勘定方御侍史
― 手塚敦史「数奇な木立ち」之事
荒井 純


     SIETE

   
   安全な国にいるときは体に小さな不調の絶えない私が、ちょっと治安の崩れた国に来ると途端に、もて余すほど元気になる。この前もその次第で、洟を垂らし、何となく熱っぽいように感じて暮していた寒気まじりの毎日をカリブ海に移してみれば、サンファン、サンホセと順に逗留して大過なく、日々ふかく眠りながく遊んで、鼻風邪などはどこ吹く風の儘に、使い放題にしていた身銭も逆にふえる勢いで、ハバナ、パナテラ、カラカスと南下し、さらに南に下って次に滞在した場所でさすがに何日か続けて昼寝をした。滞在国が安全な場合と違って寝つきも頗るよく、午後の3時ごろから、6時か、7時ごろまで眠った。場末の風通しのいいところに建ったニッパ小屋の、竹を編んでこしらえた壁を一ヵ処大きくぶっこ抜いて区切った窓の右下の端に、ちくわの先っぽのような、ぬれて光ったものでまわりを囲まれた小さな丸い穴を、昼寝の途中に見ていた記憶がある。しかしはっきり起きてみると、ガラスも何も、いかなる戸もない窓に、そんなものは覗いていない。
日の暮れた外に繁る南方の植物が大きな葉を見せて、ひっそりと佇んでいるだけである。
その次の日であったか、次の次の日であったか、日の暮れるまで、夢の続きを追いかけて気持よく寝ていると、こんどはその、日の暮れた外が見える窓の、やっぱり右下のところに、ゴトリと立てかけられて、固定されるようにして、ちくわ、というより細い竹の筒といったほうがいいようなものが、その穴をこっちに見せていた。うとうとしながら私はそれを眺めていたが、はっきり起きてみると、そんなものは窓のどこにも見えなかった。
  それから1か月もたって、海辺のカルタヘナのコテージで夜、ものを食べていたとき、不意に思い当った。あれは昼寝中の私に向けられた昔の三八式に極めて似た鉄砲の銃口に違いなかった。そんなものが真贋ともにあの街の場末に出回っていたし、実用に移されることもめづらしくはなかった。そういった状況をよく知って、私は昼寝をしていたので、別に迂闊だったわけでもない。うしろに de Bogota がつくサンタフェにいれば、私が
「元気に」寝ているかどうかによらず、そのたぐいの物騒はしょっちゅうである。いちいち気にしてはいられない、というほど私は大胆ではなかったが、その「ちくわ」を見てからも2週間ほど、私はサンタフェにいた。カルタヘナで思い当ったことに、当地で想到し得なかった以上、すぐ移動しなかったのも、やむをえない。どっちにしても「元気」のうちに終ったことだ。



     
     SEIS


  思春期のある時点で、自分の今までの人生が、人をあざむくことで成り立っていたように思われる。人と全く触れ合うことのない観念の中に生きていたのに、人と同じように振舞って、人をだましてきた。私は私の世界以外のことは何も知ることができない。人々は私の表象の世界の住人だ、しかし私の表象の世界の中に、そのことを証明する手段が何もない以上、私の表象世界は、私が私の住む球の内面に貼りつけた書き割りであって、人々はその球を、外側から蹴とばしているかも知れないのである。
新宮一成 「無意識の組曲」


  私の人生は、人をあざむくことで成り立っている。これは上記のような思春期の省察ではない。「私の住む球」というのはサイコロという小さな立方体であっても構わないだろう。しかもそのサイコロは一つならず、複数あっても構わないだろう。さらにそのサイコロの内側に貼られた数が、その面の「目」と同じでなくたって別に構わないだろう。そうでなければ、賭博など成立しない。私は手のなかでサイコロを振りつつ、「内面に貼られた数」同士が、いわばにこやかに、定期的に私に好意をもって照応しつつ反射しているのを知っている。人々は私の表象といってもいいし、商売といってもいい世界の住人である。しかし私の手のなかで、ある構造的波動をもって振られ、やがてアンペラの上に振り出される小さな立方体のなかで行われている「照応」その他を、彼らのうちの一人にでも知られていては困る。といって私は私の世界以外のことを人々に知られていても困る。彼らはおおむね私を取り囲んで立っている。人々は偶然の射幸以外は信じていない。彼らの期待と私の意図がむやみに触れ合っては困る。私だけに見えている書き割りどおりに、サイコロの目が複数個出る。人々がその「目」を蹴とばすような心持になるのでない限り、私としてもなかなか「使い放題にしていた身銭も逆にふえる勢いで」というわけにはいかない。この「あざむき」はペテンではない。繰返すが、私は博打のはなしをうんと端折ってしているに過ぎない。そのことを証明する手段はなんにもないが。 ― これはバランキアで繰返された、私の観念ではないところの実用の生活の一部であった。




