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【petit企画の館】/蝶としゃぼん玉 (創作系)スレッドオペレーター:ハァモニィベル
***

【petit企画の館】

当館へようこそ!いらっしゃいました。
お気軽に中へどうぞ。

この館の【趣旨・目的】は、あくまでも「創作を促進すること」です。

 --------------*--------------
ここでは、次のことを、お愉しみいただけます。
 --------------*--------------


◆Menu◆

【1】:プチ企画をつくり、この場に投げる。(テーマだけでもよい)
【2】:企画について検討し合うのもアリ。
【3】:企画者と参加者は、それに沿った作品をこの場/その他に投稿/報告する。
【4】:前のプチ企画が終了したら、次の企画を提案する。
【5】:自由に関連した話題を提供/談義しながら、創作意欲を刺激し合えればgood!

(注意書き)
********************************
詩に限らず、文芸全般・漫画原作・映画(ドラマ・舞台)シナリオ
など、和洋、古典・現代 を問わずに、俎上にのせてかまいません。
********************************

オカシナ記事が書かれた場合などには、スレ主の判断で、いきなり、又は注意忠告をした上で、
削除する場合もありますので、事前にご了承ください。

基本的には企画提案者が仕切ってくださる方がいいので、自由円滑に書いてもらえたら
うれしいです。読んでいる人が愉しいと思う場所にぜひしてください。

(尚、本スレッドは、下記スレッドを引き継いでいます。
 http://po-m.com/forum/threadshow.php?did=316267 )

それでは、開幕です。

********************************

[800]ハァモニィベル[2020 07/10 13:23]
いいですね。天日子
なるほどな、と思いました。

「現代のプロメテウス」



《 2020年 のプロメテ 》


 

[799]足立らどみ[2020 07/09 21:22]
無頼者気取りの私に常識人のレッテルをよくも貼って貼ってくれました
サロンパスのスースーのベルさんには通用しないか。

僕の今の将来の夢は鬼になることかもしれませんので、
この時期だからこそ、テーマはアマビエでどうでしょう。
というのも、知り尽くしていたと思っていた鬼が鬼もうつるコロナのせいで、
家に隠れてしまったからなのか妖怪がこれ幸いと街に繰り出しているように
思えて不安なのです。先ずは分析です。妖怪アマビエでどうでしょう?
 

[798]ハァモニィベル[2020 07/09 19:24]
発想センス マイナス 100 
でしょうね。

繊細さがゼロ(全くありません)です。

だったら《跳躍》じゃないんですか?

と(わたしは)思いますよ。


最後に感じたので言っておきますが
テーマって狭小な欲望が描くような目論見ではありませんよ。




アラガイさんの、親切な示唆はなるほどな、と思いました。
私に向けての仮説としては的を射てますね。



とりあえず、この話題は終了しましょう。
 

[797]るるりら[2020 07/09 08:43]
テーマは、飛躍。って、いうのは どうでしょ
 

[796]ハァモニィベル[2020 07/09 07:58]
>「将来の夢」
というのは、限定の仕方にセンスがない。

高校生に書かせる感想文の課題のようだ。

作品をそそる為のテーマとしては意味を限定し過ぎだ。



テーマという(わたしの言葉)を、

タッコングは、タッコング流に

らどみさんは、常識的に

私の示している意味を無視して捉え過ぎだ。



「夢」でもいいが、そういう事なら、私は自分で辞書でもランダムに引けば
済むわけで、敢えて尋ねる必要がないので、プラスの語が欲しいが

「将来」という語句には一般的に訴求して響くものがない。
平和慣れした不安症の若者にだけ訴求する語句だ。

「スッキリしない」=自分の中に引っかかるもの、という感覚は
タッコング流のテーマの捉え方で、興味深いが、
そーゆー偏った事なら、そもそも私も他者に質問しないよ。



もっと抽象化した語句を出して欲しかったな。


 「父と子」というのがテーマになった時代というのは、
戦前育ちの親父と、戦後育ちの息子という
その両者の間に葛藤が(そこらじゅうに)あったからだろう。
けれども、世代間ギャップというのはいつであろうと普遍的なテーマだ。
だから、創作の源泉になりうるだけの((テーマ=語句))になる。


今は、何が問題になってる時代なのかね?
という質問をしてみたわけだけど 同時に
そこから何か普遍的なテーマ=語句が出ますか? というのが私の質問だったので

不明という事なら、それで話は終わりだ。
 

[795]足立らどみ[2020 07/08 23:47]
流れはちゃんとあるのだから、テーマは「将来の夢」でそ。
 

[794]ハァモニィベル[2020 07/08 22:18]
こち亀


 

[792]アラガイs[2020 07/02 03:21]ハァモニィベル
詩人劇、みたいな事をやってみたいとは思わないか?僕は表向きには出たくないけどね。もう歳も年だし。若い世代の人たちが集まればね。舞台で何かできないかなってね。個性の強い人たちばかりだろうから、まとめるのもたいへんだろうな。でも、そんなユートピアを思い描いてる。
 

[791]ハァモニィベル[2020 07/02 02:55]
何か、【テーマ】はあるかい?

発想するキッカケに、単語でも語句でもいい。

そこから名作が生まれて来たりするものだよ。
例えば、
【父と子】というテーマから

『巨人の星』が生まれ、
『子連れ狼』のような名作が生まれた。

まあ『天才バカボン』になったりもするかも知れないが。

ただの語句から、
名作や、愛される作品が生まれたら一興だろう。


私は【父と子】みたいな家族的なテーマは嫌だけど、

何か、今、求められてるようなテーマはあるかい?タッコング。



 

[789]るるりら[2020 06/29 11:38]ハァモニィベル
>785
たこすけ さん、オッケー。

https://userweb.vc-net.ne.jp/doyobi/profile.html

上記のリンク先にある住所が公募先です。いろいろ住所書いてあるけど、一番最初に 書かれている住所です。

宛名は【土曜美術社出版販売「詩と思想編集部」】
応募要項
◆未発表作品に限る。
◆ひと月に三作品以内
◆一行20文字以内40行以内(タイトル含まず、ワープロ原稿も一行20文字で印字を)
◆縦書き
◆各作品、冒頭にタイトル、氏名。
末尾に 住所氏名、本名、職業、年齢を明記。
◆原稿は一遍ずつ右上端を綴じ、一遍につき かならず二部 送る。
◆封筒の表に〈読者投稿作品〉と朱書き。原稿は、返却されない。
◆なお、「新人特集」および「読者投稿欄優勝作品」に登場された場合は、それ以後の投稿はみとめられない。


