あわわ、目覚まし時計が鳴ってらっせるわ

 ふむ、と悩んだふりをしながら知人の話をやりすごす。なんて下らないんだろう。いやや、自分が小さいことに悩めないくらい下らないのか、ふむ。そんな感じにやりすごそうとしても知人は見解を求める。あぁそうね、しかし、昨日君から拝借したアダルトビデオはとても興味深い物であったね。と茶を濁、せる訳が無いのでぼくは正直に所感を、つまり小さいことで悩むな、と言うことを述べる。そんな見解は知人にとっては不服であろう。だって彼は真剣に悩んでるんだもの。ぼくは全く無神経な人間だ。なんて考えたんだけど、しかしながら、偽りの見解を述べるのは本当にその友人にとって良いことなのか。残念ながら答えはイエスだ。相談者と言うのは、本質的に痛みを分かち合って欲しかったり、もっとためになる意見を求めてやってくる身勝手な存在と言えるのです。なので全く価値観の違う返答をすれば相談者側からすればとんでもなく不愉快なことである。
 でも、ぼくの時間を奪った彼はぼくの意見を受け入れる必要はある。もし望まれない見解が返答者から吐き出されたとしても、それは望む、望まない以前の問題だ。しかし、もし自分が、なぁ、俺はげてきちゃったよ。と言う真に深刻な悩みを知人にしたとして、馬鹿者、在る物はいずれなくなるのが宇宙万物根源の定めだ諦めろ。なんて言われても困るわけです。世の中には確実に不条理と言うものが蔓延している。
 こんなことを考えていたら本日ぼくん家にはみしらぬトカゲが侵入してきた。飼い犬に食われたけど。ひとつの命が潰えた刹那、目覚まし時計が鳴り響いて。


散文(批評随筆小説等) あわわ、目覚まし時計が鳴ってらっせるわ Copyright  2006-05-21 01:12:45
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