為平 澪 2018年12月5日22時00分から2021年3月6日8時57分まで ---------------------------- [自由詩]宿題/為平 澪[2018年12月5日22時00分] 母に愛を頂戴と 両手を差し出すと 母は遠い所を見るように 私を見つめる 朝 白い大きなお皿の上に 母の首が置いてあった 寝室の机の上にある手が握っていたのは ((少しでも足しになれば…、 という文字だった 私は 愛する、ということについて 解答するために 母の首を提出した 倫理の先生は激怒し警察に電話を掛けた 心理学や哲学の先生は大絶賛して拍手した 社会の先生は私を取材し 科学の先生は私の脳波を計った そして医学部の講師は 母の首をいくらで売ってくれるかと 真夜中に呼び出した ただ用務員のおじさんだけが 私と同じような解答をしたので 飼育係にさせられたという 私の答え合わせは 誰がするのだろう 愛する、ということを宿題にした人は  一体誰だったのだろう 校舎では 警察やマスコミや大学教授やドクターが 大声でナニカを喋り続けている 母の首を抱えながら 自分の首を傾けると 飼育小屋の中にいる用務員のおじさんと目が合った 次の日 私の首が 飼育小屋の棚の上に置かれている夕刊が 出回った どうやら宿題の答え合わせは その先から 始まるらしい ---------------------------- [自由詩]夜の中/為平 澪[2018年12月31日23時40分] 電灯を持って 夜を渡っていく 陽に炙り上げられた煤けた空は 山影に 明かりをしまう 小指ほどの電灯をつけようと ボタンを押す前に 避け切れない車のライトに 身体は轢かれる カーブミラーの中は 車が去ったあとの 痕跡を静かに見つめるだけだ 前方の二階の窓は火事 その隣の部屋で殺人事件が起きていた、と ゴミ置き場のポスターの男が 赤い部屋へと指をさすが 交番の巡査は異常なしの欄に〇を書く 書いた〇は交番の玄関で赤信号より赤く灯る 濃いメイクの女の顔が得意そうに目配せを送り それが私の肋骨の隙間のあたりを通過していく    私は照らされ轢かれて 見つけ出されて跳ね飛ばされて    砕けながら千切れた左手で傾く首を持ち上げ    何とかまっすぐ歩こうと 追いつけない足を?りつける コンビニに辿り着く前に恋人と 動かない舌で話をしたような気がしたが 店員に中身のない財布を量りに乗せたら 全てなかったことになっていた 帰り道はさすがに暗いと思い 小指ほどの電灯のボタンを  押して足元を照らしたら うしろから私がついてきた 左手首で首を斜めに上向かせると 見たままの空が頭の上に貼りついた 星空は私と一緒に動くので 星はどんどんひっかかり 歩くたびに背中が  みるみる重くなる 足元を照らしていた電灯が 地面を昼間に仕立て上げるころ 夜に泣いていたのは もう赤ちゃんではなく  おばあちゃんだった人だということが 明るみに出ていた あのトタン屋根の二階の火事も殺人事件も 帰る頃には交番の手柄になっていたのに 入口の〇は更に赤い灯を点して浮いていた 巡査は濃いメイクの顔の女と旅に出た、と 掲示板には書いてある 行き先はゴミ置き場の男が指示したらしい 私はカーブミラーから  必要な記憶を取り出すと 家路を急ぐ    頭に貼りついていた星が流れ始める    流星群の日は人がいっぱい死ぬのかなって    一緒に空を眺めて星になった友人のことを    下から見上げる 大きなドラムカンに何かを燃やし続けている家の畔の 大きな橋を渡ると 私の体は五体満足になっていた 坂の上の三叉路の三体のお地蔵さまに お菓子を供えると 私の家の入口が開くのだという          * 私に名前は 未だない ---------------------------- [自由詩]節分/為平 澪[2019年2月3日22時58分] 節分の夜に細々と二階の窓を濡らす音がして 外に人影が見えた こんな遅い夕食時に帰ってくるのは パチンコで負けて家に入り辛いお父さん 家内と呼ばれる鬼は 温かい部屋で猫と一緒にゴロゴロしている パチンコに勝った現金を差し出さなければ 自分の建てた家の敷居も跨げない父が 窓の外で彷徨っている ずぶ濡れの父が大切そうに抱えているのは 福豆ではなく ナイロン袋に入ったコンビニ弁当 そして私に 「ええか。絶対お父ちゃんが負けた事、お母ちゃんにゆうたらアカンど。  お母ちゃん、ワシがおそうなったから、腹へらかして、機嫌も悪いか もしれへん。お前な、この弁当渡してな、【お父ちゃんは七万円儲けた から、明日も勝負賭けに行く!】ゆうて、出ていった、ゆうとけよ…。」 泣きじゃくる子供のような声を抑えながら 冷たい手からもらったのは 温かい幕の内弁当、二つ それっきり 父は家に帰ることはなかった 鬼は 母だったかもしれない 鬼は 私だったかもしれない 父がコンビニ弁当でなく 福豆を買って帰ってきていたなら ちゃんと家の鬼を退治して 自分の家で長生きできたかもしれない 父を見送って四年 季節の節目ごとに雨は降り 寒い日は節々が痛むと 鬼は哭く 毎年変わる当てもない恵方を目指しながら 幸せになりたい、健康になりたいと 鬼のくせに祈ったりする              ? 