そのとき「詩」は私を救わなかった
渦巻二三五
二年前、私は仕事を終えると毎日病院に通っていた。
夫を車椅子にのせ、夜の病院内をさまよった。病院から出ることができないなら、せめて外気にに触れさせてあげたいと思った。
屋上テラスの扉は鍵がかかっていた。
私たち、心中することもできない、と思った。
やがて訓練の甲斐あって夫は自力で車椅子に乗れるようになり、外泊許可も出た。私は自動車教習所へ通い、運転できるようになった。
やっと死に場所をさがしに行ける、と思った。
死にたかったわけではない。
どうやって生きていったら良いのかわからなかった。苦しくて辛くて、もう楽になりたかった。死にたい、と思ったことはなく、ただもう楽になりたかった。死ぬ意外に楽になれる方法がなかった。
私が「いつどうやって死のうか」と毎日考えていたころ、夫は、「これからどうやって暮らそうか」と思案していた。
「いじめ」を苦にした自殺についての報道が盛んになっていて、「いじめをなくそう」とか、「命の大切さを教えよう」とか言われているけれど、どこかピントがずれているような気がする。
「いじめ」があるのではない。乱暴され脅迫され抑圧されている者と、その加害者がいる、のである。「命の大切さ」なんて抽象的なことを我が身の辛苦の前に置いたところで救われるわけでもない。
彼らは、「死にたい」のではなく、救われたいのだ。
生きていくための具体的方法を見つけられるようになって、私はいつの間にか「どうやって死ぬか」ではなく、夫と共に「どうやって暮らそうか」と考えるようになっていた。
そのとき「詩」は私を救わなかったし、私は「詩」を欲しなかった。
私を救ったのは、散文的助言と知識と行動だった。
私は少しずつ、「生きていける」と思えるようになった。
生きていくために、生きるよろこびのために、よろこんで生きるために、再び詩を欲するようになった。