補足として、るるりらの経験から意見。(私は土曜出版の人間ではないので参考までにしてね。)
土曜出版から名簿が送付されてきたことがあります。そして、私の実名が名簿に載っていました。もしも、実名を大勢に明らかにしたくない場合は、名簿に実名を載せてほしくない旨を明記し ペンネームで活動することをお勧めします。
 

[787]鵜飼千代子[2020 06/28 20:46]
>785

タコさん
時間とお金の無駄遣いだと思うけれど泥濘が好きならどうぞ。

エゴで作られた出版社の食い潰し要員というはなしです。タコ助なんだろうけれど人に無駄口叩かせずもう少し調査してから絡んでね。痛いわ。
 

[784]ハァモニィベル[2020 06/27 19:36]
下記を受けて)コメント。加筆あり。

タッコングは、「入選・落選」ということに価値を置いて、私を誘ってくれているわけだな。


千代子さんは、裏側での風紀の乱れに無価値を置いて、私を止めているわけだ。


両方とも、まるで私がその《環境の中に》組み込まれてしまう人間だ、と思っているようだ。

特に、入選落選という価値については、NHKの紅白歌合戦を考えてみればいい。
かつては、紅白に出ることは名誉なことだった。実際にも国民的ヒット曲と歌手が並んでいた。ところが、いまの紅白には見る価値がないだろう。そうなると落選しても不名誉な感覚を抱けないという別の意味での残念さしかないのではないだろうか。

投稿者を、自分の環境の型に組み込むことを良しとするような、雑誌や出版社は、
新しい時代を切り開くことはできない。(良き伝統は守っていくべきだけどね)


どうやって入選しようか、と考えることは

どうやって売ろうか、と商売で儲けることを考えるのと似ている。

経営という事を無視することができないのは勿論だけれど、

ただ売れればいい、儲かればそれでいいという仕事(=受け手に満足感がないもの)は、

文芸性をもった作品
(マンガやドラマや映画も含めて)の場で それをやってれば

享受する側の信頼を裏切りつづけるから、やがてはその場所自体が衰亡する。


ましてや、《詩》であれば、本来は最も純度の高いものだ。

絵画や詩である筈のものが、ただの落書きに鑑定書がついて売られるようになると、
それをみた人々の精神そのものが荒廃して、平気で風紀が乱れるようにもなるだろう。



感動させるから、考えさせるから、新しい世界に眼を開かせてくれるから、心を洗ってくれるから

だから、売れる。

だから、自然に人が集まる。(不思議と人を惹きつける力がある)


そういう精神と、目利きが、編集の方々に在る 雑誌 には、私は投稿してみたいな、と基本的に思うと思う。

そういう気持ちというか心は、何処かに必ず在ると思うんで、ジャンルに囚われずに

感動を受け入れてくれる場所を、探してみるつもりでいる。それが何処かはいまは解らないけど。







 

[783]鵜飼千代子[2020 06/27 18:13]
>780

どういう出版社か知る面倒はした方がいいでしょう。

「自称詩人」が親族にいても恥ずかしくないけれど、土曜美術社に関わっている人が身内にいたらひきこもりたいですね。外を歩けない。
 

[782]るるりら[2020 06/27 17:18]
たこすけさんかベルさん。あとだれでも いいから
お金書けずに、詩と思想で 掲載されてほしい。

わたしは、お金をすこしだけかけてるけど、スランプに
おそわれてるから、めったに 投稿してない。わっはは
 

[779]ハァモニィベル[2020 06/25 22:05]
雑誌を買う余裕がないからね。それに読む機会もない。

投稿するなら、礼儀として最低でも読んでないとな、と思うけど
本屋とか図書館にもない場合もあるしね。

ほんとうは、通して読んでないとその雑誌の良さはわからないということは
あるだろうな、と思うよ。(内容に波があるだろうからね)
剣道の雑誌がそんな感じだった。まとめて読んでみたら、けっこう良さがわ
かった経験があるよ。古本屋に大量に投げ売りされてたから。
詩の雑誌は、古本屋でもあまり見かけない。

むかーし、中学生のときに、少年ジャンプを毎週読んでた(電車通学だから)
それで、応募企画があって、書いて送ったら、当選して、
キャラクターが描いてある腕時計を貰ったことがあるよ(笑)。

入選すると雑誌を送ってくれる、というのは良心的だね。


私の生活のなかで、だんだん 詩を書く機会がなくなりつつあるもんね。

そういう環境がないからだな。

何か、刺激になるキッカケがあれば、それを受けて、何かは書くとは思うよ。

書くという作業がわたしから無くなることはないだろうから。
 

[778]鵜飼千代子[2020 06/25 20:59]
脳味噌お花畑の人が定期購読したりご機嫌伺いの詩評会に毎月行かないと掲載とかされないらしいよ。らぶほ出版社を詩の出版社として関わりたくないし、身内が投稿しても課金しても吐き気がするから誘わないで欲しい。
 

[776]ハァモニィベル[2020 06/23 16:39]
ストーリーだけ、
ともかく色々考えたりしてる
 

[775]ハァモニィベル[2020 06/22 20:39]
興味あるよ。
最近、興味が出てきたばっかりだ。
 

[773]ハァモニィベル[2020 06/21 22:49]
「雑誌投稿」

ないよ。
 

[772]ハァモニィベル[2020 06/21 21:39]
大丈夫だよ。
 

[769]ハァモニィベル[2020 03/16 13:15]


ちょっと ケルベロスの頭を撫でてていただけだよ。



(ウィルスに気を取られて、
 素朴な注意を怠ったせいだな。意外な敵がいた)
 

[766]ハァモニィベル[2019 10/01 23:50]

下は、タッコングの(A)を使っているから
純粋に私の作品ではないし、私に家族がいるわけでもないからね
注意深く読んでくれれば、

「わたし」ではなく「そのひと」という文言で描いていることや
そのひとの眼に映ったものを隣で観ている私の心象詩なんだってことが
わかると思う。


 

