人にはどうして世界観が必要なのか?
腰抜け若鶏
人は誰しも自分の世界観を持って世の中を見ている。
例えば自動車学校の教官は車。
「道路上では必ずしもみんなが交通ルールを守っている訳じゃない。
でも、そんな中でも自分の身は守っていかなきゃいけない」
例えば最近の若者はテレビ。
「ブスな女でも明るくてお笑いの才能さえあれば、金持ちの超イケメンが
付き合ってあげる気になるかもしれない」
たぶん、みんな幻想だ。錯覚だ。あるいは、妄想だ。
世界観なんてのは、頭の中の理屈を無理矢理世界に当てはめようとしているだけ。
宗教も、科学も、私に言わせれば世界観の一つに過ぎない。
たぶんじゃない。みんな幻想だ。錯覚だ。というか妄想だ。
ちなみに、今、私は自動車学校の教官に恋をしているし、
ブスとかイケメン自体がそもそもマスコミの勝手な価値観の押しつけだと思う。
そんなわけで私もまた妄想に捕らわれた一人なわけだ。
世界観を持たないと不安になる。というか持たないことに耐えられない。
何か起こった時、人は必ず「何故だ?」と問うてしまう。
その時、答えが見つけられないと、ものすごいストレスになるから。
けれども、みんな幻想だ。錯覚だ。妄想なんだ。
たくさんの人がそれぞれ独自の妄想で世の中を見て、
そのせいで喧嘩ばっかしながら、それでも一緒にこの狭い世界に住んでる。
それを「人間社会」だなんて立派な名前で呼んで…
精神病にかかった哀れな猿達が寄り集まってるだけじゃないか。
妄想ではない、本当の世界の見方。
それを私は「真理」と呼んで、ひたすら追い求めてきたけれど、
未だその片鱗さえ掴めず、運命の女神なんて怪しげな妄想に取り憑かれている。