黙々と食べる恵方のその彼方 鬼ヶ島では鬼たちが金棒片手に鬼会議 宝箱の金銀財宝を自分の金歯に加工して いかに次々と煎餅たちを真っ二つにしていけるかを ニヤニヤしながら話し合っている 外界では背を丸めながら白く小さく溶かされていく者たちが いかにモノが言えなくなっていることを ラジオは雑音も交えて 何度も繰り返すのに 夜のポストには もうすでに 桃太郎は殺された、という訃報が 投げ込まれていた ---------------------------- [自由詩]消しゴム/為平 澪[2019年2月16日23時27分] 私の部屋から消しゴムが消えた 自分で買い続けた漫画や画集本より 知らない人から送られてくる詩集本が増えた頃に 机の周りは書き散らかした紙で黒文字だらけ 背表紙の文句に踊らされた本棚 その息苦しい主義主張を一気に裏返して 全部白紙に戻してみたい 派手に色を付けようと輪郭をとろうとして 失敗し続ける線を消していきたかった 例えば 良い事だらけを書こうとして 三日も持たなかった日記 今は友達ではない女だらけの写真 燃やせば消えてくれる手紙の束や 指に入らなくなったカレッジリング 誰とも交流のないOB誌 カラフルに縁どられたもの中身は だいたい黒いモノばかりでできていて 今すぐほしい物が出てこない魔境の家で 私は見つからない消しゴムを探し続けた 昔から使っていた消しゴム 小さく汚れた練り消しでもいいから みんな丁寧に拭き取ってしまいたい 厠へ行こうとした時 納屋に落ちていた泥だらけの運動靴 この靴も帰りたいのだろうか 学生時代 狭い部室に真っ直ぐ歩いて 下手な絵を描いていた私 消しゴムが一番必要だった頃 私のノートには走り書きの夢物語 喜怒哀楽の激しいキャラクターたち そして 私の描くどの線も 決して間違ってはいなかった ---------------------------- [自由詩]うつむきながら/為平 澪[2019年2月17日1時07分] うつむきながら 一番奥に座っている うつむいたまま バスと一緒に揺れている ノートを隠しながら ペンが走る 紺色のプリーツスカートの 大柄な女子高生が一人 堂々と見せられない一生懸命と闘いながら 文字を追い続け 文字を刻み付け バスのハンドルが傾くたびに 膝のノートが滑り 紙が擦れる音がする ちらちらと 周りを見て  また バスと揺れている 文字とバスに格闘しながら  捲られる音と白紙と 追いつけないペン バスは田舎道を行く くねったり上がったり下ったり傾いたりしながら 車体と同じように 私たちは揺れている 姫路から乗車してトサカグチで降りた彼女は 詩を書いていたのだろうか 詩は出来上がったのだろうか 長く続いたガタガタ道を 首を傾げた文字たちが くねったり上がったり下がったりしながら 四角いノートの中で 真っ直ぐに立とうと  へばりついていたのだろうか  ? 最後尾の誰もいないシートに いつのまにか西日が座っている うしろなんて振り返らない田舎のバスが うつむく横顔を乗せたまま 耕地整理された水田の中を 飛び跳ねながら 走り続ける ---------------------------- [自由詩]高速バス/為平 澪[2019年2月17日1時30分] 高速バスの窓辺から 風景は切り刻まれ 囲まれたインターの隙間や綻びを見つけてバスは逃げ切り トンネルで安眠を貪り 気がつけば 高架下には貼り付けられた灰色の街と 名札のついた背伸びしたがる顔のないビル バスは ここまできた、ここまでくれば。 ここまでくれば来る程 瞼に迫る自宅 村とは似ても似つかない鉄筋コンクリートが立ち並ぶ 高層マンションの堆く積まれた四角形 その中に父の位牌が見えてしまうのはなぜだろう ガタガタ道一つもない平面な路側帯になればなる程 バスにゆすられ揺すぶり起こされるものの名前を 口にしようとして 知らず、手を合わせて 目を背けてしまうのはなぜか 終着駅につくまでに晴れたり曇ったり小雨が降ったりして 窓ガラスを叩く滴は長い尾を引きずったまま先は見せない 進めば進む程 何かに手繰り寄せられてしまうバス 得体のしれない悔恨のような 赦しのような 取り返しのつかない優しさのようなものに 揺すぶりをかけられたまま 私はバスの中を彷徨った 色づいたものが消えてしまった薄暗いロータリーで見えたのは 幼い私を背負う母と手をつなぐ作業服の父 若い父と母はバスの中の私に気づくと 「あっち」と 笑って指を差し すれ違いながら三人で歩いていく 降車ボタンを押し忘れた私は  終着駅を過ぎたターミナルで一人捨てられ 車掌から手渡された乗り継ぎ引換券に記載されていたのは 【ここからは自分の足で】 ---------------------------- [自由詩]台所/為平 澪[2019年3月6日20時50分] そこには多くの家族がいて 大きな机の上に並べられた 温かいものを食べていた それぞれが思うことを なんとなく話して それとなく呑み込めば 喉元は 一晩中潤った 天井の蛍光灯が点滅を始めた頃 台所まで来られない人や 作ったご飯を食べられない人もでてきて 暗い所で食事をとる人が だんだん増えた そうして皆 使っていた茶碗や 茶渋のついた湯呑を 机の上に置いたまま 先に壊れていった カタチあるモノはいつか壊れるというけれど いのちある人のほうが簡単にひび割れる 温かいものを求めて ひとり 夜の台所で湯を沸かす 電気ポットを点けると 青白い光に 埃をかぶった食器棚がうかびあがる 夜に積もる底冷えした何かがこみあげて 沸騰した水は泡を作ってあふれかえる 仕舞われたお茶碗と 湯気の上がることを忘れてしまった湯呑たち その間で かろうじて 寝息を立てている老いた母と動かない猫 おいやられていくものと おいこしていくものの狭間で 消えていった人のことなどを あいまいに思い出せば 台所には 昔あった皿の分だけ 話題がのぼる ---------------------------- [自由詩]名刺/為平 