人の幸福について考える。
腰抜け若鶏

少し前から幸福についてばかり考えている。
どうしたら人は幸福になれるのか?

分かった事がある。
どうして人は幸福になれないのか?
答えは、人はたくさんの人と一緒に生活しているから。

人は他の誰よりも自分が好きだ。
自分こそがこの世界で最も賢く、偉大であり、尊い。
それを実現しようとする行為がエゴ。
それを叶える事がおそらく幸福なのだろう。
一人でいては比べる相手がいないからそれを感じられない。

すべての人には幸福になる権利があるというのは嘘らしい。
すべての人が自らのエゴを主張すれば、
たちまち殺し合いが始まって人類は絶滅する。
誰かがエゴを主張すれば、誰かが我慢しなければいけない。

誰かの幸福のために自らの幸福を犠牲にしている。
それがこの世界の現状だ。
エゴを主張する側は「力」によって押さえ付けている。

幸福になるためには「力」を手に入れればいいのだろうか?
一時はそうも考えた。

けれども、
「力」によって押さえ付けられた側はいつまでも黙ってはいない。
今日まで胸に秘めた不満を、
溜め込んだ憎しみを今こそ晴らそうといつも隙を窺っている。
そしていつの日か必ず栄華は突き崩される。

「力」による幸福は刹那的なものだ。

私はもっと普遍的な幸福が欲しい。
例えばそう、「愛」なんて神聖な美しい響きのものとか。
激情に突き動かされる時代はもうとっくに過ぎたけれども、
私は未だに幸福の形さえ見つけられない。


散文(批評随筆小説等) 人の幸福について考える。 Copyright 腰抜け若鶏 2006-06-07 22:54:08
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