kim『溶ける』
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=67708
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おれが批評のじぶんのなかでのやりかたやらありかたやら考えてご飯を食べて寝ている間にえらい時間が過ぎていた。書き始めようと思ったらギルドのスレッドが埋もれてどこに位置しているのか分からないのを見てうえーめんどくさと思ってブラウザを閉じてふて寝をしてたらさらに時間が過ぎていたんだが別にこびとが出てきて書いてくれてたわけでもなかった。もうこれ以上やる気がねーだのうひょーだのひひょーだのぽえーだの言ってる場合でもないのでとっとと書くべきであったのだ、で、順番的にkimの自由詩「溶ける」をチョイスする。
最初に語句を検索する。前回のような失態を繰り返すことでぼ、ぼくの頭が悪いことを露呈させるのはもういやだからだ。しかしおれの知らない言葉が多過ぎるなあ。
フェイズ90
http://www.rakuten.co.jp/gakkiten/421155/676682/603787/
(マイクロ)フランジャー
http://www.mc-club.ne.jp/bosseffector/electric/10/body_1.html
それで調べてみたら二つとも音楽関係でしかも二つともギターの音にエフェクトをかける道具だということで、彼の詩は音楽的視点から書かれているものまたは、書かれていたいものだということが分かる。しかしジョイスティックとトランシーバーを足したような外観のくせに高い。こんな高いものを使わないと音楽は出来ないのだろうかとか、はたまたアマチュアのひとってギターをどこで弾いてるんだろうとか、少々今回の話とは関係のない疑問ばっかり思い浮かんできた。そう考えてみると、詩を書くというのはなんとローコストなんであろうかと思うよね! でこのハイコストの商品群のページを見てると試聴ができるようで試聴をしてみるとああ、確かにこんなエフェクトを何かの音楽のはしばしで聴いたことがあるなと感心する。というかおれの興味はもっぱらそのエフェクトをかけられた持続音が一時間ぐらいなりっぱなしの音楽にあるんだが、すなわちそれはドローンとかドゥームとか呼ばれるうるさくてやかましくて鬱陶しくて粘着質な、音で、あります。一週間ぐらい前に深夜にそういう音楽を垂れ流していたら家族に「アンタの部屋で冷蔵庫開けっ放しみたいな音流れてるけど、アレなに?」って言われたが、ドローンと言われて想像しにくければそういう音を思い浮かべてもらいたい。
さて、そのエフェクターが二つも出てきて、詩の方はどうなんだというとそれがまったく、エフェクターのエの字もかかっていない、素直な作品なんである。エフェクターで歪みを与えられた音ではなくストレートな作品というべきか、もっと平たく書くとこれは歌詞寄りの作品なんではないかという確信を持ち始めてきた。おれが。J-POPが嫌いだの好きだの言ってる場合じゃない局面でもおれは嫌いだというぐらいJ-POPが嫌いだが、別に何のことはない、民謡であれみんなのうたであれ一定の法則はあるものなんだ。なぁーんだ。とはいえこの詩の運びというのは「Aメロ→サビ→Aメロ→サビ→Bメロ→サビ」といった感じで民謡とかみんなのうたにはあんまりない構造をしている。あれあのへんのはBメロって言わないんだっけ? 忘れた。忘れたけどそのーなんですか、一題目の終わりから二題目の終わりがあって再度一題目の終わりを繰り返すという、こういった構造が、という話をしている。まあ洋楽とかでもあるよねこんな構造。だからJ-POPあんまり関係ないんですけど。ごめんねJ-POP。そしてさよなら。よくもわるくも結構親しみやすい形式であると、まあこんな風な結論にもっていきたいわけで、その歌詞的形式がこの詩の場合、エフェクターがもつ音楽というカテゴリーとうまく噛み合うわけで、その辺が非常に素直であり、受け止めやすいナと感じるわけである。