澪[2019年3月23日21時40分] 手渡す人の人相が好かろうと悪かろうと ついでにナントカ法人取締役だとか はたまた○○財団ナントカ会長だとか いつまでも覚えられない本人の名前と どこまでも続く法人名・財団名・団体名 本人の名前より自己主張する予備知識が 独り歩きをどんどん始めれば そのお墨付きを 利用する人 誉める人 たった一枚の紙切れで 年収何千万円がチラついて 握手する人 手を結ぶ人    (そして口が聞けなくなる人の    (居場所のない居場所をつくって    (押し込めたがる人 社会人なら名刺を交換するのが礼儀だろ、 と 怒鳴り散らす人の 日本人は全員社会人だろ、 と 思えば都合のいい人の 礼儀が私の指を傷つける 私は名刺を持たない 宛もない言葉だけを頼りにしている奴に どんな社名や配置部署が似合ったあろう 選ばれた良品の上質紙たちと 有名デザイナーのレイアウト 東京4号から大阪9号の圧縮サイズの中で 生息する君たちの暗号が前進して ちいさな草花を踏みつけて行く 酔っぱらった社会人の スマホで作れるお手軽保障 その紙切れの上で 人が浮いたり 沈んだり ---------------------------- [自由詩]噂/為平 澪[2019年6月7日0時58分] 噂は一人、散歩するのが好きだった 特に 夜 人の歯の隙間からどうしても出てしまう溜息や 口臭を嗅ぐのが好きだった 同じ道を通り同じ流れに沿って歩き 同じ家の窓明かりの下で影になって 一周するだけの噂 なんとなく人間臭い所が好きなのに さみしい噂 その日 噂は鍵の掛け忘れで 散歩の時間は午前二時半、丑三つ時 噂は聞いてしまったのだ 「──では、こちらが加害者になってしまう、       君、死んではくれまいか?」 噂は黙っていられない 黙っていれば、誰かが死んでしまうのだ いや、黙って入れさえすれば 少なくとも自分の保身は守られる 横並びに大きな邸宅の間に挟まれた選挙事務所の窓明かり 電気が消えた翌日に、一人の男が首を吊ったと載せる朝刊 『福祉介護職員自殺』 ── 自責の念に追い詰められたと遺書を残す 以前から高齢者虐待があるのでは?という話が出ていたことも、 病院のベッドが足らなくなれば末期癌の老齢患者は、その施設に 入れられたら二度と帰ってこられないことも、噂は知っていた その介護施設長の声を、あの夜、あの事務所で聞いた噂 噂は 自分が黙っていたことを嘆いた 自分は噂だから、誰にも信じてもらえない けれど、黙っていたことで人が一人死んでしまった… 噂が悩んでいるうちに マスコミは、どんどん先を行く ?本当に虐待はあったのか? ?証拠がないじゃないか! ?丁稚上げの出鱈目だらけで、自殺者がでたじゃないか″と 噂は言いたい ?虐待はあった! ?仕組まれた自殺だと! ?強いものが弱いものを装って、被害者をつくった結果だ″と あの夜の事務所の前を、噂が通り過ぎようとすると 再び施設長の声が頭の上の窓の隙間から降ってきた 「うまくいった。次はこの辺りのこいつに死んでもらおう…。     大丈夫さ、いつ死んでもわからない老人ばかりだからな…。」 噂は我慢できない! 噂は飛び出した! 身体中から飛び出した! 噂は夜、町中のポストにビラを作って投げ込んだ マスコミにも電話をかけてすべてを語った 噂は「うわさ」に生まれて、自分に一番出来ることをしたと思った (これで、もう、死ななくていい人が、殺されることはない) その翌日、噂の姿を見かけた者はいなくなった 誰かが「噂は遠い所へ送られた」と言った そして人々は口にした 「ホント、噂なんて一体誰が産んだのかしら?     どうせすぐ、消えるだけのモノなのに…」 ---------------------------- [自由詩]ぞう/為平 澪[2019年6月30日20時17分] 大きな一頭のゾウの写真をこっそりと  一人だけ見ることのできる男がいた 男はゾウを連れてきて 人々に目隠しをして触らせた 北の民はゾウの耳を撫でて ゾウは耳だと言った 東の民はゾウの尻のあたりを巡り ゾウは匂いのする丸いモノだと言い 西の民はゾウの足を抱いて 大木に違いないという そして南の民はゾウの鼻に触れ ゾウは長いのだと言い張った 戦争がはじまり 写真を見た男だけが 高みの見物をした そして 殺して剥製にしたソレに 「お前は金になった」とだけ 耳打ちした ---------------------------- [自由詩]旅/為平 澪[2019年9月24日19時24分] 駅前の信号の青の中を ホテルの前で屯する入り女の白い手招きを ビジネスマンの眼鏡の先を 赤いジャンパーの男のポケットの音を 渡り歩いて辿り着く エビス屋のテーブル席 器に盛られたカルパッチョの鯛は もう捌かれて 目はないのだけど 私がどこを潜り抜けてやってきたのか 一目瞭然で 身体を開いていた ラテン系の音楽、弾む弦楽器、 その店から流れる音色は 筒抜けに明るく 心労が祟ってイライラしている、 タクシーの運転手のハンドル捌きさえ リズミカルで陽気にみせる 会話は店内から外界に賑やかに溢れ テラスの恋人たちは カラフルなビールで乾杯して 二人の祝日に グラスを傾ける けれど 赤信号で突っ立たままの歩行者の眼を ホテルに入れてもらえないまま路地裏に消えた女の顔を パソコンのディスプレイに取り込まれて点滅しているビジネスマンを そして どんどん大声になっていく 赤いジャンパーの男の 膨らんだケットの中のモノのことを 思い浮かべて目を瞑れば はぐらかしていたものに おいかけられて サイレンの音は鳴り響く    (病院に運ばれるのだろうか    (警察署に行くのだろうか 否、おそらく 目のない 開かれたままの鯛と同じ方角へ…。 