[765]ハァモニィベル[2019 10/01 23:26]


《望遠鏡》

帰路は必要な電車に乗るそのひとの眼に、
小一時間ほどの車窓の景色が映っていた。
ながめながら 薄れてゆく その風景は、
新しく建設中の高層の建物の群れ。
時折、トンネルが、
今日いち日働いたことごとを思い出させる。

電車を降り
どこへいくのだろう

感覚もない蝙蝠がたどる様な
複雑な軌道を通って

巣に帰るつばめのように
クツを鳴らして飛んでゆく

そのひとの感覚がだんだんと濃くなってゆく

しゅんとひゅんと飛んでゆく
「我が家」を思い描いて

変わらない今日の彼方に

あったのか
思い出せない
そこに

何が
以前のままでいる、
のだろう



 

[764]ハァモニィベル[2019 10/01 23:19]
こんばんわ、タッコング。
書いてくれてありがとう。

きみの(A)をつかって、
(B)を書いてみたよ。上。
 

[762]ハァモニィベル[2019 09/26 01:16]


3連目までは、特に違和感はない。

5連目で最後は、SF浦島太郎 だね。

4連目が「写実」と絡むところだけど、工夫が足りない。
工夫が無いという意味ではない。した工夫の「工夫が足りない」。

全体としては、この作品ならば
 《家族の姿を思い描いてる、帰路にある人物の心》
を掘り下げる必要があるね。

 自由は無いけれど、自分には家族がいる。

というのが、この作品のテーマだろうから。



タッコングには三度笠も似合うよ。
書いてくれて有難う。
 

[760]ハァモニィベル[2019 06/15 19:13]
では、少し実践的に考えてみようか。

以下のテーマで1本ずつ計二本書いてみてよ。

(A)写実的な詩
(B)心象的な詩


【ヒント】

次の引用文を参考にしてくれ給え。
(いずれも古い文なのは気軽に引用できるというだけで他意はない)。


●――――――――――――〔引用開始〕(※便宜上番号を振った。筆者は異同がある)

【1】 現実の輪廓を模してその真を失ふのが凡庸な芸術家のつねである。これに反して一見現実の形を無視したかのやうに見えながら或は現実を全く変貌してしまひながらもよく現実の精神を捕捉する者こそ真の芸術家である。


【2】 すべての一流の芸術は本質的に皆、若さを持っている。その精神に「若さ」を持たない芸術は、決して真の芸術ではない。特に詩においてそうである。
            〔但し、 本質的な「若さ」を秘めながら 芭蕉は「老」の境地に身を置いてその芸術を創り出した秋・冬の詩人であった。と、春・夏の詩人蕪村を論じる中で対比しながら、しかし蕪村もまた冬の詩人でもあったと続く箇所から引いた文。〕


【3】 〔中国の山河を直に見た日本画家によれば〕支那の南画の山水が決して現実を歪めたものではなく、あれがそのまま正確な写実であることが分るという話であつた。日本の画家が南画に写実を見ず、象徴的な筆法や形のみを学ぶのは誤りだという意味なのである。

【4】 天文学の発達が、月を疱瘡面あばたヅラ醜男ぶおとこにし、天女の住む月宮殿の連想を、荒涼たる没詩情のものに化したことなども、僕等の時代の詩人が、月への思慕エロスを失つたことの一理由であるかも知れない。しかしもつと本質的な原因は、近代に於ける照明科学の進歩が、地上をあまりに明るくしすぎた為である。


【5】 しかし、私は数年前京都の嵐山に住み、雨の日、雲の低く垂れた嵐山や小倉山、保津川の風景に、日本の山水のふるさとを見て呆気にとられたことがあつた。日本画の山水の風景が実在することを納得させられたのであつた。

【6】  「埋火うずみびの/ほかに心はなけれども/向へば見ゆる白鳥の山」
 香川景樹の歌である。日本の昔の文人詩人画家、自然を愛した人達の山を見る心は、概ね、この歌の心のやうなものではなかつたかと思ふ。登る山とは違つてゐた。心象の中の景物であり、見る山であつた。


――――――――――――●〔引用終了〕


(註―― 香川景樹 は、江戸後期の歌人。斬新な歌論を展開したが、保守派に憎まれて「大天狗」と罵倒され排斥された人である。 上記【6】の文章は坂口安吾のもので、その歌には 見られる山 でなく、その人が「見る山」がある、と洞察しているが、香川景樹の背景を踏まえてその歌を味わえば、更にそこには普通の人の「見る山」以上の作者の心象が籠められて映し出されているのがわかる。)


----------------------------
さて、

では、タッコングよろしく頼むよ。
きみの低い鼻を多少は伸ばして頑張ってくれ。

ゆっくりでいいよ。待ってないから。


 

[759]ハァモニィベル[2019 06/15 17:13]
意味不明に近い憤激を味合わせるのも、きみの理想なのかい?

などと言うときみのコンプライアンスに引っかかる可能性があるから

アイロニー抜きでシンプルに言うと

「じゃない」っていうのは、何も言ってないに等しいな、と感じるよ。

特に、理想を述べる場合はね。

リンゴじゃないんだ。柿じゃないんだ。キウイじゃないんだ。
と期待させておいて、その実、ドリアンなんだ。

なーんだ。 

という場合もあるからね。だったらリンゴのがましだよ、とね。


ただ、理想が極めて明確だ、ということも通常はないものだからね。

凝り固まったシソ―めいたものなんか窮屈だしね。

孔子にしても、釈迦にしても、誰かとの会話のなかに、または、個々の状況に出会って
その行動の中におのずと現れてくるものだ。

ソクラテスは「貴方達は知っているつもりで何も知らない」と正論を言って処刑された。
いくら無知の知でも、そうなることは承知していた筈だが、それでも、言うべきだ、
という良心・良識を取ったのだろう。
ところが良心・良識的な良薬ほど苦いものはないからね。

一方で、イエスは、「どんなあなた達でも神は愛してくれる」と説いてはりつけになった。

理想というのは現実を前にすると儚いものだ。

その苦しさに屈するのがフツーの人だから、
理想を持つ、と一言でいっても、鼻息だけですむほど簡単ではない。

石ころだらけの中で独り宝石でいる覚悟がなくては務まらないよ。


 