とはいえそれがこの詩の内容にそぐうかそぐわないか、そぐうなんて日本語はねえよと思って調べたらありましたが、そぐわないわけだよね実際は。どちらかというと映画とか絵本とかいう視覚的効果の中に突然エフェクターの名前がゴンゴン出てきてもびびるわけであり錆びるわけであり対応に困る。よく、相対するものを使ってそれがうまい具合にキャッチボールを続けるような、初めて出会ったフィリピーナのはずなのに話が弾むみたいな、ある種の困惑をもつ心地よさがある作品はあるけれどもどうしてもこの作品にはそういう感覚が見出せない。マイクロフランジャーはともかくフェイズ90だなんてかなりマニアックな言葉だと、おれの語彙が変でなければ、思うんだが、それで世界がグルグル回ると言われてもピンとこないわけだし、それを受けて、回って溶けると言われてもやはりピンとこないわけだし、そのことがたいへん気がかりで、作品を読むスムーズさ・作品を読ませる力を失ってしまう。息子がいつまでも帰って来ないってんで夕飯の準備ができない奥さんみたいなもんだ。このあたりはこだわりのようなものなので、そんなもの気にならねえよ読めるよと言われればへへえと返すしかない。ないんだが、何度遠くから確認しても、この詩の場合エフェクターの名前群が妙に浮いている。おおロミオ、あなたはどうして、だなんていう時はロミオという人物がはっきりしているから別段変だとも何とも思わないが、おおバンダルニクニック、あなたはどうして、などと突然言われてもぼくらはバンダルニクニック氏に関してはあんまり詳しくないので困惑してしまう。どんな詩のどんな語句にも説明が必要だというわけじゃないけれども、素直さと唐突さを混在させたところでそんなに効果を発揮するとも思えない。
さてその素直さと唐突さのアンビバレンツ、でなくて物理的矛盾、密林の中を覗こうと思う。直感的にこの詩の出来事は密林の中で起こっていると思ったのは、別にその矛盾した関係が抽象的に作り上げた妄想じゃなくて、作中で述べられている絵本の影響だと、後で気付いた。虎がぐるぐる回ってバターになる(溶ける)というのはもちろん、廃刊になったことでも、最近再刊になったことでもおなじみのちびくろさんぼだが、あーいまはAmazonでも売ってるのか皮肉だな、ともあれあの曰く付きの絵本のことだ。あれはうろ覚えながらジャングルで生活する黒人のこどもの話だったような気がするが、作者であるところの彼の中の観念、回る、と、溶ける、を結びつけているのはまさにその絵本であり、その情景であり、そしてその密林なわけで、回ると溶けるが結びついているその密林の中で作中の俺と君とも結びついてアレコレしているわけであるな、くそっ、いやらしい! 君というおそらく女性であるこの一人物こそまさに彼が当初に提示したエフェクターなのであり、それに最も関与しそして溶けている彼はギターなわけである。つまりイート・ミーならぬプレイ・ミーなんであってここでもまたいやらしい! 裏DVDだ! そういえば裸の女を弾いてアンアン言わせる女体ピアノみたいなまんががあったけどなんだったっけな。忘れた。そのへんの、もって生まれたような卑猥な部分はこの詩の楽しいところだ。しかし密林に似合うのはやはり手作りギターであってバカ族のような中高音に軽い陽気な音楽であってエフェクトをかけられた低音でもギターでも世界でもなければエフェクター自身でもないような気がする。
最後にその、この詩の一番言いたいところ、密林でいえば長老のいるところといえばその辺は素直さのよろしい影響のおかげで随分とはっきりしていて、あの、Bメロの部分なんかそうなんじゃねえかなと。唯一繰り返しがなく短くまとまっていて際立っているあそこが一番くさいんじゃないのかなと、だんだんおれの目も一般人並みに覚めてくる。題名とあの近辺にある雰囲気との間の相関関係が要するにこの詩の具体的な形なんだ。なるほどなるほど。であるとすればやはり回るという表現を修飾する言葉はエフェクターではなくもっと一般的な言葉にした方が良かったんではないかなあとこれは余計だが、彼はどうやらこの詩の中では願望というより実態としてそうあるようである。溶けるというよりは溶けてしまっていて、それは彼自身にはとても気持ちがいいものなんだが、作中の「君」には受け入れられるかどうか、それは分からないといった非常に不安定なものらを、われわれはいま、目撃しているんである。