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【petit企画の館】/蝶としゃぼん玉 (創作系)スレッドオペレーター:ハァモニィベル
***

【petit企画の館】

当館へようこそ!いらっしゃいました。
お気軽に中へどうぞ。

この館の【趣旨・目的】は、あくまでも「創作を促進すること」です。

 --------------*--------------
ここでは、次のことを、お愉しみいただけます。
 --------------*--------------


◆Menu◆

【1】:プチ企画をつくり、この場に投げる。(テーマだけでもよい)
【2】:企画について検討し合うのもアリ。
【3】:企画者と参加者は、それに沿った作品をこの場/その他に投稿/報告する。
【4】:前のプチ企画が終了したら、次の企画を提案する。
【5】:自由に関連した話題を提供/談義しながら、創作意欲を刺激し合えればgood!

(注意書き)
********************************
詩に限らず、文芸全般・漫画原作・映画(ドラマ・舞台)シナリオ
など、和洋、古典・現代 を問わずに、俎上にのせてかまいません。
********************************

オカシナ記事が書かれた場合などには、スレ主の判断で、いきなり、又は注意忠告をした上で、
削除する場合もありますので、事前にご了承ください。

基本的には企画提案者が仕切ってくださる方がいいので、自由円滑に書いてもらえたら
うれしいです。読んでいる人が愉しいと思う場所にぜひしてください。

(尚、本スレッドは、下記スレッドを引き継いでいます。
 http://po-m.com/forum/threadshow.php?did=316267 )

それでは、開幕です。

********************************

[740]ハァモニィベル[2019 05/21 22:36]
待っている間、ミニ企画でもやるかな。



【イントロ歌合戦】

というプチ企画はいかが?
(ルール)は、簡単です。

**
 
 「歌は世につれ、世は歌につれ・・・」と申しますが・・、

それも、もうすっかり昔の話で、今はあまり、後半の「世は歌につれ」という感じは失くなった感じがするのは気のせいでしょうか・・(宇多田ヒカルの登場くらいまでですかね、世と歌とがリンクしてたのは)・・

私なんかも、あまり、ピンとは来ませんが、昔は、玉置宏とか浜村淳といった歌謡司会者がいて、歌の前奏のあいだに、変な曲紹介をしていました。Youtubeとかで昔の演歌を見ると、なにやら怪しい三文セリフのような曲紹介が挿入されています。

そうしたイントロ中の歌の紹介文にはパターンがあるようで、

例えば・・・

●――――――――――――〔引用開始〕

 ジョニイへの伝言  ペドロ&カプリシャス 

 西を向いても東を見ても
 ジョニイの町はさびしい町ね
 酒場でひとり二時間も
 待ってた女がいたことを
 ジョニイが来たなら伝えてほしい

――――――――――――●〔引用終了〕


といった具合です。

曲の数だけ色々こうしたものがあり、それらはどれも何とも安い二次創作ポエムといった感が拭えませんが、

【イントロ歌合戦】という、ここでのゲームというのは、例えば

もし、あなたなら、【ジョニィへの伝言】のイントロ紹介をどのように書きますか?
というだけです。


試しにやってみましょう。


 ベルの試み:↓


【ジョニーへの伝言 べドロ&カプリシャス】

  長いその時間は 女の愛だった
  あっと言う間に過ぎた 2時間が
  女の永遠の決断だった
  せめてその2時間の意味だけを 寂しげな街よ 
  友達なら彼に 巧く伝えてほしい


  
  (↑ ベルのイントロ)



では
タッコングの襲来を待ちましょう。
お好きな曲で、【イントロ歌合戦】をやりながら。

  
 

[739]ハァモニィベル[2019 05/21 21:50]
タッコングが遅筆なのは
八本足なのに、一本指で入力しているせいだな多分。

まあいい。急かさないよ。
 

[737]ハァモニィベル[2019 05/21 09:57]
1.作業のイメージがまだほとんど把めないね。

2.取り敢えず、きみが私に伝達できたのは、
   
   批評ではなく、紹介文を書くことらしいな

  くらいだな。

しかも、「読みたくなるように」紹介せよ、っていうわけだな。

----------------------------

「紹介文・推薦文」を書くということの面白みを、もっと紹介してもらわないと、
ぜんぜんピンとこないんだよね。

----------------------------

例えば、美味しいお店の紹介記事とかあるけれど、
実際、行ってみると、その通りということはまずないね。
行列のできているラーメン屋が美味かった試しがないよ。

そういう紹介記事は、何で
正確なレポートを出来ないのかね、といつも驚くばかりだよ。

ともかく褒めればいい気になっているフシがあるね。

アマゾンのブックレビューでも役に立つ情報を書いている人って
まず見たことないよ。

書店で直にパラパラめくれば解るだけの事を、購入して読んでいながら情報提供できないってどゆこと?と嘆くのにも飽きてる。


特に、グルメ記事を読んだ経験からするとさ、
いい加減な紹介を書いた奴の記事なんか、二度と読まなくなるよ。

要するに、味覚に信頼がおけないだろ。懲りちゃうからね。

だから、余程の名店でないと紹介文って書けないし、書かないほうが無難だよ。

ただ、ほんとに自分が旨いと思った店なら心中しても書けるだろう。

そうじゃないとさ、まあ、一見褒めているようにみえるけれど、よく読めば、そんなに褒めてない的な器用な文章を綴らなくちゃならなくなる。そんなものを俺がかいたらさ、

カレー屋の紹介なのに、やたら福神漬だけ褒めているみたいになるよ。皿のデカさがいい、とかね。

----------------------------

例えば、俺が、たこすけ氏の作品を紹介するとしたらね、一作品だけ取り上げて紹介することはせず、彼のいくつかある作品の中で、『母のおねしょ』という作品がまあまあの小品だと思いますので、そのまあまあぶりを読んでみてください。淡々としたタッチが、通常はウェットで重くなる素材をみごとに、奥に潜ませたまま無色透明なさわやかな作品にして、子供に戻った母親とそれを見守る成長した子との親子の一コマを切り取っています。

せっかくの作品なのに、ある一連だけ、どうなんだろう、と首をかしげたくなる消化しきれてないゴマカシの連が混ざっているのが残念ですが、総評の印象は上に述べたとおりです。ぜひ、私の指摘している部分がどこなのか、謎解きに挑みながら、作品を味わってみてください。

