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ja
Poems list
2024-03-29T11:15:51+09:00
-
ぼんやりと生きてしまった
そのぼんやりが
いつしか人生になってしまった
いつだって間違ってきたし
正解などわからないまま
年老いて来てしまったが
正解ばかりを選べる人生など
存在すらも疑わしい
この日付に とおい春に起こった悲劇を思い
それにあらためて頭を垂れていると
こんな季節に何をしているんだという気持ちになってくる
そしてあらためて 人生をすることの思惟や
苦しさや淋しさが 表面に浮かび上がってくる
死なないためだけの人生を
あまりにも長く生きすぎた
これからはきちんと人生をしなければ
そう思い まだ残る寒さに
頑なになって開こうしないでいる花の蕾を
ぼんやりと見上げる
{引用=*妹の死から二〇年目に起こった失敗に際して}
(二〇二四年三月) ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=382439
自由詩
2024-03-26T03:41:42+09:00
-
まだ寒いのに
もう立ってしまうのか
立って 先に
行こうとするのか
その後ろ姿を見つめて
僕たちは
ずっと後から
暖かくなろうとするのだが
まだ寒いのだ
もうこんなに時が経つのに
立ち上がって 行くには
気温が足りないのに
行ってしまった後ろ姿を
とりあえず
追いかけるしかないから
僕たちも立ち上がる
*
立春と言う
春が立つとは どういうことか
草が 花が 地から伸びて
立ち上がる
そのことで
春の訪れを示す
だから 春は立つのか
逆に
春は落ちる
ということはないか
春の 謀られた
手のなかに落ちて
その甘い暖かさの陶酔とともに
すべてをなしくずしに
してしまうような――
光は揺れながら落ちてきて
春を立たせて
そのなかで人は
暖かい眠りのなかに落ちて
{引用=*連作詩集『自由落下』拾遺}
(2020年2月~2021年6月) ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=382094
自由詩
2024-03-07T18:10:48+09:00
-
のなかからふらふらと彷徨い出て来た。そいつはゆら
ゆらと漂うように移動して、道行く人たちをとおくを
見るようなぼんやりとした眼差しで見たり、空を見上
げて、実際にその奥にあるとおいものを見通そうとし
てみたり、いつまでも一つところに留まってじっと考
えこむように黙りこんでいたりした。詩を書くこころ
のそんな様子を、僕は子を見守る親のような気持で不
安げに見ていた。それは曲がりなりにも僕のこころで
あるため、人から変な目で見られてしまう。詩を書く
ことは変なのだ。その変なことを、一人黙々とつづけ
てきたゆえに、僕のなかから詩を書くこころだけが、
いつしか彷徨い出るようになってしまった。今日は冬
の乾いた小春日和で、いかにも詩を書くのにうってつ
けの日だ。詩と冬は親和性が高い。だからなのか、今
日の詩を書くこころはどこかうきうきと嬉しそうに見
える。僕はそれを見守って、それでもまだどこか不安
な気持ちでいた。害はないとは言え、詩が変なもので
あるのに変わりはない。頼むから人に迷惑をかけるな
よ。そう思ううちに、詩を書くこころは一通り遊び終
ったのか、にこにこしながら僕の元に帰ってきた。お
帰り。これから家に戻って一緒に詩を書こう。詩を書
くこころはうなずいて、僕の胸に飛びこんできた。冬
の風にさらされたためか、詩を書くこころは少し冷た
くなっていた。これからこいつを家で温めてやらなけ
ればならないな。僕は微笑み、詩を書くこころと二人
で家路へ急いだ。その時ようやく日が翳り、僕たちの
背後で夕闇が落ち始めた。人々がざわめき出した――
(二〇二三年十二月) ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=381749
自由詩
2024-02-15T15:30:17+09:00
-
この心に寄り添っておとなしくしていた霊が
ゆっくりと時の隙間にすべりこんできて
顔なじみの友人のように
この肩の向こうから微笑みかけてくる
それからは いつも通りだ
神をも恐れぬ態度で
この明け方に揃った事物たちを睥睨し
この時間だからこそ赦されたひそやかさで
窓枠をそっとふるわせて
この内と外の
気温の差を確かめては
この心を使ったつぶやきを
息とともに周囲に拡げる 準備を始める
詩が
歌のようなものが
空気のなかに滲み出してゆく
(2021年3月23日~25日) ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=381450
自由詩
2024-01-29T00:21:58+09:00
-
誰もがどこかに向かって急いでいるが
なぜ急いでいるのか
その本質の答にたどりつく者はなく
ただそうであるからという
日常のために急いでいる
気の重くなるような義務と
預かった覚えのない責任
それらのために ゆっくりと
だが確実に気がふれてゆきながら
それでも この朝の爽やかさを呼吸する
そして噎せる
肉体の喉ではなく
魂が噎せてしまう
かたちにならなかった言葉が
舌の上で転がり始め
まだ残る昨日の夜の暗さと
これから確実に来るだろう
今日の新たな夜の芽を思い
文明以前の太古の朝も
このようなどうしようもなさを含んでいたのだろうかと思う
そして こんな朝を繰り返しながら
徐々に滅びてゆく人の未来を 幻のように見据える
(二〇二三年十月) ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=381223
自由詩
2024-01-14T17:24:51+09:00
-
葉がふと 落ちる
はな れ て
ゆく
おとなしい
終りが
始まる
それにそなえて
私を 消す
2
浮き出た血管のように
夜を
青い星がはしる
――ながれぼし、って、いうんだよ。
子供の頃に教えられた
その本当の姿は誰にも見られることはなく
地上で騒がれるだけで
願いはいっしゅんのうちに数えられては
よりわけられてしまう
すべては知らぬ間
さだめられた星が落ちる
見たという事実さえあやふやな
そのまばたきの間に
3
重力に惹かれて
描く直線
詩の長い一行のようだ
長いながい 落下のようだ
4
それでも
消すに消せない
老いへと向かうこの身の
うす汚さ
それもまた
一つの自由であるか
私はゆっくりと
落ちてゆく
その途上にある
見えるのは 地
それとは反対に
ふわりと飛び立つものがあって
あ、
重力
5
たがいに引かれ合う力
私には そのような
人もないから
物憂さへと
たがいに引かれて
落ちてゆく
恋人たちが
たがいに引かれて
落下し合うように
6
誰もがおとなしい
おとなしくなければ
生きてはいけない
そのそばで騒がしく
なにかを予告するように
喚き立てる者がいて
人々は
なにかが落ちてくるのを
予感のように じっと
待ちかまえていて
7
落ちてゆくことは
浮き上がることに似ていると
誰かが言った
いま いくつもの枯葉が
落ちながら
中空で止まって
浮き上がるように
漂っている
その様子はまるで
一枚の絵のように
8
生まれ落ちてしまったと
どこかで赤子が泣いている
こんな世の中に
どうして落ちてしまったのかと
いいんだ
そのままでいい
落ちてしまったら
もうその先はないから
生まれ落ちたのこの世で
這いずるように生きていけ
それを覚えるまでは
ひたすらに泣け
9
落ちることは
すべてのはじまり
記憶のなかに
なにかが落ちて来て
それから私たちは
生の一歩を歩みはじめる
飛び立つためには
まずは落ちなければ
10
落ちた後の枯葉を
拾い集める人がいる
落ちた後にこそ
傾けられる思いがある
(二〇一七年二月~八月) ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=379678
自由詩
2023-10-08T18:49:25+09:00
-
ただ黙って
いくつもの小さな星が
その欠片たちが 降って来る
