2008 11/20 00:41
白井明大
一行詩になるところまで切り詰められたことばに、あるこぼれおちる一言が含まれるとき、それがきらめきになるのだと教えてくれるのは、たとえばこんな詩だと思う。
捨て去ったあとの所作として浮かびあがる<顔を洗う>の営みが生きるでなくてなんだろう。
「だれでもよかった」といった類のことばと対照的だと感じる、この詩のように<どうでも良くなりたい>地点を越えて<顔を洗う>ということは。
樹膿「洗顔」
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