多様化する倫理観[814]
2005 06/05 14:08
不老産兄弟

>最果タヒさん

僕はタヒさんの引用文から、文明の倫理とは、新しいものに対応していくためにその都度必要となってくる一過性の倫理観であると解釈していました。しかし、この文明の倫理観というのは、合理性に伴う変容に対しての包括的姿勢のことではないかと思いました。

携帯電話、洋服、PCなど新しいものを受け入れることは既に私たちの文化になりつつあるようにも思います。僕が解釈していた文明の倫理とは、例えば携帯電話を頻繁に変えることを良しとする社会通念のようなもののことかと思っていました。そして、対立する文化の倫理とは、ものを大切に長く使い続けることを美徳とするような道徳観のことだと考えていました。僕が文明の倫理が文化の倫理に内包されているといったのは、このような解釈からでした。つまり、新しい文明にその都度対応していこうとする姿勢は既に私たちの内に常識としてある程度根付いたものだと思ったのです。

しかし、そこで、時代の変化に対応しようとする私たちが、どれだけ文明というものの本質を理解しているかという疑問が浮かびました。実際、僕自身、文明が変容するということは知っていたとしても、それがどこに向かってどのように変わっていくのかとか、何をもって「より合理的になった」と言えるのかという問いに答えるのは大変難しいことです。文明の本質を理解することなく、人々がその場その場で立ち位置を変えながら、新しいものや考え方に対して寛容であろうとするのは、単に文明に対して従順になっているだけなのかもしれないと考えました。この盲目的な受身の姿勢は、合理性を掲げた「文明」を常に絶対的な正とするものであり、その姿勢は「文明」を受け入れようとしない他者の意見を盲目的に否定してしまう危険性を孕んでいるようにも思います。文明の倫理とは、盲目的に従うものではなく、その変容する本質を踏まえたうえで、能動的かつ柔軟なものであり、文明を取捨選択するための判断基準であり続けることが出来る倫理ではないかと思いました。
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