少年のような次なる一歩(〜城戸朱理まで)
竹内敏喜
先日、『論語』や『徒然草』を読み返していて、城戸朱理の好みとは、次のような感覚ではないだろうかと、ふと思った。もちろん、こちらが印象として捉えている詩人の一面にすぎないが、気になった段の内容を要約したうえで、想起したことを簡単に記してみたい。
まず、『論語』の「学而」から。

<子貢「貧乏をしているが卑屈でない、金を持っているが傲慢でない、というのは、いかがでしょうか」。
孔子「良いことだ。しかし、貧乏でありながら楽しむ者、富んでいてしかも礼を好む者には及ばないであろう」。
子貢「詩経に、いやが上にも磨きをかけるという意味の詩がありますが、それはこのことを指すのでしょうか」。
孔子「子貢よ、おまえとこそは詩の話ができる。何となれば、与えられたものから、与えられていないものを、おまえは引き出し得るのだから」。>

 吉川幸次郎の解説によると、このときの孔子の喜びは、詩の本来の意味から少しずらして新しい意味を持たせることが、むしろ詩の真実の理解として称揚されていた慣習に由来するという。換言すれば、当時の詩の本質的な享受とは、実生活における会話の薬味にすることで他者との信頼を深めるきっかけになると同時に、引用という行為によってその詩の一節にあらたな生命を与えること、と考えられていたのだろう。ここでも、相手の本名を呼びかけるという、日常においては過剰な態度からも感じられるように、対話者である子貢が積極的に次なるものへと向上していく姿に、孔子の愛情は強く反応している。それは、等しく「道」を進む者が、互いに情熱を高揚させ合うといった図を想像させるが、そういった輝きを、山内功一郎や石田瑞穂と歓談する城戸朱理に、眺めた記憶がある。
しかしながら、現代詩という分野を見渡したとき、孔子と子貢の関係に似た詩人のつきあいが、現在でも好まれているのかどうか、いささかわかりかねる。どちらかと言えば、趣味を同じくする者と当たり障りなく適度にインターネットで交流するか、一期一会と見極めつつ必ずしも心を開かないまま立ち去るといったケースが多いのではないか。これらは、閉鎖的な精神の、消費行為に近いのかもしれない。孤独が自覚されることと、孤独に向き合うこととは違う。ふたたび孔子の言葉で敷衍するなら、知ることは好きであることより劣り、好きであることは楽しむことに劣る、という判断は、社会生活を肯定する文化へのまなざしとして、個の自覚のうえで進むべき方向を示している。孤独であるがゆえに、知への意志は「知」と「好」の間でゆれ、快楽の活用においては「好」と「楽」の間をさまようのだ。このことは作品の読まれ方にも共通して言えるだろう。
例えば、一を聞いて十を知るための、内なる教養を身につけているにもかかわらず、他者の作品中の捉えきれない細部にこだわるため、一を聞いて一さえ見出せないと全体の解釈を投げ出している場合がなくもない。ここに、テクスト主義とは別の、自信なき享受者という問題をみることは可能だ。あるいは、これまでに成されてきた詩史上の無数の誤読は、その詩をそのまま受けとめるよりも、よりおもしろい何かをみつけているという事実を告げている。もちろん、主流だった「荒地」などの思想に対するアンチテーゼとして、錯覚的に利用された読みは多いだろう。そうであっても、ある詩作品という結果が、共感という信頼の面において、既に不完全であったことは認めるべきである。ここから逆説的に、「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい」(小林秀雄)という常なるものの偉大さを学ぶことができる。そして歴史と対峙することは、自己への配慮に通じると知るべきだ。

 <資朝卿が、東寺の門で雨宿りしておられたとき、辺りに不具者が集まっていた。どこもここも奇妙な格好をしているのを見て、それぞれ類もない変わり者だ、大変な見ものだと、じっと見つめておられるうちに、じきにおもしろみもなくなって、醜く気味の悪いものと感じられてきた。やはり普通の格好をしているものに優るものはないと思われたのか、帰られてから、好んで集められていた曲がりくねった植木を、掘り取って棄てておしまいになったそうだ。>

