長く、気が狂うような一日
逢坂桜


朝、いつもの時間に家を出る。
母さんの作ってくれたお弁当と、いれてくれた水筒。

いつもの電車で、持っていた文庫本を読む。

会社について、制服に着替える。
たかだか30分だけのために。

事務所に入り、コンピュータを起動。
さりげなく紙袋を持って給湯室へ。
眼をつけていた包丁を出して、タオルでくるみ、紙袋へ。
それをリュックに入れる。
朝一に必要な仕事を3つだけこなして、
上司に「急用でいまから帰る」と伝える。

更衣室で着替えて、シャーペンとボールペンとメモ帳をかばんに。
自転車で私鉄へ、通勤・通学の電車に乗る。
車中でメモ帳に書く。
終点からJRの駅へ移動する。
券売機で新幹線の切符を買う。
時刻表を調べるのも面倒なので、先発のこだまに乗る。

音楽をききながら、メモ帳に続きを書く。
最後に、決めていた言葉を書く。
  
     「いままで、
      私の人生に関わってくれた
      すべての人に、
      感謝と、祈りを」

駅に着いた。
タクシー乗り場に向かう。
手前に付近の地図があるので見てみるけれど、目的地はのってない。
近距離タクシーに乗り、住所を言う。

雨が強く降っている。
運転手は会社に問い合わせて、場所の見当をつける。
たどりついて、料金を払う。

車があった。
ボンネットに触れると冷たい。
帰ってきてから数時間は経過している。
本人はまだここにいる。

ポストに苗字が入っている。
階段を上がって、ドアの前に立つ。
チャイムを3回押すも、応答なし。
左手に小窓、鍵は開いている。
背中が見える。
窓を開けて「開けて!」という。
驚いて振り向く。
「開けてってば!」
立ち上がって、鍵を開ける。
中に入ると、抱きしめてくれる。
荷物を置いて、すわって向かい合う。
涙が出てくる。
あぁ、やはり、親なのだ。子供なのだ。

かばんを開けて、紙袋から包丁を取り出す。
取り合いになる。
負けるつもりはなかった。
相手は男とはいえ病人で、年中、手が痺れているのだから。
だが。
私の死の決意よりも、父の私への執念が強いのか。
負けてしまった。
包丁は取り上げられた。

車に乗り、駅への道を走る。
40分くらいだったろうか。
涙は、数秒の間をおいて、流れている。
後から後から湧き出してくる。
涙を流しながら、父と会話を重ねる。

子供の命がけがこたえたのか。
それすら本当なのかどうか、私にはわからない。

駅から新幹線に乗る。
ひかりレールスターで1駅だけ。
JRから私鉄の駅へ移動。
発車前の車中から上司に電話。
「昼ごろには会社にもどれます」
「え?」
「仕事、たまってますから」

駅から自転車で会社へ。
     どうして私はここにいるんだろう
     死ぬはずだったのに
     来ないはずだったのに

更衣室で着替えたところで、昼休憩に入るチャイム。
事務所に行き、上司に挨拶。
仕事をしながら、空腹を感じる。
頭痛がひどい。
合計で2時間近く、ひっきりなしに泣いたせいか。
食欲はないが、休憩残り30分の時点で食堂へ。

お弁当を食べながら
     私は死ぬはずだったのに
     あたりまえに食べている
     私は死んでいるはずだったのに
食後、鎮痛剤を飲む。

午後から仕事をしていると、驚く顔に何度も出くわす。
「帰ったんじゃなかったの?」
「早く終わったんで、戻ってきました」
他愛のない話を、笑いながら交わす。
     つい数時間前、命を懸けて包丁の奪い合いをした
     自分がまっぷたつになる
     私は死ぬはずだったのに

たまっていた仕事を片付け、手伝ったもらった仕事を確認。
14時半、母に電話。
「いま会社にいる。朝、会社に来たけど、あれから父さんのとこに行ったの」
「休んだの?」
「だから、いまは会社なの」
ひとつずつ終わらせて、訂正して、FAXして、COPYして。
     数時間前、包丁を手にした
     死ぬはずだった
笑いながら会話をする
なにもかもいつもどおりに
     頭痛がおさまらない
     2時間程度しか泣いてないのに
     赤ちゃんは1日中泣いているが、頭痛はないのだろうか?
     つかんで離さない包丁を奪い合った
     あれは本当だったが、これも本当だ
     笑いながら気が狂いそうだ
帰れるころには、一人になっていた。

家に帰る。
帰ってくるはずのない家だった。
どうして私は生きているんだろう。
死ぬはずだったのに。

仕事から帰ってきた母を抱きしめる。
父がそうしてくれたように。
やはり私は、両親の子供なのだ。
「今日はごめんね。迷惑かけて」
「もういいよ」
母は何度もごめんを言う。

     私は死ぬはずだったのに
     生きている
     私は死ぬはずだった
     これは本当に現実なんだろうか
     いまもまだ、あの時なんじゃないんだろうか

     飛び降りようと、夜の暗い窓を見ていた
     父の顔を見て死のうと、小窓から父の背中を見た
     私は死ぬはずだった
     どうして生きているんだろう

包丁は父のとこにある。
もう、戻ってこないだろう。
会社の備品だったのだが、絶対に返してくれなかった。
     あれは現実だった
     いつもと変わらぬ日常がある
     自分がまっぷたつになる
     気が狂うようだ

これが、
書かずにはおれなかった、
長く、気が狂うような一日だった。


未詩・独白 長く、気が狂うような一日 Copyright 逢坂桜 2006-09-07 21:18:27
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