そうして星が降ると
僕等の心に穴が穿たれる
僕等は飛び立てない剥製の鳥
翼のかたちをしただけの ただの観念
その観念に穴が開き
僕等はますます空を憧れるだけのものとなる
そうして僕等が沈黙のなかにある時も
空の向こうのどこか別の闇には
いくつもの星が降り注ぎ
そこの人たちの魂に その痕を残している
今夜の宇宙は雨模様
むすうの流星が
その記憶とともに降り注ぎ
僕等はそれぞれに
顕在意識の傘でそれらの雨を防ぐ
流星雨の記憶と観念に濡れる時
僕等の夢のなかに来るものは
僕等の眠りを脅かして
結果として僕等の
昼を縛りつけるものは何か
ただ宇宙から降り注ぐいくつもの小さな星の
その絵だけが美しく
ただの抒情として
僕等のそれぞれの夜を彩ってゆく
(二〇二二年十二月) ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=377533
自由詩
2023-05-28T20:27:53+09:00
-
あなたの真実を教えてくれ
そう言って ここにいるあなたに話しかける
だが あなたは無言で悲しそうに首をふるだけだ
きっとあなたには真実がないか
あっても 私のそれとは異なる種類のものなのだろう
それを悟って 私も
悲しい気持ちになってしまった
しまいには 私とあなたと二人で悲しみに沈み
泣きながら
互いの真実の遠さに絶望して
それぞれの心を愛撫して
そのまま二人で夜を超えていった
{引用=
(注)1~2行目はイギリス、ウェールズのロックバンド、
マニック・ストリート・プリーチャーズのアルバム
「This Is My Truth Tell Me Yours」から
}
(二〇二二年八月) ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=377209
自由詩
2023-05-10T14:55:18+09:00
-
そう思って心配して
夜も眠れない男がいた
周りの人々は男に対してそんなことはない
それは杞憂に過ぎないと言うのだが
男は相も変らず空から何かがと言って脅えるばかりだった
一年が経ち二年が経ち十年が経った
男が脅える何かはいっこうに落ちて来る気配がなかった
それでも男は空から何かがと言うばかりだった
その間も眠れずにいた男は そのために
通常よりもひどく年老いてしまい
夢を忘れたために生活もままならなくなっていった
やがて雨や雪や自殺者や桜の花びらばかりが
落ちて来るだけでそれ以外の何かが落ちて来ることもないまま
男は死に 永遠の叶わない夢のなかに落ちていった
人々はそんなふうに空から落ちて来るもののことを
脅えて過ごした男がいたことなど忘れてしまい
日々落ちて来る雨や雪や自殺者や桜の花びらをよけるのに懸命だった
私は待っている
私自身がこの星の重力に負けて 落ちてゆくのを
私は恐ろしい それゆえ
私の存在に脅えた男がかつていたのも当然のこと
もうすぐだ もうすぐ私は落ちて
この地にどんな人も体験したことのない災厄をもたらす
(二〇二二年八月) ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=376145
自由詩
2023-03-12T22:14:37+09:00
-
誰も見たことのない鳥の雛が巣のなかで育ち
その間も周囲は ぐるぐると回り
ぐわんぐわんと流れては 変化しつづけていた
いつの間にか光は強さを増していて
花は咲こうとしていた
誰か先人の靴の痕が道のうえに記され
そのうえを踏むだけで
すべてから認められているような真昼
人生は遠出の旅のようだとつぶやく
いったい誰なのだろう
この何も知らない幼さに道を尋ねる者は
(二〇二二年十二月) ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=375672
自由詩
2023-02-13T02:53:23+09:00
-
(佐藤よしみ歌集『風のうた』より)}
これからここで
生きてゆくのだと
なんとなく思わされた幼い頃
そもそも自分がどこから来たのか
どこに向かっているのかもわからないまま
気づけばここに
見知らぬ地にあった
知らない地をふるさとと
知らない血を一族と
見做して生きる納得のなか
僕たちの魂はあるのに
この星では誰も
そのことへの説明をしてくれる気配はない
ただ風が吹き
そのそよぎに体がふるえ
そのなかにある心でさえもいっしゅんふるえて
それから ここが
変らずにここであるということを
思い知るのだ
ここがふるさとなのだろうか
いまだ そうとまどいながら
風がやってくる天の先を見つめても
そこには何もないのだが
(二〇二〇年十二月) ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=375576
自由詩
2023-02-08T01:43:54+09:00
-
きていて、何だろうと思って拾って見てみると、それ
は一個の思想だった。そいつは手のなかでいきなりよ
くわからないことを喚き出したので、びっくりして思
わず放り出してしまった。すると思想はごろごろと転
がり、跳ねるように移動していった。そしてまた新た
な人の手のなかに収まると、同じようによくわからな
い異星の言語のようなことを怒ったように喚き出す。
そんな言葉を理解出来る人間など誰もいない。それで
もかまわず、思想は転がって飛び跳ねて、道行く人々
に向かって懲りずに喚きつづけるのだ。その様子を眺
めて、理解の追いつかない頭で思想というものについ
て考えてみた。それは四角くてどこでもないものだ。
サイコロのように四角く切り刻まれた、融通の利かな
い肉片。そして自らの正しさだけを信じて他の考えを
受け入れられないから、どこにも行けない。それが思
想というものの悲しい現実なのだろう。そんなふうに
考えていると、思想はこちらの心を見透かしたかのよ
うに、いきなり罵倒の言葉を連続で喚き始めた。私は
多少の憐れみの気持ちで思想を見つめた。もうおまえ
の居場所はないんだよ、人々はもっとふわふわした、
漂う空気のような曖昧さを必要としているんだ。おま
えじゃない。おまえみたいな硬いものじゃないんだ。
どうせ誰からも見限られ、どこにも行けないのなら、
私が死なせてあげよう。私はなおも喚き罵倒しつづけ
る思想を、手のなかでゆっくりと握り潰していった。
(二〇二一年十二月) ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=375379
自由詩
2023-01-26T23:35:22+09:00
-
詩を書くようになって、自分を詩を書く人間であると自覚するようになってから、このような思いを抱くようになった。その僕の中に住み着いて成長していた奇妙な感覚とは、平たく言えば異和であり、世界全体への馴染めなさである。そのような感覚から僕の詩は出発し、いまもその感覚を頼りに詩を書いている。世界に馴染めない僕が、それでも世界の中で生きていかなければならないというのは、酷なことではあった。だが、僕も世界の中に放りこまれた一人の人として見做されているからには、世界に馴染めないなどと言っている場合ではなく、あらかじめ用意された世界という場所でそのどこかにあるだろう椅子に座っていなければならないのだ。それが生きるということであり、それが出来なければ死ぬしかないということになってくる。だが、それでも消えない異和の中で僕が編み出したのが詩を書くということであって、それはおそらく自分でも意識しないうちにぎりぎりの方法として編み出されたものに違いない。世界に馴染めないのならば、自分の中に詩という世界を作ればいい。そんな寸法だ。そうして僕は、馴染めない世界の中で詩を書く者として存在するようになった。
だが、そうして詩を書くことで生きながら、僕の中にある奇妙な感覚は消えはしなかった。いや、詩を書くことがその奇妙な感覚への答合わせになってしまった感もあり、それゆえにか、その感覚は強まるばかりであった。幼い頃から感じていたもやもやしたものが明確になったために、それに自覚的になってしまったと言っていい。詩を書くことで「詩人」として存在するようにはなったが、「詩人」とはそれは「人間」とはまた違った存在様式のようにも思えた。何か人間のふりをして過ごしながら本当は詩人なんだと、周囲を騙しているような感覚にもなったのだ。谷川俊太郎の有名な詩句を改変して言うならば、
