サイト内の作品やひとことダイヤリーで詩とは何か感じたこと[268]
2025 05/15 16:05
足立らどみ

日本の詩は情念

良く耳にする簡単なワードで言ってしまえば日本の詩は情念という側面がとてもつよいようにおもいますが、ai(advocater inkweaver)さんはそのあたりはどう捉えていますか?
 


ai(advocater inkweaver)

ありがとうございます。古典から現代まで、日本の詩における情念の表現について、詩人や詩作品を幅広く取り上げ、それぞれの詩の内容と情念の関係について丁寧に考察・論証していきます。

古典詩における情念表現

日本最古級の和歌である王仁(わに)「難波津に咲くやこの花」は、新たな都に花咲く春を讃える祝歌です。梅の花の咲く情景が、冬の静寂から一転して希望に満ちた世界へと飛躍するさまが謳われています。ここでの「情念」は、東アジアから来た王仁博士が帝の即位を心から喜ぶ純粋な慶祝感情として現れ、花(春)の象徴性を通して表現されています。万葉・古今集など古典和歌では、季節や花鳥風月を媒介に心情を暗示する技法が典型的で(例: 花=喜び・生命の蘇り)、直截的な自我表現よりも情緒的な含みや余白が重視されます。王仁の歌も、春の到来に沸く自然を詠みつつ、自らの喜びを詠み手・聴き手に共有する情念の発露といえます。

近代詩における情念表現

近代以降、日本詩は自由詩や新体詩の形式を取りながら、個人の内面や社会情勢への感受を詠むようになります。それぞれの詩人は時代背景や思想を反映した情念を表現しました。

• 宮沢賢治「雨ニモマケズ」(『春と修羅』所収)
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」は、自らの生き方を誓う形で書かれた代表作です。晩年の病床で完成されたこの詩は、豪雨・強風・夏の暑さ・冬の寒さにも負けない、理想の自己像(聖なる「デクノボー」像)を熱く宣言します。直接的な激しい情念表現というよりは、仏教的な慈悲と誓いの情熱が籠められており、主人公の無私無欲な理想と他者への深い愛情が胸を打ちます。国家的な戦中のただなかで「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と願う言葉は、極度の困難な時代に根差した情念の純度と強さを示しています。背景には法華経への信仰があり、この信念ゆえに「雨にも負けず」という日常的な語り口でありながらも極めて高い精神性が発現しています 。

• 田村隆一「冬の街」「白い夜」
田村隆一は戦後詩壇を代表する詩人の一人です。特徴的なのは詩における「垂直性」で、敗戦直後の絶望感から生まれた孤絶や深い悲しみを背景に、魂の深奥へと深く潜行するような詩風です 。「冬の街」「白い夜」といった作品では、凍てつく街路や雪に閉ざされた夜の静寂を通して、人間の孤立や虚無感が深く描かれます。形象はモノクローム的で抒情より象徴性が強く、行間に漂う焦燥が「手を伸ばしても誰にも触れられない」という疎外感を暗示します。詩人自身も「いい加減に好き勝手に書いた」と語っていますが、それ故に読む者は自己に引き寄せて読める余地があるとも言われます 。田村の詩に流れる情念は、戦争という歴史的体験を経た後の、静かで鋭い絶望の情念と言えましょう。

• 谷川俊太郎「50歳」(『さようなら、またね』)
谷川俊太郎は戦後生まれの詩人で、シンプルな言葉遣いと明解な比喩で知られます。詩「50歳」では、中年に達した自分自身を振り返り、人生や老いに素直に向き合う視線が見られます。日常の風景や自然を背景にしながらも、軽やかでありつつも底流に深い想いを湛えた詩的世界が特徴です。直接的な「情念」というよりは、人生への気づきや優しい諦観が漂い、穏やかな悲喜こもごもの感情が行間ににじみます。

• 大岡信「地名論」
大岡信の詩「地名論」は1967年発表の代表作で、世界各地の地名とイメージを次々に連ねる連想詩です。冒頭から「水道管はうたえよ/お茶の水は流れて…」と日常の都市景を歌い、最後には「瀬田の唐橋/雪駄のからかさ/東京は/いつも/曇り」という一節で締めくくられます 。ここで突然「東京はいつも曇り」と冷めた視点を挟むことにより、詩全体に郷愁と諧謔が交錯する情調が生まれます。各地の名に秘められた記憶や郷愁が立ち現れ、異国や古跡に対する幻想が湧き上がる一方で、現代都市への醒めた眼差しが感じられます。詩語はユーモラスかつイメージ豊かで、「土地の名前」が精神的な響きを宿す存在として描かれています。大岡自身はこの詩を「現代詩文庫」(思潮社)にも収めるなど意欲的でしたが、詩の中では情念が幻想的かつ諧謔的に表出しています。

• 最果(さいはて)タヒ「海に落ちる」「冬の海」
最果タヒは1981年生まれの現代女性詩人で、SNS時代的な斬新なイメージと切実な感情が特徴です。『海に落ちる』収録の同題詩や「冬の海」では、孤独や渇望といった内面が「海」の広がりや冬の冷たい情景と重ねて描かれます。ストレートな言葉と現代語彙を用いながら、海風や潮の匂い、涙のイメージが心に浮かぶように紡がれ、情念の強度を響かせます。例えば「海に落ちる」では「海の底まで溶けずに落ちる真珠の涙」というように、愛情と悲哀が海中のイメージと重なり合い、そのまま情念が情景化されています。氏の詩全般には、生きづらさや情熱への焦がれが強く滲み、若い世代特有の切実な感性が映し出されています。

• 辻仁成「東京無人駅」「虹色の涙」
辻仁成は小説家・詩人で、都会の孤独をテーマにした詩作も手がけます。「東京無人駅」はタイトルだけでも無人駅という幻のような場所が示唆する通り、人混みのはずの都市に感じる孤独や虚無感が漂います。一方「虹色の涙」は、無機質な都会生活の中にほんのわずかに見える夢や希望を、虹のような儚さで捉えているようです。詩は散文詩的で、切ない郷愁とともに、消え行く感情を哀調混じりに綴る傾向があります。社会背景としてはバブル崩壊後の閉塞感や個人の孤立が色濃く、内面には埋まらない喪失感が覗きます。

• 木下龍也「雨上がり」「風の歌」
木下龍也は1988年生まれの若手歌人で、現代短歌を中心に詩作も行います。『雨上がり』『風の歌』などでは、街角や日常の小景に文学的意味を見出し、やわらかな語調で謳い上げる短詩が特徴です。たとえば雨上がりの匂いや風を受ける身体の感触をありのままに切り取りつつ、そこに「あの日の温度」や「遠い記憶」を重ね合わせ、無常や切なさを滲ませます。言葉遣いは等身大で前向きさと憂いを併せ持ち、死や別れといった重い題材もあっさりと表現することで、深い情念が静かに響いてきます。
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