     CINCO


  1992年は平成四年だが、この1992の末尾の2と9を入れ換えて1929年とすると、これは昭和四年である。63年経って、同じ「四年」が現れたのは昭和という治世が63年続いたからだが、この際これを治世といってはまづいらしい。元号とか年号とかいうのだそうである。それにしても「昭和」は、まずいろんな企業の名前によく使われた。「平成」も「あたらしくつくられた」当初はあわてて使われたようだが、使われた先から企業のほうが倒産してしまった印象がある。金融というのは即ち「金の融通」の略字に過ぎないが、この方面の業界における平成の二文字は、扱いが特に難しかったようである。( 実例による説明は省略する。) ところで平成というのは、偶数年が西暦の偶数年と一致している久しぶりの年号である。ということは当り前だが奇数年も奇数年に対応している。ところが明治大正昭和と、そういうことはなかったのであって、維新以来、年号の偶数は西暦の奇数、前者の奇数は後者の偶数に対応すると、何故か相場が決っていた。平成におけるこの一致は、慶応の末年以来、約140年ぶりのことである。
  一体、足し算においては偶数が強い。偶数足す偶数は偶数である。奇数足す奇数も偶数である。和が奇数となるのは偶数足す奇数のときだけである。この「強さ」は引き算となると「場合」が多いだけ幾分「弱く」なる。偶数引く偶数は偶数で、奇数引く奇数も偶数なのだが、奇数引く偶数も偶数引く奇数も、差は奇数と出る。和と差についてはまあこんなものなので、積商についてはゆっくりやってご覧なさい。扨このどうでもいいような強さと弱さが手の平のここんとこでパッとわかるようじゃないとサイコロの胴元は張れないぜと、耽美派の賭博師からはたびたび忠言を喰ったものである。
  カルタヘナには、バランキアを通って私は行った。そしてカルタヘナに於て私が営んでいたのは、実は一種の水上生活であって、私のコテージは、その根太も柱も海のなかへ食い込んで建っていた。自然コテージは遠浅の海上に突き出たかたちとなる。湖さながらに凪いだカリブ海は、満ちてきても床下数十センチのところで海位がとどまった。床も竹で編んであった。壁と同様である。壁には大きく海に向いた窓があって、窓は遠く地峡地帯の国々の方角を望んでいる。夜になってその窓を見ると波の音もなく蜃気楼のようなものが立つといって、人は信じるだろうか。しかし私は夜、その窓から見える単なる闇ではない外の海を眺めつつものを食べていて、導かれるようにサンタフェで私を狙っていた
「道具」の何であったかに思い当った。すぐ床下のカリブ海は、そう呼ばれる海の西端に位置して、その干満および凪の様相は、もはや太平洋のものであった。




     CUATRO


  存在を享楽する対象が女性の中にあると思うこと、それが誰か特別な人によって女性の中に置かれたと思うこと、この心的構造が、神経症そのものなのである。ところでこの構造が、生物としての性的規定よりも後で生じることは明らかである。したがって、性が神経症にかかわってくるのは、あくまでも「事後的に」である。
                            新宮一成 「無意識の組曲」


  神経症と精神病は別物である。編み物で喩えて、編み物の先生に「こういう模様を編み棒をこのように使って、編んできて下さい。」と新しい技術を教わって、それなりにその模様を編んでくるのが正常人だとすれば、神経症者は同様の努力を試みつつどう見てもそのお手本とはかけはなれた模様を編み上げるに至る。一方、編み物と聞くやトンカチとヤットコを取出し、金属のたぐいをいじり始めて、「先生のお手本」を「編もう」と企てるのが精神病者である。この材料選びの段階で、すでに勝負はついているのである。

                        上記は誰の著作からの引用でもない。


  ある種の精神の発達障害の患者とみなされている人たちのなかに、カレンダーと地図に関して深い理解とあざやかな読解力を示すケースのあることが知られている。このケースの人たちはきまって記憶力が卓抜であることも報告されている。彼らは亦ものの排列や順序といった規則性に極度に敏感で、その日常が悉くこうした規則性に縛られているように見えるという特徴がある。
                              読売新聞書評欄