本当の事を言おうか
人間のふりはしてるが
私は人間ではない
そう言ってしまいたい気分であった(谷川俊太郎「鳥羽1」より、「詩人」と書かれた部分を「人間」に改変して引用した)。こういうことを言うと同じような詩の書き手の中からも反感の意見が出るかもしれないと承知はしていてあえて言うのだが、実は詩人は人間ではないのではないだろうか。文字通り人と人の間に存在するのが「人間」というものであるのなら、詩人はそうした規範から外れてしまっている。詩人自身の存在基盤は実は人との間、言い換えるなら世界の内側でダイナミックに動く運動体の中にあるのではなく、人々を、また世界を、外側から眺めるような場所にあるからだ。世界が動き、人々が大勢集まって織り成す綾模様を、その中に入りこむのではなく外側から眺めて観察する視点がなければ、到底詩人など務まらない。そのような局外者的な立場に自らを置くということは、いわゆる人間的な、一般の世間的な幸福というものには当てはまらない姿勢がある。そうでなければ「世界を凍らせる」(吉本隆明の詩句より)詩など書けはしないだろう。
ところで、以前見た演劇にこんな場面があった。それは舞台役者たちの劇の裏側を描いた自己言及的およびメタ的な視点のある劇なのだが、そのラストシーンで、主人公である劇団を率いる座長が街中で自分と同年配ぐらいの男を見て、その美しい妻や健康な子供を連れてリムジンに乗ったいかにも幸福そうな様子にこんなことを言う。「確かに羨ましいよ。でもな、あいつ舞台に立てないんだぜ」と(二〇一八年十二月五日~九日、築地ブディストホールにおいて上演された『スポットライト』より。主演・石橋正次)。これは果たして羨望ゆえの強がりであろうか。いや、決してそうではないだろう。劇団の役者など一般のサラリーマンに比べたら経済的にはずっと下層の部類に属することはよく知られている。確かに生活面での困窮を味わいはするだろう。だが、そうではなく、この台詞には舞台役者としての矜持のようなものがこめられているのだ。普通ではありえないであろう舞台に立つという経験ゆえに味わえるもの、それに魅せられているからこその台詞であることは間違いない。推奨された世間的な幸福を享受するのではなく、大して金が稼げるわけでもない、しかしそれゆえにか逆に普通の人間では味わうことがない特別なものを持ちうることの方を選ぶ。詩人というものも、これと似たようなところがありはしないだろうか。その劇の中でも登場人物たちが自分はなぜこんなことをしているのかと疑問を持ちながらも役者として舞台に立つことを肯定的に捉えているが、詩を書くという行為もそうで、詩で金を儲けるなど覚束ないし、大して人や社会の役に立つとも思えない、いわば実務的ではない行為であり、そんなことをそれでもつづけているのは、その中に普通に社会生活を送っているだけでは味わうことの出来ない特別な何かを見出して、それに魅せられているからに違いないのだ。
だが、おそらく、そのような感覚が強ければ強いほど、その特別なことをしている者はますます一般的な「人間」から遠ざかってしまわざるをえないだろう。一般的な社会はそのような特別な何かを自らのうちに勘定していないからだ。それにのめりこみ、そこにしか自らを賭ける場所はないと思えば思うほど、その者はそれに特化した存在となってしまう。そのことが悲劇であるのかはたまた喜劇に過ぎないのであるかはひとまず措くとして、問題はやはりそうなってしまった自分自身をよく見つめることだろう。それは明らかに人間ではない。舞台役者は舞台役者であって人間ではないし、詩人は詩人であって人間ではないのだ。だが、そう言ったとて人間であることから生じる様々な義務や葛藤や面倒事から免除されるわけでもない。特別なことをしていたとて、それも結局は世界の枠組みの中で成される他ないのだから、特別なことをする者であると同時に、やはり人間なのだ。つまり、詩人でありながら人間でもある。または、舞台役者でありながら人間でもある。そのような存在様式が課せられている。もっとも、その人間である部分は他の普通の人々よりもかなり薄められてはいるのだが、社会や世界や世間というものは詩人や舞台役者などという特別なことをする者を想定していないから、彼等が他の人間と同じ見た目をしている以上は同じ人間として数えてしまうことになる。それは特別なことをする者の世界に馴染めない心理などに配慮はしてくれないのだ。つまりは、詩人の側から見ればまず詩人であり次に人間であるということになるが、世界の側から見ればただの人間であるという認識のずれが生じてしまう。しかしながら、やはり自らの生を生きるのが自分自身以外にいない以上、詩人でありながら人間であるという自分の視点から見るのが中心になってしまわざるをえない。そうであるにも関わらず、世間や社会や世界の代表者面をした他の人々は、こちらをただの人間であるとしか見てくれないのだ。
これは何も僕に限ったことでもなく、また詩人に限ったことでもない。例に挙げて説明したようにいくらでもそのようなことはありうるし、自分で普通の人間であると思っている人であってもそのような状況を体験してしまう可能性は大いにありうることだ。だから、ただの人間ではないということを孤独に思い悩む必要などない。しかし、ここで確認しておきたいのは、最初に「人間ではない」と書いたものの、それは結局「ただの人間ではない」という方向へとスライドしてきているということだ。詩人だって人間である。それは正しい。しかしながらそれは詩人だって普通の人間だということを意味しない。最初の「人間ではない」という言い方だけだとともすれば自己憐憫の暗い方向に傾くことになりがちではあるが、「ただの人間ではない」という言い方だと、その後に「しかし」という留保をつけざるをえないだろう。「ただの人間ではない。しかし」という微妙な割り切れなさが残るのだ。この言い方の違いを考慮するならば、詩人だって普通の人間だということにはならないだろう。そのような言い方は、詩人(または先の舞台役者でもいい。そのような特別なことをしている存在)を普通の人間から引き離して高みに置くことで生じる傲慢な心理を警戒するという意図がこめられている。それは充分わかるのだが、詩人だって普通の人間だと言い切ってしまったら、特別なことをしている者ゆえの苦悩が充分表現されていないという感じがしてしまうように思う。おまえも普通の人間だよと言ったところで、世界に対して異和を感じて馴染めないでいる者の気持ちが救われるわけではないのだ。そうすると大事なのはやはり「ただの人間ではない。しかし」というその先の部分だろう。この表現しきれないもやもやとした混沌。そこにこそ特別な何かをしている者の、「ただの人間ではない」者の、見えない可能性が含まれていると考えるべきだ。そこにはいくばくかの矜持もあれば多くの挫折や癒されない傷もあるだろう。問題は複雑で先送りにされたままであるだろうが、せめて世界に対して「でもな、あいつ詩が書けないんだぜ」と言えるような気持ちがあっていい。おそらくそのようなぼろぼろの誇りの中からしか、「ただの人間ではない」者のいまだ見えない未来は開けてこないだろうからだ。
(二〇一八年十二月) ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=375205
散文(批評随筆小説等)
2023-01-16T09:51:22+09:00
-
地には数えられる狂気が降り注ぎ
人々はただ逃げ惑う
自らの正気を最後まで信じて
世界と自らのなかにある狂気から
目をそらそうとする
月が壊れる日
女の血は平穏となり
人は狼になどなることもなく
波はひたすら穏やかとなる
映すべき光を失った鏡は
その場で何の変哲もないものとなる
月が壊れる日
宇宙の観念と思惟は平板となり
人々はその重さの六分の一を失う
地球は愛すべき妹を失い
危うい平衡は転げ落ちて
ひたすら洪水のように泣くばかり
月が壊れる日
その空間に占めていた
不似合いなほどの大きさに人々はとまどい
あとには月を源としていた狂気が
