しだけ軍服が剥がれて地肌が見えている人。となりには乾いたり或いは生々しい血が薄く塗り重ねられたような、グレーのタンカがあった。 なんてこと。 その瞬間、私は何かを、神に祈った。祈る、という行為は私にとってとても久々なものだった。神というものがなんという存在なのか、私にはわからない。それでも何かとても大きなものに対して、私は祈った。私の友人の無事を、そして亡くなった兵士たちの最後の想いが安らかであったことを、できればもうこれ以上このようなことが起こらないことを。 けれどもたぶん今日もあの地で、人は血を流しているのだろう。 「あまりにも当たり前なのです」私のつたない英語能力で彼の言葉を読み解くとこうなる。「テロリストはどこにでもいて、毎日友人が死んでいく。おかしくなりそうだ」 なぜ、なぜこんなことが起こるのだろう。 彼はいま戦場にいる。 けれども、テロリストの側にも「正義」があるのだろう。 あの、こと切れた兵士たちにあったかもしれない未来というもの。 彼らにも、家族がいたろう、愛する恋人がいたろう、かつての私のように、ほとんどなにもなくとも、希望だけはあったかもしれないだろう。 断ち切られたその命、投げ出されたからだ。 そも、イスラエルという地は、神のものではなかったか。反射的に私が祈った神は、この血を流させている神ではない。何かもっと、うつくしい、かなしい、真珠を吐き出す貝や、雨に濡れて輝くイチョウの新芽や、瑞々しく咲く紫陽花のようなもの、一時は本当に廃人だった私をここまで生き延びさせ、回復させ、子を授けてくださったような平凡な奇跡を成し遂げる神に、私は祈る。 親によって傷つけられていい人がいないことを、私はいま知っている。 神や国によって死んでいい人がいないことを、私はいま知っている。 言葉によって何ができるのだろう? この、文字という限定された何かで、何ができるのだろう。 この文章を衝動的に書き始め、勢いで書き上げて、整合性のとれていない書き物だと思った。自分の原家族とあの兵士の死体たちのことは関係がないはずだ。 けれどもこのように突き上げさせられるとうに書かなければならないことがあったはずだ、と、もう一度読み直すときに、今回の出来事で、いちばん苦しかったときの私を支えたあの室生犀星の書いた詩もまた、戦時中、兵士が死に行くために使われた、というその事実に、私は直面したのだった。 もしあれらの詩がなければ、私は殺人を犯していたかもしれない。あるいはどこかの時点で完璧に自死を遂げていたかもしれない。生かされた命と、言葉によって殺された日本の兵士と。 私が使えるのは、古びた言葉たちだ、ということに気づく。 私は結構前に、日本現代詩人会の新人というものになった。私が読んできたものは近代詩でしかない。また小説の文体も明治時代の文豪のものが好きという体たらくだ。 読んだこともない「現代詩」を書けたはずがないという違和感のようなもの。何を評価されたのだろうと自分に問うとき、私に起こった現代的で壮絶な機能不全家族の中での虐待と被レイプ体験のことを、現代というものを強烈に拒否し続けた近代詩の書き方で書いた、ということが評価されたのではないかと思う。 私は古いものが好きだ。 実家では、百円均一の皿が無造作に積まれていて、シンクの中の生ごみにまみれていた。当時の最新のアメリカ式の家族と、当時の最新のロシアの思想だ。まだ働けていたころ、雑貨屋でアルバイトをして、北欧から輸入されたヴィンテージの北欧食器に初めて触れた時の驚きと喜びをおぼえている。 時を経て、擦り傷を重ねた美しい食器たち。 そこから私は一気に骨董好きになり、骨董市などに足を運ぶようになった。-どれも病床に臥す前のことだが。 もちろん、食器は人を殺さない。詩は人を殺した。 それでも、使い古され、細かいヒビがキラキラと入ったようになった古臭い言葉遣いを、磨きなおして使うことはできないだろうか。 -想え。 想え、と祈る。 想像が、どこにでもあることを。想像するとき、それは確かに私の内側にあることを。世界中の人が、ある日いっせいに、花咲き乱れ鳥の啼く、雨音が優しく、銃声はなく、子どもらの笑い声に満ち溢れた世界を、けっして帰れない愛しい故郷への郷愁を、一瞬でも想像したのならば、その想いによって、世界は彩られることだろう、と。 たくさんの大きなことを思い、大言壮語してみて、私はパソコンを閉じる。これから、お皿を洗ったり、久々に晴れたので、洗濯物をする。あたらしい柔軟剤を買ってみた。 とても無力で、とても小さくて、とても強いもの。細かな日常の積み重ね、それが、光り輝くような詩のようなものであることを。 ---------------------------- [自由詩]蠅/田中修子[2019年7月17日17時17分] 老人そして小さな子を見落とし続けたあなたの眼窩のそこにある脳髄/は/空っぽで楽し気に戦を殺し続けている/空虚の根底に辿り着くまでどこまで遡ればいい/殺戮の宴はどこにあるか/あらゆる語り部を聞き落したその耳を私のこの丈夫な歯で切り落とすまでお待ち/羽 隆々と盛り上がるしなやかな筋肉の若者のままであればよかった 若いころの肩甲骨は美しかった 天上にすら白い家を持てたであろうに 切り落とされた耳そして羽の音は 鳴る 銀の蛆が私の体にたかる からだ (数瞬の闇 きらびやかに輝き照り付ける白の星 今日の空は何色だ 紺か黒か赤色香 そのあからさまな光明のうちに 子を産んだ裸体を照らせ 原始の太陽はいま恒星となって刺繍されている どうだこの乳房この二の腕この腰回り 強い男に抱かれて妙なる美しい子を身に宿し逞しくなった閨 黒髪に大島椿油を数的塗りこんでつげの櫛で梳けば ポトッポトトトトトッ 滴るその虫 メタモルフォゼ 黒く光り強い目を放ち少年たちの王となって島で殺戮を繰り返せ 蠅の) 部屋に湧き廻る 虫の嵐とて あなたには水のはる国がない 小さな生とそして死を見落とし続けて 朗らかなあなたには 語るべき平和も戦争も持たない あなたの持つのはただのビラでありただのプラカードでしかない あなたのなかにはなにもない <思想その空虚><神を殺せ><王の器><ナイフとフォークでビフテキを食べる若いお前を><書記長><寄る辺のない寂しさ><女王たる聖女を地に引きずりおろし><全ての堕落そして裁きの日は孤児の娘によってひらかれる> (娘の所有するのは) 金に 夕映え  翡翠に 海の音の底の白い鮫と   赤真珠…… 波間にほどけ、て    消え、て(さくじょ)(さくじょさくじょさくじょ) シテ きょうじょ?   消えて 所有するものなど  ッテテテテテテテ 何もないことを る、るるるるるる 銀衣……吊り上がりのッ面 (何も持たない) 「私はおそらくは最期のときなにももたずに逝く」 (レモンの香がするね--ね、トパアズ色の香気はしなくともせめて明るい色で刺青すればそれくらいは萎びた皮膚のうえに) 「老いさらばえたこの体 もう髪は白く抜け落ちている かつて漲っていた女はすべて抜け落ち ※吾れ死なば 焼くな 埋むな 野にさらせ やせたる犬の 腹こやせ いや私は小野小町のようには美しくもない から ただ 雑木林の落ち葉の上によこたわる 手を組もうね、ね-- 右手と左手を愛しくつなごうね」 「組み入った枝から分け入った光がきらめいて差し込んでいる」 ※故郷は遠きにありて思うもの そして……(かつての詩人の漂泊の詩歌) 目をつむる暗闇の そう この数瞬 力を抜いて流れ落ちていく 波だ その時初めて体に舞い降りる あたたかな天衣、 の --- ※小野小町の辞世の句とされるもの ※室生犀星の詩「小景異情」より ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]すいそう/田中修子[2019年7月26日13時40分]  孤独になじむから、すこし壊れかけているような古い町が好きだ。  その古い町の小さな裏通りに子どもの死体一つ入れられるほどの大きさの水槽があった。緑色の藻が内側のガラスに張り付いていてよく見えない。水もぬったりと淀んでもうじき梅雨にはいる生ぬるい風が吹くのに波打つこともない。これからの季節、蚊がわかないだろうか。  それともこの中にはわたしに見えないだけで魚がいるのか。  かつてあったかもしれない水草も光なく腐り、酸素が足りずに喘いでいる魚だ。エラが酸素をもとめて痙攣する。呼吸ができないから魚はどんどん透けて行ってしまう。内側の骨だけが、消えゆく命のように銀色に光っている。  その澄んだ魚の、ヒューゴー、ヒューゴーという苦し気な音が聞こえるような気がしたのは、脳溢血で倒れて病院に運ばれた母の鼻に差し込まれた透明なチューブと、死へと歩んでいく母の呼吸と。 (あなたはなにをおもっている)  淡く銀色に光っている魚、すでに溶けてかけている目玉、落ちくぼんだ眼窩と。  そんな姿になってもゆらりと泳いでいる魚と、わたし。  一枚のガラスをとおして見つめあっている。  