賑やかだったエビス屋のラテン音楽は店じまい 華やかだった色を浮かべたあのグラスたちでさえ 他人の顔をして 吊り下げられる 騒がしい喧騒の街を  巨大な手をした夜が 旅に出た者たちを ことごとく 片づけていく ---------------------------- [自由詩]めんどくさいテレビ/為平 澪[2019年11月3日23時47分] めんどくさいテレビ    モノクロテレビは 力道山を 独り占めしたことを語り カラーテレビは 鉄腕アトムで 空を越えたと言う 地上波テレビは そんなアナログテレビたちの話に拍手を送り BSで アナログたちを馬鹿にした放映を 夜中に流した    めんどくさい、ほこり    めんどくさい、おごり    めんどくさい、電波    めんどくさい、ばかり 情報による、情報のための知ったもん勝ちを 昭和に言えなくて令和で言う人 昭和では言えたのに令和で黙る人          * 金の卵の母の指 昭和のベルトコンベアーに運ばれて テレビの部品と引き換えに てのひらの歯車 錆びついた テレビに映る東京タワー スカイツリーに抜かれたと めんどくさい娘が嬉しそうに言うことも 老いた母は 俯き聞いて 腐る前のナシウリ一つ 落とさぬように 大事に抱え 伸びない指で手を合わせると 横を向いては 黙ってかじる ---------------------------- [自由詩]帰郷/為平 澪[2019年11月4日0時10分] 魂の粒子が入り込む真昼の庭園。不在の住処の質量は閑散とした佇まいの 重さに呼吸して、光彩の瞬きを受けて渡す、あるいは、乱反射して滑って いく。薄緑色に生い茂るやわらかな罪に、赦しは幾度となく繰り返されて 畳の藺草の上に、足跡をつけた人たちが、セピアの影となって、草の香を 湿らせていく。繰り返される粒子たちの歴史。私たち、という姿は障子に 煤けたまま、外界と内界を仕切る薄紙に、ぼくの鼓膜も、なつかしい声に 角度を預けたまま、透き通り、ふるえていく。誰に負われてきたのか、負 ぶさってきたのか、わからないまま、今日来た役人の、インクの付いた袖。 汚れた黒いインクの袖口ばかりが気になって、母さんの手が離せなかった。 子供の視線で覗き込んできたものは、蚊取り線香に巻き取られて細く長く ジリジリと燃やされていったまま、今でも蚊帳の中を浮遊する、苦い煙。 経机に置かれたわら半紙に何も書けないうちに出て行った、ぼくの、夢。 墨汁をこぼした失敗談だけが、まだ飾られているような、部屋。 泣いてしまえるほどの脆い足場の中に、目の前を通過するいくつもの急行 や快速電車に急かされながら乗り継いできたはずなのに、生い立ちの在処 は、どんどん遠く、そして、鮮やかになるばかり。 ---------------------------- [自由詩]車椅子/為平 澪[2019年12月7日22時16分] 地元の植物園で菊花展が開催される頃 入園入口にある車椅子を借りると 母を乗せて湖畔に広がる花々や温室の中を歩き回った 昔、母は祖母を乗せて車椅子を押した ひと昔前母は 私を乳母車に乗せて そして泣きだせば 抱いたり負ぶって この巨大な植物園を歩いた 秋といえど まだ日差しは強く 工事されていないデコボコ道もある 多くのカップルが行き過ぎ 老夫婦が通り過ぎ 工事現場のダンプカーを避けながら 車椅子を押し続けた 私の荷物を胸に抱えて 車椅子から喋っていた母の声が  だんだん小さくなり 聞こえなくなり ポプラ並木の紅葉は見えなくなり 裸木や寝そべった枯れすすきを横目にしながら 薄暗い椿の森へと入っていく 車椅子は重くなる 荷物を抱えている母を押しながら 一歩、一歩、と 足を 前に出さなければ進めない苛立ちを踏みしめながら 押し車のグリップに圧し掛かる手のひらの強張りに 肩を震わせながら 前へ、前へと、そして 前には、 坂道、坂道、そしてまた デコボコの坂道 私が車椅子に乗せている人は誰だろう そして 運んでいるものは何だろう 対岸の入口の傍に菊花展の菊の花が 黄色く灯る 白菊の花の灯りもぼんやり見える 紫や白の緞帳の中に飾られた 菊花を見に来る行列に紛れて 車椅子を押す女が見える ---------------------------- [自由詩]考えない足/為平 澪[2020年3月2日0時37分] 初めて履いた運動靴で  私たちはどこへでも行けた リュックサックを背負い水筒を持ち 少しのお金と自転車のペダルに乗せたその足で 行きたい所へとハンドルを切れた 時間は私たちの足の後から付いてきた 日時計だらけのデコボコ道を どこまでも どこまでも 白い運動靴が汚れてきた頃 黒くい靴を履かなければ 行けない所が増えた 手首に巻かれていたのは 手錠のような時計 自転車は納屋の奥で錆びついた ハンドルは固定されてタイヤは罅割れ ペダルはもう、回らなかった 今、私は町の停留所で捨てられた牛になって 飼い主が迎えに来てくれそうな車を待つ 草臥れた運動靴を蹄に被せ 定刻通りに来る運転手のバスに乗せられて この町を周り続ける バスは決まった方角へと進み 市役所と病院を通過して 同じ場所で私を降ろす  (便利になったもんだ  (バスの時間に間に合わない者は  (買い物も治療も手続き事もできないのだから 小さな押し車に頼る老人と 杖を突く老女が そう呟いて降車した バスに揺られ 自分の足も動かさないまま 私は町を何周しながら死んでいくのだろう 【便利になったのだ】 ペダルを漕ぐ白い運動靴の足たちが  