バイク乗りを集めてみるスレ[335]
2013 04/11 08:20
ドクダミ五十号

最小排気量クラスにスズキは多気筒でと、とんでもないアイデアで臨もうとした。ワンストローク・2サイクルの究極のかたちとして。当時TTレースや国際グランプリでは、爆発回数と軽量の有利から、多くのメーカーが採用したのは無理もなかろう。デルビ。クライドラー。ツェンダップ。ヤマハ。スズキ。ライダーは小柄である事が絶対条件であった。軽量でしかも闘争心とテクニック持ち合わせた彼等を、栄光のチェッカー・フラッグに導く為に、多気筒化をスズキは選んだとしても無理はなかろう。が、失敗だった。あまりに精緻でその上、軽量ではなかった。本末転倒とはこれを言うのだろう。レギュレーション改正と言う、ヨーロッパ的な理不尽で、日本の職人は危うしと思われたが、全く見事に多気筒をものにして、今日のグランプリでも走らせている。技術的困難に挑む、技術。スズキは市井の弱小コンストラクターでさえ、見逃しはしなかった。「油冷式多気筒」が木箱入りで送られてきた。可能性としては、未知過ぎるしろものだったが、なんとかなった。並列四気筒の冷却問題も、多くの燃料を送り込む事で解消された。中域ではニードル・バルブの形状が重要であると、氏は私に「これを加工せよ」と、渡すのであった。旋盤のチャックに咥えるにはあまりに細く、バイトでは削れない。しかも四本を同じくするのは、至難の業。然し、全く回答はなされた「ベッチよ簡単だ」ベッチはわたしの愛称だった。習って揃えたニードルは、正に正確に研がれた。コンマ一ミリの狂いも無く。スズキは叶えたと言って良いだろう。多気筒の夢を。
私は牛乳瓶一本の咆哮を聞きたい一人であったが。
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