2006 10/22 23:18
松岡宮
『日本鉄道詩紀行』 きむら けん/集英社/のレビューです。
この本は新書で、有名な詩人からマニアックな?詩人まで、鉄道に関する詩の紹介本です。
たとえば以下のように・・・・
「冬と銀河ステーション/宮沢賢治」
「旅吟/木山捷平」
「食堂車にて/田村隆一」
「見知らぬふるさと/谷川俊太郎」
「鉄橋/飯島耕一」
「(8月×日)放浪記より/林芙美子」
「根府川の海/茨木のり子」
「山の手線/室生犀星」
「駅/金子光晴」
「桑名の駅/中原中也」
「出発/小野十三郎」
・・など、すべてをあげるスペースはありませんが、どれも湯気の立ちそうな豊穣たる鉄道詩たちです。紹介されている詩のバランスが素晴らしく、鉄道の魅力とともに、詩の魅力も感じられる素晴らしい本です。
が、なによりこの本を特徴づけているのは、紹介者きむらけん氏の、なかば思いこみにも似た(?)詩の世界への入りこみかたです。
わたしは鉄道員が好きなので、鉄道員が出てくる章を例にあげます。木下夕爾「晩夏」の紹介です。
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晩夏
停車場のプラットホームに
南瓜の蔓が葡いのぼる
閉ざされた花の扉(と)のすきまから
てんとう虫が外を見ている
軽便車が来た
誰も乗らない
誰も降りない
柵のそばの黍の葉っぱに
若い切符きりがちよつと鋏を入れる
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この詩を読み、レビュー者のきむらさんは「草軽電鉄を想起した」と書いています。そしてきむらさんがこの詩からイメージした光景が、「長大な箱庭鉄道にわたしの思いは翔る」とばかりに、ほとんど妄想的に、しかしいきいきと以下のように描かれています。
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ホハ10型の後部デッキから、車掌が顔を出す。顔ににきびのある青年だ。(中略)車掌は、陰影の濃くなった浅間山をぼんやりと眺めた。そうしているうちにふと彼は想像をした。女の寝姿だ。が、彼は首を振った。そして今度は目を閉じて懐中時計を覗きこんだ。停車時間はまだある。(中略)彼は、手に持ったパンチを二、三回、かちかちと鳴らした。それに応えるのはコオロギばかり。彼は、ちょっと小首を傾けた。そして、ホームわきに生えている黍の葉にちょんと一つ鋏を入れた。(後略)
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お、おんなの寝姿?!・・・はともかく、こんなふうに、鉄道が生み出した詩の数々が、きむら氏のなかでゆたかに醸造され、また新しい鉄道の世界を生み出し、想像のレールに乗ってさらに拡がってゆくのを見せてくれるような、楽しい本でした。
そして、鉄道というのは、最先端の技術の結集する場であり、それゆえそこから悲しみや苦しみ、苦難も多く生まれるものですが、同時にとても人間くさいものであり、創作や文化の源でもあるのだと実感しました。
また、丸山薫のところには、碓氷峠の急勾配に関する記述。日本の鉄道を語る上で忘れてはならない場所が、ここにもありました。「国鉄詩集」についての言及も興味深く、ぜひ読んでみたいものだと思いました。
(レビュージャパンに掲載したものを加筆しました)
松岡宮