人の幸福について考える。
腰抜け若鶏
少し前から幸福についてばかり考えている。
どうしたら人は幸福になれるのか?
分かった事がある。
どうして人は幸福になれないのか?
答えは、人はたくさんの人と一緒に生活しているから。
人は他の誰よりも自分が好きだ。
自分こそがこの世界で最も賢く、偉大であり、尊い。
それを実現しようとする行為がエゴ。
それを叶える事がおそらく幸福なのだろう。
一人でいては比べる相手がいないからそれを感じられない。
すべての人には幸福になる権利があるというのは嘘らしい。
すべての人が自らのエゴを主張すれば、
たちまち殺し合いが始まって人類は絶滅する。
誰かがエゴを主張すれば、誰かが我慢しなければいけない。
誰かの幸福のために自らの幸福を犠牲にしている。
それがこの世界の現状だ。
エゴを主張する側は「力」によって押さえ付けている。
幸福になるためには「力」を手に入れればいいのだろうか?
一時はそうも考えた。
けれども、
「力」によって押さえ付けられた側はいつまでも黙ってはいない。
今日まで胸に秘めた不満を、
溜め込んだ憎しみを今こそ晴らそうといつも隙を窺っている。
そしていつの日か必ず栄華は突き崩される。
「力」による幸福は刹那的なものだ。
私はもっと普遍的な幸福が欲しい。
例えばそう、「愛」なんて神聖な美しい響きのものとか。
激情に突き動かされる時代はもうとっくに過ぎたけれども、
私は未だに幸福の形さえ見つけられない。