白濁した土の匂い
小川三郎

 一年半ほど前から手塚敦史氏と同じ詩の合評会に参加させてもらっていて、そこで彼の新作を1〜3ヶ月に一度、読める幸運を得ている。私が会に参加したての頃、手塚氏が提出する作品にはどれも「原稿に必要なインキを集めて」というタイトルがつけられていた。私はこのタイトルが好きだった。必要な分のインキだけを指でかき集め、ひっそりと綴られた詩。彼の詩には、そのようなデリケートな色彩や響きが感じられたし、それは手塚氏の詩に対する姿勢そのもののようにも思われた。だから彼から第二詩集を作ることを聞いたとき、きっとタイトルは「原稿に必要なインキを集めて」になるのだろうなと予測していたが、違った。それは詩集の冒頭の章につけられた名でしかなく、そして詩集には合評会や詩誌では見られなかった詩が多く収録されていた。「数奇な木立ち」(思潮社刊)。広い世界だと思った。不思議な草木が群生した大地が、水平に向かうだけでは済まされず土より下へ、星より上へと広がっていた。ページをめくると風が吹いて、視点は流れ出していく。


  ―ようダイナモ
  百年のうちの どれだけこれから生きられるとしても
  永遠に この星を
  口にすることは、もうできないだろう
    
          ―原稿に必要なインキを集めて
             ☆
             〔一一一〕連
             ―みつけた、星を 部分


 詩人手塚敦史の詩作品に遭遇すると、一瞬混線したのかと思うような、脈絡のない言葉の連なりであるように感じられる。しかし力を抜き、詩句の流れに身を委ねて読んでいくと、撒かれた言葉は手塚独自の糸で美しく紡がれ、その一列が風に揺れれば、ここでのみ存在できる細い音楽が微かな音で流れ出し、まずは読むという行為がとても心地いいのである。


  草木生え、青い面影の反照あり
  草木生え、のびあがろうとする力に
  そして号泣
  毛髪だけは垂らして、胸のあたりまで
  花は覆い 胸中の花一輪、ちりん…
  鈴のような音、光り

           ―原稿に必要なインキを集めて
            (回転速度一一七回毎分)
              〔一一一一〕連 部分


 その心地よさは、2004年12月に上梓された第一詩集「詩日記」から受け継がれるもので、既に手塚の揺るぎない魅力のひとつであるが、今詩集では、「詩日記」にはなかった要素がさらに加えられている。世界の温度や風、流れていく速度と共に、そこはかとなく漂っている草木の匂い。そういった、この詩集の世界観を決定づける要素の数々は、手塚の世界を現実の向こう側へと跳躍させ、限界を喪失させた。


  曙光のつよさに おののいて
  のぞみもうすい、笛をふく
  どこか遠くへ そらの布を散らす…
  (跡のこる閃光)さえ
  いく枚の葉を落とし
  この流れをとおり過ぎるのか

          ―原稿に必要なインキを集めて
            (標高五・一三メートル)
              〔一一七〕連 部分


 この世界の広がりに沿って、言葉を紡ぐ糸は、縦横無尽に伸びていく。そしてふと言葉が途切れると、その合間に立つ、美しく枯れた木立ちに巻きついている。その幹には言葉に方向性を与える、ミリリットル、オングストローム、ビットといった奔放な単位が記されている。その道標によって、この世界はとても見通しがいい。


  しらぬまに川をくだれば
  水面に 開いたり閉じたりする胃ぶくろや
  こわれかけたラジオのノイズの まだ、
  遠くしている叫び これからがおそろしいと
  流れとなる糞尿と混ざるくらがりを
  これから愉しみにもおもうと
  とりのこされたものたち 今晩は
  窓の外でいじけている
  ノドボトケトボケテ…
  彼女も雨にさしだしている

        ―なくしたノートに、忘れられた本に
           (一二一分)
             〔一二一四〕連 部分


 現実の草木を内側から見たような奇妙な草木が、この大地には実に豊穣に生え広がっている。その様子は宮沢賢治が書いたあたりに見覚えがあるが、更なる洗練と繊細さを備えている。風に吹かれてざわざわとつぶやき踊る草木の声は、手塚の独特の耳でもって聴き取られ、正確に意訳され著述される。それらの草木は、半透明なのである。そしてそれらが群生する地面もまた、白濁し透き通っている。そこは恐らく、人が立つための場所ではない。言葉を紡ぐ糸は縦横無尽に伸びている。


   花茎に攀じ登るような、接吻
  あるかもしれない
   澄み切った 地上のくうに
  はねた魚、一瞬で鳥に
   なれるかもしれない 
                          
          ―原稿に必要なインキを集めて
             (四五カット)
               〔四二〇〕連 部分


 そうして読み手はこの世界を流されていくのである。上も下もない世界ゆえに始まりも終わりもないのであるが、それでも道順らしきものは存在している。読み手は糸に沿って流れ、様々なものを見る。それは草木のつぶやきであり、星の瞬きの欠片であり、やがてここが一人の詩人の世界の内であることすら忘れてしまう。


  こずえを鳥は来訪していると思いきや
  小鳥は空にはりつけだ
  いつのまにか
  胃袋より黒い太陽が
  地面の底からうめいていた
  根をはり土地にひれふし
  手で支える木
  その手にはひとでのような粘度があり
  欲のような肉の色さえしている
  そしてあたかも臓腑から吐き出されたような男の子
  母の胎内から今まさに
  這いずり出てきたばかり
              