と、歪んで崩れてゆく世界。  わたしは水槽の中にいた。  いや、水槽ではなくて、そういえば、わたしのいるのはガラスの箱舟だった。なにをぼんやりとしているのだろう。  幾度目かの洪水があった。人はほとんど滅びかけていた。父も母も知らずに育って、コンピュータ先生の作った楽園という名の孤児院で暮らしていた。  あれは紫陽花の咲く季節だったと思う。そう、紫陽花が異常繁殖したのだった、あれが兆しだった。雨が降って降って紫陽花の杯にたまり、そしてやがてその杯から水がコンコンと湧き出して止まらず、地上にあふれだしたのだった。その水は紫陽花の放つ薄紫色をしていて淡い色の水平線になった。  人はみなその美しい水にとりこまれて、人としての輪郭を失い溶けていくのだった。あれは幸福だったのだと思う。  夥しい幸福の死から何かによって取り残され-たぶんコンピュータ先生の選定によるもの-、ガラスの箱舟に閉ざされてしまったわたしら。  ここにはあらゆる動物や植物が、つがいでいる。  ビルディングのような高い高い箱舟で、あらゆるものが閉じながら循環できる構造になっている。  わたしは動物の世話という生きる目標を与えられている。もう何年になるか。  きちんと整備された動物の部屋だ。きっとコンピュータ先生なら、餌から糞尿まで自動的にきれいになるように方舟を設計出来たろうに、わたしの仕事のためにわざと自動化されていないところが残されている。いつもの糞尿と藁の湿ったにおい。    このところ、異変があった。ふしぎな黴の増殖だ。  放っておくと緑色の黴にびっちりと覆われていく。その緑色の黴を近くで見ると何かの鱗のようにも見える。もう数年あてどなくさまよっている箱舟の、動物たちでさえ何かしらのあきらめをふくんだ沈黙の空気と。    --わたしがくるのはいつもこんな世界ばかりだ。  「また増殖していく黴をみているの。黴を削いで、それから、動物たちの世話をしないとね」  呼ばれて振り返ると細身の筋肉質の男がいる。彼は、わたしのつがいだ。幼いころからずっといたので兄と思っていたが、血は繋がっていないのだった。  彼の、かつて日に焼けて浅黒かった肌は色白くなっている。こんな状況でも彼はぜったいに声を荒げない。いや、一度だけ低くなった声を聞いたことがある。わたしが生きることに飽いて首を深く切った時だ。大量の血を噴出させながら、それでもなぜか気絶しただけで死ねなかった。気づけば足の先から髪の隙間まで血のこびりついたわたしを、彼が抱きしめていた。失禁もして、寒くて寒くてガタガタと震えていた。  気絶していたわたしを見つけて、切り裂いた首を彼は手で押さえ続け、止血をしてくれたのだろうと思った。のどが渇いてうめくわたしにくちうつしで少しずつ水をくれた。  つがいではあったしつがったこともあったが、軽い快楽を得るだけでそれまで特に彼になんの感情を抱いたこともなかった。  水が甘かった。  彼はしっかりと私の目をのぞき込み、低い、低い、冷酷な声で言った。私は、まるではじめてあらわれた人を見るように彼を見た。  「いいか。おまえはおれのものだ」 かすれた声で、はい、といった。 「おまえが投げ捨てた命をおれが拾った。だからこれからおまえはおれのものだ。わかったな?」 また、はい、といった。  気持ちのなかに紫陽花の咲く静寂が訪れたようだった。  慢性的な低体温だけが残った。あれから、肌色だったわたしのゆびさきは白くなり、時たま輪郭が溶けていくように薄紫色の燐光をはなつことがある。その燐光に照らされて緑色の藻が方舟のなかに増殖していくことも、ほんとうは、気付いていた。  数か月たって、方舟のなかに、死の病が流行り始めた。  緑色の藻はいまやガラス質や機械だけでなく、ほかの人間のつがい・動物のつがいを覆うようにもなった。特に人間だ。生きる意志のないものから、一晩で黴が皮膚を覆いつくし、崩れていった。夕暮れに発症し、朝には小さな山になるのだった。  紫陽花色の水にふれて輪郭が崩れていった幸福な死の様相と、あまり、かわらなかった。みな、ふっとロウソクを吹き消すように、静かに命の灯を消してゆく。  あの、首を切って死に損なって以降燐光をはなつようになったわたしの手同様、目もおかしくなったんだろうか? 時折、命が灯にみえるようになったのだった。そのひとの皮膚をとおりこし、輝いている命、弱っていく命が見えるのだ。  はじめての死者が出たその朝、かき集めた死骸を方舟の外に放った。はじめての死骸は水葬するつもりで、柔らかい赤い毛布に包んだのだった。そうしてその赤い布を金色の光線と薄暗い水色の入り混じる水平線へと放り投げた。  赤い布は内側から風船のように膨らみ、やがてパチンと千切れた。内側から何羽もの白いハトが飛び立ち、あかるい陽の差すほうへ羽ばたいていった。  それから幾度も幾度も水葬を行った。くずれおちた死骸は途中から布に包むのはよして、手でつかみ、放って投げるようになった。わたしの手はそのたびに、内側から薄紫色に輝いた。そうして方舟からはなれると、かつて人や動物で、死んで、黴になったものは、たくさんのものになった。  白いハトになったのは最初の遺体だけだった。  あとは魚になったり、貝になったり、海藻や、珊瑚や……あらゆる種類の海の生き物になった。  あるいは花になり、まるで自らの死をみずからの変身で弔うように、淡い色の海の上へ、遠く漂っていった。重なる水平線の揺らぎの向こうへ遠ざかっていくその白い花を、わたしはずうっと目で追った。死があらたな生に変換され、あらたな生を惜しげもなくまき散らしながらすすんでいくガラスの方舟に、閉ざされている、わたし。  死んでしまえれば、どこかへ、ゆけるのに。  水葬を繰り返しながら、幾度も幾度も、わたしはわたしのつがいを横目で見た。彼はいつも淡々として、安定している。静かな声で話す、でも時たまくだらない冗談を言って笑わせてくることもある。わたしは子どものように思いついたことをなんでも話す。彼はわたしの言葉に耳を傾ける。  夜遅く眠り、朝早く起き、ともに仕事に出かけ、一緒に方舟のなかで食料を調達し、時間になれば料理を作る。彼の作る野菜スープやサラダがとてもすきだ。ざくざくと刻んで、すこし塩味をつけているだけなのに、ほろ苦いのや甘いのや、たくさんの味がする。そうして、ときおり、わたしを抱く。  のしかかられて彼の背中に手をまわし、爪を立てながら、わたしは性的な快楽よりむしろ、彼のなかの命の灯に照らされることに喜びを感じる。彼の命は灯というよりはむしろ、巨大なたき火……炎に近い。数メートル近く赤々と光る炎。燃え上がる火柱にあおられて、わたしの髪の毛がチリチリと焼ける音さえ聞こえることがあるような気がする。  こんなに穏やかな人のどこにこんな力があるのだろう。  行為が終わる。火をもらって、この瞬間だけ、指先すべてに血が通ってあたたかくなる。  「コンピュータ先生に拾われて孤児院に行く前さ。おまえはまだ小さくて覚えていないが、おれは災厄があってから拾われたからね」 寝転がりながらしゃべってくれたことがある。 「村があったんだ。両親がいて、親戚がいてね。米を作っていたのさ。田んぼがあって、稲刈りが終わって残った藁を、あつめて焼くんだよ。三メートルくらい火柱がたつね、一メートルも近づけない。すごい音がしてさ……おまえはあれを見たことがないんだね」 「わたし、孤児院育ちだから」 「だからそんなふうに命を粗末にするんだね」 いまはもう白くなった、首の傷跡をなぞられる。それは、頸動脈を淡く抑えられることでもあった。  わたしのからだは日に日に透け、そうして薄紫色の燐光を放つ。藻は燐光にあてられて日々増殖し、人はわたしと彼以外すべて飲み込まれてしまったが、動物や植物は逞しく繁殖していく。動物は寿命を終えるその日以外、わたしに感染することはない。生きているうちに感染するのは、人だけだった。  彼がわたしに感染するときがあるのだろうか。この、巨大な火柱を内側にもつ男に。きっとそれは不可能なことだと思う。彼はわたしを半ば妹として見ていることもしっている。  この方舟が約束された地にたどり着く日を待っている。  最初の遺体の白いハトがやがて月桂樹の葉を咥えて戻ってくる。祝福の鐘の音はすでに耳鳴りのように低く響いている。  約束の地にはまだたくさん人がいるだろう。彼はそこで理想の恋人に出会い、わたしを捨てるだろう。半ば壊れたコンピュータ先生はどうなるのだろう?  わたしはまた独りになり、黴となって崩れ落ち、そうして、孤独な少女の指先に宿って、たくさんの生き物を咲かせることができるだろう。 ---------------------------- [自由詩]せ/田中修子[2019年8月3日8時10分] あかやあ きいやあ きんいろやあ 愛を暗示されれば とは、なんだ、とは、なんだよ おい だれか、 あつい、朱金の星が宿る 遠吠えを、したらいいわね 韻がおしまいになる前に まだいるの だれかいるの 仕方がないので 夜には四つん這いになりましょう そうして梨を齧るように眠る 心ゆるび 痙攣する瞼のしたの眼球 が 透いて みられてる 夢をみている わたしが 口腔を柔らかくあつい舌でなぞられるように あなたにみられている 「大切なものはいつか、かならず終わるでしょうね。」 「終わらせたくないもの、ばかりだね。」 妹になるわ おもいきり噛まれたあとは 痣になり 腕は 紫陽花の咲く夕暮れの庭となるから どこまでも広がり滲みてゆく ひとりきりではない と 熱をもち 腫れあがったそこを、舐めたら 切り落とした蛇の足をきらめく耳飾りにいたしました 「ねえねえねえ。」 「きみは どうも そのまま攫われてしまいそうで。」 光る溶岩が流れ込んできて うずくまって いくつもいくつも 言星をうむと空っぽ 抱いてよ 「ここへおいで。」 「そこへいきます。」 示されているはずのところがあるのに ゆで卵のにおい 手をつなぐ人々のなかで ひとり泣いていたあの子 とおい北の空 今夜は 花火が 豪奢に打ちあがる 体に深く滲みわたる あかやあ きいやあ きんいろ やあ ---------------------------- [自由詩]翠のはら/田中修子[2019年8月20日6時42分] チテ・トテ・チテ・トテ ちいさな、 黒い足跡が。 チテ・トテ・トトトテ・トテチテトトト…… ほら、翠のはらが どこまでもどこまでもひろがって 風に揺れている 草は目を射るように揺れている その、ほそういさきにきらめく光さざなみ 雲のように白い子馬が駆け抜けてゆくよ……トクトクトク、心音のような足音 かろやかにあそんで、わらっている その足に踏みつけられる 野の草はいっそう ぎゅうっと絞られたレモンの、香がするの。 翠のはらは あなたのうちがわに かならずあるのですよ。 いたみに、わすれていましたか-わすれるふりをしていたのですね 一緒に手をつなぎ闇に落ちていって いきましょう(おいで、おいで) そしてあの あつい草いきれを吸い込んで つながれたまま どこまでも どこまでも 抜けてゆく広い青い空を、ひたすらに、 よしよし-そっと、脳をしたさきでなぞってあげる とん、とん、とん、とん。 青年が、泣いている ころされた白い馬の骨の楽器をかき鳴らしている。 だれにもころされた白い馬がかつてあったのでした。 (祖母と母が口争いをしていて ゆうごはんは罪悪の味がして あのころ母を殺す夢ばかりみていたんだ それでぼくは いつか殺人鬼になるんじゃないかと怯えていた) そのいたみに、甘い、広い、 翠のはらのことをわすれようとしているのなら 幾らでも、のみこんであげる。 青闇が、おりてくるのは、まいにち瞼をとじるから? すこしずつすこしずつ 夜のとばり、夜のとばり、夜のとばりに 明日を死にかけた女が、だきしめられてなきさけんでねむっている。 男は台所で菜を切っている。 ---------------------------- [自由詩]金色の額縁/田中修子[2019年10月5日9時36分] 眩しい イチョウの葉が、金色に 雨のように舞って、舞って そのなかに入れずに ただ 見惚れていた から 憧れて 手を伸ばす いったいなんなのでしょうか 金色に降りしきるイチョウのなかで ひらひらと踊ってるみたいに、背に、澄んだ羽はありますか うずくまっています すべて 遠くから ああ、あの内がわに、舞い散りたい、踊りたい、と 願うだけでよかった 耳に優しいピアノの音が聞こえる 世界を憎んでいた、だからきっと、写真は綺麗だ なにもかも 未満にもすら、なれない だから きれいごとをならべたて 切り刻む (傷つけあうことで伸びる背から逃げようとしているなぜなら 子どもだから--子どもだからなのよ) 嘆き悲しみ花束を抱える 子どもの人でなしにかかわった幸福は よくねむれますように みずからの幸福を祈れるように そこが 降りしきる金のイチョウの乱反射で 目を細め さよなら ---------------------------- [自由詩]かぎ編針で刺す/田中修子[2019年10月23日15時57分] 薄ピンク色 愛を乞ういろを なでる ひたすらに ああ、知っているよ まっすぐに 舌から垂れていく粘膜は都市を浸食していきますね。崩落していく花の詰められた箱から解放されて飛び立つ夜の白鳥の夢ですね しっぽふりふり、動物のふり、四つん這いをして舌をペロリする ウフッ 獣姦は禁じられています。それはなぜだったろ 孕め。孕め。孕みなさい つかむ爪の輝き、なにを乱反射しているのかしら、そう薔薇の洋灯 編み物を、する かぎ編針 みどり、森のいろ。森のいろと、夜の星の銀色の編み物をする。二年目のことしはすこしずつ、めが整ってきましたね、ありがとう、編み物や縫物が好きだったのを思いだした。あなたの首をあたたかくしましょう。(愛で縛ってはいませんか いえ あい とは そも あいはん する あいぞう -では、いや まっすぐに、注ぎたい、雨あがりのように そのにおいのように) 編みながら思いだしたわ、小鳥がいた、ところなんです。あたたかな真珠色のころんころんとする浜辺に、銀のつめたい雪はふるふるみどりに、しずかなフクロウの啼き声は耳の裏側。なつかしいかしら-覚えて、いる? 少しずつ思いだしたの。サランラップがきらめく薄うい、宝石にしなだれ落ちていたころのことを。どこまでも、どこまでも、くるくると引いて-あって ただ名前もなく文字もなく、そこにあった。名付けるのは、祈りでしょうか? ちい・ちい・ちい、あめゆじゅとてちて-あめゆじゅとてちて あなたは、またきた、 いつまでもここにきた。いつだっていつだって、天にいかずに。ちえこや、としこや ほうこうする四つん這いの、愛を乞うあまりにも薄い色の塔を浸食する 舌 首輪・ひとつふたつみっつ 輪投げして ね、わらって-風が 過ぎ去るように わらって 振り返って御覧なさい。そこにたくさんの毀れた道が、ありました。あなたはそこを通ってきたのですね-崩落しないように もう二度と、あの、花咲く石のアーチの橋が 落ちること ないように みいつけた。ほんとうはうずくまって、おふとんのなかでちいさくなってふるえているだけ。きたないものはよらないでねっ あはははは! おねがい、さわんないでちょうだい! とりのこされて生きてきたからね、これからもね、白い雪はよごれて溶けて、とうとうと、とうとうと、春の桜の流れるひ、まで ---------------------------- [自由詩]小さな庭/田中修子[2020年5月10日1時02分] あのひとはやみに閉ざされていたころの 北極星 もう去った 気配だけが ことばにつながる みち が幾らでもあったことを まだわたしはひとではない ひとであったことはいちどもない これからもない 夕暮れ 空を苦しげなように覆っている雲から ひかりが静かにおちていった そうしてあたりを薄紫に染めて とどろく 五月の神様のひっかき傷はあかるく落ちてくる そのいくつもの線が なにかを指し示しているのだけど ただ 泣いているようで やがて降りしきる 雨粒のひとつひとつが 生きること死ぬことそのあいまのすべてのことを ささやいている そのすべてを耳たぶに飾りたくて 目に焼き付けたくって そっと 家を抜け出すのです 三年前から使っている黄色い傘の花柄が雨に濡れてあざやかに咲いていく 歩きなれている道のはずなのに 闇に輝いている紫陽花に見え隠れする路地に 足を踏み入れた ちいさな庭があった みどりの五月の庭が あるじの気配はする 姿はない 傘を閉じる この庭に降る雨はあたたかく 躑躅はあかるく燃えて芯のさむさをとろかすのです ひとではないわたしの 追われた傷を 庭で休む モッコウバラが垂れているね クリーム色の薄い花びら すこしミントが茂りすぎだわ と思うと熱いお湯の入ったヤカンがあって 艶やかな青のマグがあって 湯気の立つミント・ティーを入れましょう 痛みをしずめ 安らぎに ぷくぷく 溺れてゆく どれくらい経ったろう 安寧のお返しに 忘れられた庭の手入れをするうちに 庭になっていた わたしが居たあかしに 黄色い傘を 庭の出口にそっとひらいて おきましたよ 夫と子が、支えあうように手をつなぎ うつくしい花束を供えて うしろすがたは これから生きていく人の 背なか ---------------------------- [自由詩]はしりがきの春/田中修子[2020年5月13日5時28分] 「春の紅」 …ト、トトトトト… 春の花らが ひさしぶりの雨に打たれ お化粧されて 艶めいてるよ 指にとり 頬紅や口紅にできたらな そしたら 歩くたんびに 春の香りを振り撒いて おしりふりふり ごきげん ごきげん 色香とはこのことですわ ナァンチャッテ らららら、ららら …ト、トトトトト… 「けやき並木」 欅はすらりと手を伸ばすお嬢さんたち もうすぐ舞台のでばんですよ 緑の花束をもってピンと 躍り出す とららら、てぃるりら みどりの気配に わたしも歌いたくなるのだよ 鳥は囀ろう、風はいよいよ澄んでいこうよ。 