千の風になって—茨木のり子氏死去
岡村明子
茨木のり子さんが、亡くなった。
高校生のとき読み始めた詩は茨木のり子、谷川俊太郎、吉野弘、川崎洋、大岡信・・・みな「櫂」の同人であるということをあとで知った。その「櫂」を茨木のり子氏とともに創刊した川崎洋氏も、2004年に亡くなった。
「自分の感受性くらい」
「わたしが一番きれいだったとき」
「この失敗にもかかわらず」
みんなどこか口ずさめる。
現代詩で朗誦できるものは少ない。
茨木さんの詩にはリズムがあって、平易で簡潔なので何度も繰り返しかみ締めることができる。心が弱くなったときに生きていくことの単純な大切さを教えてくれる、そんな詩人だった。
たまたま昨日の「湘南POEM BAR」で、「千の風になって」という詩を紹介した。
"a thousand winds"という作者不明の英語詩を新井満氏が日本語訳したものだ。本は30万部を超える売り上げを記録した。詩集としては空前の売り上げである。
私のお墓の前で
泣かないでください
にはじまるこの詩は死者を悼む人へ死者が送るメッセージだ。
この詩は、身近な人が死んだときにそれを悲しむ多くの人々をどうしようもない悲しみから救うだろう。
私は墓の中にいるのではない。眠ってなどいない。
私は空を吹き渡る風であり、降り注ぐ光であり、きらめく雪である。
死者は墓の中に閉じ込められるのではない。
生者とともに存在する大きないのちの一部となるのだ。それは地球のありようにほかならない。
茨木さんの詩は、「千の風になって」吹き渡るだろう。
この先もずっと、朗誦されつづけることだろう。
心よりご冥福をお祈りいたします。