時間を逆走して  バスの中の私を追い越していく ---------------------------- [自由詩]何時/為平 澪[2020年3月20日22時08分] 死んだ父が 殺された、という 名札をつけて立っている その横をコンビニ袋に かつ丼を入れた男が 実存の靴を鳴らして歩く 蛍光灯の下で 頭だけ照らされた女が 命について考えると 部屋には沈黙が訛り 御霊だけが浮遊する 今とは一体、 何時のことだ ---------------------------- [自由詩]白い炎/為平 澪[2020年3月22日17時09分] 年末の庭に放置された大量の菊が 霜が降りる毎に人を誘う手をみせる いつか燃やさなければ片付かないね、と そればかり気にしていた母の、 指の第一関節はガンジキのように折れ曲がり 小さく縮んだ菊の亡骸を集めていた 仏壇の裏のセイタカアワダチソウが 鈍色の曇り空にトゲトゲしく突き刺さり 誰かの長い白髪のような枯草は 横倒しに倒れたまま土を覆い隠している 簡単に抜ける 色褪せたそれらのものを集めて鎌で束ねては 焼き場まで持っていく 母はその薄暗いものたちを上手に重ね合わせ 端が折れて黄ばんだ新聞紙を細長く丸めると マッチを擦る 底に火を置かれたものたちが燻る焔をあげ 小さな骨が何度も折られる音が続き やがて火は燃え広がっていく いつか燃やしてしまわなければ…、と 自分に言い聞かせるように母が呟いた後、 あっという間に燃えてしまうものですね、 街から来たという男が古い家を背にして 正直に言う 玄関に注連縄のついたお飾りを吊るすと そこから 母が入り、娘が入り、猫が入る 今年が無事だったことなど気にも留めず 暮れた寒村には消防団の夜回りの鐘が 夜の中で鳴り渡る ---------------------------- [自由詩]降り積もる雪のように/為平 澪[2020年3月22日17時29分] あなたの望む あなたにおなりなさい 例えば雪のように 柔らかく白く 降り積もりなさい やがて踏みにじられ 汚されて逝く その傷や痛みを 涙や嘘で繕うのです そうして白い瘡蓋で 覆うのです 人はまるで 降り続ける白い粉雪 自分を掘り下げるように 自分を重ねて行く ---------------------------- [自由詩]転がる/為平 澪[2020年3月22日17時35分] 交差点で行きかう人を 市バスから眺める 私には気付かずに けれど 確実に交差していく人の、 行先は黒い地下への入口 冷房の効きすぎたバス 喋らない老人たち 太陽に乱反射する高層ビルの窓 その下に黙ってうつむく黒い向日葵 通り過ぎていく冷めきった人間たち バスは座席からこぼれつづける多くの会話を 次の停留所で吐き出しては また、新しい言葉を積んでいく ── 梅田の一等地あたりのマンションでいくらですか ── ロッカー、どっこも空いてないやん ── あの人いっつも家柄の自慢ばっかりやんか 『次は土佐堀三丁目』 大阪に網羅する血管の、 血が通っている所と、通わなくなった所 その、間の駅で降車する 改札口から吹き抜けていた風が 日照権のない平屋へ足を運ばせる 夜は 独り缶詰の底に沈んでいる家族の事などを想い 職場でハンマーを振り上げては ゛目玉焼きになる゛と 笑う父の姿が濃くなっていく 角の路地を出れば 小さなガラスケースの中 ウインナーとトースト、そして目玉焼きが モーニングメニューとして 日焼けし、蝋細工の色は欠け落ちたままだ 違ってしまったのは そこに何十年と通い詰めていた男が一人、減ったこと 一つ番地が消えたこと 以外、 変わったことなどさしてない 駅に向かう私を市バスたちが追い越していく 夕陽は黙ってうつむく私見つめて沈む 誰にも気づかれず死んでいく者の数を あの赤い空は知っているのだろうか         * 高架下の交差点で 誰かに放り棄てられたビール缶が どこまでも転がっていく ガラガラと音を立て うろつきながら どうしようもないことに  つぶされないように 横切っていく 私も素知らぬ顔をして 横断歩道を渡っていく コンビニに入ると 店員はビール缶を棚に出しては いくらでも並べてみせた その手の裏側の方から サイレンの音が鳴り響く ---------------------------- [自由詩]ぼく/為平 澪[2020年3月23日21時00分] 「吐き出してしまえば、その場で楽になれる場所」として、ぼくは作られた。 誰かの口から出る汚物、言葉も想いも退廃物も全て受け入れるための便所。  ぼくは黙って暗い場所で口を開けていればよかった。美しくなろうとも思わなかったし、それどころか美しいというものがどういうもので、どういうことなのか、もう覚えてはいない。風も届かない。けれど風が吹いたなら、ぼくからは臭い匂いが流れると人は言う。ぼくの白かった服は、今では落書きと傷と落ちない汚れに塗れて、そのあとは、それを付けて行った人たちについて沈黙していればよかった。そしていつか、きれいに壊されてさっさと消滅することだけが、ぼくの一番望んでいた未来だったのかもしれない。 ── その人が来るまでは…。  その人はぼくの服を丁寧に手洗いして、ぼくの臭い口を濯いでくれた。白い服を着たその人は、とてもいい香りがした。ぼくとは遠い所にいる人だとすぐに分かった。その人は一日置きにぼくの体を洗ってくれる。やめてほしい、と思った。くすぐったい、と思った。そして、うれしかった。そんな喜びがこみあげてくる自分が惨めでしかたなかった。 ── 期待させないでほしい。ぼくの所には汚いものが似合うのに。それを吐きにくる人のために作られたのに。