人はまちにはいないだけで うちのなかで愛し合っているのかな。 こんなことおもっては きっと叱られてしまうろう。 この頃は夜の青も 梅の香りに誘われて 月も星もきっと シャライヤシャライヤ きらきらきらきらパチランパチパチ。 けやき並木も天体も 枝と光を差し出して 太古の舞台の壮麗さ。 「ブルーグレイのしかく」 しがひとたびはびこれば ひとはお祭り騒ぎだが しなどいつもそばに潜んでいるのだが ひとはおまつりさわぎだな。 おとうとからあずかりました ブルーグレイのしかくがありました 首をしめたいや吸い散らかしたか 紅白の梅の花びら 舞いちらひらひらりや。 残るのにふれる 肌に残る線香花火だな いつか消えさるが キラキラキラキラはぜていくろ ツッ。 ひとはおまつりさわぎだな からっぽのまちの手触りは花びらや 残香は梅のこう、こう、こう、やしな どこまでもとおくまですみわたるそら。 「春神」 とめどなく春が溢れでるから 狂って振りみだし 走り出しそ 「あねさま」 と おてては冷えて 引き止めて ふしぎそうに見られるからさ でも、だってすぐそこに 梅がね、桜がね、きてるんだ 土に砕かれた貝殻が鳴るからわらう つくしのたまごとじ、よ、って 垂れる黒髪を食べさせている 「はるのうた」 あやゆらむ ゆるぐちね とっとっとらーむ るりらるりら 幾重もの花びらを透かして至る 冬の終いのおひさまの踊る音 春の差し出す指先の 爪の色はおしゃまな紅梅 裾をさばいて歩む鈴の音を 耳そばだててる子の頬と ふるふるふるきりきらきらら ぺちゅぷちゅぷちゅちゅ とってちってと とってちってと --- twitter投稿から。 ---------------------------- [自由詩]桜姫/田中修子[2020年8月13日0時31分] ふわりとしたエメラルドグリーンのワンピースが 雨上がりで蒸し暑い灰色の 川辺に映え 道化師が その様子を写した ワンピースに茶色の髪の毛が、あんまり優しく垂れさがっていたので。 たくさんの人魚姫たちが、とってもうつくしいシッポをうねらせて このとこ、しずかになった、夜の街の、夜の道を泳いでいる。 (蝋燭を作りましょうね、おじいさまとおばあさまのために。) 村が亡んで、雪が降った。 ときに縄師は、陶然と縄酔いした客を犯し 界隈は嬌声かまびすしいことこの上なしだね 赤・黒・白、吸ってきた汗やら何やら、黴のにおいがするんじゃねえの 遊郭は画一的なビルディングのまちにこそ出現し 逃げるおんな赤襦袢 うろこの剥げ落ちた なよやかな白い足うらに目を打たれ いまは怨霊と化した刺青師は どこかに隠れて、さらう日を待ち構えているのだから こんなところにいるのはよさないか? だってさ、もっともっと雪が降り積もってくるよ あの日降りはじめて、止むこともなく 冷たいとか寒いとかそんなものもある日、ふつっと途切れて そのまんま 人をやめて、人魚になったね スノウ・ランタンの灯かりに照らされる、青い唇で。 重い灰の雲のきれまに、薄い水灰色の空が覗く、 ま白い傘をさす彼女、藻に銀の蠅がたかっている水面を覗いていて、 「絵になるな」 と道化師が呟く ぬるくなったノンアルコール・ビールがまとわりつきながら 胃の腑に落ちていく。 川底には、ひとを愛しきれず泡にもなり切れなかった こわされた人魚姫たちの死骸が重なっているから 一緒に踏み入って、死骸から鱗をちぎりとってやろうか。 こんなになってもまだ、人になるのがあの子らの想望ぞ。 剥いで剥いで、清めの塩みたいに投げたら、空に青金がひろがって あなたは耐えきれずに、桜の花びらになってくずれていった。 ---------------------------- [自由詩]にくじう/田中修子[2020年9月5日16時48分] ふわふわ ふわわん ふわりんりん あはは くすぐったいよう- 夏の温度がさがって ほら クッキリした青い夏のうしろ姿は 日焼けした子たちの笑い声 あの眩しい光にあたりながら歩いたんだね走ったんだね たくさん ね 私の膝あたりのちんまい子から そう これから恋をしたり したいこと探していく 若い子たちの こんがり いきぐるしかったなつかしさがめのうら うららかであります 豚ばら肉をヒノキのまな板に平らかにおいていく まな板ね 世田谷のぼろ市で威勢のいいおっちゃんから買ったの 洗ったししとう えのきだけは石づきを落として 割いておく で、ししとうとえのきだけを豚ばら肉で巻きながら 鉄のフライパンを中火で熱しておく ごま油をたらり B級品を安く買ったのだけど もはやすっかりどこが悪かったのかも忘れて活躍中です 豚ばら肉で巻きあがったのを、巻き始めたとこを下にして敷き詰めて ちょっと生姜焼きも食べたかったから えいやあっ 生姜のすりおろしもパパっとかけちゃう 塩もふっちゃう胡椒もふっちゃう じうじうじうじう じうじうじうじう 豚肉ですから赤いとこ残しちゃだめですよ ほとんど焼けたと思っても油断大敵だから 醤油を細うく ひとまわし いちばんちっさい火にして ガラスブタして蒸し焼き わあ ここにもブタさん (そういや、今日は使わないけど、オトシブタさんもいる) 鍋の下の青い火 にくじう じゃなかった 澄んだ肉汁 少し焦げてきた醤油のにおいが躍ったら 夏の終わりの夕ごはん ---------------------------- [自由詩]獅子の町/田中修子[2020年9月30日3時44分] けだものだったころが、もうあんなに遠く 淡い水色を地に、薄紅色の薔薇柄の薄いカーテンが 夏の終わりの風に パタパタ揺らめいていて ベージュのソファがあり 包帯 外の桜の木の緑が、盛りだけれど赤く燃え上がっていくのが 淡い瞼の、うすうい虹色のスパングルの きらめきが満ちている沼のなかに 滑り込んでいくように 鱗になって皮膚に纏わりつき あらゆるものを閉じて、血が止まるから もっとつよく 太古の魚に変化する前に 脚を蹴ることができる 心底に辿り着き 町だ 春でもないのに蓮華の花が降りそそぎ、落ちては地に綯いまじり 塩山を繰りぬいて、ランプを灯している盆地の町だ 星の街灯が立ち並んでいるでしょう 青い夕暮れになると、塩の結晶に橙の炎が反射して、窓や扉から光が漏れ出て 大広場ではチュチュを身にまとった若いバレリーナたちが五人 楽隊を後ろに 軽やかに トトトトトッ つま先で走り 高く飛び 着地に失敗し、骨折の音が響きわたる バレリーナは体をおりこみ丸まって動かない トゥ・シューズのリボンは 細い突風にほどけて何枚もにばらけて やわらかに、お別れの船のリボンのように 絡まって ほかの四人をくくっていく 四肢がそうっと 引き裂かれ 澄んだ塩になって崩れて 溶けていった 美しい結晶 幾人かの町人が拍手を送った たった一人の旅人は その幻惑の舞台に ため息をつき 瓶の琥珀色の液体を煽って それは 蜂蜜 町人は待ち人で、永遠に到着を待っていて 淡い薔薇柄の布をまとわりつかせながら けだものが町を走り抜けた あとには空っぽの瓶がころがっている ---------------------------- [自由詩]はなうらら/田中修子[2020年11月8日4時10分] 夜風 白銀色の月光り かじかむ指先の、爪に落ちて、ちいさく照らし返す 甘い潮の香 はなうら 花占 花占ら 月明りの浜辺に咲き 揺れている花々を 一本一本摘んでは花びら千切り 時を湛える浦いっぱい うずもれるほど 白の花びら揺蕩っている 白鳥の羽に違えるほどの 飛び立ちそうな  死のっかな 生きるって でたよ  笑おっかな 泣こっかな わかんなくってさ 分岐点の連続 石けっぽってさ 痛くってさ うまれた真珠の浜に来て 指折るように 花びら千切り もうこんな 「うまれる」って決めたんだっけ かすかに忘れ物のにおいがしたんだ 浦が花びらであふれ返ったときに 私の息は静かになります 青い蝶や銀の蝶やが泳いでいるよ。