[756]ハァモニィベル[2019 06/12 02:10]
あまり説得力が感じられなかったぞ。
自信が持てないので、代わりに芸名を自暴自棄太郎にしてる人のようだ。印象はね。

これは推測だけど、
君自身がこうでありたいというその理想(あるいは願望)からは、自身の現実が遠いと(きみ自身が)感じるから、
心の底の方で自信を喪失してるのかも知れないな(そうだと決めつけてないよ)
仮に、だとしても、私にはふしぎなのは、現実を自分のイメージするものに発展させていく自信が薄いようだな。
上昇というか向上の意欲はあるだろうが自信が薄いな、という印象を受ける。

けれども、私の批評眼(一流じゃないかもしれないが)で言わせてもらえば、
きみの価値は、きみの理想(or願望)に達しないと存在しない、あるいは、だから三流というわけじゃないんだぜ。


この「蝶とシャボン玉」で、魅力的なタッコングをやれるのは君だけだろ。それは大した君の器量だよ。
他の人たちは、もっとずっと、ガラスのプライドの持ち主ばかりだからね。るるりらさんにしても、なかなか立派だと(わたしは内心)思っているよ。

しかし、君自身に、君の理想がなくて、ただ、名利通達したいだけの欲望の怪獣なのだとしたら何の魅力もないよ。

きみには《きみの詩》がないわけだからな。


さて、


>売れてるし、社会的にも認められているからね。

フーン。それだけの理由でそう思えるんだとしたら、きみは
タッコングではなく、タコやんというところだな。

>で、彼女たちを一流にしたときに、
>我らがタッコングは三流になるのは自他ともに認めるべきやな。

ヤレヤレ。誰かが一流だと自分が三流になるわけじゃないぜ。
三流は、三流だから三流なんだと思うけどな。
また、公認があるから一流とも思わないよ。公認論はまた別に考えてみよう。機会があればね。

実力というものについて、あくまで相対的なのさとタッコングが思いたいなら思ってもいいけど
そうすると、タッコングは、もしかして実は5流なのに繰り上げ当選で三流に上がってるんじゃないのと思われることにもなるよな。

そーゆー粗雑な認識の世の中では、繰り上げ当選の一流が跋扈することになってしまうよ。
それにさ、

>三流のやつが偉そうに一流の風ふかすなって

という認識もさ、どうなのかね。それは裏を返せば、一流は威張っても許しますって考えだろ。
しかも繰り上げ当選の一流に威張られるんだもんな。俺は嫌だな。

威張ってなくても、威張ってると受け取る卑屈な土人も、M78星雲には居ないんだよ。

理解力のある人に叱られるのはいいけどね。

でも、理解力のない人間に威張られるのは、人類的レベルで辛いことだよ。

ウルトラマン的にはそう思うよ。

さて、

最後は、タコなのかイカなのかわからない事を宣ってたけど、

そもそも、きみは、「人」に一流の味なんて求めないよ、と言っていたろ。
それについて説明してくれたのが、


人っていうのは、人間で
俺と繋がりのある人を示すよ。
無関係なやつに向かって
いきなりてめぇの店の商品はくっそまじーんだよ。
なんてことはいわないってだけ。


と言ってる、この部分だと思うんだけど。
さて、この部分、
「くっそまじー」を遥かに越えた珍味なほど論理が捩じくれてるように思うのは
私だけだといいけどね。


まあ、説明ベタだと自認している、タッコングだからね。
包丁で手術するのはやめておこう。

が、きみが一貫してタッコングであることを祈るよ。

時折、タコやんになっても平気というのじゃ、信頼できないからね。

>あっはっは!!

細かいことにこだわらないこの鷹揚さも大事だ、と君は僕に自信をもって説けばいいのさ。それが一番のおそらく君が持つ魅力であり

だからこそ、ここでタッコングの称号を持っているんだから。


ではまた
 

[754]ハァモニィベル[2019 06/09 17:34]
週末怪獣タッコングには悪いが、ウルトラマンは3分しか待てないんだよ。

まあ、タッコングの吐き出す「撰」ビームの感じはわかった。

「タッコング、きみのたこ焼きは、なま焼けだよ」とか言っちゃいけないわけだな。
撰には、正露丸が必要だな。

さて、


>一流の味(中庸)なんてものを、人には求めないよ。

というきみの、想定している「人」というのが興味深いな。それについては、もっと説明が必要だな。

>どうやってその味〔一流の味〕をだせばいいのかもしらないし

そーゆーのを、伊藤仁斎は「自暴自棄」と言ってるが。

俺の考えでは、それへの処方箋が「性善」説であったのが、古代・中世でね。
聖人君子は理想だった。
ところが近代以降は、現代もそうだけど、聖人君子の価値が暴落した、というより、聖人君子であるほど地面に咲く悪の華になりがちだ。

低俗なデカダンスと 聖人君子の悪の華の 区別がつきにくい時代になっている。だから味覚が大事なのだよ。


>二流の味はそれはそれでいいさ。うん、楽しかったと笑う。

二流の味が楽しいか、疑問だけどね。B級グルメのことを言ってるなら納得できなくもないな。
もっとも、俺的には、B級グルメの中にも一流と二流があるような気がするけどね。

>三流の味のなかに、何かいい点を見つけたりして話し合う。

なるほどね。「一流の味は求めないよ」というタッコングなんだから、当然そうなるだろうね。欠点は指摘しない。
ただ、「見つけたりする」「何かいい点」がどんな点なのか興味深いね。二流の楽しさでないといいけどなぁ、と何となく不安だね。

そこで、心を開いてくれたなら
二流の味のために、公式めいた答えでなく、
その人にあった答えを一緒にさがせれ〔ママ〕たらと願うね。


「その人にあった答え」というのは、例えばどんなものなのか、事例を上げて説明できるかい?
(➡ 口先だけのキレイ事を言う人間を「郷原きょうげん」というのだから、
    きみは違うと示す意味で、そこは具体的に説明すべきだね。まあいいけど)

