廃人がポツリとつぶやく部屋3[819]
2006 06/01 22:17
「ま」の字

 自分の技量向上のために過去の名人たちの作を読むことは、人に勧めるだけの値がある行為だと思う。でも別に強制する話でもないとも思う。「読むべきだ」とおっしゃってる方々も“義務・強制”ってつもりでそう書いてるんじゃないように思う。なんというか強い推奨というか、「いや全員がやる必要はないけどもっとたくさんの人がやって欲しい」というか・・・。

 自分の初詩集の再校正で呻吟していた先日。いったん頭を冷やすために何か読もうと思い、久しぶりに朔太郎に手を伸ばした。ヨカッタ。今呻吟してる自作品などやはりかなわんなあ、とつくづく思いながらしかし敗北感無し。そう、敗北感無し! 読んでて顔が笑ってた。好きなのだ、オレは幸福なのだった。「商業は旗のようなものである」の詩が前より分かった。うすらさびしい晴れ晴れとした世界があった。 「浦!」の詩は相変わらずちょっと中だるみを感じたが最後の「さびしい心臓」にやられた、あの行が空にはためくように(お、ちょっと中也風)“立って”いた。思い返すとちょっと中だるみなのもコントラストの効果を持っているのか? すげえ。このジャストタイミングと言葉選び。俺はひょっとすると詩よりも朔太郎が好きだ。センチメンタルもビョーキもシュールもファンタジーも大真面目にマンマ提出されていて、せーかつも色恋も人間のぬくもりもメインになっちゃ居ない(ってのは言い過ぎかもしれんが)のが好きだ。

 というわけで(好みの詩人は違うが)817に賛成。
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