といった感じになるね。やはり批評は含むことになるよ。君がもっとちゃんと書いていれば、そこは褒め言葉がさらに増えるはずなんでね、私のせいではないよ。
まあ、文章上の欠点をごまかせるだけの核に詩情がある作品だということだね。(私は細かい部分でも誤魔化されないけどね)


まあ、それで君が、紹介文を書きたいんなら、私が触れたあの作品と同じタッチで淡々と書くといいんじゃないかと思うよ。


取り敢えず以上。


----------------------------
君の考えを聞くよ。
もっと説得してくれたまえ。
 

[735]ハァモニィベル[2019 05/21 02:16]
私がした質問を掘り下げないんですね。
やがてるるりらさんの中で答えらしきものが見つかったら
いつでもどうぞ。



コミュニケーション能力を私が言うのは、
わたしとるるりらさんの二人で直接お話しているわけではないですからね。
一応、この場は。

(誰も観てないから似たようなものなのかもしれませんが。笑)

私は、読者というのを意識してこの場所の問答を書いています。居ても居なくてもね。
狭い仲間内に向かって語っているわけでもありませんし、そういう家族趣味も村感覚も持ち合わせてません。この場ではとくに。(むしろツイッターで、ひとりの相手に向かって書いていたりして世界に向かって書いてることのが少ないので我ながら変なんですが)
でもまあ、私の感覚というのは、きわめて孤独でありながらいつでもグローバルに対話できる感覚です。
ユルユルの甘ま甘まな読者を想定しておらず、かなり厳しい眼をもった読者を当然のものとして想定しています。
なので、私の想定する読者(主に私自身でしょうけれど)が退屈な話や、不快な問答は、わたしの<撰>の中に入らないのです。

実際に覗いているのは鴉ばかりかもしれないのに、贅沢で哀しく虚しい話ですが

それでも、なるべく面白くなるよう配慮しているわけです。それが私の自然体なので。


訪問してくれる人は、おそらく読者なわけですから、好意的な読者には敬意をもって対応したいと考えています。その点、わたしが辛口だからといって誤解なさらないようお願いします。

また、当然、読んでる人=すべて読者と考えてはいませんので、本スレッドに好感を持ってない人は、想定する読者ではないので、あまりにもズレている人は読まないでくれればいいのになとむしろ思います。

その辺は、対話ができる範囲か否かで決まるところです。

偏狭なひとは大抵、主張というのは相手を説得できるようにすべきものだ、ということを知りません。



さて、

例えば、此処に、るるりらさんの問題意識や疑問が提示されれば、
同じ様な問題意識を持っている方たちが居るでしょうから、
その事について真剣に考えてみて意見を述べてみるというのが、此処での私の対応のしかたです。

キャッチボールの上手い人とは、ボールを投げ合えば投げ合うほどリラックスでき癒やされるものです。互いにサービス精神があるので、相手が上手なほど満たされるわけです。

ところが、キャッチボールの下手な人というのは、自分本位で厚かましいことが多いので、会話した後、ひどく相手を疲労させます。

配慮のあるなしで、大きな違いがあるわけですが、
その配慮の美学というのは、小手先の小技ではなく、人間性そのものなのかも知れません。


その意味で、
お互いに誠実でありたいものです。


 

[734]るるりら[2019 05/21 00:53]
わたしの企画はとりさげます。ひとえにわたしのコミュニケーション能力ゆえです。申し訳ありませんでした。
 

[733]るるりら[2019 05/20 22:40]
今日は 寝ます。お疲れ様でした。
 

[732]ハァモニィベル[2019 05/20 22:25]
因みに、

 社長になると誰も叱ってくれないと言いますけれど、
 そういう意味で、○をつける、政治的評価と、

 王様は裸だ、という子供の基準

などという程度の答えしか返せないのであれば、
その人はそれまでの人なんでしょうね。

ということです。

もっと、人間の心理とか、芸術の評価といったことに思いを馳せてください。
そういうことに、思いが及ばないなら

べつに永遠にそれでいいのではないのでしょうか。


ふつーに、人間の心を聞いているだけですから、
わかるとかわからないということではありません。
あなた自身の答えを聞いているだけです。
 

[731]ハァモニィベル[2019 05/20 22:19]
>>728 はそのままの質問です。

読めませんか?

具体的な状況を想像してみてください。

 ある作品が眼の前に在る・・・・
 
 そこに、明らかな欠陥がある・・・・

 だが、「欠陥」を、○と評価する人の心の内側とは・・・・

 もちろん、否定する人の基準とは・・・・


です。


これに解答がなければ、先に進みません。
キャッチボールとはそういうものです。
どんな暴投でも相手が取って当りまえということは無い筈ですよ。

*
タッコングは、なかなかキャッチボールが上手でしょ。手足が八本ありますからね。

 
 

[730]るるりら[2019 05/20 22:05]
なにが、おっしゃりたいのですか?

わたしが なぜ生贄スレ方式を 希望するのかは お分かりですか?読めないヤツは書けない。しかし、読めないヤツは永遠に読めないとはかぎらないからです。ま反対意見は、上等では?
 

[729]るるりら[2019 05/20 21:53]
生贄スレは、スレ主不在です。&ベルさんが こちらのスレに誘導しようとしておられた書き込みを 読んだことがありますので 問題があるとは思ってませんが、なにか 追加アイデアがあるなら ご意見をお願いします。
 

[728]ハァモニィベル[2019 05/20 21:45]
わたしからヒントとして
次の質問をしてみます。

 質問―

 ある作品があって、読者がそこに
 何らかの欠点を見つけたとします。

 誰が観ても明らかな欠陥・欠点です。
 そのとき、それに対して読み手の内部で
 この欠陥欠点をむしろ評価する反応をする人と
 欠陥であり欠点なので否定する人がいます。

この違いがどこから来るかわかりますか?


 

[727]ハァモニィベル[2019 05/20 21:42]
もろに、別のスレにあるのと同じ事をするのでは、
それこそ、企画のパクリなので、

もう少し工夫しませんか?


