「元祖でぶや」の日本人への影響。
腰抜け若鶏
象徴的貧困という単語を今朝のニュースで聞いた。
今日の日本ではメディアが異常なまでに発達し、
必要な情報はもちろん、必要もない情報までが、
ほぼ完成された形で頭の中に流れ込んでくる。
一世代前なら、
音声だけなのでその場の情景を想像する必要があった。
だいぶ以前だったら、
白黒なのでその物体の色を想像する必要があった。
少し前だったら、
聞きそびれた出演者の発音を予測する必要があった。
今は、
話題に出てきた芸能人の顔さえ思い浮かべる必要もない。
私は感じるのだが、今日の日本人はTVを信用しすぎている。
誰もが疑いようのない客観的事実を誰にでも公平に与えてくれると。
そんな保証がどこに?
豪憲君殺害容疑で畠山鈴香容疑者にわっと群がり、
実の娘も殺害したのでは?なんて連日さわぎたてていたマスコミは、
「豪憲君と娘の姿が重なり」と供述した途端、その件を報道しなくなった。
なぜか?切ない母親の悲しみを邪推で罵り、自分達の立場が危なくなったから。
供述と違う。計画的犯行の可能性が高い。
その途端、マスコミは再び群がる。
畠山容疑者の人生を根堀り葉掘りほじくり返し、完全な悪者にしたてあげる。
なぜか?凶悪殺人者が犯した事件は話題をさらえるから。
視聴率が稼げるから。
TVは私達の考える必要をなくしていると思う。
それを利用して、私達をTVの言う事なら何でも信じさせようとしている。
まともな人間ならおかしいだろ?とつっこむところを
TVはみんな観てるから間違いない。正しいんだ。
あるいは、みんながそう言っているから合わせないと立場が危険だ。
とスルーしている日本人が今や大半を占めているのではないか?
私はワールドカップって正直、あんまり興味がない。
けれど連日のようにテレビで放送されて、CMで流れて、
そして液晶大型テレビが飛ぶように売れて、どっかの大企業が大儲けをする。
歴史の教科書を見れば載っていることだが、
昔、キリスト教会が「免罪符」というものを発行した事がある。
教会が利益を得るために宗教を悪用し、
教養の低い民衆達を操ったという事件である。
メディアとは実に華やかだ。
TVとは皆の注目が集まる、みんなが憧れる「舞台」なのだろう。
TVの意見はみんなの意見。日本国民の意見。
TVで可愛いと言われている女優に似た顔の女の子は「可愛い」
TVでかっこいいと言われているアイドルに似た顔の男の子は「イケメン」
「元祖でぶや」で女の人にもてている石塚のような男なら
周りの人は、みんなは、日本国民は受け入れてくれる。
だからデブでもおいしそうに物を食べていつも笑顔の石塚のような男なら
付き合ってあげてもいいかな?
もしも、デブ線の番組の方が、美男美女を映す番組より視聴率をとれて
自分たちの利益につながると日本中のテレビ局が気が付いたならば、
連日TVではデブ線の役者が喝采を浴び、
日本人はそれを真に受けてみんなからうらやましがられようと
デブ線の男女にこぞって飛びつくだろう。
どこぞの社長はそんな世間の革命的変化もお構いなしに
何千万円もする骨董品を暇つぶしで買う。
お宝鑑定団で私達が1000万円だ!なんて盛り上がっている骨董品を。
お金が余って他に使い道のない日本の一部の人が買っていく。
最近、お腹の脂肪が少し気になってきた私は
「元祖でぶや」を眺めながらそんなことを考えた。