メモ1:戯術
六崎杏介

戯詩作法に関するメモ

1:音を持たない韻(ライム)に即いて
韻とは同音・類音異文法での母音乃至子音による、語をまたいだ音の相似及びそれによってもたらされる音声的エクスタシー
の事であると考えているのだが、最近、言葉の連想によって語を二つ持たない韻(ライム)が存在するのではないかと考えている。
例:タブレット・グラス・カインの頬紅
つまりグラスという単語を中心に、恐らく大部分の連想は左にはテーブル、右にはワインがなされると思うのだが、
そこに意外性があり、本来連想されるべき言葉の類音語・文を代入する事で、知覚のズレを生じながらダブルイメージとともに
その二つの、表記された音と連想で生じた音が響き合う様に思う。
この現象については今後も色々調べてみたい。

追記・改行やスペースなどで生じる間というのも、音を持たない韻(ライム)といえるかもしれないが、これに関してはおいおい必要になった時に。


 2:視響詩に即いて
音響詩というものをご存知の方も多いかと思います。
ダダの作家フーゴー・バルが有名ですが、音響詩とは言葉の意味要素を棄て、その音声要素のみでの精神への働きかけを目指した運動だったと考えている。
その原型として、古代から酩酊・トランス状態でのグロッソラリー(呂律の回らないうわ言、マジナイ)があった。
それを踏まえて、現在私の目指すのは、音韻の導きによる半ば意味を剥奪された文字列による、視覚から精神への働きかけを行える詩である。
それは視覚詩とは別の理論や技法が必要になると思われる。今後も色々勉強が必要だ。
完成したら「視響詩」と名付けたい。


散文(批評随筆小説等) メモ1:戯術 Copyright 六崎杏介 2006-06-01 00:35:00
notebook Home 戻る