 

[726]るるりら[2019 05/20 21:24]
一週間と書きましたが、土曜日までとします。週末は 別の企画が行われるきがするからです。(ただの勘ですが)
 

[725]るるりら[2019 05/20 21:22]
拙詩【くだる】および 書き換えスレで ベルさんのあとに私が書いた作品の批評を提案します。作者である私は、批評に対して 反論や返信を行いません。(生贄スレ方式です。)期間は一週間。意見がでなかったり、意見がでそろえば企画を早めにし終わりにします。
 

[724]るるりら[2019 05/20 21:16]
出禁の必要はなさそうですね。くわえて 企画をだれでもなげてよいとのことなので、企画を提案します。
 

[723]ハァモニィベル[2019 05/20 19:38]
私が、嗜める前に、御本人が素直に撤回されていたので、

わたしも、「馬鹿げたことを言うな」という部分は撤回します。

なお、このスレに、るるりらさん他誰かがが出禁ということはありませんので
これからも、お気軽にご来訪ください。

(誰であっても、何を言うかによって、
 ベルさんの率直な反論にあう可能性があるだけで、
 それは、発言内容が腑に落ちるかどうかで、判断されるだけです)

私にミスや誤認があったり、認識が足りたい場合は、
(とうぜん、あると思いますので)
私も素直になおしていきたいと思います。それが対話する価値ですから。


では失礼。

よろしけば、誰でも、ここに企画を投げてください。

 

[722]るるりら[2019 05/20 19:36]
申し訳ありませんでした。わたしは、このスレから
距離を置かせていただきます。
 

[721]ハァモニィベル[2019 05/20 19:25]
「書き換え連詩スレッド」については、
あそこにあそこの割と親切丁寧な説明があります。

なので、るるりらさんがあらためて説明する必要はないし、
るるりらさんが説明するのであれば、それは、るるりさんの参加ポリシーの説明にすぎないでしょう。

私がメビでみなさんと練習を愉しんだ頃もすでに、参加者がインスパイアしあって作品を書いて遊んでいましたから、スレの趣旨を逸脱して存在進行していましたよね。

なので、スレ主は自分の趣旨が理解されていないので放置したのは当然かも知れませんが、わたしは、むしろ、その後の皆さんのスレの応用のほうが創作に本質的なゲームになっていたと思います。

そこでは、自然に、参加者の著作権への配慮が働いていたのも美しい慣習でした。

ところが、その「書き換えリレー」というのは、著作権は当然無視して実験練習する場なわけですから、実際の慣行と、元来の趣旨が、捩じれてしまって、不心得者がいると、
パクリが平気で横行してしまう危険があるので、私は、メビで「翻訳スレ」というのを自分で立ち上げたわけです。

 それ以前の書き換え参加当初は、私も意識が及ばなくて、オリジナル作品だけでなく二次創作的なものも
ごっちゃに書いてましたね。るるりら作品に対する私のバクリ的二次創作もありましたよね。
その頃無邪気に、いろいろ書いてみた結果の経験から、わたしは徐々に現在のポリシー(>>712)に至りました。

もともと、私は、言葉をこねれば作品になる、と思う流派でもタイプでもありません。
自分の中に詩情=作品が湧いて、それが勝手に瞬時に言葉になるタイプなので、言葉のシャッフリングは不要で面倒です。たんに、語句5つを使って書きなさい、のようなもので十分だし、その方が書きやすい。

それに、ご存知の、(お題バトル)のように、相手が出した題名で作品を書く、といった、より創造性の高いものの方が、愉しいし、翼をひろげやすい。

というわけで、今は、書き換え連詩には、行きませんが、
行ったときは、オリジナルなポリシーで創作しています、というだけです。
他人にマナーを超えてまでとやかく言うつもりは全然ありません。



要は、参加者のポリシーの問題ですが、お説を拝見して思ったのは

るるりらさんが仰有るように、趣旨を云々するのであれば、

あそこでは、元作品の言葉をもっと忠実にシャッフリングすべきかもしれませんよ。
あくまで、一つの元作品を、いろいろな人がシャッフリングして別の解釈や構成に変じて創作の練習をしていく、そういう場の筈です、本来は。
1作品の書き換えが、ある程度、行き詰まったら、また、元作品を変えて色々やっていく。
そうやりなさい、と原則として書いてありませんか?

この方針で実験練習するかぎりパクリという観念は意識されませんが(前提ですから)、
インスパイアのリレーである場合は、問題になるでしょう。

その捩じれを都合よく悪用しないことです。


貴方が言うように

パクリといえばパクリという言い方のできるものばかりです。それがスレの特徴なのですから、しょうがないことだと わたしは思います。

などというガサツな認識が正統だと思うヒマがあったら、著作権法で、どういう場合がパクリになるのか、その要件を勉強した方がいいでしょう。



最期に言っておきますが、

合評会をされるのでしたら あのスレでの作品に対して、パクリかパクリでないかという視点で論じるのだけは どうぞ やめてください。

などと言う、私がやりもしないし、やりそうもない事に、言いがかりをつけるのは(どうぞ)やめてくださいね。

*
 

[720]るるりら[2019 05/20 18:29]ハァモニィベル
わたくし すこし うそを つきました。かきかえであれなんであれ、読者が感動してくれたら 嬉しいに きまってます。おお嘘でした。なぜ うそをついてしまうのか
自分でもわかりません。ごめんなさいでした。
 

[719]るるりら[2019 05/20 17:33]ハァモニィベル
ほかのスレッドの話で恐縮ですが、が、

書き換えスレッドの中で、ベルさんが
元作者が工夫してひねった言葉の組み合わっせはそのまま使わないことは重要だと思っておられるのは興味深い指針をうかがいました。すばらしいです。勉強にもなりました。
例えば、「辞書が笑う」と書いてあったら、「辞書」と「笑う」を使っても、「辞書が笑う」では使わないのも 魅力的な詩作方針ですね。あと、ポエジーも借りてこないとのことですね。ポエジーこそ、まさにその作者ならではの調味料であり味ですからね。そのようなことを大切にしておられて、素晴らしいです。ぜひ そのような詩作を私にも 読ませていただきたいです。

けれど、書き換えスレッドは、どのようなスレットかというと、そのような態度で参加しなくても良い場所であることは、冒頭のスレッド説明にスレッド発案者が書いておられる例を読み返すと明らかです。たとえば「辞書が笑う」と書いてあるのに対して「辞書が笑う」と書いても なんら問題はないようではありませんか?また、前の人のポエジーをかりてきても なんら問題はなさそうです。

パクリに感動しないというご意見は わたしにも理解できてます。
できてはいますが、あのスレッドの特性を考えてみてください。
単に リズムかえたらどのようになるかという実験を あのスレッドで行ったこともありますが、わたしはスレッドの趣旨に反してないです。感動するかしないかを目指してないです。実験です。言葉を回しているだけに見えているとしても 詩作するエネルギーを促進する働きが期待できると私は考えています。

