別に僕は詩を書くけど詩人でもなんでもないし、思い入れも大して無いので、詩の世界がどう変化しようが、自分一人でも詩は書けるので、どうぞおかまいなく精神満載なわけですが、最近の詩人は駄目だ、的な話を(このサイトで)耳にして、何故、駄目になってしまったのか、ふと、妄想的に考えてみました。
結論だけ先に言ってしまうと、今の詩人が、前の時代の詩人よりも劣って思えるのは仕方の無いことで、今は変革期にあるのだろう、ということです。
結論を説明する前に先ず、詩がどのように人の感情に影響を及ぼすかを考えてみたいと思います。(この説明において、感情と感動の二つの言葉が入り乱れますが、同じものと考えてください)
これは持論なのですが、詩が与える感情とは振り子のようなものです。簡単に説明すると、大きいふり幅(感情)は大きいふり幅を生み、小さいふり幅は小さいふり幅を生む、ということです。全てがこれで説明できるわけではありませんが、概ね間違ってはいないでしょう。
それと、詩には悲劇が含まれていなければ、読み手に深い感情は与えられません。人間は優劣を付けたがる生き物です。自然と相手に綻びを見つけて自分が優位に立とうとします。そうやって自己を保とうとします。つまるところ、同情したがりなのです。自分より辛い立場にある人を哀れんでは、自分が幸福であることを確認したがるのです。
ここで、幸せそうな詩だって大きな感動を与えられるじゃないか、とお思いの方もいらっしゃるでしょうが、その一見幸せそうな詩だって、その裏に悲しみを含んでいるものです。あなたがもしその主人公と同じ立場になっても、まだ幸せな詩だと思うのなら、それは感動ではなく、妬みです。(ようは、あれですよ。ノロケを聞いたって嬉しくも楽しくもないし、反対に人の不幸は蜜の味ってやつです)
以上の二つを踏まえると、書き手は、「大きな」悲劇を詩にすることが、人に「大きな」感動を与える詩(語弊はあると思いますが)に繋がるのです。
ではこれから結論に至った過程を説明していましょう。
今回、技術、という点はぶっこ抜きます。これは昔も今も鍛錬のみですから。そこに大きな差は生まれません。むしろ、今のほうが技術的には俄然上なのだと思いますし。
じゃあなにが劣る原因なのか。その一つとして身に起こる悲劇があります。今現在、日本はとても平和です。凶悪犯罪が増えていようが、外国人強盗が流行ろうがなんだろうが、平和なのです。
平和に大きな悲劇は生まれない。ごくあたりまえのことですが、とても重要です。
経験していないことは書けない。わけですから、戦争や階級などを経験してきた人に比べれば、凡庸に生活している人はそれに勝る悲劇を書けないわけです。想像して書いたとしても、それはなんの説得力も無い嘘になります。
まぁしかし、そうはいっても、凡庸に生きてこられなかった人も現代にはたくさんいらっしゃるでしょうし、この悲劇、という点においては、経験している人に限り、ほとんど問題はないかと思われます。
そして二つめ。これが一番の問題なのだろうと思われるんですが、現代社会において、個人に入る情報量の多さが原因です。
現在、テレビ、インターネット、携帯、など、どこにいても外からの情報を大量に手に入れられる状況があたりまえのように備わっています。私たちは、その情報を自然と取捨選択していくわけですが、それにも増して、毎日どんどん新しい情報が入ってくるので、一つの事柄に対して深く向き合うことが出来なくなっています。それに、情報の幅が広がっているのも問題です。
つまり、人間の興味を100として、様々な事柄に振り分けていったら、必然的に一つの事に対しての興味が薄くなります。そうしたら、色々なことについて詩を書けるのかもしれませんが、一つの事柄に関して突出した考えが出てこない、大きな感情が生まれないということです。昔の環境については、言わずともがなです。
三つ目。
詩を書く環境。村上春樹氏の「風の声を聞け」の冒頭部で、
あなたが、芸術や文学を求めているのならギリシャ人の書いたものを読めばいい。真の芸術が生み出されるためには奴隷制度が必要不可欠だからだ。
と語っています。簡単に言うと、芸術を生むには、日がな一日、働きもせずに詩作を続けられる環境が必要だということです。
完全に賛同できるわけでもないですが、僕が二つ目に書いた「一つの事柄に対して深く向き合う」ことのできる最も良い環境だと言えます。
誰もが時間に追われている現代において、こんな酔狂じみたことができるのは、よっぽどお金のある家か、(とても言い方は良くないのですが)ご病気で働けない方くらいでしょう。
あくまでイメージですが、昔(戦前戦後)はお金は無くとも何とかなった時代なので、日がな一日詩作に励むということも、至極難しいことではなかったと考えられます。
これら三つを踏まえると、芸術的な詩に関しても、大きな感動を与える詩に関しても、昔のほうが優位であることは間違いありません。劣っているのは仕方の無い、といえるでしょう。
しかし、それではあまりに先の無い話になってしまうので、結論の中に、現在は変革期にあるのだろう、と書きました。今まで優劣の話をしてきましたが、今でも良い詩人さんは沢山いらっしゃいます。素晴らしい詩も沢山あります。それがネットを介して沢山の方に読まれるようになりました。
これこそが変革なのだと思います。自分の書いたものが、即批評される、しかも多くの読者に。この環境は昔にはありません。これは素晴らしい強みです。しかし、ネットが普及して間もないので、変革期は発展途上にあります。この、他の詩人と切磋琢磨し合える環境が、いつか、次世代の詩を生んでくれると信じて止みません。
だから、プロも参加すれば良いのにと思ってます。一人で籠の中にいないで、みんなに指南くらいするつもりでやって欲しい。現代詩フォーラムはとてもレベルが高いので、ここが、次世代の詩人を生む最先端になるのだろうと思うし、今いるプロ詩人たちはもっと外に目を向けるべきだと思います。前時代的なやり方では、もう昔を越えることは出来ません。新しいやり方で、新しいアプローチの仕方で、大きな感動を生む方法を考えなければいけないのです。