その抒情だけが漂うが
人々はもはやそこから新しい歌を連れ出すことも出来ない
(二〇二二年十二月) ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374957
自由詩
2023-01-02T02:23:22+09:00
-
私がどれだけの歳月を過ごしてきたのか
誰も知らないのと同じく――
誰も知らないままで時は流れて後方に追いやられ
私は体験を繰り返して石は記憶を溜めこむ
その無言の静かな硬さと頑なさ
それゆえの重さを思え
石も私も知られることのない孤独のなかで
ただ在りつづけることに耐えているのだ
(二〇二一年二月) ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374691
自由詩
2022-12-18T00:23:01+09:00
-
二〇〇七年に「淋しい解放」という詩を書いた。「kader0d」という詩誌にゲスト参加の形で寄稿させてもらい、後に詩集『生の拾遺』(二〇一二年・七月堂)に収録した詩だ。書いた当初はなかなか自信が持てなかったが、ありがたいことに様々な人から高評価をいただき、いまでも自分でも気に入っている詩の一つとなっている。そこでは枯葉が枝から離れて落ちてゆくさまを「ゆるされて/きりはなされた」と言い、また「おちてゆく自由」とも言い表した。「季節はしだいに/淋しいほうへと向かって」ゆきながら「寒さを/早めさせ」てゆく。そして枯葉は集められて「焼かれてのぼって」ゆく。まるで恩寵のように。そしてまた、もう一つの解放のように。
この詩のきっかけはジョン・メレンキャンプというアメリカのロックシンガーのアルバム「The Lonesome Jubilee」にある。若年期から中年期へと至る人の心の揺れを丁寧に追ったこのアルバムの歌詞世界は示唆的であるが、アルバムタイトルにある「jubilee」という言葉が僕の中で引っかかっていた。辞書を引くと様々な意味が出て来るが、そのうちに「カトリックで言う大赦の年」というものがある。つまりは特別に罪を赦されるということだ。この言葉がきっかけとなって、「赦し=解放される」というふうな思いつきからこの詩は生まれた。言ってしまえば。「淋しい解放」という表題は「The Lonesome Jubilee」というアルバムタイトルを自分なりに日本語に置き換えたものでもあったのだ。このような思いつきから枯葉が枝から離れてゆくことを赦しととらえ、そこに「おちてゆく自由」があるのだろうとも考えたわけだ。
内幕がどうあれ、この詩を書いてから何となく僕の中で「解放」だとか「赦し」といったテーマが定着していった。人が何かから離れる時、そこにはある種の「解放」があり、その中には「赦し」も含まれているのではないか。そう考えるようになった。人は常に様々なものに縛られて生きている。それは人が社会的生物である以上、ある程度は仕方がないことであるが、時にそれらから離れて解放され、自由を味わってみたくなることもある。だが、自由には常に責任がともなうし、たった一人で自らを背負いこんでいかねばならないということでもある。そのような責任の重さがあるゆえに、自らすすんで何かに縛られに行くのも、また人の姿でもあるだろう。しかしながら僕が魅かれたのは解放された瞬間の淋しさと、同時に起こる心地良さの感覚であった。そのことをもう少し詳しく見ていこう。
先ほども言ったように、人は常に何かに縛られて生きている。換言してしまうならば、自らを縛るその大元が人を規定しているのだ。仕事に縛られるならば仕事は人を労働者として規定するし、交際している異性に縛られるならば人は恋人として規定される。そのようにして人を縛るものは人を自らの性質によって規定しようとする性質を持つ。だが、疑問なのだが、その人そのままの状態で社会は人を見てはくれないものか。よく子供の頃に「大きくなったら何になりたいですか」という設問がある。それに対して子供たちは何の疑問もなく、男の子であれば野球選手になりたいとか、女の子であればお花屋さんになりたいとか言うのだが、それは自らを規定する元を子供の頃から意識させるということに他ならない。誰も「大きくなったら自分自身になりたい」などとは言わない。自分自身のままでは社会は人を認めてはくれないからだ。だが、ここに社会というものの大きな落とし穴が潜んでいる。何かが人を規定するということは、言い換えれば人を本来の性質から離れさせて自らの性質の中に取りこんでは歪めさせるということでもある。夫婦は夫として妻としての役割を互いに求めるし、会社は仕事をする役割を従業員に求める。それはその人本来の性質からすれば多少なりとも歪んだものである。だから、人が何かに縛られている以上、それはその人本来の姿ではなくどこか歪められた姿になってしまわざるをえない。それが果たして自然な姿であろうかというのは大きな疑問だ。
だから一足飛びに結論を言ってしまうならば、そのような自らを規定するものたちから離れて出来うる限りその人自身でいることが、それぞれに求められている。そうすることが自らの歪みを、ひいては社会全体の歪みを正すことにもつながるのではないかという希望を、僕は持ちたいと思っているのだ。それが困難なことであるのは重々承知の上だ。
もちろん自らを規定するものとはすなわち、自らに安定をもたらすものでもある。人は外から規定されて縛られることによって一種の安定を得る。そうすることで初めて「生活」というものが可能になるだろう。そんなことはわかっている。わかった上であえてそれからの解放を求めているのだ。規定され縛られるということは、あたかも罪によって裁かれ罰せられ服役しているかのようだ。だが、我々は誰も自分が何らかの罪を犯した記憶を持たない。そんな覚えはない。それなのに何かに従属し何かに縛られて、不自由さを感じている。まるで人としてこの世に生まれ落ちたこと自体が罪であるかのごとくだ。我々はそのような原罪めいたものに否をつきつける必要が、時にありはしないだろうか。少なくとも、そのような可能性について少しは考えてみてもいいように思うのだ。
だから、我々は「解放」を必要とする。枯葉が枝から離れて落ちるように、樹木の一部としてではなくただ一枚の枯葉として落ちる自由があってもよい。そうやって落ちて、地表に力なく横たわる時、その瞬間の淋しさと同時に味わう奇妙な快楽。すべての自らを規定し縛ろうとするものから離れてただの自分自身であること。そのような境涯にあっては、もはや何をしても、何もしなくても、いいのだ。それはある種の恩赦。人であることの罪から逃れられる永遠なる一瞬。我々はすべてから赦され、すべてを赦せる境地に立つ。我々はただ一枚の枯葉として落ちながら上ってゆく。そこでは孤独でさえもどこか心地良いのだ。
(二〇二〇年六月) ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374638
散文(批評随筆小説等)
2022-12-15T01:20:46+09:00
-
{引用=寄せてくる
返ってゆく
そのはざまにすべてがあって
あるいは
そこに何も見つけられなくて
寄せてくる
返ってゆく
その現象だけが
いちまいの絵のように
無言で眺められていて}
波 2
{引用=ここにあり
あそこにもある
やがて洗われる足下にも
海の向こうで
心臓の鼓動のようにその律動の
みなもとにもある
また ここにはなく
そこにもない
離れたあらゆる場所に
同時にあって
またないもの
ありながら
ない という
その不可思議さのなかにこそあるもの}
波 3
{引用=どうにか届こうと
あの丘のうえに立つ一本の木の
根元にまで届きたいという一心で
波はその指先を延ばす
だが 届かない
海の一部である波は
あんな高い地の奥深くまで
届くはずもない
そして波は知っているのだ
自らの指先があの木まで届くのは
それは大きな天変地異の時
人々がそれによって
悲しんでしまう時だということを
だから波は
届きたいと願いながらも
その思いを海の底に封じて
いつも通りの
穏やかな波のふりをするのだ}
波 4
{引用=いったいこれまでにどれだけの量のおまえたちを
さらっていったのか
砂よ
この地にありながら
さらさらと