合評会をされるのでしたら あのスレでの作品に対して、パクリかパクリでないかという視点で論じるのだけは どうぞ やめてください。
あのスレの作品はどこかしらが、パクリといえばパクリという言い方のできるものばかりです。それがスレの特徴なのですから、しょうがないことだと わたしは思います。

むしろ自由にパクらせていただきたいのです。それがあのスレの醍醐味でもあると感じています。
 

[718]ハァモニィベル[2019 05/19 17:23]
*

令和の仙人は気が短いからな、きみが滝行してる間、
俺は座って待っている内に仏陀になってしまうよ。

*

ブッダは、八咫烏とか、ハシボソガラスは好きだけどね。
ハシブトガラスは嫌いだな。残飯を漁るからね。
 

[715]ハァモニィベル[2019 05/17 22:45]
何だかわからんけど、わかった。

では、日曜に

「滝行レポート」を待ってるよ。



ヘレン・ケラーというと君はバームクーヘンだと思うかも知れないが
目・耳・口の三重苦で有名だった人だね。実際には、聴覚と視覚の二つの障害だったみたいだけど、そのヘレン・ケラーに
「3日間だけ目が見えたら」
というエッセイがあって、その中で、彼女は、目の見える人たちでも見えているとは限らないと書いていたな。
 長年連れ添った夫婦の旦那さんに奥さんの瞳の色を尋ねると、当惑して答えられない旦那が多かったんだそうだ。日本人が金髪の奥さんをもらったら、青い瞳とかグリーンとかインパクトが強いから印象に残るだろうけどね。外人にしてみればありふれてるんだろうな、きっと。
 日本人でも、自分の奥さんの瞳が薄いブラウンなのか、濃いブラウンなのか言える旦那さんは少ないと思うよ。

というわけで
滝に打たれながら、目を閉じることで見えることもあると思うよ。




では日曜に。
 

[713]るるりら[2019 05/17 19:11]ハァモニィベル
だから、あちらのコーナーへの 書き込みではなく、こちらだったのですね。なるほどです。
 

[712]ハァモニィベル[2019 05/17 17:54]
今回、<撰>ということで論じてた流れから、
(1)素材選び と (2) 調理の仕方

に触れた所で、「書き換え連詩」になったので、(勘違いして)
本来わたしは、あそこに書くとしてももっと言葉をなぞらないで書くのがポリシーですが、今回は、るるりらさんの言葉の素材を、わたし風に料理し直してみせる
という趣旨で書いたから、むしろ多く使ってあるようにしたわけです。

その場合でも、注意すべきは、元作者が工夫してひねった言葉の組み合わっせはそのまま使わないことは重要だと思っています。例えば、「辞書が笑う」と書いてあったら、「辞書」と「笑う」を使っても、「辞書が笑う」では使わない。

あと、ポエジーも借りてこないことです。ポエジーこそ、まさにその作者ならではの調味料であり味ですから。

どんな作品でも、「作品」と呼べる点では同じにみえますが、
月と六ペンス のようにあやしい関係になるのは、ポエジーが本物かどうかが決めるのだろうと(わたしは)思っています。

パクった作品というのはそらぞらしいので、心に響かないのです。
何か心に滲みるものがあるとき、そこに本物があります。



ひじょうにそらぞらしい感動がTVとかには平気で横行していて
なおかつ、それに涙する観衆がけっこういますけどね。回転寿司の「鯛」が深海魚だと気づかない人たちですね。
 

[711]るるりら[2019 05/17 17:05]ハァモニィベル
ちなみに、わたしの書いたものの書き換えは、平易に書いておられ わたしのこのみです。
 

[710]ハァモニィベル[2019 05/17 17:00]
るるりさん ありがとう。訂正します
 

[709]るるりら[2019 05/17 16:57]ハァモニィベル
ベルさん
リンク先の作品はタコさんの作品であり、たこすけさんのものではないような きがします。
 

[708]ハァモニィベル[2019 05/17 16:53]
私は、五歳児の頃から仙人だからね。

タッコングが<撰>ゲームを考えるあいだの暇つぶしとして、
<書き換え連詩ゲーム>をしたいのかと思って付き合ったんだけど
でもタッコング違いだったみたいだ。失礼。

 たこすけ氏 と たこ氏  は別だったね。(多分性別もちがうだろう)

丁度、料理が下手論が、書き換えリレーに通じるところがあるからね。タイミング的にタッコングなのかとおもったら、違うタッコングだったんだな。
#タッコングとは<やさしい勇者>のことだ、とベルは定義している。



しかし、今回の<撰>ということを考えるにあたって、関連があるから以下はちょっと挿入しといてもいいね。


たこ さんの作品
https://po-m.com/forum/thres.php?did=196983&did2=196

ベルのやつ。
https://po-m.com/forum/thres.php?did=196983&did2=197


たこさんのは少年っぽい感じだったので、私の方は渋くした。




ちなみに、俺の書いたあと、るるりらさんが書いていたよ。

(るるりら作品:書き換えリレー198)
 https://po-m.com/forum/thres.php?did=196983&did2=198




198のあと、199を書くとしたら(私だと)こうなるな。

*(ハァモニィベル作品)

《 火影 》

消えてしまった物体のように

星が、炎に話しかける

小さく小さく話しかける

キラキラと明るく


寿命のある指先にのった感覚のように

炎は首をはげしく振って

いやいやをしながら

重い影をふりまく


真紅の虹は メラメラと

黒い砂になって

その影が ようやく何かを

わたしに語りかける






**

というわけで、タッコングの新ゲーム待ちだ。
まあ、必要なら考察とか談義を投げてくれ。

**
 

[706]ハァモニィベル[2019 05/16 18:59]
マヨラーだったのか。

せめて、マヨネーズソムリエとでも名乗ってくれ。

(ソムリエもなかなか大変なのは、母国語以外で評言しないといけないルールがあることだね(コンテスト規則で)。日本の英語教育に取り入れてほしいね)―余談


スリランカでは、ティーテイスターが医者や弁護士より社会的地位が高いんだとか。むかし、何かで読んだことがある。絶対音感ならぬ<絶対味覚>は、一流大学でも学べないからな。