     TRES


   人影もまばらな郊外の野に、忽然として博物館や美術館が出現するのを見るとき、われわれは、あるときまで健康に暮らしていた人の精神生活に、突如症状が発生するときの違和感に似たものを感じる。また、自然の土地を切り開いて建てられた人間の家の、一番奥まった部分に、床の間なるものがあり、そこには、くねくねと歪んだ木の根や草花が飾られる。外部に押しやり破壊した自然を、このような形で事後的に内部に取り入れるありさまは、症状というものの持つ歪んだ性質を思い起こさせずにはいない。

                         新宮一成 「創造と症状のあいだ」


   上記の新宮氏の文章における「症状」とは、「神経症」のことに違いない。とすると「事後性」を蝶番にこの文章と、CUATRO の冒頭に引用した同氏の文章を重ね合せて、以下のように「合成」することは許されるだろうか。


   人影も、おそらくは木立もまばらな郊外の野に、奇妙な掛け声によって建設されたでっかい文化施設、つまり博物館とか美術館とか民話館などが現れると、これこそ唐突という感じがする。その新しさ、人工的な清潔さ、周囲の景色とのそぐわなさ、鄙びた晴れがましさに、どうにもならない違和感を感じているうちに、これまで平穏に、自然に忠実に、健康に暮していた男の人の心に突如、― 存在を享楽する対象が女性のなかにあると思い、しかもそれが誰か特別な人によって女性のなかに置かれたと思う「構造」― が植えつけられた時にその男性が感じるであろう「事後感」が、こちらにも迫ってくるように思われる。
   木立をいかにもムリに切り開いて建てられた、それでいて木の香のはげしい人間の家の奥所に、この伐採を木の精に詫びるかのように、或いはこれこそ木の精の本髄だと主張するかのように、いわゆる「床の間」の「いけばな」が奇態に飾られているのを見るときも、やはり同様の、存在と女性と享楽をめぐる構造的事後感が立ち現れるのを、どうにも避けがたく感じる。このゴチック的代償を感情に押しつけてくるのが、昨今の *** の特徴である。



   (・・・) フロイトが夢に出てくる「数字」のことをしつこく書いていて、この数字の選び方には偶然性はないと言い切っています。それほど「数」の規定力はすさまじいものです。ただ、フロイトが書いているのは実際に数字そのものが[夢に]現れているときのことです。構造の結び目の数がこれにどう関係するかということは一つの論点になりますね。
      それではまた、とり急ぎ

               新宮一成氏の引用者宛て書簡。2000年4月18日付。

                  ( [夢に]は引用者註記。 )




     DOS


  手塚敦史「数奇な木立ち」は数によって構造され、数によって繋ぎとめられつつ区切られている詩行の輯りであることが誰の目にも明らかなので、ここで「数字」のことを云々するのはいまさらめいた冗言に違いなく、サンファンの西経北緯高度水深をくわしく掛け合せて人を退屈させる行いと、まづ同根だろう。一方で、これは輯木の散在を詩行とみる意図を秘匿しようとして、またその意図的な失敗を跨いでごまかそうとする周到な勢いによって編まれた一冊なので、朗唱めいた律動に与して短く切られた各々の行は、多くの句点を排除し、僅かな読点を容れただけの「連」として、機械的な風土に佇立している。


以下、(六三里)  と なくしたノートに、忘れられた本に と題された(五五秒)
   [五一三]連                         [三二九]連

から「数奇な木立ち」を引用する。



           (...)白くて
  ゆっくりとした羽のこと 今日太陽が昇ると
    町なかすべてが昇って行ったこと
 「相対する鳥の流れを、(わたし)とするのはどうだろう...」
     (どっと嗤う、ふきだす風もあり




  指先は氏名を書きつつ
  今なお 丘を、のぼるようだった
  花の匂いがする
  風を迎えて ものみな
 咲くことを知る
 のちの、あめにも天の
 あたらしく 音のするようだった

 (...)

この[三二九]連は

 そっと掬いとられようとしている 光にそらで...
 指先だけは あのひとの氏名を書きつつ

と終るのだが、あのひとの氏名 というのが「光にそらで ...帰去来之辞」の同類でさえなければ、これは、この作者の「花筐」となる作品だろう。




  囲うもの 風景が
  返る、西風におわれ
   (こちらは東であったか
  山を越えてきただれかの 気持ちと
  輪郭をほしがる 住み処と


で始まり、


   東西南北を示す方向は、風の吹く向きにより決められ
  傷つきやすい... (ひとびとの
  隙き間に、いつしか(わたし)も
  ながれこんだのだろうか
   茂る木々の沈黙だけが、ただそれに耐えて
  時々 ざわざわ、
   (わたしたち)の 噂をしているから
  おかしなものだ  (これは最初、願いではなかったのか


