戦中戦後の「マチネポエティク」から現代の「中庭詩集」までの定型詩の試みは、口語自由詩のとめどない散文化への警鐘であった。それは個々の作品うんぬんよりも、饒舌冗漫でいつ果てるともない詩法へのあてつけとして意義を持つ時代のアダ花であり、その果敢な、しかし儚い大義によって今後も詩史に名をとどめるだろう。けれども「中庭詩集」で私が期待したのは、人工的な(みせかけの)押韻を施された言葉遊びとしての詩ではなく、個々の詩人たちの生活の内部から立ち上がった「詩行のあらゆる場所で響き合う言葉の構成」であった。生活意識の実感のともなった韻文。私はそういうものをめざしているのだろうか? だとしたら生活の中に不断に出現する情緒的なもの、感傷や郷愁なども私の属性として詩の中に再構成するのは避けられぬことである。知性の優越を掲げてきた現代詩は、それがために感傷や郷愁を抹消してきたかに見えるが、それは同時に感傷や郷愁をこよなく愛する大衆から乖離する道であった。誰に向けて書くのか? それが先鋭的に問われているのは誰の目にも明らかな時代である。
と私が個人誌に記したのは1996年のことでした。まだパソコンをもっていなかったし、インターネットなる概念も理解の外でした。
ようやくネット上に進出したのは2002年、あの「ネット詩爆撃プロジェクト」に遅れること2週間後の4月14日でした。私の場合、爆撃ではなくて移住プロジェクトでしたが(笑)。その翌月からはじめた「千鳥足サーフィン日記(
http://www.geocities.jp/potter99rice/kako.html)」には、前掲の文を引用し、新たに次のように付け加えてあります。
うわあ、なんか性急な書き方だけど、このテーゼはいまも有効である、と信じる。ネットの詩の時代かあ・・・私はその現場に立ちあうことができて、とてもとてもとても、楽しい。
あれからまた4年経ちました。いまでは、すっかりネットの住人です。
たいへんお世話になりました。
あれ、何を言ってるんだろう(笑)
まだ、退場いたしません。
もうしばらく、おつきあいください。
●関連書籍
2004年「中庭詩歌集」→
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9978864083
●推奨テキスト
押韻定型詩の系譜 (木村哲也)→
http://www.gabacho-net.jp/j-rhyme/rhyme-history.html
●関連文書
*第一の栞→
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=41486
*第二の栞→
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=60752