頼りないものよ
おまえたちをさらって
海の水に溶かして
海の底の
無意識の夢のようなところまで連れてきたのは
それを日々飽きもせず繰り返してきたのは
まぎれもない私だった
この地の一部を少しずつ
こそげ落とすように
削り取ってきたその行為は
私のためでもなければ
ましてや砂よ
おまえたちのためでもなかった
それはただの自然の摂理
私が波であり
おまえたちがその頼りなさゆえにさらわれやすい
砂であるからというに過ぎない
こうしておまえたちをさらって削り取ることで
一つの小さな国土が縮小してゆくが
それは私の知ったことではない
人はなおも私がさらった上から
新たな砂を付け足して恥じようとしないが
それがどうしたというのだろう
私は一億の昔からそうしてきたように
人の手が加わったこれらの砂も
変わらずに日々さらって
削り取ってゆくだけだ}
波 5
{引用=私はとおい
どこか誰も知らない海で
誰も訪れたことのない渚に
海の水を届けるだけの存在
それが私
この世の果てのようなそんな場所で
私は寄せていっては
返ってゆくだけであり
私のことを知る人など一人もいないのと同じく
私は人々の織り成すこの世の出来事のことなど
まるで知らない
それは とおいとおい場所の出来事
私はとおい
ただとおいだけの波
浅い眠りのなかで
人々は私の声を聞いた
どこか引きずり
啜り泣くような
私の 歌のような声を}
波 6
{引用=寄せてくる
返ってゆく
その性質のなかで波は
すべてでありながら
なにものでもなかった
その虚しさとともに波はただ
寄せてゆき
返ってゆく
それだけを飽きもせず
繰り返してきたのだった
時にそれは大きな怒りのような高まりとなって
人の家や暮らしを また
人そのものを
飲みこむこともあったが
次の朝には何事もなかったように
また穏やかな顔をしているのだった
寄せてくる
返ってゆく
その律動のなかに
すべてのいのちも
いのちでないものもあって
それらはすべて波とともに
その塩の味とともに
あるだけなのだった}
(二〇二二年十一月) ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374327
自由詩
2022-11-27T00:00:15+09:00
-
その夢のなかにどこかとおくの
海の波の ざわめきが入りこんでくる
未来への何かの予兆か
遂げられなかった過去の思いへの悔恨か
そのざわめきはこの脳を支配して
永劫つづくかに思えてくる
そのため 眠りは浅いままで固定されてしまい
疲労は回復しないまま朝を迎えることになる
その海がどこにあるのか
私は知らない
それとも それはどこにもない
ただの幻の海であろうか
私は私自身の心の臨界点までじっと待つ
そして いつも通りの浅い眠りのなかで
高まった波にさらわれ
海の底に沈んでゆく自らを
黙示のように予見するのだ
(二〇二二年十一月) ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374183
自由詩
2022-11-19T16:13:54+09:00
-
そう、この怠惰な時間というのがポイントで、僕は家族のすべてを失って一人になったことで、生来の怠け癖がまたぞろ頭をもたげてきたようなところがある。一人消え二人消え、最後の一人が消えて残されたのは、どうしようもない怠惰だったわけで、これはちょっと笑えない話のような気もする。なんとも詩人らしい話じゃないかという感じがしないでもないが、冗談を言っている場合ではない。僕は精神的には元から孤独であって、そのために誰かから何かを教わるとか、人生において人々の波の中で揉まれることで生きるすべを学ぶというような、普通の人が採りうる道を歩んでこなかった。ということは、何も知らない子供のような状態のままだということであり、そんな僕が精神だけでなく物理的にも本格的に孤独に陥ってしまったらどうなるか。答は火を見るより明らかであろう。
つまり、僕は生き方というものをほぼ知らないまま大人になり、家族をすべて失ったことで後ろ盾になるような者もなくし、生き方を知らないままこの世に放り出されたということになるのだ。こんな僕がこれからどうやって生きていけば良いのか、訪れた怠惰の中で僕は考えた。いや、感じたと言った方が良いだろう。いったいどうしようと多少の焦りの気持ちとともにあると言えば、僕の心的現実に近い(完全にその通りだというわけではないが)。母が亡くなった翌日、母の遺体を葬儀屋に安置したまま葬儀についての話し合いを済ませた帰り道、秋口にさしかかった季節ということもあって、大量の蜻蛉が飛んでいるのに出くわした、家に戻った僕は一篇の詩を書いた。
{引用=
もうすでに
何もかもが離れていった
吐かれる息のような
最後の暑さを味わう余裕もなく
何もかもから離れて
いよいよ一人になって
これから訪れる季節に
耐えるための準備を始めなければ
そうして 自ら離れていかなければ
母が亡くなった翌日
最後の日の名残りのなか
車が一台も停まっていない駐車場に
大量の蜻蛉が飛んでいた
彼等は僕の頭上から
おまえはこれから
こうして生きていく他ないのだと
しずかに告げていた
(「秋のはじまり」)
}
この詩は母への追悼というよりは、母を最後に家族のすべてを失った僕が茫然としている、その気持ちを表したと言った方が近い。亡くなる前、母が乳癌でかなり進行していて、もはや抗癌剤治療等もするには体力が落ちすぎていると医者から言われた時に感じた気持ちが、母の死によってぶり返し、なかなか消えない膜のようなものとして、僕の心の表面に張りついてしまった。そこから生じる茫然とした感じ、それを言い表した詩である。「何もかもから離れて/いよいよ一人になって/これから訪れる季節に/耐えるための準備を始めなければ」というのは一人になったことの自覚であり、「車が一台も停まっていない駐車場に/大量の蜻蛉が飛んでいた/彼等は僕の頭上から/おまえはこれから/こうして生きていく他ないのだと/しずかに告げていた」というのは一人になってしまったことの他者からの追認である。つまり、ここでは自らからも他者からも一人になったことを告げられているのであり、それだけその事実が心の上に重くのしかかっているということになる。しかしながら、この怠惰はどういうことだろう。一人になったという事実の重さがあるはずなのに、いまの僕はそれをあまり真剣に受け止めていないように見える。それどころか逆に、独りの気楽さに溺れて、待ってましたとばかりに怠惰を楽しんでいるかに見える。監視する者がいなくなったことの気楽さを謳歌しているようでもあるのだ。
だが、それはきっと表面上はそう見えるというに過ぎないのだろう。表面の現象の裏には別の気持ちが隠れているのは人の常だ。僕の場合ものほほんと怠惰に溺れていて、その裏ではどこか焦燥感のような気持ちもある。同時に僕は、ふと訪れたこのような状態を、抗うことなくぼんやりと受け入れることに意味を見出しているようなところもある。焦燥感があるのならば、それに従って何とかしようと、この状況を変えようとするのが正しいのだろうが、いまの僕にはそれをするのは状況に抗う愚かな行為にすら思えるのだ。状況に抗わずに、それを何も考えずにぼんやりとした気分で受け入れること。その貴重さのようなものを僕は感じて、「いま」という場所にいるのだ。
実際、時は常に「いま」しかない。まだ現象していない未来に思い煩って、いたずらに「いま」を消費するのは愚かだ。人は過去のことであれば「いつまでも過ぎ去ったことにくよくよせずにいまを生きろ」と言うが、未来に関してはそのようなことは言わない。それどころか、未来に備えて「いま」を消費するのは良いことであるとして推奨されもする。過去も未来も、方向性が異なるだけで「いま」存在しないことでは同じであるのにだ。そのような偽りに加担してはならないだろう。時は常に「いま」なのだから、過去も未来も同じようにうっちゃって、「いま」の中に身を沈めるのがきっと正しい。怠惰にとらえられているのならばその状況はそのままにして、「いま」の中に存在していよう。どうせしかるべき時が来れば、否応なしに怠惰は終わりを告げ、新しい「いま」が何食わぬ顔で土足で上がりこんでくるのだから。