で終る(一九カラット)
    [三二六]連 は、先ほどの花筐(かもしれない作品)のあとの

(三二.九マイクロメートル)
    [一九] 連

を挟んだ「次の」作品であるが、思潮社が「新しい詩人 03」として売り出した詩人の作として非常に興味深い。「新しい」を標榜して大きな本屋に平積みされた詩人の(意外に高い)詩集に、ただ「新しい」ことがずらずら書き竝べてあってもダメなのである。
こういう 方向 に関する叙情が書ける人が「若い人」のなかにいたということに、私は素直に感心した。これは勿論「方向に関する叙情」が若くない、といっているのとはちがう。

それともう一つ、この作者に直に示しておきたい一文がある。

(フランスのある精神分析医にとって ― 引用者註) 植物が「享楽」を体現しているとすれば、動物は「快感」を体現している。精神分析では「享楽」と「快感」をはっきり区別しなければいけないというのが彼の考えであった。動物というものは、「無限の痛み」のような享楽が最小限になるように、場所を移動する。それが動物特有の、快感原則に沿った暮らし方なのである。人間もその例外ではない。その中で、この暮らし方の外に出ようと意志する人のみが、自分をむち打って、苦行の中で植物のように暮らそうとするのである。

                           新宮一成 「無意識の組曲」

(あやまちをおかすためにそとへゆけ!)
                           手塚敦史 「数奇な木立ち」




    
 
     
     SERRA



  [鉄拐](てっかい)― 隋代の仙人。姓は李、名は洪水。鉄拐は小字。飢死した乞食  の屍に魂を宿したため、跛で弊衣をまとっている。小人を吐き 出すように描くのはその魂の遊離することを示し、空中に自分 の姿をふき出すと伝えられる。
    「広辞苑」 第二版


  [木] ―  五行の一で、(イ)春。(ロ)東。(ハ) 甲子(キノエネ)。(ニ)五音の 角などにあたる。
                               旺文社 「漢和辞典」




    送風塔のあるパナマのコロン市からプエルトリコのバヤモン市へ住処を移して、ラモン・ルーブリエル球場へ日参するのにも慣れてきたが、ここでもメリダ市のカルタ・クララ野球場でも、野球をみたことはなかった。メキシコ市のエル・トレオ闘牛場でもサンホセ市のサポテ闘牛場でも事情は同じで、たまに拳闘の世界戦をみることはあっても、闘牛もいかなる球技も私には関係がない。ただカリブ特有の、野趣に富んだサイコロ二つを持って、「ルーブリエル」近辺をうろうろしていれば、身銭の増減にかかわるといった次第で、こういう次第を日常化するのが、「自由症」とか「野の百合神経症」と呼ばれる 「症状」 の特徴であることは、ごく最近知った。「帰趨者」と呼ばれる人たちは、意味のある言葉の背後に音楽のようなものが嫋嫋と流れていることを「見て」帰ってきた人たちである。そのぶん彼らは実際の時間に遅刻しているのであるが、もはや静かな池ではない目の前の海は、それゆえ時間に遅れたところの「見てきた」ものを映し出してくれる余裕もなく、波形に揺れているだけで、一番の問題である「どこへ帰ってきたか」ということにも、
100年ぐらいは回答してくれそうにない。「マタイ伝」の節を追っていくと、信仰の薄いものたち、という呼びかけに突き当たるが、「彼ら」はこの「意味ある」言葉のなかに「音楽」と同じ律動を見ているのである。音の起伏を拍子を掴えて追おうとするわけであるから、塔から送られる風を揃えて、その総和が一日の儲けと然るべく対応していれば、地峡から島嶼への移動も、まあ意味があったほうの部類といってもいい筈だが、塔があるのはバヤモンではない。となると、そう悠長なこともいっていられない。こういったことに「事後的に」気づく手合が「帰趨者」であるわけがない。ところで私自身の「健康」と当地の「治安」とのかね合いも、いい塩梅の儘である。三八式「ちくわ」の類も、最近は私には点を焦めていないように思われる。これは寧ろ音楽の裏手に下っているのが、つまりは「言葉」であることの別証であって ... とこの先をいえる程、サイコロ以外の事柄について私は図図しくはない心算だ。それはともかく結局「ルーブリエル」近辺が一番儲かる以上、もうサンファンへもポンセへもわざわざ出向く必要はないと思うが、どうだろう。



  [数] 解字 形成。  手に小木を持つかたちの攵(攴)と、音を表わし同時に数取り
            棒(→籌)をしめす婁(ル)[スウは変わった音、呉音ではソク]
            とからなる。算木(さんぎ)を手にして計算する意。本字は數     であって、教育漢字は俗字。
                               旺文社 「漢和辞典」