フランスで芸術家が家族にいると鼻が高い、というのと似ている。


日本ではオタク扱いになるか、出る杭あつかいだな。
外国で賞を取ったりすると、一気にその印籠に頭を下げるのが日本だ、という印象だ。


**


タッコングが、<撰>というから、一瞬わかんなかったけどさ、

どうやら、俺が5年前にやった手法を示唆してくれてたのかな。

『ゲラゲラ』とか、あの手法だな。


あの頃は、わけのわからない前衛詩の書き込みが多かったから、それを皮肉る意味で
俺が、読者主義の批評で、勝手に膨大な想像を膨らませてツマンナイ作品を面白くするという前衛批評をお見舞いしてた頃でもある。

詩も書いて、批評も書くから、器用だと驚かれた(批評家でない詩人はいないというけどね。その逆はいるにしても)。別人がワンネームなんじゃないかというあらぬSFもどきの疑いもあったみたいだが、マヨネーズソムリエなら、一貫して一人が書いてることが解るはずだ。


剣道のフォームは、手足とも前が右で左が後ろなんだけど、それを逆にする(左まえ右うしろ)とさ、みんな素振りができなくなるんだよね。でも、俺は左右入れ替えても、綺麗な動作は変わらないんで皆おどろく。そのまま試合もできるしね。

まあ、脳が器用なんだな。


ところで、


<撰>ていうのは、シェフの素材選びの選定眼だね。
俺の言葉でいえば<味覚>だ。


また、きみは
「編集」というコトバでそれを言い換える。
俺の言葉でいえば<料理の腕>だ。


だから、<撰>と一口に言っても、
(1) 素材の味がわかること
(2) さらにそれをどう料理したら美味しく味わってもらえるかが想像できること

の二つが含まれてる。
そして、料理人は実際に調理して出さねばならない。

シェフである書き手としてはそうだが、

それを食すグルメ(評者)というのは、
その料理を食べたとき、
上の、(2)と(1)をさかのぼって想像できるのが普通だ(と俺は思う。他の人もそうであると思いたいね)

そこで、そのシェフ(=作者)の<撰>のちからが解る。

わりと多いのが、
(1)は良いのに(2)が不味いというやつね。こういうのは、料理し直してやると美味くなるんだけど、要するに現状では食べられない=不味いってことだ。



不味い料理を、「おいしい、おいしい」と言ってる印籠文化があるうちは
<味覚>も<料理の腕>も発達しないし、シェフもグルメも育たない。

(勿論、何でも「マズイ」としか言わないマヨネーズキングは論外だけどね)

(黙殺したまま知らぬ顔でシェフの残飯をパクるカラスの群れしかないのでも困る)


**

タッコングが、<撰>なんて曖昧なことを言ってると、俺もオレ的にはわかり切っている事を書くはめになって退屈だから、何か、実践的ゲームにしてくれ。

よろしくね




 

[704]ハァモニィベル[2019 05/16 00:03]
>今回、俺が投稿した「推薦文」がなんとなく「撰」にちかい

これだな
https://po-m.com/forum/showdoc.php?did=347254&filter=usr&from=listdoc.php%3Fstart%3D0%26hid%3D8854


かなり辿々しい作文という印象だけど、書いた本人は自覚できないだろうと思うので冒頭だけ取り上げて、私の感想を言ってみるよ。

まず詩を読むにあたって安心してほしいことがあります。それはよく作者の詩の意図やねらいという読者を脅かし、内容を完璧に理解しなきゃだめなんだ。もっといえば口を開くことすら許されないなどと僕たちの心をちっちゃく萎縮させるつもりはないということなのです


まず、「詩を読むにあたって安心してほしい」というのは、「不安」を抱くような読者を想定しているわけだから、「不安」を抱かない読者は違和感を覚える。
(また、作品に対しつねに謙虚な鑑賞者はいつも不安であるべきだ、と考えている人もいるかもしれない。そういう人も、ここには違和感を持つだろうな)

それについて、「萎縮させるつもりはない」と内訳が示されているので、《萎縮させるつもりのある》書き手が実際にいるか、もしくは、そーゆーのが居ると想定していることが伺える。

ただ、ともかく、論者は、「内容を完璧に理解しなきゃ」ならないという事に批判的・拒絶的な立場だ、
ということがわかる。

後を読むと、この論者は、詩を一義的によむのでなく多様なイメージをよむことや、そうなるようにぽややんと書いてあるものを高く評価する、ということらしい。
以上が伺える。

さて、

私が、上記の論述から受ける違和感はね、

 《詩を完璧に理解しなきゃ何も言えない》

という認識を対置して持ち出すことへの違和感だよ。


こんな認識を踏まえて主張された、その裏である《多様性》にも、同じようにやっぱり違和感を感じてしまう。



詩そのもの以前にさ、人間の認識に一般的な正解はない以上、
批評に正解はないんだよ。

それは多様であり得る。でもね、その鋭さと深さには自ずと差があるのも確かだろう。


だから、「萎縮する」というのは、自分の批評(の鋭さや深さ)に自信がない、ということだ。


**

タッコングがそうだということではなく、極端な例をあげるよ。

何でもマヨネーズをつけると美味だと思う少年とかたまにいるけれど、
そういう少年は、そういう味覚なんだから、「僕は、マヨネーズが最高だ」と自信をもって言えばよい。

ただし、それが世界一だ、お前たちは違う、と言えばオカシイ話になるんでさ、
僕は好きなんだ、と言い張る限りは誰も、反論できない事だ。

世界ソムリエコンクール優勝のような人は、その少年を鼻で笑うかもしれないが
その人はその人であり、その少年はその少年だろう。
少年のほうも、マヨネーズだらけの口でニヤと笑い返せはいいだけのことだ。

本来、一流のソムリエなら、お客の味覚を尊重して、それに合わせたワインを模索するものだ。鼻で笑うのは二流ゆえのプライドにすぎない。
マヨっ子少年のほうも、メーカーの違うマヨネーズを食べたとき、その味が区別できないようなら初めて萎縮すればいい。


というわけ、で
冒頭部分だけで相当な違和感をおぼえたよ、というのがわたしの感想だ。

以上です。



 

[702]ハァモニィベル[2019 05/15 19:38]

  <撰> っていうのは アンソロジーかな。

それなら、なかなか良い感じがする。

私が、まえに「読書感想文」つうスレに書いたとき、一種の<撰>を
やったんじゃないかな。

そのときは、《タイムスリップ》という共通項で何作品かくくって
過去と交錯することで現在の意味を知る、という角度から1つずつ順に
紹介しながら最後、《記憶とは、きっと懐かしいほどの愛なのであろう》
とわたし的に論じた。


タッコング式の「撰」というゲームは、
どんな風にやればいいんだい?