良薬は口に苦し、というだろう。オブラートにくるんで飲ませられる薬だけがクスリじゃないぜ。
飛び上がるほど痛い塗り薬もあれば、太っとい注射もある。

もっとも、私のように麻酔もかけずに手術するのは、異議もあるだろうけどね。どんなに手際が鮮やかでもね。


因みにさ、孟子でも荀子でもなく、ソクラテスの弟子プラトンでもないが、
『坊っちゃん』の作者:夏目漱石の弟子と言えなくもない、

内田百閒は、彼の有名な紀行の中で、用事もなくただ旅をするときには一等列車に乗りたい。用事のある時は、三等にも乗るだろう。
 「しかし、どっちつかずの曖昧な二等には乗りたくない。二等に乗っている人の顔つきは嫌いである」
と書いてるよ。

頑固オヤジの店がはやるのに似て、
内田百閒は愛された随筆家(小説もある)だったね。

それは、
性善なるものを愛する人間の、自然な反応があるからなんだと思うよ。


おわり。
 

[752]ハァモニィベル[2019 06/07 22:55]


まあ、君の「週末まで待ってろ」宣言はタッコングの言葉として、
若き仙人に届いたよ。(君の多忙を考慮して返って恐縮した。はっはっは)


では、参考までに補足して置くよ。

 善=正義 という風に頭を混乱させて平気な人がいると困るんでね。

 「正義」っていうのは、相対的なものだから、甲と乙が争えば、正義は主観としては二つある。
 これは、当たり前のことだ。
  判決は1つだから、それが妥当な正義と言えるかも知れないが、裁判官5人が全員一致とは限らないからね。それを考えても、正義は相対的だ。文化も背景も事情もそれぞれだからね。

 そのこと と 今話題にしている

<性善・性悪>という問題とを混同しては、大分あたまが粗雑だと言わなきゃならなくなる。

性善っていうのは、

私の言い方で説明するとね、悪に対する不快感がある、という感覚・センスだよ。


赤ちゃんは、赤ちゃんなのに、アンモラルな行為を見ると拒絶感を示す。そして、善良な行為に好意を示す。
何ら、理性の働きを経なくても、直感的に善良なものを好きになり愛するのが、多くの人間の自然なんだね。


 「悪に対する不快感」というのは(念の為書いておくけど)

 赤信号無視を取り締まる融通の一切きかない狭量なお巡りサンの正義とは全然違うものだ。事情を抱えた相手の
 声が全く聞こえない耳は、そもそも正義の耳とは言えないだろう。

 そして、今度は、事情があるフリをする者の擬態が見抜けないフシ穴を正義の眼とは言い難い。

表面的、カタチだけの「善/悪」というのに几帳面すぎると狭量だ、ということになるよね。
「狭量」なんてものじたい、教頭か校長先生くらい悪だからね。


だから、ここで話題にしているのはね。

ボンクラな定規で測った善悪とは、全然ちがう(センス)の問題なんだよ、タッコング。


それは、文学的センスの問題になるだろ、結局。

(こんな風に言うと「文学」という言葉を死語だと笑う流行に敏感な人もいるだろうけどね)


流行主義者というのは、一見、人一倍 理屈張っている感じなのに、実際は、論理的な説明を理解するのが苦手な人が多い(内容を勝手に飲み込むのが得意だからね。豚の串焼きを食べて、ああヤキトリね的な人が多い),そういう印象があるからね、だから

直感的にも分かるように書いておけば、こうなる。

味覚のマヨラーは、けっこう、善悪の感性センスのマヨラーでもあるんだ、ということだね。


それは、「文学」のセンスと繋がっているものだ。




だから、
そんな感じなので、ここで、ちょっとこの話題が揚がっている、それだけのことだよ。
 

[749]ハァモニィベル[2019 06/06 22:11]
The End のあと、特に続ける必要もなかったな。
(タコの足音が一本もしないしな。)



因みに、赤ん坊の8割は性善で、2割が性悪だ、という研究があるよ。

パレートの法則によれば、2割のものが全体の8割を制するそうだからね

政治学では、性悪説が常識なのも頷けるだろう。



また、同じ人間でも、環境や年齢を重ねていくと、変わるのも確かだね。

私は、女子高生から中年の主婦、さらに老婆まで、大勢の多彩な悩み相談に応じる仕事をしていた時期があるけれど、おもしろい事にさ、

女子高生の8割は純粋な心を持っているのに、中年の主婦になると(かつて女子高生だった彼女たちの)その8割は、純粋とは言えない性格になっている。

40歳すぎても、純粋な心を失わずに、大人もやっている人はごく少数だ。

男の場合はどうか。例えば、弁護士を見てみると、若い頃は正義感にあふれていて良心的な人はけっこう多い。しかし、二十年くらい経つとどうなる人が多いかは、世間を見渡して見れば判るだろう。

それでも、青年の頃以上に交渉力がUPしていながら、青年の頃以上に誠実さに磨きがかかっている人も、ごく僅かながら存在する。

おそらく、一人の人間は、フツー、生まれた時には、善の割合が多くて、悪の割合が低いのだ。それが段々、人生のなかで風化して、悪の割合と善の割合が逆転するのだろう。
(生まれた当初から悪の割合が濃厚な奴らが混じっている影響だろうな)


だが、ごく稀に、どんなに風化しても、悪に染まらない、性善の純度が高いひとがいるのだ。(オセロの角のコマのようにね)

性悪の濃度が濃い人間が僅かに散らばっているのなら、

混じり気のない性善なる人たちも又、確かに、ごく僅かながら散らばっている。

そんな、哀しいミュータントのような人間のなかに、さらに僅かに詩人と呼べる人たちが埋もれているような気がする。




では

Thanks a lot. まだ見ぬ友人たち
 

[748]ハァモニィベル[2019 06/04 09:39]
いや、生まれた時点で、という決定論ではない。また、百人が百人全員同じという議論でもない。
自分はどうであり、他人はどうであるように見えるか、というきみの考えでOK。
(面白まじめに頼むよ)
 