海のした ---------------------------- [自由詩]夕暮れシャッター/田中修子[2020年12月25日1時38分] 赤い夕暮れがくると 鴉がぶつかってくるから フェンスで囲われているマンションの 窓にさらに 夕暮れシャッターをおろして すき間から覗いていると 数万の鴉が空を覆う どこからやってくるのか 物心ついてから 疑わしくおもうひとは わたしのほかこのマンションには いないようなので ずっと口をつぐんでいる 暗い部屋の ボロボロのあしの七本ある椅子に 腰かける 月曜日、火曜日、水曜日…… 数百冊のノートにうずまりながら 詩を書いている わたしの恋人はいつも あした死んでしまう いまはもう処方されない 致死量のある薬を 白い喉をさらけだして仰ぎ 飲みくだして倒れる もう書かれることのない ノートをひらく指はずいぶんと 乾いてしまった 鴉がシャッターにぶつかり たたく音だけが ひたすらに品のない雨のように わたしの心臓をいまだ うごめかせる あしたもあさってもしあさってもそのさきも わたしの恋人を埋葬しつづけ 間に合うように十分進ませてあるうちに 数十分数百分狂ってもう 何時かもわからない時計を眺め 夕暮れシャッターを下ろし続けるだろう いつのまにか椅子の足は 八本になって 絡みつき あるはずのない曜日になっていた 数万の鴉に覗き返される すき間から覗く 長い歳月に濁っているわたしの もう白くはない 白目 --- 某サイト投稿作品 ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]卵化石/田中修子[2020年12月25日1時50分] ね、みんなは、恐竜だったころをおぼえている? むかし博物館に家族全員を、父がつれて行ってくれた。幸せな会話で窒息しそうな電車、はやく終わらないかな。 父はティラノサウルスが好き。わたしはトリケラトプスが好き。 そのころ母がとっていた子ども新聞に、トリケラトプスの男の子と女の子が恋に落ちて、滅びていく恐竜世界を冒険するまんがが載っていた。火山がドカンと噴火して、灰がおちて、空がどんよりと曇って、濃いみどりの羊歯や、大きなイチョウやソテツが、どんどん燃え上がり容赦なく枯れていく。二匹の両親は、二匹を守って死んでいった。寒くて寒くて、二匹はからだを寄せ合いながら、まだどこかに残ってるあったかな理想郷を探して……わたしは結末まで読まなかった。 だって、そのトリケラトプスの男の子と女の子が、あったかいとこにぶじたどり着けて結婚して幸福な結末を迎えたとしても、もうぜったいに二匹とも、死んでしまっていた。 恐竜はうんとむかしに、ゼツメツしてしまったのだ。 かなしくて仕方がないから、うんっと思いっきり力を込めて左手の親指の爪を半分まで引っぺがした。 我が家では、神さま仏さまのはなしは科学的根拠のないものとして、あざけりと共にあったが、お兄ちゃんは後日、生き仏様をあがめるようになる。お兄ちゃんがコワイものに変わってしまった気がしたし、それに父は「お兄ちゃんのことは、なにかあったら刺し違えてでも止める」と熱い青年のまなざしで云って、母は「まぁパパ」と感涙するのである。どうしたらいいんだろう、わたしはせめてかわいらしくニコニコした。 でも、お兄ちゃんが借りていっしょに見てくれたジャン・コクトーの、「美女と野獣」のしろくろの映画の、お姫さまの長いまつ毛と目の深い陰翳・ドレスのきらびやかさ・野獣のかなしみと、ふたりの深い愛は、わたしの目のうらにいまでもあざやかにある。 父母・ティラノサウルスがほえるようにわらうと、頑丈な真珠の白い歯が見え、レースの羊歯はめくるめくように湿度の高い甘やかなにおいで中生代世界を装飾し、黄金のイチョウはひらひら落ちる。半透明の翡翠でできたトリケラトプスのわたしは、ふるふる震えているミニお兄ちゃんをうしろにまもり、突進して、しゅんとした父母・ティラノサウルスを三本角の頭突きで追い返したあと、ソテツの宝石みたいに赤い実をカリリカリリとたべてお腹がグルグルしちゃうんだな。 上野駅で迷わぬように、父が手をひいてくれる。父の手は、銀色の製図用のペンで設計図を描きなれた乾いたさらさらのぬくもりで、書きダコがあって、深いあったかい肌色をして、神さまみたいに大きかった。父のつくった偉大な建造物を、わたしは生涯乗り越えられないだろう。もし父が逝っても、あのひとの巨大な足跡は、各地に残り続けてるのだから、さみしくなったら、彼が設計に携わった建物の中のカフェに行ったらいい。--この小さな島がいつか、火山の噴火によってあるいは、たかいたかい津波によって飲み込まれるまで、あのひとは、遺すものをつくったんじゃないだろか。 わたしは地球の燃え尽きたあと、きらめく星になりたい。 少年のように、父は目を輝かせてチケットを博物館の入口にて買い求めた。おっきいお札がさーっと消えてゆく。おにいちゃんは幽霊みたいにボンヤリして、消えていく代金を母は目をキリキリさせてじっと眺めている、わたしはあとで母がバクハツして、家族が青く透き通ったカチンコチンの氷河期にはいるのを、いまから、みがまえる。 そうそう。そういえば、零下の雪と氷の世界を、わたしは、毛皮を着て風にさまよい歩いた。あれ、さむかったなぁ、おなかも減るし、家族も仲間もじゃんじゃん死んでった。歩けなくなったおばあちゃんの遺体から、着古した毛皮を引っぺがして、からだに重ねて、歩いて行った。ちょっとまえ、七万年前くらいかな? でもいまおもえば、命がけで歩いた氷原は、けっこう綺麗な風景だった。夕暮れには、氷原は、赤く青く金に、どこまでもあてどなく、きらめいてね。月があがってね、ふっと息を飲んで、それきりだった。 --わたしたち家族は、人をかき分けてまわる。 それで、ある展示の、孵らないで化石になってしまった恐竜たちの卵、というのをみたら、胸が痛んだ。 あ、わたしたち、一億数千年ぶりに、邂逅したんだ。 --- 某サイト投稿作品 ---------------------------- [自由詩]ちっぽけ/田中修子[2020年12月27日3時51分] やっとたどりついた水死体が 黄緑の棘のある 白薔薇のいばらのしたに 寝っ転がっていて 飛び出た澄んだ眼玉で 悪咳が流行ってから澄みゆく空を わらうように泣くように眺めている しずかに 夜明けの水平線のようなうす紫色のくちびるで なにかを 祈りながら  土の上 季節外れの花たちが咲いている 陽春・朱夏・秋冷・霜天 あらゆる季節を 輝く宝石として敷石にしました 桃、濃い緑、燃える赤、琥珀でできている この道 亡き人の 立ち寄る小国だからね、すこしばかりおかしくって 同じ時期に咲くはずがなくとも 十二単で口元を覆い 枝垂桜の淡さ、あかしやの鮮烈な金、野薔薇の、灼けつくような紅葉を さらさらと和紙に写していくだけの わたくしどもは、番人、 白い野薔薇をのぞき込んだら、真珠がいたよ 喪われた人の、呼吸たち  ここは これでいい 幸福の青い鳥が二羽、囀りながら飛び交っていて、 いくら食われてもなくなることのない、水死体をついばみ、 糞から種が落ち、そうして花々が咲き 白い野薔薇に巣をかけて  どこまでも生態系だ。こうもりの咳だ。みンな、九相絵図だ。 淡い紫にも見える、灰色の雲がやってきて 青と金の破片を降らせる雨なんです。 「佳雨(かう)だね」「さうです」ふふ、 雲の上には金の星を抱いた夜空が果てのない、 わたくしども死んだらすべて巡りゆくのです、 人が喪われたとて(百年後には忘れられている、肺の弱い、わたくしのいき)  この輪廻に抱かれ  ちっぽけ。 ---------------------------- [自由詩]星を縫うひと/田中修子[2021年1月22日3時08分] きるからころから  きるからころころ キラキラした音が耳の夜に 温かい雨のように 降りしきってくるのを幾らでも 溢れるまで 宝石箱にしまおう こぎん糸を 祖母とほどいて巻きなおした 幼いころを 結わえて   あなたと歩く薄青の夏の夜、風は秋を孕み 名を知らぬ明るい白色の星が つくねんとして 浮かんでいる あの星が今度 あの場所に煌めくのは 百年後なのだそうだ 彗星の旅路 こぎん糸の絡まったのをほぐし あなたに端を渡す くるくると巻いてもらったら拙く絡まり ちょきん、と切る そうしてまた 二かせ目をつくりだす (おんなじことしたことある) ふっと記憶が結ばれて運ばれる 幼い日の私と 祖母とが 白いこぎん糸を 手から手へ渡したことを いま、あなたと私をつなぐ糸はさくら色と紫陽花色の柔らかな、階調 白い布にさくら色と紫陽花色の あわいの足跡をのこしていく 百年後 或いは 五十億年後 すべて燃え尽きてからも途切れないのです 星を縫うひと ---------------------------- [自由詩]夜、夜/田中修子[2021年1月27日3時53分] 青い青い夕暮れ、イチョウの葉が金の鳥となり羽ばたいてゆき 「おつきさま こんばんは」と絵本の言葉で 三日月指さす この子の目はきらきらしている 月のおそばにいる あかるい星は 燭とり童というんですって 月の灯をロウソクにいただいて、頬の産毛が光っている童子はね、 ね、  いつか、ひからびた大人になるの? 夜……夜、オイルヒーターが カチ カチ カチと秒を刻み 部屋は、乾いた布の香り、昼間外で干されたすこうし、 冷たい冬の香りが温められて 甘くなっていくから、 枕に頬をうずめて、くうくう、という寝息を聞きながら どこからかやってくる 夜が器を満たしきって溢れ出す音を 薄うい、半透明の花びらのような鼓膜がふるえていることを おもいながら、体をお布団に、沈みこませていく ゆっくりと どこまでも、どこまでも、数千メートル 数万キロも 浮かびあがって  さぁおいで、さぁ、 夜……夜、あなたの頭蓋を糸のこぎりでひらくと うすくれないの小さな、異国風の天幕があって 飾りのばら色とみず色のポンポンがかかっている。 