私はすぐ、撰バトル にしちゃうからさ、それだと君のイメージしてる
ものと違っちゃうだろ。

なので、アンソロジーなのかまたちょっと違うのか、
君の<撰>というのを聞かせて欲しい。

簡単な具体例を見せてくれれば、尚、よくわかると思う。


 

[701]ハァモニィベル[2019 05/15 19:13]
まあ、勉強とか知識というフーに考えてしまうとさ、
それ自体、辛いしツマラナイし役に立たないんじゃないかな
という気がする。

●●といのは☓☓☓である

と覚えるのが勉強でしょ。


自分で考えてないよね。自分の頭で考えている過程で偶然かつ自然に
いろんな知識が増えるだけのことだ。

それに、

知識ゼロでも考えるられると仮定してもさ、自分オリジナルな考えなのか
どうか解らない、ということになってしまうからね。

その辺は、曖昧だと困るところだよ。

他人の考えとじぶんの考えはきちっと区別しないと、理解しているかも解らないし
相手の意見に(的確に)賛成したり反対したりできないでしょ。

勘違いしたまま感情を誤爆させるというのが戦争だからね(私の意見だよ)。
 

[698]ハァモニィベル[2019 05/15 05:05]るるりら
何でもどうぞ。

令和 初の大企画 by タッコング
「巻頭特集は☓☓」
みたいな感じでもいいし、
でなくてもいいし、
そもそも、企画を話し合うのもアリな場所だからね。

**

例えば、

【令和における詩的言語とは】  ・・とかね。


古の女人たちが寄り集つてこれほど美しい絹糸にした日本語を、近代の女人たちがどれだけ針金化するか、それともいよいよ洗練した上質の絹糸にするのか。それとも化繊化するのか。わたくしはこれを楽しみにして見ようとする者である。

と佐藤春夫が書いたのは
昭和38年だった。

これを踏まえて、令和元年 現フォのTOP10 を見てみるのも面白いだろうね。

上に引用したのは、そのむかし堀口大學が、近代詩の創作に向けて
「〔これからは〕針金細工で詩をつくれ」とリリスム(抒情)を廃せと宣言したことを受けた文で、佐藤春夫はそれが意味する知性の導入には理解を示しつつも、そう言って堀口が「詩の花」を摘むのをやめて、「詩の石」を拾い始めた、と表現している。

知性と情緒を融合させるのは、日本語の場合難しい、と佐藤は日本語の問題にしているフシがあるけれど、わたしが考える限りでは、書き手次第であって、言語より使い手の問題だという気がする。

その辺、タッコング氏の意見はどうかな?




詩は最早、花でも石でもなく、枯れ葉なのかもしれないけどね。

おのれにも飽きた姿や破芭蕉やればしょう (細木香以) 




.
 

[696]ハァモニィベル[2019 05/04 14:10]
>>695

叙事詩という共通項で3つとも一つにくくる事もできますが、

この三者は、
リアル、リアリティ の在り方がちがいますね。

わたしはここで、演劇をTVドラマや映画をも想定して考えています。
そうすると、もっとも物理的にリアルな表現手段を採るのが演劇で、
言ってみれば、リアルを使って観念を伝達するものです。

対して、詩と小説は、言語、コトバのみによって造形されるものですから
言ってみれば、観念を通じてリアルを伝達します。


わたしの言う「リアル」というのは、現実そのまま、のことではありません。

<私はかつて猫を飼っていた>は、過去の事実で、ホントウですが、
<今は飼っていない>わけです。でも、作者というのは、今猫と暮らしているという
創作(ウソ)で、猫との暮らし「のリアル」を描けるものです。ところが、実際いま猫を飼っているひとの誰もが、猫との暮らし「のリアル」を描けるとは限りません。
―→猫との暮らしはこういうものだ、という本質への洞察力、感受性の有無でそこは決まります。

言い換えれば、広くて深い理解力と想像力のタマモノです。

送り手と受け手の両方に、それが欠けていると、文化の状況というのは(最近のTVのように)悲惨を呈しますが、
そうなると、その状況そのものが気づかれない状況のまま症状を継続します。

さて、
小説は事件を通じて表現するので、リアルを使って観念を伝達するものに近い
でしょう。事件とは行為とその結果に重点のあるものです。
詩は、その逆方向に向かい、詩じたいが行為であって、その動機(直感)に重点
のあるもの、のように私には映ります。

ただ、いずれにしても、その三者に共通して言えることは、
単純に作品がイメージをリアルにするわけではないということでしょう。
すでにリアルなイメージを持った造り手によってはじめて読者のなかでリアルになるのだろうと思います。
その証拠に、造り手のもつリアルへの照準がズレているほど作品は退屈になります。

(以上、概略的な考察ですが)
 

[695][2019 05/04 01:16]ハァモニィベル


詩と、演劇と、小説 の違いとは何でしょうか?
 

[694]ハァモニィベル[2018 08/02 20:43]
ん?
 

[693]ハァモニィベル[2018 05/20 07:28]
*

終了です

ここからは、どなたでもご自由な企画案をどうぞ ↑。


*
 

[692]ハァモニィベル[2018 05/17 22:33]


通常は、おそらく

【魔法陣】:① 魔術的な結界(円)
② N×Nの(正方形)に、1から連続した数を、タテ・ヨコ・ナナメそれぞれの和が共通になる
よう配置する数学パズル<魔方陣>
③日本で創作された創作上の魔具で、魔力の発現に関するお約束。

といったところだ。で、

ワトソン社発行の【New フレンドリー たこすけ辞典』に載っていた「魔方陣」>>690
というのは、通常の②と③のニュアンスを踏まえて、
<オリジナルな認識や洞察を召喚できる定義>のことを指している。


つまり、
 【定義】:オリジナルな認識や洞察を召喚する魔方陣(魔法陣)

とできるだろうね。
だから、そんなにがっかりすることはないよ、ワトソン君。

それは【文章】の定義でもある、ということに気付いたわけだから。


まあ、 だらだらしたマンダラを描くようには誤魔化しが利かないぶん大変だね。



この話題は、

 古代の「河図洛書」から、現代の「ソシオグラム」まで、話は尽きないね。



# 【魔法陣】と【魔方陣】は、意味の上でも形の上でも区別できるが、この記事では、ともに「召喚するもの」として1つにしてある。
#「魔方陣」の「魔」は魔法(Magic)のことだから「魔法陣」と呼んでしまっても間違いではない。
#以上、念の為。
 

[691]るるりら[2018 05/17 16:14]渚鳥ハァモニィベル
悪魔の定義を既存の辞書ではない自分の言葉で書くのは、難しいなー。
ただ、思うに 人間が大昔に はじめて社会性を持つようになったころには 善悪の基準が必要になるだろうから、そのときからもうすでに悪魔という概念は あったんだろうなー。

