詩集・詩誌のスレッド[276]
2008 10/13 22:21
松岡宮

ちょっと前ですが、上手宰さんから「冊」2008年9月号が送られてきました・・・・

・・・と書こうとしたら、きょう「上手宰詩集」が届きました。詩集はこれまでの詩篇の総合的なもののようで、なにやらソフトカバー。これについてはまた後日に書く、かも。

「冊」はわたしのようなものでもわかりやすいです。

★「ひとつのことばが/草野 信子」

>小鳥が
>死んでいるのを見つけた
>遠い秋の朝のように

>きょう
>ひとつのことばが
>もう 息をしていないことを
>知った

という出だしで始まる、言葉への愛があふれる美しい詩で、わたしにとっては印象に残りました。

話がぜんぜん変わるのですが、言語の研究でよく用いられる、朝日新聞の膨大な記事を分析して、単語の出現頻度を調べたデータベースや、辞書の8万語の単語についてその親密度を調べたデータベースがあります(NTTコミュニケーション科学基礎研究所)。

ある言葉が、ある時代に、どれくらい親しまれ、どれくらい出現したか。

数値化されたそれは、また、時とともに移り行くものなのだな・・・・と、少し寂しいような気持ちになりました。

ふと振り返るとたくさんの言葉の骨組みだけが積もっている森・・・そんな読後感を残す詩です。


★「傍白/上手宰」

傍白という言葉は、はじめて知りました。意味は後にわかるようになっていました、よかった。

詩は、みずからを舞台俳優に模して語られます。

>舞台の端に歩み寄ると
>私は夜の海辺に立ちつくしているように感じる
>ひたひたとさざ波が私の足元を洗うと
>水の一粒ひとつぶに語りかけるように
>暗い海に言葉をぽろぽろと落とす

>それは孤独な演説者のモノローグ(独白)ではない
>誰にも気づかれぬよう自分だけに語る言葉でありながら
>いつも誰かに聞かれていなければならないアサイド(傍白)なのだ

という部分で、傍白という言葉の意味を知りました。

これが印象に残っていたのは、独白という概念しかないときは「ブログに書く日記って絶対日記じゃないよなあ」と思っていたのですが、

「そうかアレは傍白か、誰かに聞かれていなければならないのか、日記といいつつ他人に聞かれていることを前提として書いても、それでいいのか」と納得したことです。

詩としては最後になんとなく寂しいどんでん返し?があって、面白かったです。
わたしも、たくさんの波や砂たちがまるで自分の読者であるかのように、浮かれた気分でものを書き続けてゆくのかもしれません。

とりとめがなくなってきたので、このあたりで。

松岡宮
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