燭とり童の置いてった、月の光のろうそくが 天幕を内側から照らし出した、と、消えた。 ふっ と 消したのは しびと 愛しいひとの愛しかったひと、 振り返っては、だめよ と、あなたの体が闇になり、とろりと、とろけだした あたためたチョコレートみたいにゆるやかよ  ひび割れた窓も、燃えあがる車も 夜……夜、寝室・階段・居間・台所・扉の外へと滲みだす 外出してはいけないこの時間に、あなたは星月を湛える液体だ 鉄道の汽笛がきこえる    このステーションもだいぶ、変わったわ  ずうっと離れてポツンと座っている ひとりぼっちのひと  車掌さん、  (何、悪咳が流行るずっと前からですよ) 夜……夜、やがて小川の中に、 寝そべって花を持つ うつつへの小舟に乗って、白い花の咲く岸へのうしろすがた あなたの枕元にたつ ときたま眼球にまつげが入っているでしょう  もうひらかなくていいのよ 痛みのままに眠れ  と濡れた手で抑えた --- ※一連目着想 与謝野晶子 金色のちひさき鳥のかたちして銀杏散るなり岡の夕日に あるゆうふべ燭とり童雨雲のかなたにかくれ皐月となりぬ ---------------------------- [自由詩]春の会話/田中修子[2021年2月16日18時25分] ……おいで……、……オイデ……たたたたたっ、     ざ……オイデ、……おいで……、 だれ、 そうして目を、覚ました、厭わしい、あんなにハラリと逝くことができたのに。 よく仲間としゃべってた。 (死ぬのにも、一苦労というあの生き物たちは悲しいね)(とてもたくさんの不満を抱えながら、それを身の内に毒としながら、やがて侵され病となり)(ほら、朝方から内臓がぐちゃぐちゃで)(その前から左の枝から赤い樹液が止まらなかったわよ)数日が経った(あら、結局あの生き物とよく一緒にいた生き物も左枝から樹液を垂れ流しては、踏切に毎日たたずんでいる)(私たちはよかった。あら、順番が来たわ、さようなら、さようなら)(--風に乗って良き旅路を!!--) 呼ばれましても。もう死にました。あのあと、みなが呼ばれ、私はどうしたわけか最後のほうまで凍えて、でも時が来ました。もう、ゆくときであることを。そうしてヒラリと落ち、地面に優しく、たたきつけられた。 そうして永らの眠りについたのに。 ……ねぇ、いつまで、ぽとぽとぽとっ、夢を見ているの、オイデ……   そんな懐古にしがみついて嬉しい? ね、おいで、おいでよ、たたたたたっ…… 虫に齧られたけど、そんなに痛くはなかった。麻痺してたんだ。 齧られて排泄されて、意識は分断されながらどこか、繋がっていて、思いだす 私は実にはならなかった、 が、春のやわらかな陽を受けて少しずつ眩しくなり、夏に実のために体を大きく広げて光と交わった、秋が忍びやかな足音でやってきたときは、少し騙された気がしたけれど、 地に落ちて、眠りにつくのだと思った。はじめての地面、眠りと眠りの合間。あの生き物がやってきて、私をひらりとつまんで抱いて、涙が体に落ちて、少し、目をさます。さみしい、 「ね。この木からなら、あの子が飛び込んだ瞬間が見えていたのかな。誰かあの子を見守っていたのかな。ひとりでさみしくなかったかな。どうして気づくことができなかったのかな。なんで一緒にいけなかったかな、ひとりでは、私、勇気が出なくって、なんて、」 よわい、と生き物は呟いて、私をおろして去っていた。 あの生き物はホント馬鹿だ。生きているほうが強いに決まっている。 それから眠ってて、虫に食われたり、人に踏まれたり、やがて腐って、でも甘い、甘い私の体臭、散らばって、ばらばら……に、ねむ、ねむい、これで、還っていくということ、土に。あの生き物は、内臓がバラバラになったほうは、還れたかなぁ、 おいで。 (あなたの名前を教えて) 僕は春の雨。君を土にもっと溶かして、あらゆる木々に入れよう。 (あの生き物をしっている?) 僕たちは何でも知っている。 (あの生き物が、私がかつて抱いた枯葉で、いまは咲き誇るのを待っている蕾であることをしるようにして頂戴。そのように、思い出がこの星を巡ることを、こっそりとささやいてあげて頂戴) つよい雨が朝から夕暮れにかけて降りしきっていた。土の濃い匂いが、雨に打たれてこの部屋まで漂ってきた。 ---------------------------- [自由詩]春の花/田中修子[2021年2月27日5時43分] そうだね、 戦争があったんだ。たしかに。 私の血の中に流れる色のない祖母の声は、 終戦の真っ青な夏空をしている。 春はどうだったろう。そういえば戦争の春のことを 聞いたことがない。春は芽吹いて穏やかだった。 台所で一緒に、フキの皮を剥いて、 薄く醤油のしみた、澄んだ煮物の甘苦い香り。 あの、いつも清潔で皺のなかった、腰から膝までの灰色のエプロンは、 祖母が自分で縫ったんだろうか。 針と糸、布で。 乳白色のこぎん糸もあったから、 細かな十字を縫って 灰色の布を強くしたのかもしれない。後姿はしゃきんとしていて、 いっしょにお風呂にはいると、蓮華シャンプーとリンスを使った後、 きゅっと髪をねじってから、きれいに髪をすすいでいた。 花柄の水色のタイル、ふたりははだかで水音が流れる。 そうだね、小さな戦争がありました、あれから、幾度も幾度もありました。 おおきな戦争のせいで、 あなたは私の母を愛せなくって、母は歪んで、 かわりにあなたが私を愛したから、 あなたが逝ってから、母に妬まれたんです。 苛め抜かれたけれど、いまとなっちゃあ、可哀想で仕方がない。 新聞の灰色の中に、おおきな戦争もありました。 父も母も、笑いながら戦争反対の集会に行っていた。 遠い、遠い国の、血を流す人の、痛みに泣き叫ぶ人の、 あの日のように、硬直して犯される人のこと。 あの子のように、新聞にも載らずに死ぬ人が、たくさんたくさんいたでしょう。 この頃は悪咳流行りの大騒ぎです。 (深い、暗い森。黒髪のラプンツェルが、 塔から降りてひとりでよろめいている。 王子はいないが、いない王子の傷まで引き受け、 彼女の眼は灯かりを失っている。 そう、王子はいないんだ、って、 ひとりきり、生きるっきゃないから、 包帯を巻いて、鬼さんこちら、手の鳴るほうへ--男たちが、 戯れに。 白粉塗って、割れしのぶに結い、梅の簪刺しまして、着物を着ましょ、 いざとなったら簪で、男を刺し殺してしまいましょ) もう余生のようなんです。 あなたにとっての春は、私と過ごした日々でしたか、あなたの春の花でしたか。 それももはや、過去の話、あなたは逝った。 私は目を瞑って、戦争を閉ざしている。大きいのもだ、小さいのもだ。 余生を死ぬまで、生きなけりゃ、ならない、 まだ三十六だ。 ---------------------------- [自由詩]春提灯と咳緋鯉/田中修子[2021年4月4日0時23分]  風のにおいがする、花の音がする。逃げてゆく春の背だ。  だれかをこころの底から愛したことがあったかどうか、ふと、八重桜のうすひとひらに触れそうにして胸苦しくなるんです。あなたもです、私もです、お互いを鏡にし杖にし、道具にしてきたからこげなことになったんじゃなかろうかねェ。体に走る無数の春の夕闇の切り裂きから滲み出る。いつもなにかのせいにして、至らなさに目を伏せて、口元だけは笑わせてサ。いくつもいくつも大昔に投げて放ッたらかしにしておいた問いが、修正ペンでかすれた白をあちらこちらに引っ?いたみたいな雲の浮かぶ薄うい水色の空から投げ返されてきた。八重桜の提灯が、昼間っから鮮やかに照らす。  ひとのあしどりが遅くなっているという、日に日に空は澄み渡り冴え冴えとして散りゆく花びらに切れたって指触れたくって。  乞う指さきの、届かないから伸ばす爪は洗剤のきらめきにひび割れて、ん、化けの皮剥がれとる。  靴を履いている。濡れたような赤の布張りにつま先には、からの額縁にガラスビーズ彩ったような飾りがある美しい靴だ。そのかかとを、幾ら鳴らしたって願いは叶うことはない。ジュディ・ガーランドが薬で保ちながら虹の歌をうたったような偽りで満ちている吐息ですから--ね、いつのまにか、トレンチ・コートが似合うような年齢になっていたんだね。うん、おもちゃみたな緑色だけど。着たら跳ねたくなるみたいな。おててつなご。おてて、春・春・春のッ。    咳が流行りはじめてからすこしずつ澄んできた空、幾度も幾度も、薄青い空が菫色に染まり月が白くでて星は光った。  「なんだかこのごろ、故郷の空の色にすこうし、似てきたように思います。」  そう、北からきたひとが言っていたの、光化学スモッグ警報のなるこの町にピンで刺されてずうっとひらりと暮らしていたわ。人が咳におののくことで澄んでいくものがあるのだ。  