いま僕は怠惰とともにある。一人消え、もう一人消え、最後の一人も消えて、僕だけが残された。その孤独を感じながら、怠惰に沈んでいる。まるで無人島に打ち上げられた難破船のような気分だ。ぼろぼろに朽ちた船はその隙間から潮風を通し、その船体は腐食しつつある。だが、僕は何もしない。この状況とともにあり、残された怠惰を楽しんでいる。蜻蛉ではなく海鳥たちが晴れ渡った空を飛んで啼く。彼等はおまえはいま孤独なのだと告げている。そう、僕は孤独だ。ひりひりと焼けつくように、この心身に孤独を沁み通らせている。そのことにきっと罪も悪もない。孤独も怠惰も、ただいまここに存在し、僕はそれらを享受しているだけだ。
(二〇二一年十二月) ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=373829
散文(批評随筆小説等)
2022-11-02T05:10:51+09:00
-
人と人の間に存在を許されるのが人間というものならば
私は人間ではないのかもしれない
私は人と人との関係性の中で生きてはいないのだから
それならば私はいったい何者なのか
私は神
私は天使
私は堕天使
私は幽霊 限りなく存在の希薄な
それとも私は機械
管の中に液体を通すだけの 動く機械
誰かが私を
非国民と呼ぶかもしれない
人非人と呼ぶかもしれない
だが私は彼等がそう呼ぶのにまかせて
何もしない
何しろ私は人ではないのだから
何もしないこと
それが私の特技
私は何もしない ただ眺める
そして離れてゆく
私は離れてゆく
私はただ思う
思うこと
それが私の特技
この地球上の
どこで人が生きているのか
どこで人が死んでいるのか
どこで人が いままさに死につつあるのか
そうしたとりとめもないことを
ただ思う
私は人ではないのかもしれない
私は地上にしっかりと足をつけず
踏みしめずにただ 浮かぶ
浮かぶこと
それが私の特技
私は浮かんで 漂いつづける
私の足裏と地上の間には
数ミクロンの見えない隙間がある
そのようにして私は浮かび漂い
さらに上方に
死者の魂が肉体を離れるように浮かび上がってゆく
あるいは私は
この地球上に潜入した
異星人のスパイなのかもしれない
私は離れる
私は離れてゆく
離れること
それが私の特技
だがこの胸を包む夕暮れは何か
この掌に摑む実体のない砂粒は何か
今日地球は
長い昼休みをとって安楽に
その脚を投げ出している
休みはいつ終るのか
いつになったら仕事が再開されるのか
誰も知らない
仮面の犬よ
歴史を学ばずに大きくなった小暴君たちよ
情ない青は
紅茶の中に沈む
緑茶の中にも
烏龍茶の中にさえも
それが君たちに見えるか
見えてしまうこと
それが私の特技
今朝 私は目醒めた
それは朝ではなくもう午後なのかもしれないが
私にはわからない
目醒めること
それは私にはとても難しい
だが何はともあれ私は目醒めた
地球上のすべての視線は
私を見つめてなどいない
私にはすべてのことが相変らず
下水道の中の出来事だ
私はもしかしたら
人なのかもしれない
(一九九八年十月) ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=373105
自由詩
2022-09-25T18:14:10+09:00
-
何度も 何度でも細い管は出入りして
その間何を思うこともなく
何かが出来るはずもなく
ただ横たわって耐えるだけだった
この心臓は何度も死んでは再生し
痛みのなか 眠りという恩寵は訪れることはなく
いったいどんなものを人々に与えた罰なのか
自分では心当たりなどあろうはずもなく
ただ横たわることで果てのない一秒を数えていた
わが名は先に考える者
この果ての見えない責め苦もいずれ終る
時は満ちて わが罪はすべての人類に思い出される
それがむすうの歌となって
人々の唇を潤し始める時に――
{引用=
*2022年9月15日、秦野赤十字病院にて、意識がはっきりした中、
3時間に渡って心臓につながる血管にカテーテルを入れる施術を行った。
神話のプロメテウスは人類に火を与えた罰として鷲に何度も再生する肝臓をついばまれる責め苦を受けるが、この詩では肝臓を心臓に置き換えた。
}
(二〇二二年九月十五日) ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=372970
自由詩
2022-09-19T04:49:07+09:00
-
夜の空を見つめる
何もない
何も起こらない
ただ黒いだけの空を
病院の灯りが反射するなかを
幻想の円盤が立ち止まる
意味ありげに
知性を持つもののように
私にその姿を見せる
もちろん幻想なので
私の心のなかにしかない円盤だ
それはこの夜よりも暗く
私の不安で満たされた心よりも暗い
宇宙の深淵からやってきて
私の心の前に立ち止まる
幻想は幻想のまま
物理法則を無視した飛行を繰り返す
私の心も物理法則では計れない
私はこの白いベッドに横たわりながら
黒い空を見つめて
この黒さを突き抜けた先にあるものを
宇宙の深淵のような
私の人生のような
計り知れないものを夢想して
その夢のかたちを想像しようとしている
その想像の隙間に落ちてきて
私の枕元に散らばる
夜の剥片
私の心の暗さから
剥がれ落ちたような――
(2022年7月13日) ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=371851
自由詩
2022-07-13T20:18:08+09:00
-
今回入院したのは以前から調子が悪かった心臓がますます不調となり、それまでの動悸や狭心症の痛みに加えて呼吸困難の症状が出て来ており、自分でもさすがにまずいと思って自ら救急車を呼んだからだが、病院に担ぎこまれて医者から入院しなければならないと言われた時、目の前で緞帳がすーっと降りてゆくような感覚があった。それまで当たり前にあった日常は寸断され、見たことのない現実に旧知の友人であるかのようにじっと見つめられている。そんな感じに思えたのだ。
そうして始まった入院生活だが、正直面倒だと感じることもあった。よくありがちな病院内のルールだったりするのだが、それらもすべてが病気を治して患者たちを再び元の世界に戻すために存在するものであった。元の世界とはつまり、病気とは無縁の広い社会である。逆に言ってしまえば、病院の内部は社会ではない。患者というそこに集められてしまった中途半端な状態の人々をもう一度健康という中途半端ではない状態にして社会に返す。それが出来ない患者には死が待っているだけだ。死もまた、中途半端ではない状態という意味では普通の健康な状態に似ている。健康があり、病気の状態があり、そして死がある。病院とはそのどちらかに振り子が揺れている場所であり、医者や看護士といったそこに勤める人々の力量や匙加減いかんによって、患者たちは健康か死、そのどちらの状態にも運ばれうるということになってくる(だからこそ、彼等の仕事は尊いのだとも言える)。
さて、そんなこんなで入院していまも病室のベッドの上に横たわっているわけだが、いまの気分はまるで海岸に打ち上げられた乾いた木切れのようだ。この身そのものが動かない木切れのようなものとなって、かつて一本の樹木の一部として葉を繁らせ花を咲かせ、あるいは実さえ実らせた過去を思い描いている。そんな感じである。実際病院というのはそんな乾いた木切れのような人々が多く集まってくる。彼等の多くは老人であり、人が年を取ればそれだけ病気になりやすいのと同じように、年を取った彼等はどこか乾いている。それも理の当然だろう。人は若い時には活力があり何でも出来そうな気になるものだが、年老いるとそれもなくなり、精神的にはある種の諦念のような気持ちに支配され、身体の方は次第に健康を失っていってしまうものだ。年老いるということは、乾いた木切れのようになってしまうということでもあるのだ。しかし、そうすると、まだ五十五歳の私が乾いた木切れになるのは早すぎるとも言える。私はこの年でなぜ既に木切れであるのか? 私の葉は落ち花は枯れ、実は腐ってしまったのか? 私の体内の葉脈にはもうなんの水分も残っていないのか? 早すぎる渇き。その中で私が見つめるべきものは何か? 私はこれから先何をすべきなのか?