          ―ふれあう迷える子 * 部分


 手塚が採取し、開示する言葉の数々に目を見張る。それはどれも初めて見る言葉であるが、しかし以前、自分とは離れた何処かで鳴っていたことを、知っていたような気がしてならない。あるいはすぐ隣で鳴っていたのに、気がつかなかったのかもしれない。そんな、既視感とは微妙に違う、現実と背中合わせの記憶が浮かび上がってくる。そしてそれこそが紛れもなく、詩の言葉であったことに気付かされる。辿っていく。


  うるおう文字の列
  教室の隅の席の斜光(記憶…
  ―――いき
  けいせい
  かわせ。

  のちの、光年の彼方にとり残された
  わたし…
  うたうことを止めない
  胸のボタンもかけちがえていた、シミ

       ―なくしたノートに、忘れられた本に
           (三二・九マイクロメートル)
             〔一九〕連 部分


 読み手がここでしていることは、手塚の詩魂の動きについていくことであるが、意識世界を飛び回り、先の予測が不可能なその動きそのものが、創造者、また詩人としての手塚敦史の名前であり、存在である。その動きは能動的というよりも、流れに身を任せるものであり、風や水の方向や湾曲に逆らわず、最も自然な動きを光跡として残していくのが、手塚の創造である。ゆえに美しく無駄のない動きは、あたかも小さな竜のような様子で木立ちの間を縫っていく。その自由さは、そのまま私たちに提供される。


  指先は氏名を書きつつ
  今なお 丘を、のぼるようだった
  花の匂いがする
  風を迎えて ものみな
  咲くことを知る
  のちの、あめにも天の
  あたらしく 音のするようだった
  ひめゆりの口、

       ―なくしたノートに、忘れられた本に
             (五五秒)
               〔三二九〕連 部分


 一方、その動きはある種の哀しみを湛えている。逃げるのでも追うのでもなく、受け入れて漂う動きであるから、あらゆる感情を拾い集めて飲み込み、それに対して溢れる思いは、哀しいのである。そして小さな竜の身体から剥がれ落ちる鱗となって舞い落ち、著述される言葉の節々に降り、凝固し、逆説的な瑞々しさとなって読み手の心をそっと撫でるのである。


  静寂に この声
  つり合うだろう 洗濯物の匂いがする
  生長をたしかめた 朝顔に
  帰ってくる人を迎えた(太陽のほどけている、この
  裏側には青虫がいる
  そのたびに けずられてゆく葉さきが
  塀を支えにして、街を着ていたのだ

       ―なくしたノートに、忘れられた本に
        (一二六センチ平方メートル)
        〔一〇二六〕連 (虫食いの)部分


 それは本当にそっと撫でるのだから、始めはそれとわからない。繰り返し読んで初めてそうだとわかってくるほど、微かに、小さな骨をそっと打ち合わせるような音で囁かれ、その骨はなんらかの失われた記憶が残していったものなのか。それは実はこちらの内にもあったのではなかったか。心当たりを探しても見当たらず、しかし確か何処かにあったはずだ。


  照り返し 目をやり
  いずれかわくだろう すべる落ち葉の道、にて
  校庭に散らばる 子と
  すれちがうさ… ランドセルの気配がする
  キーホルダーのちかちかするのも
  ガラスの、水滴となって いま

         ―歩行の書き足し
          (八六メートル毎秒)
            〔二二五八〕連
           ―女性はうたに忘れる 部分


 手塚の描く世界はすると、読み手の持つ世界とも実は何処かで繋がっているのだろうか。連なっていく言葉のどれかが、あちらとこちらを繋げるドアなのかもしれない。この世界の流れに身を任せるうち、図らずもドアを開けてしまったなら、普通なら見ないで済むはずはずだった自己の内世界を垣間見ることになる。取り返しのつかないものを発見してしまうはずであり、そこから先へ行けば、戻れなくなる。


  小鳩を大事にする 手に
  ねむる 音のずれ…
  火をくべる まきに、そのまきに
  うつる、血をぬらす
  おもみをふくみ たらす空
  しずくとなったおとずれを 告げ
  そこに、挿しはさむ ふかく
  アスファルトの道と
  火を、にげる はばたく羽…
  ひろく手を 上向きに
  おさえるものなく
  日を、にげる はばたく羽…
  そうやって、にがす空に
  にゅうねんに行き渡らせた、声を
  あのかたほうも のぞんでいるのか
  うつる、血をぬらす

           ―歩行の書き足し
                (六五・二ボルト)
                  〔二四二〕連


 手塚もまた、ドアを開けてしまった人間の一人である。そのドアは中原中也の言葉の中にあり、彼は中学生の時にそれを見つけ、開けてしまった。それ以来、無限のような詩の言葉の海を彼は泳ぎ続け、未だ新たなドアを探し続けて旅を続けている。ひとつドアを見つけるたび、彼の世界はひとつ姿を変える。「詩日記」から「数奇な木立ち」の間にも、少なくとも数個のドアを開けていることは間違いない。
 そして彼は、新たに自己の内世界を垣間見てしまう人を増殖させるため、この詩集の中に沢山のドアを用意して、読み手を待ち受けている。幾人の人がそのドアを開けるだろうか。


 
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