「故郷では、秋になると山が燃え上がるようなんです、--都会は空が狭くて息苦しい、田舎ではこころの息がつまるのです、うまくいかないものですね。」  そう、ね。  いつだってここにいるよ       いるのだから  八重桜の濃いピンクの花びら踏みにじり公園の斜面をよじ登る。船にリボン投げる手みたく差し伸べてる枝に咲いているボンボリ、春提灯、幻は浮世で浮世は幻なんです、って、逃げたくってもサ。あのひとが眼鏡のそこから緋鯉をさみしく覗いている。転ばないようにと、手が。  微笑むのが張り付いちゃった私のこれを剥がしたくッてはじめたんだ、はじまりはいつもこうで、おしまいもいつだってこうだった。  売り場に鏡を置いた。そこにうつっている私の目はやっぱ血走ってるけど生気のないおニンギョさんです。  --ッて、いつまで経ってもいつまで経っても呪っていたって、サ。   にじ、虹、踏みにじられる花びらは、砕かれゆく春の積乱欠片、遠目にゃうららな乱反射だェ。  満ちて 満ちて 滴っている あ  さんずい さんずい さんずいの嵐やなァ  飲まれていく春の水底に尾っぽ  あなたは私を見ない、私もまたあなたを見ない、見ない見ないの枝が幾重にも交差して奥にいる鳥を隠すんだ。舌を絡ませあい喉の奥を愛撫し、脳を貫きあいたくッて、ね。  乱れていいよ。  呼吸がしづらい、熱い、肺がゼイゼイなっている。  ひとの奥底には箱があるんだよ、光るくだのそこにあるんだ。その箱ね、あけられるんだけど、あけたほうもあけられたほうも壊れてしまうんだ。  パンドラ?  そう、そんなもの。きみ、もう、いっかい、壊れてるのに。  最後に残ったのは希望だったけどそれももう捨てて、別のモン欲しい、ひとりではこの世にいられないし。あっはは、はは、いっくらいっくら持ってるよって言われたって--ないもんはない。    からだを折りながら男たちに花冠を編んで投げていたことを私はさっき知ったのでした。 ---------------------------- [自由詩]春だった ツイッター詩/田中修子[2021年6月2日5時36分] 「よぞら」 星のひかりとぬくもりを お湯に照らした星たんぽを かぜをひいているあなたの 足元に しのびこませて 消えていく のを、桜の花びらを 鼻にひっつけてしまった 黒猫に見られてしまった 黒猫の 背いっぱいに広がる 銀河 の めぐるおと 「桜」 散った花は自由になって ベランダまでやってくる 「紅梅爪」 そろそろ、あんまり 寒すぎる ぬくもりの明るい春よ 宿っておくれ 内側の、暗いそこが あるから ソロリといらして 体を差し上げます 指先から 紅い梅の花を咲せば まちゆくひとに 花びらを散らし 微笑んで 冬の終わりを告げよう そしたら春が、くるのです 春神の 爪痕を 街じゅうに 「イシモチの目玉」 桜の蕾が、 はちきれんほど膨らんだ夢を見た。 塩焼きの銀の魚の目玉を 舌先でつぶして食う。 やわい。汁がでる。 芯が、ある。 こないだまで息をしていて、 浅海を見ていた目ん玉だ。 ---------------------------- [自由詩]北へ/田中修子[2021年10月7日11時13分] いちまいのやわらかな和紙だったね わたしたち 淡い夕空に星の 輝くような やぶられて ふわふわの 端っこが 互いに 手を差し伸べても 又 一枚になれることは わたしたち ないのだね ここにかきしるす いつしか とどくように 「あいしてる」 引きちぎられた やさしい ちいさな ふくふくの指が 北の空気の澄んだ町で いちにちいっかい さみしい と 涙を うけとめている ---------------------------- [散文(批評随筆小説等)]三途川/田中修子[2021年10月14日14時07分] 【性的・暴力的な表現があります。ご理解の上、ご閲覧をお願いいたします】  わたしは、生を受けたということがおかしいのです。  母の名前は蝶、きらきら光る目をした人でした。  わたしはあかんぼうの頃から、自分の目で世界を見るよりも、母の目を一度覗き込んでから、外を見るのが好きでした。母の目のなかは無限のきらめきに満ちていて、まるで世界が変わったかのようになります。  わたしが見ている、そこらの土くれの道、平屋の少し古ぼけたような柱や屋根、くすんでいる障子の色が、とたんにはじめて歩く町の風景になるような気がするのです。そうして、晴れた空の輝くような青、井戸から汲んだ水、手入れが行き届かずに生えているぼうぼうとした草でさえ、どこもかしこも、自然に、きらきらと息づいて輝くのです。  「あかんぼうなのにまるで大人のような目をしている」 わたしが母の腕の中にあるころから、わたしはおとなの言葉が分かっておりました。  多くの大人に、間違えて悪くした味噌汁のような声でいわれます。わたしはとたんにあどけなく笑うふりもしました、けれどもそういった一連の演技すら分かる人には分かったのでしょう、預かってだっこしてくれるような人はおりませんでした。  そんなわたしを母はただ、儚く笑って優しくわたしを抱きしめ、お乳をくれたのでございます。  わたしは母に恨まれても当然の出生です。犯されて生まれた赤ん坊、それがわたしなのですから。  裏店住まいの娘にしては賢く、美しい人でもあり、町の男衆にもてはやされたのではないでしょうか。そうしておごり高ぶることもなく、ただ、梅の花のように凛として生きてきたのでしょう。  そして蝶は十六の時、おおらかで誰からも好かれる、いずれは大工の棟梁になるであろう人に嫁ぎました。つましいながらもよろこばしい祝言を挙げ、すぐに男の子も生まれました。心根の優しい娘がたどる、しあわせの道ともいえましょう。  その男の子が、もう手も離れようという十二になったとき、蝶は男に犯されました。  かけつけた父は、乳房の片方を鎌で切り取られ、局部から血と精液をしたたらせて気絶している母を見て、ぼうとしながらなにかしらを叫んでいました。それを聞いてまわりのものが蟻のようにわらわらと集まってきて町医が呼ばれました。  わたしはその様子を腹の中からじっと伺っておりました。    母は最初に後頭部を殴られ意識を失いましたから、下手人はいまだに上がっておりません、なぜ母にそんなことをしようと思ったのか? 誰にも分からない、いえ、わたしは少し分かるような気がするのですが。何しろ、わたしの中の半分の血は、その残酷で猟奇な男のものなのですから。  わたしを孕んだのをまわりが知ったとき、まわりのものはおろせと当然言いました。  母は、失った乳房の痛みに耐えながら、どうしても、どうしてもこの子を産むと聞きませんでした。もし子を産まなんだら、私にされたことは本当に無駄なことになってしまう。そうしてまた子は天からの授かりものであるし、今まで長男のほかどうしてかできなかった子があったのはなにかの知らせだ。  このお腹の子を愛せれば、しっかり育て上げれば、また違うふうにあの時のことを思い出される時が来るだろう。そうさせてくれなければ私は今すぐ舌を噛み切ります、いま止めても、いつか私は絶対に自害します。  そう、母が叫んでいるのを、わたしはうとうとと子宮の中で聞いておりました。  腹の中にいるころからも、外に産まれ落ちてからも、そんな風に思ってくれるのは、優しくしてくれるのは、母だけでした。あたりまえのことです。  そんな母にあかるい先を告げたものがいました。母が、あれはわたしと心中しようとしていたのかもしれません。  「あなたは私のほかにだれにも可愛がってもらえないね、赤子なのにもう人の目のなかをよまなければいけないのだね、ごめんねぇ、ごめんねぇ」  静かに母はそんな言葉を繰り返しておりました。  おぶられて、いつまでもいつまでも歩いていて、ずいぶん遠くの海にきたと思ったとき、魚のような顔をして襤褸をまとった醜い老婆と浜でとおりすがります。すれちがうとき老婆がつぶやいたのです。 「あんた早まるんじゃないよ、その赤子は、何か人と違う、めずらしい運命をたどる存在になるだろう、あたしは人魚の肉をくろうて死ねずにさまよっているが、そんな目をした赤子をみるのははじめてだよ」 母がぼろぼろと泣いたのを覚えています。  乳房から滴り落ちる豊かな乳のようにあとからあとから耐えず滴り落ちる澄んだ涙。  わたしはめずらしい運命をたどる存在になろう。  わたしは両方の祖父母と父、そして兄に折檻されていました。あかんぼうの頃から、母のいない場所で言われ、時につねられ、もう少し体が大きくなると、打ちのめされ。 「顔も見せないで疾風のように母の片方の乳を刈り取っていった狂人のかおが、お前には現れている」 「ほんとうは産ませたくなどなかった。子堕しの婆に引きずり出してもらってよかった」 「母さんさえ許してくれるなら、俺はお前を殺すのに」  そういったことに気付くと、母はわたしをかばいました。 --かばってくれた、わたしはそれが嬉しかった。  だからわたしはもっともっと、祖父母に父に兄に、殴られるように、わたしを演じていきました。