魔法陣といえば、あの円陣の形も不思議よね。
悪魔的な儀礼も円陣が用いられることもあるのかもしれないけど
曼荼羅のように聖なるものを伝えるためにも 円陣はもちいられていて、なんだか
似ているねー。くわばら くわばら

でも円という形を 自然界に探せば、多くの花々が みんな円を描いている。
人間は 人間よりほかの生き物に 学んだほうが良い気がする。お花畑脳ですが、そー思います。
 

[689]ハァモニィベル[2018 05/17 10:03]
【愛】 と 【嫉妬】について


なぜ、聖人君子は「嫉妬」という感情が沸かないのか?

これは、なにか仕組みとか悟りがあるわけではなくて
性格なんだろな、という気がする。

だいたい、人間は5歳児の頃と性格はそんなには変わらない。
立派に成長したり、悪い奴に変貌したりは、ごく平凡な人生を生きていて、
チェンジのしようがないのだろう、きっと。

聖人君子は5歳のころから聖人君子の性格をしている、と私は思う。

これは実際に、社会学者と心理学者等が、
5才児だけを集めておこなった集団実験観察の類をみると
そこに見えるパーソナリティーは、
子供の世界というより、はるかに、
まさに大人の縮図――の観を呈していることでもよくわかる。

それを踏まえて考えると
人は五歳のときの性格のまま大人になるだけである。

違いは
ただ、シャツのボタンを互い違いにはめてしまう不器用さがなくなって
ちゃんとボタンができるようになるだけではないのか。

そんな気がする。
というのがわたしの仮説だ。

なので、それじゃイケマセンとか、コウすべきなりという話では全然ない。
それはもう手遅れであろう。

さて、



(聖人君子が)「嫉妬」しないのは、感情がクールだから、ではない。


 感情を動かす方向が違うのだ。


 その1. 試合で勝てないとしたら

    相手の選手に嫉妬しても仕方あるまい。
    自分が、四回転ジャンプを練習する、その「熱意」にエネルギーが向くだけだ。
    けして、相手のクオォーターバックに反則タックルしたりしないし、必要もない。


 その2. 恋愛で悩ましいときには

    片思いの場合にしても、浮気の疑いを持った場合にしても、
    「嫉妬」という方向にどうしてもならない。
   
    相手の気持ちの在り方がどこに向いているのか、を知ろうとするだけだ。

    浮気なら、誠実さを疑う という方向で、信頼がゼロになれば絶交へ向かうだろうし、
    片思いなら、愛している相手が幸せであるかぎり邪魔はできない。

    愛 もまた、よそのクォーターバックに嫉妬する必要はなく、
    自分の愛情の価値を自分を知る人の為に誠実に磨くだけのことであろう。


ただ、聖人君子が、ひとつだけ「嫉妬」とよく似た状態になる場合があることはある。
そうなった場合、心の炎が燃え上がり抑えられなくなるだろう。
それは、愛するものが、山で遭難したとか海で行方不明とか、そういった場合だろうと思う。
そしたら、居ても立ってもいられないし、何処まででも何日でも探し回るだろう。

だから
注意しなければいけないのは、

偽物のダイヤならば、何度もテストしてみるのもいいだろうが(徒労なはずだが)、

本物のダイヤを、試験にかけるのは、その価値を減じるか、台無しにしてしまう恐れがあることだ。


小人しょうじんの「嫉妬」は、非力な自分(プライド)を護もるために相手を犠牲にするものだが、

君子の「愛」は、自分を犠牲にして相手を護ろうとするものだ。だから、1度でも試したら取返しがつかない。


君子がなかなか人を好きにならない理由と
愛する人とは互いに信頼し合えることを重視する理由は、その辺りにある気がする。





 

[688]ハァモニィベル[2018 05/16 19:30]
*
定義が腑に落ちるかどうかは、意味の範囲の適切さ、
つまり、意味の限定性と網羅性との両者のバランスのとれた
妥当さからくる、と思うので

あまり一面的なのは、一面的な説得力しか得られないでしょう。

【悪魔】という項目について考える場合に、思いつきでそれだけを定義する
のでなく、他の類似の項目と、どこで識別できるのか、そこまでちゃんと
考慮する必要があるわけです。

【悪魔】【悪鬼】【怨霊】【妖怪】【阿修羅】・・・etc.



例えば、>>686 のるる辞典の【悪魔】の項目では、

(極端 かつ 魅力的)であること、が識別の条件ですが、

 【阿修羅】も、ある意味、極端かつ魅力的なのではないでしょうか?

 具体的な事例に当てはめてみましょうか、
 たとえば、トランプ米大統領なんか、どうなんでしょうね。
 大統領に当選した頃は、(極端であり、魅力的)であったのだろうから、

 るる辞典によれば、「悪魔」ですね。
 但し、最近は、魅力の方が欠けているので
 「悪魔」でなくなってきた、ということになりますが、

 それは、逆だろう、最近のが「悪魔」だろう、と感じたり言ったりする人も中には
 いるのかもしれません。




まあ、もっとも、るる辞典の趣旨は、
「悪魔」という言葉には、悪しき悪魔性が色濃く憑いているんだけれども、
それだけでなく、「悪魔的魅力」と言うように、否定し難い魅惑も含まれているのだ、
という祝言が(種)としてあるのでしょう。(キチンと花にまでしてほしい所でしたが)


仏は中庸を説きますからね、逆に悪魔は極端、と発想してみたのかも知れませんが

そうすると神もやはり極端ですから、さしずめ悪魔は神の親戚なのでしょうね。




フレンホーフェルという画家をご存知でしょうか?
「美しき諍い女」が有名なんですが。

バルザックの『知られざる傑作』に出てきます。
それに、セザンヌも、ピカソも、悪魔的に魅了されたわけです。


 

[687]渚鳥[2018 05/16 17:59]ハァモニィベル
村山槐多『悪魔の舌』読んできました。
暑い日にふさわしいほどゾッとしたよ。
だふだふ、とか。凄まじいねぇ。