おそらくそこにはなんの意味もない。私がこの年齢で心不全と診断されたのには意味などなく、ごくたまたまのことに過ぎないのだ。そのごくたまたまからなんとかして意味をひねり出すのが人間であり詩人であるということなのだろう。人が人生で遭遇する出来事の多くに意味などない。ただ、その人本人がそこに意味を見出したがるというだけのことだ。それならば、思い切りありもしない意味をひねり出してやろうではないか。それでこそ人であり詩人であるというものだ。
私はいまのこの海岸に漂着した乾いた木切れのような状態に意味を見出そうとしている。同時に、そんな状況をゆっくりと噛みしめるように味わっている。病気になったから不幸だなどとは思わない。そうではなく、病気になって入院したということすらある種のイベントのようなものであって、そうであるならばそれをじっくりと味わうべきなのだろう。そう、私はこの初めての入院生活を味わっている。私は不幸などではない。いまいましい高血圧が私を打ちのめそうとしても、私は書けるしこの状況を味わうことが出来る。この非日常の感覚を確認することが出来るのだ。それから先のことは私にも他の誰にもわからない。私はきっといまの乾いた木切れのような状態を後から振り返ってそこに意味を見出したがるだろうが、それはいまの私ではなく未来の私に任せるべきことだろう。この先どうなるか私にもわからないが、私はいまの私を、いまここに乾いた木切れのようにして打ち上げられた状態の自分自身をしっかりと確認して見つめている。いまの私に出来るのはそれだけだ。
(2022年7月9日〜10日) ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=371793
散文(批評随筆小説等)
2022-07-10T17:40:51+09:00
-
{引用=
午後の
柔らかい日が射しこんできて
すべてが淡い色のなかに溶けてゆく
地球という中庭
私の心に拡がる中庭
}
中庭 2
{引用=
草をむしる
中庭の清潔を保つため
切っても切っても伸びて来る
草どもを
その根からむしってゆく
むしられた草を
捨てる場所は
私の心から取り除かれた草の
たどりつく場所は
}
中庭 3
{引用=
誰もここには立ち入らせない
私は中庭であり
中庭は私そのもの
この外から隔絶された空間だからこその安寧
それを 誰にも触れさせない
中庭に満ちる光は
眩しすぎず
明るすぎず
私だけのためにあるのだから
}
中庭 4
{引用=
どこからか
声が聞こえるな
まぼろしのように
響いているな
でも それは
この中庭とは関わりのない
とおい外の世界の声
だから
それは私に触れられない
この中庭を侵すことはない
この中庭で
一日がゆっくりと暮れてゆく間
その静けさの間に
外では数億の時が過ぎ
数万の民が斃れて
血を流す
私はそんなことにも気づかずに
ひとり平和に
この中庭で時を過ごすだけだ
}
中庭 5
{引用=
この中庭に 重力によって
大気の層が留められていて
それが濃密で 時に薄い
空気を中庭全体に行き渡らせている
それを吸っては吐いて
この場所にせきとめて
いるのは 私
ここにいるだけで
ここの空気は澱んで
滞留して汚れてゆくのに
私はその事実に気づかないでいる
}
中庭 6
{引用=
この中庭を
出て行く者は誰か
いつの間にか ここに
影のように入ってきて
居ついてしまったのが私ならば
いつの日か ここを
去るべきなのも
私のほかにはいない
私が去って行って
この中庭に残るのは
人が去って行って
この地球に残るのは
ただ 午後の
柔らかな日射しのみ
}
(二〇二一年四月) ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=369748
自由詩
2022-03-15T20:53:12+09:00
-
{引用=
その薄さだけで
大気にさらされ
風に嬲られる
大気という
混沌の暴力のなかに
その薄さだけで
}
草心 2
{引用=
折れるほどの細さに
宿る心は
千切れるほどの薄さに
宿る心は
その心で
祈るものはなにか
その心が
契るものはなにか
}
草心 3
{引用=
その鮮やかな緑も
やがて枯れる
その時の
草の心はどこに
変わり果てた色のなか
ただ葉脈のかたちだけが
緑の名残を留めて
}
草心 4
{引用=
虫たちが止まり
草と互いにくすぐりあって
共に生きている
動かぬ草は
動く虫のために生え
動く虫は
動かぬ草のために飛び
}
草心 5
{引用=
笑うなら笑え
草生えるこの土に
笑いはこだまして
無数の草の間を反響して
草生えるそのことが
この土の栄養の証し
笑うならば
降り注ぐ陽光のために
時に濡らしに来る
雨の水のために
そうして草生える
そのことこそが笑まひ
}
草心 6
{引用=
その嬲られるだけの頼りなさで
伝えられるものはなにか
送ることの出来るものはなにか
ただその薄さだけが
心として大気の濃密さのなかにあって
その濃さを通して通信しようとする心
風に飛ばされる手紙のように
薄く頼りないだけなのに
伝えようとする心があって
そのためにそよいで
そのためになびいて
}
(二〇二〇年八月) ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=364002
自由詩
2021-04-18T16:16:26+09:00
-
時のなかで
凍土の冷たさの下に
埋められた思惟を思う
それらの骸の無念を
思わずして時は暮れることはなく
それらの物語の無惨を
録せずして時は回ることはなく
それでも日は沈み
星は回り
月は物問いたげに輝く
その隙間に思いをすべりこませては
ただ忙しなさのなかで時を待て
間断なき寒さとともに
我等の息は上がっていき
その白さに立ち止まる
そして特に待ち望んでいたわけでもない時が
明ける
(二〇二〇年十二月) ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=361514
自由詩
2020-12-31T00:47:25+09:00
-
それを感じ取れる人の数はそれほど多くはなかった。ある者は彼等を予言者と呼び、別のある者は偽予言者と呼んだ。また、多くの人は彼等を胡散臭げな眼でちらっと見やるとまた視線を落として溜息をつき、自らの鈍感さの檻の中へと逃げこんではそこを安住の地と定めた。予言者または偽予言者とも呼ばれる彼等だが、何も彼等は特別な存在などではなかった。すでにこうなってしまった僕たち、早くも悲しみと疲労に捉えられてしまった僕たちの中で、ほんの少しだけ敏感で、ほんの少しだけ風のにおいを読み取るのに長けただけの、他の人々と同じようにこの地上に生きているただの人に過ぎなかった。もしかしたら彼等はこの状況がやって来るずっと前から、いや、彼等が生まれて間もない幼い頃から既に悲しんでいたのかもしれない。そのような悲しみをあらかじめ持っていたから、彼等はこのようなもっと多くの人々が悲しむような状況で人々よりも敏感にそれを感じ取り、そこからやって来るであろう何かのことを感じ取れるのかもしれない。
だが、繰り返し言うが、彼等のような存在はあくまでも少数であり、少数であるがゆえの無力感にさいなまれてもいた。多くの人々はこんなものはいずれ終るとたかをくくるか、この状況がもたらす疲労ゆえにいらだって他の人たちを攻撃したり嘲笑したりしていた。そのどちらであっても、この状況の先にいずれ来るであろうもっと大きな何かのことなど考えておらず、いまここにしかいないのは変らなかった。人々は何も愚かなわけでもなければ悪いわけでもないし、人々と彼等の間に決定的な差異があるわけでもなかった。だから、彼等と比して人々を下に見るなどということが許されるはずもなかった。人々はただ、恐れに脅えて自らの弱さを見ようとしないだけであった。彼等は人々よりも自らの弱さに自覚的なだけであって、同じように弱い人間であるということに変りはなかったのだ。