[745]ハァモニィベル[2019 06/04 03:15]
よし。じゃあ、ぐにゃぐにゃタッコちゃんに
少し骨のあるところを見せてもらおうか。



>>744)「批評という近代兵器」より「もうちょっと土人っぽくやりたいのよ。」

と、「近代」なんて古い言葉を持ち出して来て、それよりもっと先祖返りしたいと言う以上、

そうなると、

流行より、ずっと深い所にある、物事の本質の方に触れなければならないぜ。

大丈夫かいタコ入道、息が続くかな。



と、わたしも愛情を示した上で、
一つ<撰>してみることにしよう。


古い「近代」は、個性を重視称揚した時代だったが、いまや現代は個性が成立しない時代だと言われたりするけれど、
周囲の製品を見渡すとホントに個性のコの字も見当たらないことが多いね。日本のどこに旅してもお馴染みのファミレスばかりだしね。
個性が死んだのか、殺されてしまうのか、そこのところ美味く、わたしに教えて欲しい。



まず、第一に、
そもそもさ、君の言うその土人は、性善なのかね性悪なのかね?
(二項対立アレルギーの絶対主義者だったりしたら最悪だね)

古来から、人間というものは、根っこは「善」なのか「悪」なのか、について様々に議論されてきた。
タッコちゃんはどう思うのか、以下の引用抜粋を読んでその問いに答えてほしい。
その答えをみて、君を再びタッコングと呼ぶかどうか決めることにする。


●――――――――――――〔引用開始〕

 嫉妬について 

 もし私に人間〔が性善〕であることを疑わせるものがあるとしたら、それは人間の心における嫉妬の存在である。嫉妬こそベーコンがいったように悪魔に最もふさわしい属性である。なぜなら嫉妬は狡猾に、闇の中で、善いものを害することに向って働くのが一般であるから。

 どのような情念でも、天真爛漫に現われる場合、つねに或る美しさをもっている。〔しかし〕嫉妬には天真爛漫ということがない。愛と嫉妬とは、種々の点で似たところがあるが、先ずこの一点で全く違っている。すなわち愛は純粋であり得る〔のに〕、嫉妬はつねに陰険である。

〔・・・〕ひとは自分〔で勝手に妄想し、それに対して〕嫉妬する。〔・・・〕

〔嫉妬には〕自分も彼のようになり得ると考えられることが必要である。〔・・しかし〕嫉妬は、嫉妬される者の位置に自分を高めようとすることなく、むしろ彼を自分の位置に低めようとするのが普通である。

嫉妬がより高いものを目差しているように見えるのは表面上のことである、それは本質的には平均的なものに向っているのである。この点、愛がその本性においてつねにより高いものに憧がれるのと異っている。

〔・・・〕嫉妬は他を個性として認めること、自分を個性として理解することを知らない。一般的なものに関してひとは嫉妬するのである。これに反して愛の対象となるのは一般的なものでなくて特殊的なもの、個性的なものである。

 嫉妬とは〔・・〕平均化を求める傾向である。
 
〔・・・〕英雄は嫉妬的でない〔と言うが〕彼等においては功名心とか競争心〔がそれに代わる〕情念〔になっているからなのであろう。両者は同じだろうか?〕〔・・・〕功名心や競争心はしばしば嫉妬と間違えられる。しかし両者の差異は明瞭である。功名心や競争心は〔公共的な意識だが〕、嫉妬〔心〕は〔公共意識がなく、全て〕を私事と解して考える〔からだ。〕

 嫉妬はつねに多忙である。嫉妬の如く多忙で、しかも不生産的な情念の存在を私は知らない。

 もし無邪気な心というものを定義しようとするなら、嫉妬的でない心というのが何よりも適当であろう。

 自信がないことから嫉妬が起るというのは正しい。〔・・・〕 嫉妬心をなくするために、自信を持てといわれる。だが自信は如何にして生ずるのであるか。自分で物を作ることによって〔である〕。

嫉妬からは何物も作られない。人間は物を作ることによって自己を作り、かくて個性になる。個性的な人間ほど嫉妬的でない。個性を離れて幸福が存在しないことはこの事実からも理解されるであろう。
――――――――――――●〔引用終了〕


さて、とても古い 三木清『人生論ノート』から、一部を抜粋して引用した(内容を変えずに、読みやすく調整してある)。これをいま読んでも、べつに違和感なく読めるし、むしろ、腑に落ちる指摘だと思うけれど、どうだろう?

嫉妬する者は、つねに公私混同する。という指摘も面白いね。

それに、何と言っても
>嫉妬がより高いものを目差しているように見えるのは表面上のことである、それは本質的には平均的なものに向っているのである。

と言うのが、恐ろしいほどイイね。

ちなみに、引用の中に英雄の情念に触れた箇所があったけれど、英雄の情念というのは、嫉妬の情念と対置されるものだから、当然、卓越したものを目指す精神だろう。それについては別に、「名誉心について」という一節がある。
そこには、こう書かれる。


●――――――――――――〔引用2開始〕
名誉心と虚栄心とほど混同され易やすいものはない。しかも両者ほど区別の必要なものはない。〔・・・・〕

虚栄心の虜になるとき、人間は自己を失い、個人の独自性の意識を失うのがつねである。

ひとは何よりも多く虚栄心から模倣し、流行に身を委かせる。流行はアノニムなものである。だから名誉心をもっている人間が最も嫌うのは流行の模倣である。名誉心というのはすべてアノニムなものに対する戦いである。

四足で地に這うことをやめたとき人間には名誉心が生じた。彼が直立して歩行するようになったということは、彼の名誉心の最初の、最大の行為であった。

〔・・〕人間はもはや環境と直接に融合して生きることができず、むしろ環境に対立し、これと戦うことによって生きねばならぬ。――名誉心というのはあらゆる意味における戦士のこころである。騎士道とか武士道とかにおいて名誉心が根本的な徳と考えられたのもこれに関聯している。

世間の評判というものはアノニムなものである。従って評判を気にすることは名誉心でなくて虚栄心に属している。〔・・〕両者を区別することが大切である。

〔最後に〕
ゲマインシャフト的な具体的な社会においては抽象的な情熱であるところの名誉心は一つの大きな徳であることができた。ゲゼルシャフト的な抽象的な社会においてはこのような名誉心は根柢のないものにされ、虚栄心と名誉心との区別も見分け難いものになっている。
――――――――――――●〔引用2終了〕


ゲゼルシャフトになりきれずに、ゲマインシャフトにも戻れない、現代社会という竜の悲鳴に、嫉妬が交じり合うと
一番背の高い凡人が褒められ、まだ小さな英雄は貶められ葬られてしまう。

