異形の詩歴書 〜10歳
佐々宝砂

 まず、母について語らねばならない。

 私の母は、かなりとんでもないヒトである。イナカ住まいの高卒のキャディーだというのに、創刊号からSFマガジンを購読し、本棚には中国文学と江戸文学とハヤカワポケミスと創元ロマン全集を取りそろえ、山頭火と杜甫をこよなく愛し……そんな調子で今もますます健在だ(最近じゃ松本亀次郎の研究をやってるらしい、よく知らないが)。しかもこのひと無敵のミーハーだ。ハワードのコナンの話なぞしようものなら、涎を流さんばかりの顔になる。

 このとんでもない母は、小学校に入りたての私に、いきなり百人一首と俳句と漢詩を教えようとした(しかもその俳句ときたら最初っから自由律の種田山頭火なのだぜ、かーちゃんのばかやろー)。幼稚園のころは放任でヒラガナひとつも教えようとしなかったから、私は、歴史的仮名遣いと新仮名遣いをほぼ同時に覚えたことになる。

 母の教育は英才教育ではなかったし、スパルタでもなかった。母は、単に、自分の好きなことについて語り合う相手がほしかったのだと思う。それで小学生に向かって杜甫……ああおかあさま、あれはいくらなんでもムリでございました。漢字がわけわからなかったので、私は漢詩がすきにならなかった。でも文語体と歴史的仮名遣いはアタマに充分浸透した。

 とはいえ、やはり小学生は小学生なのだ。8歳の私は、百人一首の恋のうたを暗唱しながら、その意味なんてまるでわかっちゃいなかった。ただ暗唱してるだけなのだから、オウムみたいなものである。最初に覚えた短歌は「古の奈良の都の八重桜……」だ。この続きはご存じのように「けふここのへににほひぬるかな」なんだが、これを歴史的仮名遣いではなく新仮名遣いで読むのが、小学校低学年の私にはおもしろく思われた。つまり、音がおもしろかったのだ。

 それを見てやはり年相応のものを与えようと思ったのかどうか知らないが、そのころだ、母が私に谷川俊太郎の『ことばあそびうた』を買ってくれたのは。私は、その本が、ものすごく、好きになった。コトバには意味がつきまとう、詩は絶対に意味から逃れることはできない、だとしても、ひとはコトバで遊ぶことができる……そんな複雑なことは考えもしなかった。私は単純にコトバをおもしろがった。私が大好きだったのは「だって」だった。「ぶったって/けったって/いててのてっていったって」……どうやらこのころから私は根くらい性分であるらしい。

 同じころ、母は『マザー・グースのうた』を買ってくれた。とてもおもしろかった。でもおもしろいだけではなくて、どこか怖くて、だから好きだと思った。私は『マザー・グースのうた』を貪るように読んだ。ひねくれ小路のひねくれ男や、何にもしないばあさんや、弱っちい仕立屋さんや、ほかの鳥のたまごを吸っていい声で歌おうとするかっこう鳥なんかが好きだった。私はその続きが翻訳されるたびに母にねだって買ってもらった。マザー・グースはご存じのようにイギリスの童謡だけれども、私が最初に読んだものは谷川俊太郎の翻訳である(いまは新潮文庫からでてるが、うちにあるのは草思社からでていたハードカバー版)。それで、マザー・グースというと、どうしても谷川のコトバで、堀内誠一のイラストつきで浮かんでくる。ちいさいころにしみとおった記憶は、いつまでも抜けそうにない。

 『マザー・グースのうた』と『ことばあそびうた』は、今読んでもやっぱりおもしろい。私はそれらの詩編からさまざまなことを学んだ。どんなに小さな子供に向けた詩だとしても、詩人は語彙を制限する必要はない。むずかしいコトバを、子供は単純におもしろがるからだ。それはさりげなく、意味もなく使われてよい。たとえば、『ことばあそびうた』にでてくる「むいみなそねみ」というコトバを年少の私は理解しなかった 、でも、その音の連なりを面白いと思ったのだし、だからこそ私はそれを今でも覚えているのである。

 耳に快いコトバで綴られた詩であれば、子供は容易に難しい言葉を覚える。でもいくら韻を踏んでいるとしても、ガチガチと硬い漢字ばかりで書かれた漢詩は、子供の耳に馴染まない。それはあまりにもつまらないものだと思われ、私はどんどん漢詩が大嫌いになっていた。私が陶淵明によって漢詩と出会い直すのは、ずっとあとになってからのことだ。

 しかし百人一首は大好きだった。百人一首はゲームにもなるからだ。私の得意札は「花の色は移りにけりな徒にわがみ世にふるながめせしまに」で、これを弟にとられると躍起になって怒った。カルタというのは、やってみればそれなりに面白いゲームなのである。私たちはいろはカルタでも遊んだ。また、母は俳句カルタなるものも買ってきた。俳句を覚えさせようと画策したのかそれとも単に自分で遊びたかったのか、おそらく後者だと思うが、これは、芭蕉やら蕪村やらの俳句をカルタにしたてて、いろはカルタ式に遊ぶカルタである。俳句カルタは百人一首に較べると面白くない。でも、それなりに、俳句の言葉は私にしみこんだ。俳句カルタでの私の得意札は「春の海ひねもすのたりのたりかな」だった。 だが、私は俳句が好きではなかった。のちに萩原朔太郎経由で蕪村を読み直すまで、私は母を介してしか俳句を知らずに過ごした。

 幼い私の脳裏には、まず、そのように、百人一首と俳句と谷川俊太郎とマザー・グースが刻まれた。


2001.3.27.(初出 Poenique/シナプス)


散文(批評随筆小説等) 異形の詩歴書 〜10歳 Copyright 佐々宝砂 2006-04-14 02:00:22
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