君のように場違いで、ぼくより年下の、いつか世の中を知ってしまえば、ぼくがどういうモノであるかについて、一番先に土で隠そうとする階級の人にだけは、やさしくされたくなかった。そしてそれを「やさしさ」と認めたくもなかった。  その人は一年を通して二日に一度やってきて、ぼくの服を洗い身体をくすぐり、口の中をきれいにしていく。ぼくはその人にお礼を言いたかったけど、ぼくの口は言葉を沈めることができても発することはできない。ぼくが存在できるのは、ぼくが人の捌け口として役に立ち、利用できるから、それだけだ。ぼくがいなくなってもそこに更地が出来るだけで、また置かれる新機能付きのぼく。全ての人にはそういう話なんだよ。何度も自分に言い聞かせながら、やってくるその人の優しい手と真心のようなものを感じて、夜になると泣いた。  うれしいこととかなしいことが上になったり下になったりして、ぼくの中で処理して沈めることが難しくなり始めた。汚れてさび付いてやがて罅割れていくぼくの夢の先に、もっと深遠で、罅割れていないぼくの塊が輝いて見える。いやだ、そういうものをあの人に見せるのは! それを言葉にしようとしているぼくは、なんて卑しいのだろう…!  あの人はいなくなった。 夜しか外に出ることができない人だった。陽の光に皮膚が耐えられない病気を抱えていたと噂で聞いた。夜に病院を抜け出して、バケツを持って徘徊するキケンな人だと人々は言った。 ぼくは言いたかった。 彼女は夜、ぼくの服を洗って身体を拭いてくれたんだよって。彼女は精一杯生きていて、みんなが使う一番汚い場所をきれいにしてくれたんだよって。そして今、人が指さすキケンな人として住民たちが彼女の体を切り刻み、ぼくの口から腹の底へと投げ込んだのだよって。 ぼくは…、ぼくは…! ぼくは口を開けて みんなにみせたい! ---------------------------- [自由詩]単細胞/為平 澪[2020年4月1日22時19分] 本能だけで生きている あられもない自分のこと以外知る由もない けれど真ん中に込み上げる淋しさについて 幾度も躓く 単細胞は一つであるということ以外何も持たない 【自分でいる、自分がある!】 当たり前の事を言いまわる むき出しのバカの自由(それでいい) 淋しさは淋しさを呼ぶ やがて卵子と結合し  一体感を得た途端に分裂が始まった 見る 触れる 聞こえる 感じる 味わえる 単細胞は五感をフル活動させ 多細胞で固められた人間組織として歩き回る 学んだ 体験した 人付き合いも覚えた 疲労した 沈まない多くの夜に目を凝らし 陰りのある朝の中を歩き続けた なのに 学べば学ぶほど 人に出会えば出会うほどに 単細胞は 淋しくなった 単細胞は 賢くなりたかった 勉強したかった そして 偉くなりたかった しかし組織は管理と監視を続け 同じ組織の中で生きる単細胞同士でも 裏切ったなら 他愛もなく壊死させた 自分が息継ぎをするためには 相手の息を止めるしかない 疲労し老い、追いやられていくものたちを 単細胞は眺めるしかなかった 真ん中の肉を削り取るような隙間風が どんどん通過していく その風に運ばれていく 夥しい自分であったものたちを見送り そしていつか自分も そこにいくということを知っていた 単細胞が歩いて、歩いて、学んだことは  これ、一つ 空を見上げて 【自分でいる、自分がある…!】 昔なら簡単に言えた言葉に押しつぶされて バカみたいに青を滲ませて彼は泣いた         * 頭上の青はどこまでも高く、広く、 単細胞が生まれた時のそのままで…。 ---------------------------- [自由詩]めんどり/為平 澪[2020年6月27日20時50分] 挨拶から始まる朝は来ない 顔を見たなら悉く突き合うまで さして時間はかからない めんどり二羽の朝の風景 イラつく調理場 割れる玉子 割れない石頭 言い返さない方が利口 聞き流せば済むことなのに ついに出る、 (お腹を痛めて産んだ子に!)を声高に 謳いあげて嗤う、めんどり 卵が先か鶏が先か、ではなく どちらが先に口から産まれたか、 大声で喚いたかで勝利は決まる 私たちは似ている 親子だもの 鶏冠にくるコトバもタイミングも同じ 寡黙な台所 一触即発の玉子焼き 丸いフライパンの中でできる玉子焼きを 四角く丁寧に折りたたむことはできない 苛立ちは焼けたまま  旦那様に差し出される いつもの手間暇取らずの醤油をかければ 焦げていただろうフライパンの玉子焼きを みりんと砂糖と塩で味付けすると 玉子焼きが黄色いままで焦げ付かない 旦那様は 調味料を全く使わない、 天然の玉子焼きの味が好きだという が、 老いためんどりの目に じわり涙 その味付けは 私が母に習ったこと 人前で焦げた玉子焼きを出さないよう、 子供の頃に教えてもらった作り方 そんなくだらないことを 覚えていたくらいで泣くなよ めんどりのくせに 私だって 作った玉子焼きの味が わからなくなるよ めんどりなのに ---------------------------- [短歌]胸は紅/為平 澪[2020年7月21日21時51分] 上っ面の言葉を交わしすれ違う恋人家族その他大勢 本当がまるで無いのになぜ刺したナイチンゲールの胸はくれない 表面張力肥大する星一つ縛れる嘘が行ったり来たり 面倒な人付き合いを弾いたら面倒な自分と付き合うばかり いつまでも逞しくいて健康で友人無くても君なら平気 ---------------------------- [自由詩]日課/為平 澪[2020年8月1日1時07分] 冷蔵庫から子供の頭部とおくるみを 毎日切り刻みながら 君だけに盛り上がった 低学年男子の勃起を器に擦りつけて テーブルに並べる (コウノトリはキャベツ畑で卵を温めている)、 という事に苛立って 包丁はすぐに反応して まな板まで傷を残していく 水のあふれる住処で目を回しているのは服やタオル、 ではない、腰から下の私 干せば乾く洗濯物と干せばいなくなる私は その日の朝刊に重く貼りついてみても ドライに捨てられる どこに向かっているのか分からないさびしさだけで 活字を拾うと舌が歯にあたってうまく発音ができない 言葉を包丁のように使ってはいけないよ、というコトバを 包丁で切ると「言葉を/使ってはいけない」と 書き換えられた ?