夏の陽射しの懺悔の香り
チェザーレ

 私が昔住んでいた家のすぐ近くに火葬場があった。晴れた夏の日によく、煙突からにじむ煙を無邪気にながめていた。そんな記憶がある。
 私の祖父が亡くなったのもそんな季節のことだったけな。もう、5年も経つんだな。あと2年もしたら弟が当時の私と同じ年になる。夏の手前の今日みたいな晴れの日に。祖父はいなくなった。恥ずかしいことながら、私は未だに「いなくなった」という感覚しか持っていない。いや、それすら怪しいのだが。つまり、受け入れることができていない。
 悲しいときに悲しいと思う。悲しいときに涙を流す。 それは、きっと事実を受け止めるってことだったんだな。カッコつけてたわけじゃない。責任感をもってたんじゃない。周りの大人たちには、泣かないで親父よりも大人らしかったね。なんて言われたけれど。
 そんなんじゃない。そんなんじゃないんですよ。私は。
 いつもそう。私、不自然だ。最近では、笑うこととかはしゃぐことも意のままだし、苦しんでるふりだって、一生懸命なふりだって、多分泣くことだって、吐くことだって、倒れることだって、顔色悪くすることだってできる。
 正常な感情の動き。私にはさっぱりです。 きっと人間じゃない。
 
 ところで、私は誰かに理解をして欲しいのだろうか。同情してもらいたいんだろうか。ドン引きしてもらいたいんだろうか。なんでこんなこと、ここに書くのだろうか。わかんない。
 結局はただの甘ったれの糞ガキなんだ。何ヶ月に一回は、この懺悔をしないと気がすまない。



散文(批評随筆小説等) 夏の陽射しの懺悔の香り Copyright チェザーレ 2006-06-11 00:29:14
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