信濃追分の風
服部 剛
人間は汚れている。身も心も。
人の世のニュースを写すテレビ画面の中で。
私の姿を映す鏡の中で。
全ての日常は、色褪せていた。
*
一人旅の道を歩いていた。
信濃追分の風に吹かれて。
緑の木々のトンネルの中で
頭上の葉群は風に唄い始め、
思わず立ち止まり、見上げていた。
*
木々のトンネルの長い暗がりを抜ける。
道の傍らに、一輪の花が咲いていた。
みつめると、細い茎を揺らして花は踊り出し、
背後を彩る七色の花々が合唱を始めた。
畑では、背筋を伸ばして天を指す、
ぎっしり並んだ玉蜀黍が、肩を組んで揺れていた。
里芋の、大きい葉群が波打っていた。
( 樹影には、
( 肩の輪郭が溶けた野仏が
( 足を崩して座っていた
木々の葉の隙間からあふれる夕陽の光を背後に、
古い駅舎へと続くなだらかな坂道を走る。
信濃追分の風に吹かれて。
( 先程、五十年前に
( 妻の腕に抱かれながら血を吐いて死んだ男の
( 火鉢の置かれた和室の前に、
( 旅人の私は立ち尽くしていた。
辿り着いた駅舎の剥げた木柱に凭れて振り返る。
一面の、野原の向こう、
うっすら姿を消す浅間山に
信濃追分の夕陽は沈む。
( 野原に浮かぶ、今迄出逢った人の面影。
( 一人ひとりの心の空に
( 透きとおった、一輪の花が揺れていた。