レコ☆ポエ2[461]
2008 11/20 00:41
白井明大

一行詩になるところまで切り詰められたことばに、あるこぼれおちる一言が含まれるとき、それがきらめきになるのだと教えてくれるのは、たとえばこんな詩だと思う。

捨て去ったあとの所作として浮かびあがる<顔を洗う>の営みが生きるでなくてなんだろう。

「だれでもよかった」といった類のことばと対照的だと感じる、この詩のように<どうでも良くなりたい>地点を越えて<顔を洗う>ということは。

樹膿「洗顔」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=171421
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