ogikubo
山田せばすちゃん
荻窪が東京のどのあたりになるのかは正確には知らない、それでももしもしあなたがJRの荻窪駅を午後7時に出られることが出来たら、あなたは午前0時までに金沢に着けることだけは俺は知っているのだけれど。
まだ俺が山田せばすちゃんと名乗る前、出会い系だとかコミュニティ系だとかのチャットサイトで遊んでた頃の話だけれど、荻窪の駅前の美容院で見習いをやっている19の女の子には妻子持ちの愛人がいた。愛人の「おじさん」にねだって買ってもらったノートパソコンでたまたま俺と知り合った彼女が、閉店後の美容室の掃除もそこそこに荻窪駅から東京駅に出て上越新幹線「あさひ3号」で越後湯沢まで、越後湯沢から「特急はくたか20号」で真夜中の金沢駅に降り立っちゃりしたのは、たまたま次の日曜日がお店の定休日で、たまたまおじさんから少しお小遣いを貰ったばっかりで、たまたま、金沢においでなんて俺が誘ったから、たったそれだけのことでしかなかったのだけれど。
八丈島で生まれ育ったという彼女は、フェリーに乗ったことはあっても国電じゃない電車(笑)に乗るのも初めてで、人影もまばらな最終のはくたか20号の自由席にぽつんと座って見る車窓からの風景は、どっちを見ても真っ暗で(片一方は日本海だし、もう片一方は田んぼだし)「あたしこれからどこへ行っちゃうんだろう」って不安な気分で東京駅で買った缶コーヒーを飲んだのだけれど。
金沢駅で待っていた俺と深夜営業のファミレスで遅い遅い晩御飯を食べて、それから夜中の金沢の町を車で少し走って、卯辰山の山頂から金沢の夜景も眺めたりして、それからそれから、約束していた通りに駅の近所のラブホテルに入って、約束していた通りに二人でお風呂に入って、約束していた通りにセックスもしたのだけれど。
翌朝俺は町内のソフトボール大会に出なくちゃいけなくって、まだ眠っている彼女をおいてホテル代とここまでの交通費を半分ってつもりで20000円だけ彼女のバッグに入れて、ひとりでラブホテルを出た。チェックアウトぎりぎりまで眠っていた彼女がそれから半日金沢をぶらついて帰り際に駅から携帯に電話をくれたとき、準決勝で相手チームのライトがフライを後逸したおかげでランニングホームランなんかやらされて、三塁回った頃には足がもつれて転げるようにホームインしたばかりの俺は、息も絶え絶えに「またね」というのが精一杯だったのだけれど。
それからしばらくしてなんだったか忘れてしまったけれど東京へ出かける用事があった俺は池袋のサンシャインプリンスだったかに泊まったのだけれど、池袋と荻窪はどれだけ離れているのか、それとも近いのかも知らないで彼女の携帯に電話したこともあった。その電話はもう使われてはいなかったのだけれど。
それから彼女とは会っていない。チャットルームでも、メッセンジャーソフトでも、彼女は名前を変えたのか、姿を消したのか、今となってはわかりもしないのだけれど。
それからそれからどれくらいかして、俺は「土曜の夜に娘は泣かない」という詩を書いて、山田せばすちゃんという名前になって、そのあとは皆様がご存知の通り、どうにかネットの片隅でヨゴレた詩やふざけた日記なんかを書きながら、こうして日々を過ごしているのだけれど。