詩と散文を作る手段全般についての情報と意見交換(backup)[97]
2010 09/19 19:33
鵜飼千代子

こそあど言葉(指示代名詞)が、とても有効に使われていると思います。
あなたとわたしの世界の違い、その違いは書き手が感じた違いなのですが、
あなたのそらから沈むのは「ひ」であり、わたしのそらから沈むのは「あれ」です。
「代名詞」で指差されたモノは、名無しなんです。雑草、だとか、そういうことです。
あなたにとって「ひ」であるものが、わたしのそらでは「あれ」である、ここで作者は、
自分のそらの「あれ」の父になります。「あれ」です「あんなものです」けれど、、、と
後半繋がります。着流しのようにさらっと書かれたのだと思いますが、ここで「代名詞」を
使うことによって、読み手は、「あれってどれ?」って引きつけられますね。
作者の詩は、吸引力があるんです。魂の紡ぎ出すリズムであって、文法的なものに
解析して模倣すると、どこか嘘くさいものになるような気がします。

淡々と書かれているのがいいと思います。「叫んで!」と呼びかけていますが、
祈りに繋がっています。

出てくるモチーフが誰にでもわかるものであって、そこにスパイスのように「指示代名詞」が
用いられていることで、共鳴出来る読者が生まれるのですね。これが、隠喩、暗喩でべったりの
ところに「指示代名詞」がぽこっと入ると、「まじめに書け」をベースにした、異論反論オブジェクション
になると思います。

以前、:-)さんに文法は後出しなんじゃないか、ということを書いた覚えがあるのですが、
何か詩の書き方のとっかかりを探しているこの会議室で、不適切なコメントかもしれない
のですが、作者の宇宙の解析になってしまい手に負えないので、むしろ引っ張ってくるのは
「みんなしね」みたいな詩を書いている作品の方がいいような気がするのですが、
好みの問題もあって、こちらも真剣にやっているので、sadame2さんの作品になりました
ということになるのかな。

とにかく、文法は、詩の喩のきまりでもいいですが、後だしだと思います。
宇宙を解析して(大概しきれないものですが)、ルールのようなものを導き出すのだと
思います。

その「念」に振り回されると、身体の死につながっちゃうんじゃないかと、色々事情を知っている
フォーラムの仲間?戦友?として、心配になったので、わたしはコメントだけさせてもらいました。
スレッドへ