霰、夕立
A-29
武士
(
もののふ
)
の
矢並
(
やなみ
)
つくろふ
小手
(
こて
)
の上に
霰
(
あられ
)
たばしる
那須
(
なす
)
の
篠原
(
しのはら
)
言わずと知れた実朝の名歌。とはいえ、じつは私は知らなかった。もともと和歌、短歌にはほとんど興味が無く、私が知っている和歌といえばわずかに「風さそう花よりもなお我はまた」の歌ぐらいなもので、これは谷岡ヤスジが『アギャキャーマン』などでしばしば引用していたから憶えてしまったのだ。あの漫画家がもっと生きていればもっと和歌を覚えたかもしれない。
そんな私だから好きな子規の仕事であっても、彼の短歌の業績にはとうぶん寄り付かないことに決めていた。しかし「瓶にさす藤の花ぶさみじかければたゝみの上にとゞかざりけり(子規)」といった歌に接すれば、さすがに「短歌いいな。」という気持ちになるわけで、私もとうとう三十一文字の味を覚えはじめたのだ。
そういうわけで、それまでなかなか読む気になれなかった『歌よみに与うる書』という子規の文章を最近読んだ。これは子規による当時の旧歌壇への宣戦布告の書と見ていいらしい。歌よみをボケのカスのとこき下ろし、自身その分野にはたいした実績も無いまま自らを短歌革新の旗手と位置づけ、オラオラオラーとばかりに戦闘開始の派手な狼煙をあげたようなものだ。どのみち余命いくばくもない人だから、俳句革新の折と同様に短歌方面へも言いたいことは言って死んでやろう、万一これが短歌革新の先鞭ともなれば棚からぼた餅ぐらいの気持ちだったんだろう。「貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集にこれあり候。」などと言うやぶれかぶれな言い草は、ほとんどジョン・ライドン的カッコよさなわけで、前掲の実朝の和歌はその子規推奨の一首ということなのだ。(つづく かな。)
未詩・独白
霰、夕立
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A-29
2006-10-22 02:22:28
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