そうなるのは、どうやら三木清によれば、虚栄心の強い凡人と、名誉を重んじる英雄の区別がつかないせいだ、ということらしいね。


と言っても、三木清が言うように

>人間はもはや環境と直接に融合して生きることができず、むしろ環境に対立し、これと戦うことによって生きねばならぬ。

とは俺は思わないがね。

 「対立して戦う」というのは、どちらかの死を意味するからね。

俺は、最良の結果が出るように工夫しぬく。それが性善な人間の生きる道なんだろう、とぽややんと思っているよ。

但し、なるたけ温かい土地でね。


 

[743]ハァモニィベル[2019 05/30 22:33]
>>742

るるりらさん 誠実な書き込みですね。
>>728の私の質問への回答をお受けしますよ。


>わたしどもには その質問に答える能力がなかったので、

という「わたしども」という複数形だけ気になりましたが(笑)。

私の質問>>728 に対する
るるりらさんの回答を整理すると
内容以上に、善意/悪意を重視する立場で

1.「おおむね好意的な」「人物が、過ちであるからこそ 微笑ましいという反応をすることがあ」る。

2.悪意しかいだいていない関係性にある人物」が、「悪意をもって欠陥」欠点を「否定する」ケース」がある。

という認識ですね。

それに付随して、3.「悪意をもって欠点を指摘しないことも、あり得ることです。」
と書かれています。

そうすると、るるりらさんによれば、欠点・欠陥でも
(1) 評価する場合、というのは、(好意的だから)か、(悪意で欠点を指摘しないから)であり、
(2) 否定する場合、というのは、(悪意があるから)

というわけですが、

ポイントである
善意なのか悪意なのか、は、
「心温まる交流となる」か「ひえびえとするような言い争い」になるかでわかる、
というわけですね。

それについて、私のコメントを述べます。
----------------------------

そもそも、善意/悪意 を基準につかうのに、その定義をしていないのが気になりますね。
お説に寄り添って解釈すれば、「心温まる交流」か否かで判定できるというのが定義ですが、
それは定義になってませんよ。

念の為に書きますが、批評する側の善意/悪意(だけ)で、会話の質が決まるわけではありません。
受ける側が悪意であれば、やはり、その場合にも会話は殺伐としたものになります。
つまり、「善意・悪意」は、会話する当事者の数だけ問題になるのですよ。
そこまで、細かく考慮されているようにはお見受けできないので定義不十分な印象を受けました。


なぜなら、あなたの説には、

      (1) 好意による評価 / 悪意による欠点の無視
      (2) 悪意による否定 /

はあるが、

(2)に当然入るべき、(善意=好意による批判)がないからです。


おそらく、あなたの場合には、

 好意による批判を、善意だとは受け取れないのでしょうね。

だから、批判者Aが、どんなに善意(好意)を向けていようとも、

そもそも善意というものを理解できない相手Bとは、「会話が冷え冷え」とすることもある、という事に思いが及ばないのです。


(2)の部分を省略しているのを見て、誠実な人間は
どう思うか、というと、
 そういう省略を行える人は、ものごとを自分に都合よく黙殺・隠蔽してしまえる不誠実な人間だと感じます。

なので、

コメンターが、善意か悪意かではなく、会話の当事者双方に善意がなくては、
温かい交流など生まれるはずがありませんよ。

わたしが、前回の記事で「お互いに誠実でありたいものですね」と書いたことも
ついでにおさらいして頂ければと思います。




もうひとつ疑問点がおありだという点について述べましょう。

 
もうひとつは、ダメな回答例を あげておられる点です。裸の王様という回答であるならダメな回答なそうですね。質問の意図が分からない私には、なぜ裸の王様という回答ならダメなのか分かりませんでした。


この点についても、「好意/悪意」ということがあなたには解っていないからだと、わたしには思えますが。どうでしょうか。

 裸の王様がいて、裸だと指摘しない。 これを、

 (1) 大人の配慮(=好意というより保身)で言わないから
 (2) 子供の率直さで言ってしまうから

この回答しか浮かばないのではダメだ、とわたしは言ったので、この回答がダメだ、とは言っていませんよ。
上記の例も、回答のうちの一つではありますが、これだけしか浮かばない人は、それだけの人だから、と言ってあります。

例えば、(2)は、率直な子供だから言うだけでしょうか?
もしも王様の親友だったらどう言いますか。王様が目の前で「どうも、この服は薄いのか寒くてね。クシュン!」とかやっているのに対して、

 「そうだろうとも。その服は裸同然だからね。その服の上にこれを羽織った方がいい」

と言う場合の(2)だってあるでしょう。その他にも、諸々。


様々な可能性があるのに、自分の都合に合うものしか見えないようではダメだ、と言ったわけです。
今度は、おわかりですか?

 
>べルさんは 読者を優れた読者を想定しておられるとのことでしたね。

優れた読者も想定しているし、そうでない読者も当然想定しています。
だから、こんなわかりきったことを書いているわけです。


だた、唯一想定していないのは、悪意しかない読者です。

*

最後に、次の点について一言。

わたしが、なにかしらの回答を行うことで、ダメな人のハンコをさらに頂戴する勇気がなかったのも理由の一つです。


「ダメな人のハンコを」追加されるのが嫌だ、というのも、

指摘された内容の方を重視する人には浮かばない発想ですよ。同時に、指摘した人間の人間性について、たとえそれが自分をはるかに超えたものでも、
矮小な自分自身を反射して誤解しないことが、交流にはとくに重要なのではないかと思います。


「いいですね」と褒めらたら有頂天になり、「ダメですね」と言われると落ち込むようなら、自らをボンクラと恥じるべきですよ。
誠実な人の善意と、ボンクラの好意を一緒にしないことです。

 「良い/悪い」とだけ言われたら、基本的には悪意を怪しむことです。そして、その根拠をよく聞くことです。相手が誠意があり優秀な人間ならば

そして、卓越したセンスのある人間ならば、的確な理由を語るでしょう。その作者(コメントの受け手)もまた同じくらい誠実であれば、語り口の苦さや辛さよりも、語られた内容を重視して栄養を吸収するでしょう。

批評の根拠が曖昧であったり腑に落ちない場合には、評者の誠実か能力が疑わしいのであり
誠実な批評を受けた場合に、へそを曲げる人は、受けた側の誠実も能力も疑われるのです。