そうして母に抱きしめられ、熱い涙をひらひらと落されるのが、わたしにはほんとうに至福の時間であったのです。  そのうちに時間がたち、父は醜いわたしの容姿に母を犯した男を重ねたのでしょう、酒に溺れて行きました。  そうしてわたしが五の秋、十七の兄はわたしを犯しました。  外で遊んでいると兄が来て、竹やぶへわたしをさそいました。  兄は私の目の前で自分のものをいじって、目が宙を浮いて、白いものがポタポタとたれました。そんな日が多く続きましたが、やがて、 「おまえの父が母さんにしたことだ」 といってわたしの中にねじりこんできました。それをわたしはぼんやりと、体から浮かび上がって見ておりました。  ますます得意になって、兄は、夜、私の布団へ忍んできました。広いとは言えない部屋、奇妙な気配。神経が昂ぶって良く眠れない体質になっていた母に見つかったのは、何回目かの、ことでした。  母は、狂いました。  きらきらした人はもういません。貧しい生活の中で、目の中に輝いた世界を持っていたひとはどこかに行ってしまいました。笑ったり泣いたり、ふらふら歩いている。誰かが何を話しかけても、言葉は返ってくることもあったけれど、それは言葉ではなかった。目の前にいるのに、遠い、とても不思議です。  きっとあの、燦然と輝く世界の中に、母はわたしをおいて、行ってしまったのかもしれませんね。  おめえがいるからおかしくなったんだ、と父に、祖父に犯されました。  家の中はもうめちゃくちゃでした。  祖母が人買いに話をつけて、わたしを売りました。お金になり、母の薬に食べ物になればいいと思いました、母はもう、人が振り返るほど痩せこけていて、目ばかりがギラギラと化け物のように大きく、光っているのでした。  売られていったのは、わたしが七つの時でした。  「母ちゃん、さよなら」  わたしはそれだけを告げました。そうすると、気違いの目の光が一度引っ込んだのです、そして不思議なものを見るような目で、そしてハッとしたような目で、わたしにとりすがりました、手の甲に長く汚く伸びた爪が食い込んみます。  わたしは、ふりはらわせていただきました。  いまでも母の顔を思い出します。どうぞ幸せであってくれれば良いと思います。  わたしは十でお客をとりました。早いほうであったと思います。でも、そのことはあまり苦にはなりませんでした。  朝から晩までお客様の相手をしました。幼女好みのお客様がたで、なさることすべてが痛かった。わたしは沢山悲鳴を上げました。そして沢山泣きました。最後に沢山笑って、果てました。  わたしは高く売れました。十にも拘わらず、金銀簪を差し、紅を差し、珊瑚をあしらった着物を着ておりました。  終わってしばらくすると、お客様は頭をなでてくださるのが、嬉しかったのをよく覚えております。  十二になると拷問を習いました。鞭を受け、天井から吊り下げられました。  やがてお店に兄が訪ねてまいりました。そしてわたしを一晩買いました。どうやってあのお金が出てきたのか不思議です。博打でしょうか、きっとろくなことはしておりますまい。いえ、それもわたしのまいた種なのです、わたしさえ生まれなければ、兄もきっと普通の道を歩んでいたことでしょうから。  わたしのお勤めしている店は遊郭の盛りからは離れておりましたけれども、値は張っておりました。どこそこの旦那様が、ひとづてに伝えてしか入れないような店で、その前で金をばらまいて、妹を買わせろと、泣き叫んでおりました。  どうするかと尋ねてくる楼主に、 「確かに兄です、お金さえ取れるのならば、お相手させていただきます、よく取り計らってくださいましな」 「お前らしいがな、しかし」 「可哀想な人ですから」 楼主は、奇妙な目でわたしを見ました、それは昔赤ん坊だった頃によく受けたけがらわしいものをみる目ではありませんでした。少し、哀しみの混じっているような、良く見ると底に不可思議な緑の澱りがある目でありました。  兄は昔したように自分のものをいじりました。そしてわたしの顔に白いものをかけました。わたしはそれをなめました。  兄は、奇妙なところで白痴でした。油の浮いて日焼けして、太って口はいつも空いておりました。  わたしが中に入れますかとたずねましたら、急におびえた顔をしました。  なぜ、泣かないのだ、と申しました。  それはもうわたしはいろいろなことを習いましたから、と申しますと、兄はしくしくと泣きはじめました。  泣きながら、右手はずっと自分のそこをなぶっていました。  ゆっくりと大きくなってゆきました。  わたしはそれを口で愛撫しました。男がいっても、ぴくぴくとそこは動くだけで、なにも出てきませんでした。  わたしはいま十六です。  髪の色がなぜか真っ白です。一昨年の冬、樽の中に入れられて、水責めにあった夜からそうなりました。  わたしは自分の腕を切り刻んだ事があります。赤いものが出てきて、月のものが違うところから出てきたようだと思いました。  それからいらっしゃいますお客様は、みな優しい方ばかりでした。傷がふえると嘗めてくれました。何もしないで帰って行かれるお客も増えました。  楼主は、わたしを花の蜜のようだともうします。ただ、毒が混じっていると、にがわらいしながらポツリと漏らしたこともあります。  蝶がわたしを育てたのだもの、花の蜜なのは当然だとも言えましょう。  蝶の片羽根を千切った男の血が流れているのですもの、毒が混ざっているのも当然だと言えましょう。  わたしの傷を愛する人は、みな、同じようなやさしいひとばかりです。  わたしは、それで、わたしの傷をあいします。  傷を作った日にだけよんでくれとおっしゃるお客様が多いので、そんな日は店に使いをやらせます。朝から晩までお相手を務めさせていただきます。  お寺のお方もよくいらっしゃいます。わたしはそのかたのものを受け入れてから、終わった後、一緒に仏様にお祈りします。  わたしはそのとき、光の中に仏様をよく見ます。それはそれは、お慈悲に富まれた顔をしていらっしゃいます。  さて、いつの頃でしょうか--  兄を、わたしはころしました。その記憶だけははっきりしています。兄は、常連とまでは言えないまでも、時にやって来てはわたしを買ったのです。わたしを折檻するのにはお金が張りますから兄にはそれはできないのですが、巧妙に、見張りの目を縫って--そうでした、わたしの片方の乳房を切り落とそうとしたのでした。ずいぶん昔に血にまみれて錆になっているような色で、グズグズになっておりました。  「母さんの乳房とおまえの乳房は同じ形をしているなァ」  そうか、これが、わたしの父か。  その時私は、お客様に頂いた、西洋の貴婦人がもつという、手のひらに収まる小刀を持っていました。  兄の首を切って、さあっと襖に血が飛びました。飛んで飛んで少し驚くほどの血だまりになり、兄はその中に沈んでいます。  あら、これでわたしも、磔かしら。それとも楼主が、うまくやってくれるのかしら。そんなことをぼんやりと思っておりました。  しばらくしてすうっとふすまを開けてやってきたのは、絵草紙でしか見たことのない、鬼でした。すこし楼主に顔が似ているようにも思います。兄を頭からばりばりと食っていきます。  わたしはただお祈りしているだけでした。  あとには血も死骸もさっぱり片付いた部屋があります。  「いままでどおりでよい」  楼主に似た澱の混ざった声で、鬼はわたしに告げました。わたしはぺこりと、お辞儀をしました。  でも、そのとき、わたしは兄と一緒に死んだのかもしれないと思います。ときたま腹の下の方が切れない刃物で擦ったようにちりちりいたしますし、以前のお客様がたは、ぱったりいらっしゃらなくなりました。  お寺の方はいらっしゃいますが、どこか遠くを指さして、何かをおっしゃるばかりです。  成仏せよとおっしゃっているのかもしれません。でも、わたしは生まれた方がおかしいわたしなのです。  わたしのつとめるお店は、川の流れの中にあります。  三途の川は、風光明媚なところです。  ときおり、母をおもいだします。  不思議なことに、わたしの居る部屋の襖に、いつのまにか蝶の舞う絵が描かれました。青い羽根のキラキラした鱗粉が、賽ノ河原にふわりと流れると、そこだけ光に満ち満ちて、石を積んでいる子どもも、見張っている鬼たちも、キャアキャアと歓声を上げ、手を結んで踊りだします。  今ではお客も滅多にありません。わたしは思い出しうる限り、指先を噛んで、母の姿を蝶の上に時たま重ねていきました。  何年、何百年経ったか分かりませんでしたが、ある日わたしは、母の姿を完全に描いた、と思いました。そうしたら襖の中から、蝶の羽をふわりと背にかかげた母がおりて来たのです。  母はあのころのままの天女のように降りてきて、わたしの首に、あの優しい微笑みで、手をかけてくれるのでした。 ---------------------------- (ファイルの終わり)