詩と散文を作る手段全般についての情報と意見交換 part2[49]
2011 05/25 23:14
鵜飼千代子

>>47

>何か、ぶっとんでんなあ(笑。俺は迷惑だけどなあ、そんな曖昧なことじゃあ。俺にはプロって言う気軽に悪口を言える相手が必要だ。アマチュア(愛好家)同士が脂汗出しながらいがみあうんじゃ悲しいじゃないか。金ももらわないでへたくそ同志けなしあっても仕方がないだろうし。べつに金銭的なアレじゃなくてもいいけど、たんに趣味でやってんのかそうじゃないのか、見分ける手段ぐらいは無いと俺は困っちゃうよ。
そうなんだからしょうがないじゃない。
阿トさんが受賞した詩学の賞、後年いとうさんが選者だよ。どっちがプロでどっちの悪口を気軽に言っていいのかわからないけど。(笑)
わざわざ悪口言わなくていいんだよ。隣人なんだから。喧嘩出来る相手なら程々でやるでしょう?

こちらから見たプロをスポイルする必要も無いし、自分がプロ気取りで何かいえば「良くわかりました」とかいう、こちらは真っ白なお返事をいただくだけ。詩の「愛好家」の世界は深いよ。日本国の文化祭で「現代詩」分野の選者までする。

>いや、なんか、一般的にプロってのはその分野で食べてる人のこと言うんじゃねえの?違うの?谷川俊太郎の詳細を知らないが、食べてるのがその人だけってことなら、そういうことなんじゃないのか。でも、もっとちゃんといるだろう。職業で詩人をやっている人は、いないの?学校の先生をやっているとか、そういう話しもこないだ聞いたぞ。

もの凄く前って知れてるけれど、清水鱗造さんに掲示板でどうやって詩人になったのですか?と伺った時には、「長く書いているだけです」って仰っていたよ。みんな別に職業を持っていて、それが社会的評価とは別に、評価団体にとってKYかどうかってのは、瞬間の評価に繋がったりはするかも。詩集を出すのはお金がかかるから、時期も大切かもしれないよね。

もともと、学校の先生だったり、大きな賞を貰った人は、散文が書けるのは、お金になるのかな。技巧で賞を貰ってスクールを持てればお金になるよ。技巧を教えると言う事は、自分を超える事を了解することになるけど、感傷批評よりは、お金を払った価値があったと思う受講者は多いかもしれない。長島か王かって話になるのかな。

>商業的な評価は、個々人の好き嫌いの結果であるという意味?それは善し悪しだって個人が決めるんだから、同じ事なんじゃないの?好き嫌いには金を払うけど、善し悪しには金を払わないってことだろうか?それとも自分は善いもの、好きなものに金を払うけど、他人はそうじゃないってことか。或いは、善し悪しに金は関係ないという意味?ここで「好き嫌い」と分けて言ってる「善し悪し」ってのが、良くわからん。例えば犯罪を誘発するから悪、とか、そういう場合の善し悪しのことかな。

詩の商業詩誌は、大手本屋でしか手に入らないから、殆どの人が知らないでしょう?
そのいくつかある商業詩誌は、その詩誌のカラーがある訳で、それが売りなんだけど、そこで取り上げられない詩が「クソ」ではない、ということ。詩が苦しいから、出版を継続する為に色々な企画はされるだろうけれど、国の文化祭で現代詩の審査員をすることになってしまうような、詩の愛好家は、いちいちそいうことに振り回されるのは止めましょう。

例えば、東大の試験問題を受験中にネットで質問しただとか、そういう事件もある世のなかだけど、土曜美術社でも盗作問題で断罪するケースがついこの前あったけど、こうしてネットで裸ん坊で書いているから、色々あるなと思いながら、「愛好家」であることを手放さない事が詩人であることなのかもしれないと思うよ。^^

あ、自分が詩人か詩人でないかということも聞き飽きた。
端から見た人が評価する事なのかもしれない。
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