(以上で、この話題の雑談は打ち切りです。(明るい笑い)



 

[742]るるりら[2019 05/30 16:00]
こんにちは。わたしは未熟者ですが、いただいたご質問に対応させていただきます。
まず、ことの経緯を 復習させていただきます。

わたしは、プチ企画として 自身の作品を 生贄スレのスタイルでの批評をいていただくことを提案しました。その後 ベルさんよりプチ企画をより良くするためのご質問として、>>728  >>731というご質問を頂戴しました。
 わたしどもには その質問に答える能力がなかったので、わたしは 企画をとりさげています。にも かかわらず>>735において
「質問を掘り下げないんですね。
やがてるるりらさんの中で答えらしきものが見つかったら
いつでもどうぞ。」との仰せでした。わたしは既に 企画提案を取り下げています。したがって、企画改善のための話ではなく、ここからお答えする内容は、ただの雑談と思ってください。

以下は、わたしは、なぜ ノーコメントを選択したかという話となります。質問を再掲載します。
****************************

 質問―

 ある作品があって、読者がそこに
 何らかの欠点を見つけたとします。

 誰が観ても明らかな欠陥・欠点です。
 そのとき、それに対して読み手の内部で
 この欠陥欠点をむしろ評価する反応をする人と
 欠陥であり欠点なので否定する人がいます。

この違いがどこから来るかわかりますか?

***********************************

わたしは、人と 話をさせていただくときに お話の内容よりも大切なことがあると感じています。それは、その方が善意であるか悪意であるかが もっとも大切なことであると、感じます。

たとえば、わたしがとても可愛いと感じている年少の人に何らかの欠点を見つけたとします。誰が観ても明らかな欠陥・欠点です。
 具体的イメージのために仮に例を出します。拙詩【十三夜月のくるぶし】に出てくる十三歳の言葉の過ちは、多くの人にとって 過ちです。
 この十三歳に対しておおむね好意的な関係性の一人の人物が、 過ちであるからこそ 微笑ましいという反応をすることがあります。それと同時に、欠陥であり欠点なので好意的に否定の反応することもあります。
 逆に この十三歳に対して悪意しかいだいていない関係性にある人物の場合もあることでしよう。悪意をもって欠陥であり欠点なので否定するケースと、悪意をもって欠点を指摘しないことも、あり得ることです。

善意から発した出来事は、おおむね 心温まる交流となるはずです。しかし、悪意から起こり得ることは、心がひえびえとするような言い争いの勃発が予想されます。

ご質問に返答できなかった理由は、ふたつです。
 欠点を指摘するかしないかという選択の違いが どこから来るかについてよりも 大切と感じていることがあるために 返事ができませんでした。
 もうひとつは、ダメな回答例を あげておられる点です。裸の王様という回答であるならダメな回答なそうですね。質問の意図が分からない私には、なぜ裸の王様という回答ならダメなのか分かりませんでした。
わたしが、なにかしらの回答を行うことで、ダメな人のハンコをさらに頂戴する勇気がなかったのも理由の一つです。

べルさんは 読者を優れた読者を想定しておられるとのことでしたね。わたし自身は
、優れた読者であると想ったことが 一度もありません。いままで多岐に及ぶアドバイスやご意見を頂戴してきました。感謝しています。たまには誉めていただいた日もありました。しかし、わたしが優れた人物ではないことは明白です。わたしがベルさんのお気持ちを満足することができなかったことが、すでに過去に なんどもありましたからね。

 そんな私が、聡明なベルさんがスレ主である場所に、【生贄スレ スタイル】の批評を希望した理由は、私が返事に困るご批評をいただいたとしても ご意見をしずかに賜り しずかに自身の詩を書く人としての筋肉にさせていただくことができるはずという思いがありました。 

ですが、企画は取り下げています。
今日は、なぜ質問に回答しなかったのかを書かせていただきました。わたしに
悪意は無いことが 伝わることだけを祈っています。お邪魔いたしました。

失礼のほど
おゆるしくださいませ。
 

[741]ハァモニィベル[2019 05/23 20:54]
イントロ紹介の例を、他にも挙げてみます。


●――――――――――――〔引用1開始〕

 昭和枯れすすき  さくらと一郎 

 ひたすら生きても貧しさに
 負けて追われて夢消えて
 星を見上げりゃまた涙
 渡る世間のつめたさに
 泣いた二人は
 花の咲かない枯れすすき

――――――――――――●〔引用1終了〕

 題名の「昭和」は当時は、(現代の)という意味だったでしょう。
 江戸時代の浄瑠璃のような人情世界を現代に持ってきたニュアンスです。

 その、題名に付けられた「昭和」の意味が、いまは、
 Reiwaの現代から見て、二重の意味を作り出しているところが、時代を経て

 作者の意図しないキッチュになっています。


単に、不細工・グロテスク・俗悪・低俗 というだけではキッチュに値しない。
それを意図して作る場合もあるが、

造り手はむしろ大真面目であるほど、それが結果的に滑稽である場合に、むしろキッチュである気がします。

それは、B級文化・B級グルメの愛らしさとも、ちょっと違う存在感なのでしょう。




もう一つ例を。

●――――――――――――〔引用2開始〕

 遠くへ行きたい  ジェリー藤尾

 希望という名をみちずれに
 幸せ求めてさすらえば
 きっとどこかに愛する人が
 待っててくれる遠い空
 明日を夢見るひとり旅

――――――――――――●〔引用2終了〕



【イントロ歌合戦】開催中。


----------------------------

■ スピンオフ企画も同時開催しましょう。



(企画名は)【ジョニーへの伝言】
です。

(ルールは) 

  託されたジョニーへの伝言をあなたならどう伝えますか。
  
  「そこのところ、うまく伝えて」
  と歌詞では頼まれてますからね。


----------------------------

(もし託されたのが私だったら)

 こう言うかもしれません――。



  「彼女は2時間そこで待っていた。出ていく時
   颯爽と、哀しそうだったな・・・。
   
   ジョニーがいたから、コノ街でも寂しくなかった。
   そう言ってたよ。

   今は何処かで寂しくやってるだろう。颯爽と哀しくね」



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