というものに意味があるとすれば 毎日切り刻み擦り減らしていく手足、 折りたたまれてしまわれる頭、 乾かない空、乾いたままの眼、 その隙間で 毎日、 サラダを刻むだけの私 ---------------------------- [自由詩]洗濯物/為平 澪[2020年9月8日20時26分] 家族がぶら下がっている洗濯竿 洗濯槽の中で  腕を組んだり 蹴り飛ばしたり しがみついたり離れたりして 振り回され 夕立に遭い 熱に灼かれながら それぞれの想いに色褪せては 迷いの淵を 回り続ける 暗い部屋に射す陽と陰の間で 年長の女は独り黙々と衣服を畳んでいく 老いた女の手に託されたのは 明るみに出せない家族の軽薄さの残量だ 散らかり続ける洗濯物 育った子らと、旅立った者の分まで 捨てられないのか、忘れてしまったのか 丁寧に四角く折り曲げられる服の山 手元を休めて喚ばれるままに目をやれば 外に亡祖父母と亡き父の抜け殻が細長く 自由自在に揺れている 靴下に弄ばれ、ハンカチを落とし 制服に手をやき、 ワイシャツに愛想をつかしながらも その手は再び、雨に打たれて項垂れる彼らを 陽のもとに連れ出そうと アイロンで温めて人様の前まで送り出す 干せなくなった女は簡単に世間に干され 出ていく、という掟が一つ、 縁の下に結ばれている 鋏で切られる日まで  ひたすら腕を、手を、指を、動かし やがて沈む夕日を瞳にしまう 軒の下には ひるがえる家族が並んでいる 隣家では若い女がいつも白い狼煙を蒸かして 明日も晴れての旗揚げを繰り返す ---------------------------- [自由詩]唄/為平 澪[2020年12月1日21時23分] 最もよき者は攫われてしまった* よき者の言葉は封じられ 足並みをそろえる、その旋律だけは大切にされた 皆、同じ顔をして右を向き前に倣う              * ── 唄は、     ほら吹き、笛吹き、炎吹き、     人々は群れ成し、肩組み、唄を歌い、姿消し、 ── 唄は、     寝た子を起こす子守唄     親の声だと信じる子供     (騙されてはいけないよ!     (あれは人さらいの笛の音! 叫んだ者たちは喉を潰され書いたものは指を折られる 抗いようもない巨大なメロディーが頭から浸入して 足裏を断崖まで運ばせない道の上を歩かせた ── 唄は、     広大な大陸で帝国を作りあげ     極寒の魂は白鳥に身をやつして岬で嘶き     地雷で吹き飛んだ脚、     長靴の音だけ残る国              * 最もよき者の声も攫われて帰らず 残れる者の頭もまた、攫われて返らず 歳月を背負い 傾いた空の下 嘯いた笑いを浮かべ 生涯を費やし 諳んじる唄に唇をかむ 朝の光が頭を撫でてくれるまで 死んだふりなどしてみれば 瞼の海から 唄がこぼれる ---------------------------- [自由詩]四トントラック/為平 澪[2020年12月1日21時35分] 四トントラックの背に鉄屑ばかり積んでいた 製鉄会社を回って非鉄金属ばかりを探して 使い物にならないモノたちを再利用しようと かき集めていた、父の会社 工場の垣根になるほどの拉げたタイヤの群れ、 切られた銅線と凹んだアルミ缶、 自分のようなもの、家族のようなものを 抱え込んで走っていた 買ったときは真っ白だった四トントラックは 鉄粉にまみれ、金属に擦られ 鉄屑にのしかかる工場の巨大な磁石に バウンドさせられて  赤茶けた場所が広がった 使い物にならないものは チューブの抜けたタイヤ、 原形を留めないアルミ缶や剥き出しの銅線、 伸びきったバネや錆びついたネジ、でもなく 四トントラックだったかもしれない トラックを引き渡す日 わたしは荷台とドアの間の梯子をつたって トラックの天辺で山に沈む夕陽を見ていた 日が暮れても工場から帰らなかった 工場はもう社名の違う看板が掛けられていて 遠くからきた人たちのものになっていた 夕陽に焼け焦げる空と仄暗い山を見ていると 真っ新なトラックに置いてけぼりにされて なんで連れて行ってくれへんのや!と 泣き喚く女の子がトラックの後を駆けていく 困り果てた赤ら顔で骨太の男の手が 彼女を運転席の横に乗せると 女の子が泣き止むまでいつまでもいつまでも ずっと、一緒に 走り続けていく ---------------------------- [自由詩]玉葱/為平 澪[2021年2月23日5時03分] 玄関を出るときいつも気になっていた 軒先に干されていた玉葱たち 錆びた脚立の三段目に簀子をまたがせ 置かれた大量の玉葱 大きなビニール袋の下では 腐ってしまうその中身を 丁寧に木板の上に並べていた人 力のない手のひら 動かしにくい指先 (割れないように (長持ちするように 家の軒先 陽当たりを加減して (落とさないように (傷つけないように        * 先週、カレーライスが食べたくて  薄皮を剥いでいった 今週、スパゲッティが食べたくて  表面の皮を破り捨てた 今晩、肉じゃがにするといって 芯を取り除き乱雑に包丁で刻み込んだ 夜、納戸にまで水が浸み込む暴風雨に曝されて 外干ししていた玉葱たちは 転がりながら 行方不明になったり 落ちて傷ついたまま 溝の中で腐っていった 以来、 玉葱を上手に並べて干してある家を尋ねて歩く 玄関の扉は開けっぱなしで 軒下から転がり落ちたものを 必死で並べようとした人を いつまでも  探してみたりして ---------------------------- [自由詩]犬/為平 澪[2021年2月23日5時45分] 子犬だったら、可愛いだろう。 