   ところでコロンの塔の西あたり(に於てだと思うのだが)で、せっかく出版国から送ってもらった「数奇な木立ち」(手塚敦史著、思潮社)をなくしてしまった。バヤモンで
再びこの本を購入することは不可能であり、もとより暗記もしていない。ただ表紙の裏側に書いてあった著者による著者略歴を不完全に少しばかりおぼえていたので披露したい。


 幸福に生れた私には、あなたのような動きが合っているのだ。12歳、川べりで遅れて顧みられ、持ち前の地声では返答しかねた。16歳、石、石、石、 石で泣く石を踏んだ。19歳、厚木に住み、長後にも住んだ。表の寒さは強がって感じないふりをしていた。
20歳、鳥を見る。ひたすら仙川を歩き、バスでよく下本宿へ ... (以下想起不能。− 実は人を煩わせてバヤモンまで、このなくした書籍を送ってもらった。二週間後に届いた本の表紙裏を見て、実際に著者の書いたものと私の記憶が大きく隔たっていたことに唖然とし、甚だ意外でもあったが、率直にいって「この点」では大いに失礼したと思っている。)


 「その人は、まず記号を作るためにいろんな要素を寄せ集め、さらに、考えることができるようになる前に、記号を寄せ集めなければならなかった。彼の場合、『書くこと』が、話すことばかりではなく、考えることにも先立つのであった。彼の実際の話は、私が通常の言葉や文法の知識を用いて解きほぐそうとすると、了解不可能なものになった。私がそれを、音によるいたずら書き、さらにいうならば、旋律になっていないあてどない口笛のようなものだと考えたとき、それはもっと意味あるものになった。それは普通の話、詩的な話、そして音楽のいづれとしても、記述できなかった。(中略)使われた言葉は、何の統制も受けていない音の形になった。彼は、この形が目に見えるものだと思っていた。なぜなら、彼が発声した文は、部屋のなかの諸物体へと受肉していくのだと彼は思っていたからだ。文ではなく物体を発声した彼は、それらの物体が作っている形が、それらの物体の意味を明らかにしてくれると仮定しているようだった。そしてその意味を、彼はやっと自分に取り戻せると期待していたのだった。」
(ビオン『精神分析の元素』)
 この精神分析中の人にあっては、意味は、自分の持っている言葉によって作られていたのだとは思えない。彼が考える主体になる前に、それに先だって、いわば誰かの手が、彼の目の前で書いていた。彼が自ら発声していた音声には、主体性が付与されていなかった。その声が勝手に、無統制な音の集まりとして、部屋の物体に自らを仮託しながら意味を作っていった。
                         新宮一成 「作品たちの恥じらい」



    ふれあう迷える子 ***   ― パルサ巫女の酢



    しばし恥じていた
      (...)
    せんだん、びゃくだん、巻き毛の上あたり...
    降る光たゆみなく、わたしたちの先を行き
        (...)
       えりくびの、髪の生え際に咲く
      いくびゃく、だん、びゃく、だ、んの、しなやかな
     樹下の線までしまいには伝って 瓶の筒の先にある口も
    すぼまる、(...)

      揺り動かす、ポッケの暗がりの底のそこのほうで
       育てつつある植物をこんなに
        瓶をふってまで、手わたそうとはにかんだ
        (...)
        わたしたちの成長した性はいつまでも
       左右上下にこうしてこぼれつづけるのみ

                            手塚敦史 「数奇な木立ち」




   Epacta ...  歴法の用語。閏余。太陽年と太陰年(12朔望月を1太陰
             年とする)のずれを整数で表したもの。太陽暦に相当する太         陰暦の日付を割り出したり、復活祭の日付の計算に用いられ
             る。うるうのあまり。
              語源のギリシャ語 エパクタイ・ヘーベライは「余所から付   
             け足された日々」のこと。

             (太陽年と太陰年が同時に始まった場合、太陽年が終る時に
             太陰年はすでに次の年の11日目になっている。2年経てば、
             その差は22日に拡がる。このように太陰年が太陽年に比べ
             て基本的に11の倍数によって進みすぎた分を エパクタ、つ
             まり「次の年から付け足された日数」という。)



   
   [史] 解字 会意。  かずをかぞえる棒(→中・籌)と、手(又)とから成り、
              天体の運行を計算して暦をつくる人をいう。転じて、記録
              をつかさどる人。また書いたものをいう。

                               旺文社 「漢和辞典」


  
  「数奇な木立ち」 手塚敦史著  装幀 芦澤泰偉  思潮社  東京  JAPON
二〇〇六年六月十五日 発行






    




 
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