恐ろしい日曜日
冒険野郎マクガイヤー
昨日の日曜日は嫁が友人に会うというので娘と二人で留守番だった。
昼飯を食って昼寝した後、ずっと室内にいるのもどうかと思ったので、自転車に乗って駅前にでもいくことにした。勿論娘は自転車の補助席だ。
本屋で雑誌を買うと、娘がアイスを喰いたいというので丸広デパートの地下でアイスを買った。
娘と二人でアイスを喰いながら自転車をこぎこぎ帰った。平日はずっと雨続きだったが、今日は快晴だ。脇を通り過ぎる風が気持ちいい。太陽に照らされた草の匂いが清冽だ。首を伸ばして補助席に座っている娘の手に握らせたアイスに齧りつくと、娘が笑った。
ふと、変な考えが襲ってきた。もしかすると、死ぬ前にこの情景を走馬灯としてみるのではなかろうか。「良い思い出」として、頭に浮かぶのではあるまいか。そう考えると、なんだか恐ろしくなってきた。
走馬灯が大仰すぎるとしたら、こういうのはどうだろうか。病院のベッドか自宅の布団かわからないが、病に伏せった自分は今日のこの情景を、若かりし健康な日々の素敵な記憶として思い出すのだ。そして、二度と取り戻せない昔年の思い出に涙するのだ。脇に立つのはすっかり老いさらばえた我が娘だ。嗚呼、恐ろしい。
そして娘の横にいるのは、やはり娘の子供だ。すなわち自分の孫だ。そこまで妄想すると、恐ろしさの底が抜ける。恐ろしさの得体が知れなくなる。
だが、人が生きるということは、得体の知れない恐ろしさの連続かもしれないなあと、またふと思った