言うことも聞くだろうし、連れて歩けば皆、振り返る。 家人だってまんざら嫌な顔なんかしない。 それにつけても血統書付き。 自慢のタネだし御犬様だってそれを誇りに生きてやがる。 猫なんてやつは猫の目をして自由気ままに生きてやがるが、明日をも知れぬ放浪猫。 恩返しの頭もない上、ただ飯喰らい。犬はいい。犬はいいぞ! いくらなんでも十五年も経っちゃ、大きくもなるさ。 いや、まいったな、そうか。十五歳といえば壮年層。月日が経つのはとんと、早いもんだね。 あの夫婦も齢をとっちまったんだろう。なんせ、犬を飼いだした時から随分と高齢だったしな。 おっと、今じゃ放し飼いとは…、なんじゃそりゃ。 血統書付きを放し飼いとは、ブルジョア様のすることは底がないねぇ…。 ちがった、ちがった。 子供たちが村を出ていって大きくなっちまった犬に手をやいてるってさ。 力の強い犬だろう…。かといって、家の中に入れたままにしといちゃ犬だって、ストレスだらけってなもんだ。だから夜中にこっそり首輪を外して野放しにするんだと。 朝一番に啼く鶏の声を合図に犬は帰ってくるっていう寸法らしい。なんせ朝まで締め切っているんだからな。齢をとったとはいえ可哀想なのは、犬なんだか、人なんだか…。 おいおい。最近あの犬を老夫婦が苦にして貰い手を探しているそうじゃないか。血統書付きなら高くも売れるってもんだ。 どうだい、あんたたち、犬一匹飼ってみては? 何言ってるんだい。悠長なことをお言いでないよ! 昨夜、例の放し飼いの犬がとうとう人を噛んだって有線放送が村に流れたばかりじゃないか。 そんな始末に負えない犬を、今更誰が手に入れたがるんだい! 噛まれた歯型のついた部分からかなりの出血があって、そのあと傷が青紫に変色して水ぶくれに腫れ上がったそうじゃないか。 なんでも頭部が変なふうに凹んで腹の上を鎌のようなもので擦った切り傷があったとか、なかったとか…。 それは犬のことかい、人のことかい? それってどれさ。俺はそう聞いたからそれ以上のことは知らん。 そう、この耳でしっかりと聞いたからな。 だから、それはどこまでが犬で、どこまでが人の話…? そないなこと、知らんがな。 それより、話によれば血統書付きのわりに、なんとまぁ、残忍な犬ではないか。てっきり大人しい、賢い犬だと思っていたが、…。呆けた飼い主に似ちまったんだか、散歩行かずの後遺症が祟ったのかねぇ。 で、その後、飼い主たちはどうしてるんだ? ああ、今は流行りの疫病が伝染るとかで、マスクをして引きこもっているんだと。 犬は処分しちまったのかねぇ。 今じゃすっかり姿も見えんわ。とうとう保健所のご厄介になって、安楽死かライオンの餌にでもなったんかな…。そな思えば、ちと、可哀想やな。歳月とは、むごいもんやなア…。齢は取りたくないもんや。 犬は、どこに行ったんやろう? 老夫婦がすべておらんようになっても、行方は分からんらしい。 そんな人を噛むようになった犬、まだ村のどこかを徘徊しよるんやろかなア…。 しかし…、 あの家ホンマに犬なんかおったんやろか…?               * マスクをしたまま顔を見せなくなった老夫婦の口の周りに見慣れた黒い毛が付着し、棺の中の夫婦の歯と歯茎に、淡くなった血糊がベトリ、ついていたことなど村人は最後まで知ることもなく、噂は自由気ままに七十五日を徘徊し、次第に行方をくらませていく。 ---------------------------- [自由詩]くりかえしの水/為平 澪[2021年3月6日8時57分] 真夜中の台所で 小さく座っている 仄暗い灯りの下で湯を沸かし続けている人 今日は私で 昔は母、だったもの、 秒針の動きが響くその中央で テーブルに集う家族たちが夢見たものは 何であったのか 遠く離れて何も言えなくなった人たちに 答えを聞くことも出来ず 愚問の正解を ざらついた舌で確かめながら 朝へと噛みしめていく 秒針に切り刻まれながら刻一刻と 日が昇ることを考えていると とてつもない老いが頭や肩に 霜となって固まり始める 今日あったことを 書いたり話せる相手が いつかいなくなってしまったとしても 台所に佇んでいるこの静かな重みは いのちが向かい合って 椅子に並んでいた姿 使い慣れた菜箸で挟みたかったもの、 古びた布巾で包んでしまえなかったもの、 隅においやられた三角ポストが呑み込んだ 役立たず、という言葉と出来事が おたまの底にぶら下がって すくえなかったあの頃 生きることは火で水を沸かすこと、 水で喉を潤していくこと、 くりかえされる水について 不確かなものが取り残され確実なものは流されていく うつらうつらと霞んでいく風景の向こう、 悴んでいた古くさい夜が反省と再生を繰返し 深呼吸をして泪粒ほどの朝日を吐き出す いつしか毎日は 湯気のように立ち上がり 人は再び、光のほうへと目を向けていく ---------------------------- (ファイルの終わり)