03/13 09:10
深水遊脚
参加作品のひとつ「ネット詩の耐えられない軽さ」が、著者のアカウントごと消し去られたのは残念です。真剣に状況を憂慮しているならば、残すべき散文でした。「軽さ」は作品の良し悪し、センスだけではなく、むしろ安易な作品の出し入れ、作品発表後の言動によって醸し出されていたはず。今回この散文を書いた当の本人が「軽さ」の核心部分を演じてしまったように私には思えます。
(あるいはこの「軽さ」という言葉にはM.クンデラの小説のタイトル「存在の耐えられない軽さ」の模倣以上の意味はないかもしれませんが)。
コメントを書いた者としては、場を愚弄されたようにさえ感じていることをここに記しておきます。
#いろいろ落ち着いてからでいいから考えて欲しいな。今は日本中がそれどころではないのかもしれないけれど。
#>>14 飲み込むのは無理です。それに、著者の意思は何よりも尊重されるべきです。著者が残したいと思うか否かがまず第一です。我々にとってその散文が大事かはその次に考えることです。私は考え方に違いはあっても八柳李花さんを発言者として尊重します。そして、本物の現代詩にふれてほしいとの呼び掛けに嘘がなければ、批評祭のアーカイブに残す判断をして欲しいと私は願っています。
#私は私で、自分の気持ちに嘘はつけない。それだけです。