2010 09/24 23:45
田代深子
裏付けのしっかりした作品はいいですね。
わたし自身、詩にしても批評にしても資料とか裏付けとかは充分用意したい。誰がその裏付けや資料の存在に気付かなくとも…衒学的といわば言え(笑) 資料を面白く使うのが物書きの腕っぷしなわけですから。
大江健三郎なんかは「読書自慢しすぎ」みたいによく言われますが、まーブレイクやイェイツをいくら読んだって、誰でもがあんな毒々しくわがままに書けるってもんじゃない。『水死』でエリオットの詩の引用をする場面があるんですが、登場人物の女性がそれを聞いて泣いたのと同時に、わたしもその場面を電車の中で読んでどーっと泣いてしまった…引用のほうが、原典で読むより印象深いというのは、確かにあると思います。
野田秀樹も「贋作」といって古典作品をいじったりしてますが、もちろん原典に忠実な演出の舞台を知っていればなお面白い。あとになって、じつはまったく違う作品も織りこんであることを知ったりする。そのときの驚きもいい。歯にはさまっていたクミン粒がとれて噛んだときみたいな感じですね(笑)
そういうこっそりした裏資料の使い方とか、わたしは好きです。自分でもしたい。