 これは『徒然草』の「第百五十四段」の要約だが、このような題材を取り上げる作者の精神の健全さは、憑かれたままの者には近すぎてわからず、憑かれたことのない者には遠すぎてわからない。それは、精神の幼稚さと、形式主義に染まった魂を連想させる。いずれも、自分から何を捨て去っていいのか知らないということであり、価値あるものに気づいても、価値の大きさが感じられないのである。それにしても、孔子の時代のような詩の楽しみ方は、より成熟した共同体がなくてはならないし、ましてや兼好における呼吸のような美意識を身につけるのは、至難の業だ。
現在、詩を「読む」とは、何を目指している行為なのだろう。一般に、使用する単語が詩人に自覚されるほどに、意味的な面での未知が失われ、文章がしだいに散文化する必然があり、それを洗練と呼ぶにしても、より未知なるものを求めるのが詩人だと考えられる。未知との出会いのきっかけとしては、例えば鑑賞者としての自己の本性の把握が、重要なものに挙げられよう。そこで、音楽の演奏を聴く鑑賞者は、音楽に対して受動的な状態だが、とらわれない受動性において音が「指揮者」となり、鑑賞者の内なる固有の「楽譜」を演奏して感情を高揚させると、仮定してみたい。それは自由とも呼べる感覚であり、他者へと伝染する雰囲気だ。しかし鑑賞者であっても、作品に対して意味的に能動性を発揮すれば、言葉による批評家の位置についたと考えられ、さらには、その批評家の作品評についても、能動的になれる「読者(=他者)」が現れる。こういった関係性をふまえれば、「外部」とは批評行為のつらなる位置のことであり、その位置を擬人化したような「他者たち」が、主体にとって不可知でありつづけるのは当然だ。これらは一種の記号的正確さへの試みであろう。むしろ自己の内面の未知にふれて喜ぶ「少年」のような感覚に、表現行為の最前線があると判断すべきではないか。一種の眠っていた本能を、今、目覚めさせるということ。そのときにこそ、批評における一般性としての「意味の比率」の修正が問われており、つまりは美意識の世代的断絶の現実に直面していると理解すべきかもしれない。
そういった変化について思うとき、城戸朱理は実に状況をうまく判断するだけでなく、前人未到の道筋を、さりげなく表現している。

 <詩の外部とは何なのか。いったい、何を言おうとしているのか。できるかぎり得体の知れぬものとして保存される外部は、詩に対して、なぜ、ありうべき理想郷のように語られねばならないのか。(中略)宇宙は、その光速に達する地点を境界として球状に閉じる。その外側には、何もない。アインシュタインは、かつて、そのように語ったことがある。その外には、何もない。なぜ、そのていどの発言をする者が、ひとりも現れないのか。>

 <ある抽象化された主知的な思考や、感触という実感から始まる日常的な言表、そういったものが今やどこにも届いていかないという実感がある。近代文学の両輪としてのアナロジーとアイロニーもそうなんですよ。それだけではもうどこにも届かない。たとえば書き手のある欲望があったとして、欲望のヴィジョンのアナロジーとアレゴリーを見せられても、アイロニーを展開されても、そこに見えるのは欲望が立脚しているヴィジョンのヴァリエーションであって、ヴィジョンそのものではない。(中略)「喩」というのはそのまま読めば「たとえ」なわけで、そのものではない。そのものでないものには、もう立脚できない。それはもう詩ではない。>

引用は城戸朱理の言葉で、一九八九年の論考「ノーマン、ノーマン」と、二〇〇三年の「現代詩手帖」での発言である。時代の欲望を見据えるだけでなく、時代に見据えられている自己を見据えている言葉だと言える。ここに、現代詩をめぐっての新しさを求める必要はない。そうではなく、自分の現在をみつめるうえで、知らずに目にこびりついた膜に気づかせてくれる言葉だと知れば良い。「たとえ」ではない「そのものであること」とは、少年のような次なる一歩を見出すという、まさにそのことなのだ。おそらく西脇やパウンドから詩を学ぶとは、こういった生きた原点にたどり着くことだったと思われる。
その心を刻んだ詩句として、最後に、城戸朱理の第一詩集『召喚』から「海豚の海」の末尾を挙げておきたい。

少年は何も見なかった
少年は何も見なかった(と思う)
しかし ひとびとよ
これは「過去」のことではない


・付記  城戸朱理の詩を読み込むには、いくつもの準備が必要だと感じたため、この度の機会は、恣意的な印象批評に徹しました。
 
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