異形の詩歴書 14歳春
佐々宝砂

 当時私が住んでいた町には、本も売ってる店が2軒あった。言っておくが書店ではない。「本も売ってる」店である。どちらの店に行くにも、自転車できっちり20分かかった。ひとつは、スーパーに隣接した、雑誌と文庫本とマンガだけを売っているコーナーだったが、ここはあまり好きでなかった。しかし、私はその店で山田風太郎や遠藤周作や佐藤愛子や萩尾望都なんかを買った。もうひとつは、バスの待合室の向かいにある雑貨屋で、チョコレートやホッカイロや煙草と並んで、どうしたわけかハードカバーの児童書まで売っていた。私はこの店が割と好きだった。意外なものに出会えたからだ。私はその雑貨屋で鈴木いづみの『女と女の世の中』を買い、ジュリー・アンドリュースの『偉大なワンドゥードル最後のいっぴき』を買った。

 その町には、図書館がなかった。ちなみに、今もない(注:これを書いた時点ではなかったのだが、2006年現在は市町村合併そのほかの理由によりその町にも図書館がある)。数年前まで無医村に指定されていて、自治医大卒の医師が派遣されてきていたという土地である。そんな、図書館も書店もない町で、欲しい本を注文するという知恵も持たず、母の支配下で偏った知識と読書の習慣とを身につけて、私は相変わらず貪欲に本を読み続けていた。今思えば、私が田舎に育ったことは僥倖だったのかもしれない。私は、「活字に飢える」という状態を切実な経験として知っている。私は本を選ぶことができなかった。好きな分野の本だけを読む、という贅沢ができなかった。飢えていたから、手当たりしだいに何でも読んだ。はらぺこあおむしみたいに学校図書室の本を端から片づけてゆき、それだけじゃ足りずに特殊学級の学級文庫まで読んだ(そこにしか置いてない本、というのがあったからだ)。

 国語の教科書と便覧は、そんな私にとってひとつの指標になった。このころ私は、国語便覧で若山牧水と与謝野晶子を知る。百人一首しか知らなかった私に、近代短歌はおそろしく熱いもの、火傷しそうな熱情と血潮にあふれたものだと感じられた。私は牧水と晶子の短歌を十あまりノートに書き写した。そのほとんどを、私は今もそらんじている。もう口に出すのも気恥ずかしいそれらの歌を、14歳の私は熱烈に好きだと思った。本当にそう思った。

 同級生たちは、たのきんがどうとかこうとか言っていたけれど、そんなもの、私にはどうでもよかった。私にとって大切なのは、本と、音楽と、わずかな友人だけだった。私はブラスバンドに入っていて、音楽聴くならクラシックさ、好きなのはドボルザークとシベリウス、などとほざく可愛いげのない生徒だった(こんなガキはぶちのめしておいた方がいい)。ことさらにいじめられはしなかったが、先生からも生徒からも嫌われていたのではないかと思う。

 新川和江の詩にはじめて出逢ったのは、そんな14歳の春だった。詳しいことは忘れたけど、国語の授業でなんか詩をやったとき、先生が「春の詩をさがしてこい」と言った。それで私は学校の図書室に行って、角川書店から出てた白い表紙の四角い詩の全集(カラー版世界の詩集というのと日本の詩集というのがあった)をぱらぱら見て、丸山薫と新川和江の詩集を借りた。宿題として選んだ春の詩は丸山薫のだったと思うのだけど、丸山薫の詩は、あんまり私のアタマに響かなかった。私のアタマにずどーんと響いたのは新川和江の詩で、それは、今もずどーんどーんと私のアタマのなかで響き続けている。

 大好きだったのは、「ミンダの店」だ。「片身をそがれた魚のように/はんしん骨をさらした姿勢で」なんだかわからない足りない何かを探しているミンダの姿は、そのまま、当時の私の姿だったから。それからもうひとつ好きだったのは、「記事にならない事件」だった。私は、そこに登場する、いっぽんの木に変身する少女や、上着を脱ぎ捨てて鳩になる青年でありたいと願った。「記事にならない事件」や「ミンダの店」の言葉は、男っぽいコトバで武装し、そのくせひどく臆病で、女の子同士でしか話ができないしょーもない中学生だった私のなかに、すんなりとはいってきた。「チェス」の中で語られる死についての言葉も、私の青い脳髄にやんわりと確実に侵入した。

 けれど、「ふゆのさくら」はわからなかった。ひらがなだけで書かれたその詩には、「しゅろう」と「ついく」の他に難しい言葉などない。あかるくくれなずんだ風景の中にさくらがちりかかる、それはやさしいわかりやすい情景だったはずなのに、当時の私には、その詩が何を伝えたいのか、どうしても、わからなかった。でも、今ならわかる。結婚したからわかるのではない。年をとったからわかるのでもない。ある程度年を重ねなければわからぬ詩ではあるけれど、それだけではないと思う。私はごく最近、唐突に、この詩がわかるとおもった。その理由は、自分でもまだよくわからない。ゆっくりと考えてゆきたい。

 新川和江の詩は、おそらく、私が老人になっても、私が14歳だったときと同じように、あるいはそれ以上に、私を惹きつけるだろうと思う。私は人生の節目節目に新川和江の詩を読むだろう。そのような詩人に出会えた幸運に、私は感謝する。

2001.3.27.(初出 Poenique/シナプス)


散文(批評随筆小説等) 異形の詩歴書 14歳春 Copyright 佐々宝砂 2006-04-16 00:56:11
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