それにしても、予兆とは何だろうか。彼等は宇宙から絶え間なく降り注ぐ粒子か何かを感じ取ってでもいるのだろうか。彼等のうちのある者はそれを絵に描き、別のある者は言葉に書いた。しかし、それが理解されることはほとんどなかった。彼等が自らが感じた予兆にしたがって作り上げたそれはこの期に及んでも人々には理解されず、彼等はまた何も期待などしていなかったのだという顔をして、無言でその作業に戻るだけだった。そして、また予兆を感じて、それがすぐ近くにまで来ているということの核心をますます深めて、人や生や死や、あるいはこの地を飛び越えた空の向こうのことなどを考えたりした。
人々を覆う空の下で、恐怖や不安は日毎に増幅し、それらを容れるうつわはもう飽和寸前にまでなりつつあった。この「何か」の前触れとしての一足早い悲しみの中で、人々の疲労はあふれ出し、そのために誰かが誰かを傷つけ、傷つけられた者は絶望してしまった。そんな不要な争いと苛立ちの中、人々の心の混沌は美しく濁り、予兆を感じることの出来る数少ない彼等は、その様子を見て溜息をついた。その息は汚れた空気の中を通って人々の頭上でゆらゆらと揺れたが、人々がそれに気づくことはなかった。もうこんなことをしている間にもその「何か」はすぐそこまでやって来ているのかもしれない。そう思って彼等は人々のそれとは異なる種類の苛立ちを覚えた。そして、
そして、何がやって来たのか。ここから先は過去形で語られる。彼等が常にその予兆をこうなるかもしれないとか、こうなるだろうという未来形で語ったのとは逆に、ここから先は既に過ぎ去ったことだ。だが、いまの私はそれを知らない。私はその時の彼等や人々と同じ地平にあり、それゆえにいまここという曖昧さを確認するしか手立てがないからだ。だが、それは既に過去である。それは、予兆されたそれはやって来た。そして人々の間を悠然と歩き回った。人々ははじめて見るそれの姿を驚きの眼差しで眺め、それを予兆した数少ない彼等は、それこそがそれなのだという確認とともにしっかりとそれを見つめた。そして、それは過ぎ去っていき、それは歴史の中で語られることとなった。いったい予兆されたそれとは何だったのか。何がやって来て過ぎ去っていったのか。先程も語ったように、いまの私にそれを示すことは出来ない。ただ一つ言えることがあるとすれば、それが大きな悲しみやあるいは逆にそれまで見たことのないような大きな幸福であったのだとしても、それがやって来て、留まり、そして去っていった後も、人々は変らずにあり、世界もまたそこにありつづけていただろうということだ。
大きな「何か」の到来。それに先駆けての人々の悲しみと疲労。それらのことは、遠い未来の先で繰り返し語られる物語となり、あの頃予兆のうちにあった彼等のことも、やがて同じような数少ない人々によって思い出され、語られてゆくことになるのだ。
(二〇二〇年四月~五月) ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=358583
散文(批評随筆小説等)
2020-08-26T20:55:51+09:00
-
{引用=ここに
とどまっていると
裁かれる
変化のない停滞に見えて
それは罪であると
見做される}
とどまる 2
{引用=ここになんとか
とどまろうとする
すべての良き者は
ここから去ってしまったから
すべての記憶はここにあって
動こうとしないから
ここになんとか
とどまろうとする}
とどまる 3
{引用=風が
とどまっている
水も
流れなくなっている
みんなここに集まって
ここでくつろいでいる
そうした風や水や鳥や雲を饗応して
それから
ゆっくりと風のように旅立つ}
とどまる 4
{引用=心とは常に変化し
一瞬たりともとどまらないもの
だからこそここにとどまって
移り変る人や事物を見据えて
そして、歌う}
とどまる 5
{引用=しずかな日
すべてがあるべきところに収まって
とどまっているように思える日
すべての流れも停滞も
ゆったりとした大きな
とどまりのような変化のなかに
あることを知る
有無。}
とどまる 6
{引用=それから
ここから出て行ったものを見送り
ここにかつていたものたちを思い
自らはここにとどまって
すべての憂愁も煩悩も
空無の渦のなかに落ちていくことを知る
いまもまだ
ここを通りすぎていくものたちがあり
ここにつかのまとどまるものもあって
それから、}
(二〇一七年九月) ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=357005
自由詩
2020-06-14T22:28:34+09:00
-
{引用=風にそよぐものが
目に触れると
忘れていたことを
思い出しそうになる
幼い者も
風に吹かれて
そちらの方へ
届かない手を伸ばして}
そよぐもの 2
{引用=そよぐもののにおいを
胸のなかに吸いこむ
季節が変ったあとの
暖かいよそよそしさが広がる}
そよぐもの 3
{引用=なにを思い出すのか
なにを予感するのか
そよぐものはただ
無言で風に打たれているだけで
それを見る人だけが
なにかを感じていて}
そよぐもの 4
{引用=まだ心ではない
心というにはあまりにも
美しい風景であって
もう心になってしまった者たちは
自らの醜さをその前では
ひとときだけ忘れて}
そよぐもの 5
{引用=そよぐものが
その動きが頬に触れた
ように思える正午
かすかなこそばゆさとともに
笑いながら人は
なにをあきらめ
なににつとめて
向かってゆくのか}
そよぐもの 6
{引用=これからのことなど
これまでのことなど
どうでもいいんだ
そよぐものの前では
人はただまどろみながら
自らもまた
まぼろしのように}
そよぐもの 7
{引用=そよぐものが
そよぐことを
やめた時
すべては動きをやめ
時までも止まる
まぼろしに似た{ルビ現=うつつ}
そこから人は踵を返して
なにを探しに旅立つのか}
そよぐもの 8
{引用=われ関せず
なにも知らぬのかのように
ただそよぎつづける草
ただいのちであるだけの広さ
きっと
幾度争いが起こり
その度になにかが失われても
変ることなく
永劫のように}
(二〇一七年八月) ]]>
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=356866
自由詩
2020-06-07T18:11:26+09:00
-
{引用=
かたくなな
個であるかぎり
変ることはない
ゆるやかな
流れのごとく
泣きながら行け
夜の空にいっしゅんよぎる
星のように
泣きながら変れ
}
変化 2
{引用=
季節は変る
春は華やぎ
夏は懐かしい
秋は明かされぬ秘密
冬は深く心に積もって
そうして人の
変化を助けて
}
変化 3
{引用=
繰り返される変化
繰り言のように何度も何度でも
括られて
縊られて
そうした苦しみのなかで
生きるため
繰り返す変化
繰り言でもかまわずに
何度も
何度でも
}
変化 4
{引用=
渡り鳥が群れて飛ぶ
街の灯りが点けられる
群れは次の季節にはいなくなる
灯りは夜明けには少しずつ消されて
どこにも渡れずにたたずむ
一人の人がいる
}
変化 5
{引用=
時間は一つの罠である
誰もが次の時を気にして
そのために準備し
変ろうとまでするが
時間はない
おまえはおまえであって
過去も未来も一つ
本当に変り果てたおまえなど
存在しない
}
変化 6
{引用=
何一つ変りはしない
人の愛しさも
人の愚かさも同じ
去年の花は
今年の花と同じ
その上を渡る風もまた
そのなかで人は
かすかな変化に脅えて
今日も生きている
そしてふと気づけば
すべてがこんなにも
懐かしくなるのだ
}
(二〇一七年八月) ]]>
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自由詩
2020-06-01T17:06:24+09:00