廃人がポツリとつぶやく部屋7[306]
2007 08/07 23:54
佐々宝砂

や。私もアウラという言葉を正しく理解して正しく使っているわけではない。すまないです。(言い訳)
ベンヤミンは、たとえば肉筆絵画と複製絵画とでは放つアウラが違う、ということを説いた人です。
複製があふれる世の中で肉筆絵画が尊ばれるのは、
肉筆絵画にあって複製絵画にはない何かがあるからで、その何かがアウラ。
ホンモノにあってニセモノにはない何か、それがアウラ。
ここまでは、まともにベンヤミンの考えです。

この先は私のまだ熟していない考え。
複製絵画の技術が向上して肉筆絵画とほとんど変わらないものになったとして、
それでも肉筆絵画が存在する限りアウラの問題は残り、
肉筆絵画の方が尊ばれるという事態が続くだろうと思われます。

ところで、テキストというものは、絵画以上にコピーが容易です。
コピーが容易いテキストのアウラはいかなるものなのか。
そもそもテキストにアウラはあるのか。

と考えつつ問題の投稿を読んだ私の頭にピカーンと閃くものがありました。
そうだ、そのテキストが事実に基づくかそうでないか、
つまりノンフィクションかフィクションか、
その違いはテキストの放つアウラに影響するのではないか?
というかそれこそがテキストのアウラというものではないか?

ただ、さっきも書いたけど、これは熟していない考えです。
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