詩はまだ倒れない
ブルース瀬戸内

近年、詩は明らかに衰退しているとされている。

詩を読むのは、
もはやプロアマ問わずの詩人だけだとすら
言われているくらいだ。

かつて、
詩がもたらしていた、
言葉のきらめきや躍動は
今や他のものにとって代わられているのだろうか。

たとえば
各種広告のコピーや、映画やテレビドラマや小説の中で、
詩が果たしていた言葉の華麗な連携やダイナミズムは
すっかり消化されてしまっているのだろうか。

私はそう思いたくはない。

ある言葉に辞書的解釈以上の解釈と輝きをもたらす、
最も効果的な表現手段は詩である。

詩の言葉の喚起するイメージや感覚は、
他の表現手段では追いつかない部分が多々ある。

私たちの想像力を瞬時に広げ、
感情の奥の奥を揺さぶるのは
詩である、と信じている。

現代は言葉の溢れる時代である。

それ故に
ひとつひとつの言葉の重みが
喪失されているのかもしれないが、
そのことが逆に、
感性を揺さぶる言葉の渇望を
もたらしているのではないだろうか。

上述の詩の魅力が再認識され、
その威力が存分に発揮される時代が
またすぐに来ると思う。

アウシュビッツの後も、
ヒロシマ・ナガサキの後も、9.11テロの後も、
詩を書くことは決して野蛮ではない。

いやむしろ私たちは書かねばならないのではないか。

野蛮さを宿す人間の放つ言葉が
どこまで美しさと至高性を備えることができるのかを
とことこんまで追求すること、
これは人がこれだけ多彩な言葉を持ったが故の
宿命のようなものではないだろうか。

私たちは美しいものに惹かれる。

目に見えるもの、
あるいは目に見えないものの表層はもちろん、
その深層に潜む美しいものをも感じ、
そこから生まれる得がたい感覚を不意に何かしらの手段で表現し、
留めておきたくなることがある。

そうしたバーストした感情が
数多の芸術作品を生み出す原動力になるだろうし、
詩もその例外ではない。

誰かの、何かの
様々な感情のダイナモのようなものを
各人独特の技巧を凝らしながら露わにしたり、
なにか新しい感覚をすら編み出してみたり、
詩にできることは意外と多い。

まだまだ詩は、
倒れるわけにはいかない。


散文(批評随筆小説等) 詩はまだ倒れない Copyright ブルース瀬戸内 2006-05-11 23:42:28
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