>>685

なるほど傷つきやすかったんだね、うちの○○は……。
憎めなくなります。
 

[686]るるりら[2018 05/16 17:41]渚鳥ハァモニィベル
悪魔の定義★ずばり、あくまとは 極端でR。



たとえば、デーモン小暮は極端な顔面をしている。彼は正解でR。
たとえば、河鍋暁斎という絵師は もともとは【狂斎】と名乗っていたが  暁斎と名前を変えても【きょうさい】と 呼ばれることを望み、大英博物館で開かれた河鍋暁斎展のタイトルは【デーモン オブ ペインティング】。彼の雅号のひとつ「画鬼」の直訳であったとさ。
あくまとは、鬼才と呼ばれる人々が有しているものであり、つまり極端に人々を惹きつける力のことでR。


なんちゃってね。親戚にもらった古い雑誌に この画家のことが書いてあって、鳥獣戯画みたいな画や幽霊的な絵やその他 いろいろと魅力的だったので、紹介してみましたとさ。 
 

[685]ハァモニィベル[2018 05/16 17:35]るるりら渚鳥

渚鳥による【悪魔】は、下を読む限り、
かなり傷つきやすいご様子が伺えるな。

たとえば、神と仏と悪魔がいたら、同じものを見たり、同じことをされても、
神や仏は傷つかないのに、悪魔はひどく傷つくんだろうな。僻みが凄いわけだ。
だから、
そんな、我が身を振り返るよりも、というよりむしろ振り返らなくていいように
「自分を傷つけたもの」というのを藁人形に仕立てて、「十年」お守りにするわけだ。

悪魔が目の敵にしているほど、神も仏も悪魔のことは眼中にないんじゃないか、
という気もするけれど、悪魔が権力を持っている場合には、醜い「報復」があるんだろうね。

プロメテウスは、鎖に繋がれて、
生きたまま肝臓をハゲ鷹に喰われつづけたし、
ソクラテスは、毒杯を仰いだからね。


まあ、でも、【悪魔】と一言でいってもさ、何かあるとスグ自分が馬鹿にされた、と
捉えてしまうような、そんな下等な悪魔ばかりじゃないと、上等なセンスのいい悪魔や
やさしい悪魔がいることを、空想してみたい気もするのだよ。

どうせ絶望するならね。
 

[684]渚鳥[2018 05/16 15:31]ハァモニィベルるるりら
【悪魔の定義】

・ひとたび傷つけられると、自分を傷つけたものを10年の間いたぶる。

・ヒトに寄生している悪魔を追いかけると、自分が悪魔の姿になってしまう。

・「悪魔の邪推」を公の場で証明することで、ヒトの体の中の悪魔を不安にさせることができる。しかし、それを行うのは危険だ。生き地獄とも呼べるほどの報復を受けるだろう。



後れ馳せながら……【悪魔の定義】でした。
 

[683]ハァモニィベル[2018 05/16 00:02]
『スガラムルディの魔女』を出して来たから、
もう読んだのかと思ってたよ。

魔女というのも掘り下げると奥が深いだろうとは思うね。
ジャンヌ・ダルクとかね。聖女過ぎたんだろうな。
その点、悪魔と共通の哀しみがつきまとうね。

サタンだって天使のリーダーだったという噂だからね、
むしろ聖人すぎると、聖人ヅラした悪魔から「アクマ」呼ばわりされるんじゃないか
そんな真相を、どうしても感知してしまうけどね。

もっとも、私が思い描く単純な「魔女」のイメージは
白雪姫の継母だね。

そもそも聖人君子は、嫉妬という感情が沸かないんだよね。ゼロでないにしても 0.3くらいだな。

だから、その人が白雪姫なのか、継母なのか、知るには
「嫉妬心」が醜いかどうか、それをじぶんで鏡に尋ねるといい。

男の中にも、白雪姫の継母は、けっこう居るんじゃないのかな?


 【白雪姫】:祈りの種が行為という花になる人

 【その継母】:嫉妬と呪いの種が、他人の花を枯らす行為になる人



スペインのバスク地方は(魔女伝説の土地)で、
そこで行われてたという『魔女の夜宴』をスペインの画家ゴヤが描いてる。

映画の題名になってる スガラムルディは、そのバスク地方の
ナバラ州というから、世界史を知っている人にはお馴染みの
かつてナバラ王国があった所だ。ナバラ王国というのは、
日本史を知っている人にはお馴染みのフランシスコ・ザビエルの出身地だな。

だから、
ザビエルが来た時、魔女も一緒に日本に連れて来た、というSFが書けそうだ。

悪魔が一緒に着いてきた――という設定は、既に芥川龍之介が書いているね。
これも、青空文庫で読めるよ。

  『煙草と悪魔』(芥川龍之介)

という作品がそれ。


「悪魔」について考えることは、
「文化英雄」とか「トリックスター」についても一考することになる。

ほんとはそういう論点だと思うけどね、
まあ、そろそろ話題を変えよう。

魔女も森から出てこないようだから。
 

[681]ハァモニィベル[2018 05/15 09:56]
うーん、いいね。

 快楽のツケは胃袋より大きい、というわけだな。

例えば、その物語を脚色した想像なのでぜんぜん事実とは異なるだろうが
奥さんの方にいる悪魔は、おそらく、普段はメシを作らないのだが、なぜ
かその日にかぎって、ご馳走を作ったりするんだろうな。それが悪魔の仕業
というわけだ(私の定義からみるとね)。



おもえば、

槐多の『悪魔の舌』も、舌以上にさ、何を食べても胃が何ともないんだから、
「悪魔のはらわた」と言うべきだよな、という気もする。

じつは、悪魔は心の中にいるというより胃袋にいるのかもしれんな。


少なくとも、ワトソンの中の悪魔は心の住まいのほかに胃に広大な別荘がありそうだ。




それにしても

ワトソンが面白いせいで、話が弾んでしまうのは、たっこんぐの中の天使のはたらきだな。




【悪魔】以外でも【コトバ】を何でも定義して頂いてOKです。


私は以前、こんな定義を書いたりしました。


 【都市】:人類という菌に冒された地球の外皮にあらわれる症状


こんなキツめのブラックユーモアでなくも、お好きな味付けでどうぞ。


 【人間】:悪魔に嗤われ、仏に憐れまれ、神に怒られながら、祈りつつ生きている何処かいじらしい奴らとその隣人



などなど
 

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