異形の詩歴書 14歳夏
佐々宝砂
「SFの黄金時代は12歳だ」という言葉がある。つまり、SFが最も面白かった時代は20年代でも60年代でもなくて、読者本人が12歳だったころ、とゆーことなのである。そんなものだろうな、と私は思う。しかし私にとってのSF黄金時代は14歳だった。その夏、私は押入の奥にSFマガジンのバックナンバーの山を発見し、夏休み中かけてそれを読んだ。古いSFマガジンは、少数者のひがみ根性と選民意識がまるだしで、けれど奇妙に熱くて、すでにマイノリティーとしての自覚を持っていた私をひきつけた。
古い古いSFマガジンの中にも、詩はひっそりと眠っていた。たぶん、1960年代はじめのSFマガジンに掲載されていたものだと思うのだが、記憶は不確かだ。もう作者の名も忘れてしまった。それは恒星について書かれた詩だった。赤く燃える老いた恒星と、青く燃える若い恒星と、黄色く燃える平凡な恒星太陽に対して呼びかける、そんな詩だった。恒星たちは「お前は何をしているのか」という凡庸な問いかけに、「私ハ燃エテイル。」と凡庸に答える。それだけの詩に過ぎなかった。なぜそんな詩が記憶に長くとどまっているのか、私には説明することができない。SFだったからではないと思う。あの詩がSFであったとは、今の私には、どうしても考えられないのである。
そのころ買った講談社のSFアンソロジーには、間違いなくSF詩と呼べる詩が載っていた。それはリメリックという五行の定型詩で、原語だとがちがちに韻を踏んでいるらしかった。日本でいうと川柳にあたるような、ユーモアを主題にしたものが多い詩形だという。エドワード・リアの書いたリメリックが有名だが、どれも死にそうなほどくだらなくてナンセンス。まあ、世の中にはこういう詩もある。SF界にはけっこうリメリック愛好者が多かったらしい。かのアイザック・アシモフもリメリックを書いていたそうな。SFリメリックは、お笑いとしてはやや弱い。SFとしてはバカバカしい。詩としては貧弱だ。だが、ともあれ、それはSFで、しかも詩だったので、私の記憶にとどまったのである。それは確かなことだ。
とはいえ私は、古いSFとへんてこなSFリメリックばかりを読んでいたわけではない。当時最新だったSFにも目を通していた。それは楽しみというより義務、やらねばならぬことのようにすら思われた。当時のSFマガジンの最新号には、栗本薫の『レダ』が連載されていた。私は『レダ』を『魔の山』と同傾向の小説であると感じた。私は自分が『レダ』の主人公である少年イブと同じ人間だと思い、あるいは自分が副主人公のレダの分身であると思い、つまるところ『レダ』は他ならぬ私自身のことを書いた小説であると思い、『レダ』こそは私にとって世の中でいちばん大事な小説であると思った。それで私は、夜がくると『レダ』が連載されたSFマガジンを抱いて寝た。
SFがあんなに面白く感じられたことはない。いや、正確に言うならば、面白いものはみなSFだと思った。SFというジャンルが私の中で巨大化していた。それはすべてを取りこもうとしていた。SFこそは世界最高の文学ジャンルだと思った。私は『銀河鉄道の夜』と『遠野物語』と『椿説弓張月』をSFとして再読した。『黒死館殺人事件』も『家畜人ヤプー』も、SFと同じ文脈で消化した。『家畜人ヤプー』は「読んではいけない」と禁止された唯一の本だったが、こんな面白そうなものを活字に飢える14歳が放っておくはずがない。母の本棚は、面白そうな悪書の宝庫だった。そこには宇能鴻一郎も老舎も赤川次郎もニーチェも三島由紀夫も大藪春彦も混然と並んでいた。しかし、『家畜人ヤプー』は私にたいした影響を及ぼさなかった。面白いしヘンな本だしこれを読むのはどうやらイケナイことらしい、とは思ったけれど、それが私にとって必要な本であるとは思えなかった。それは一風変わった夾雑物に過ぎなかった。
私に必要なものとは、いったいなんだったのだろう。私のもとには、でたらめな順序で書物と言葉が訪れた。私は拒まなかった。強烈すぎる書物、血と暴虐の書物、性的な書物、そういったものにどんなに蹂躙されても。
このでたらめな悪い夏の一日、私は倉橋由美子の『スミヤキストQの冒険』を読んだ。正直なところ、よくわからない本だと思った。この本が何を揶揄しようとしているのか、当時の私には全くわからぬ埒外のことだったからだ。SFの文脈で読むことも難しいと思われた。しかし、そこにはなんだか私の好きな味があった。鈴木いづみに繋がるような、ごくごくかすかな少女趣味と、透徹した認識と、あかるい絶望と。そこには、血と暴虐とセックスよりはるかに危険な何かが潜んでいた。
二学期に入って、私はその「危険な何か」を持つ詩人に出逢うことになる。
2001.3.27.(初出 Poenique/シナプス)
この文書は以下の文書グループに登録されています。
異形の詩歴書