Golden Fertilizer
生田 稔
Golden Fertilizer (金肥) の利用について。
永い間私は人間の未来についての構想を立てた。なぜか? わたしはクリスチャンであり聖書を長年研究したからだ。聖書には安息という事についてのきわめて詳しい取り決めがあり、ある宗派はこのことを基に教理をたて、それでとにかく立派にやっている。聖書は神の言葉であると聖書自身が述べている。安息日については別の機会に述べたいが、安息に関する聖書の記述はきわめて現代の世界にも決して時代遅れではなく大変有効であることを構想を立てながら思ったものだ。
さて、問題のgolden fertilizerに就いて、率直に述べよう。水洗トイレの発達した現代ではかえって顔を顰(しか)られるようなことであるかもしれない、然しかえってそれが好都合なのである、言うまでもなかろう、つまり金肥を利用するのである。
かくも貴重な資源を何故ほっておくのか、成分を調べて見られたい、石油よりもはるかに有益かつ安価な資源ではなかろうか。ジョナサン・スイフト(17世紀後半の人、英国人)がその著「ガリバー旅行記」の中で確か不老不死の国に就いての記述の中で、学者達が集まって金肥の有効利用につて研究するところがある、子供の頃これを読み、何故これを今学者が研究しないのか不思議に思った。これだけ書けば十分ではなかろうか。糞便は人体の中で十分に分解し融合した原料である。これを疑うことはごうもできまい。
水洗設備のおかげで、糞便をまとめて集積することは簡単にできる。ではその利用は難しいか、いやそうではあるまい。今我々は糞便に対する偏見を拭い去るべきである。およそ人間ほど多種多様なものを摂取する動物はあるまい。
これを読んだ方は、大いに想像力と理性と知能を働かせて、答えと方法論をよせられたし、とにかくこう言うことは簡単なことで、スイフトがはるかな昔その特異な童話に書き込んだ、わずかなエピソードから引き出した冗談とも取られる意見である。
とにもかくにも、私だけでは始まらない。私はこの短い論を人類の未来に捧げる。どうかよろしく・・・・・