人と接する際に見られる現実・1
ナイチンゲール
帰りのバスの中、隣に座った後輩とこんな話をした。
「いや、やっぱり知り合いと友人の区別ってありますよ」
会ったら誰とでもすぐ仲良くなる後輩はそう言った。
「知り合いと友人の違いって何?」
「なんていうか、正体の分かってる人は友人で、分からないうちは知り合いかな?」
「正体?」
後輩が言うには「この人はこういう人だ」と
納得できないうちは友人の枠には加えられないらしい。
そうでなければ安心できないし、信用もできないから。
何か鼻に付くような欠点を持っていたとしても、
例えばやたら人に自分を自慢をしたがるような人も
小さい頃、両親に冷たくされていて辛い思いをしたせいだ
そう分かっているなら納得できるし許せるという考え方だった。
なるほど。
確かに自分もそうやって周りの人間を見ていると気が付かされた。
「この人はこういう人だ」という当てはめにはまらない人を見ると
何となくムシャクシャする。
実際、いつも控えめな別の後輩が
ある時、僕の前で少し格好つけた真似をしたのを見たら
何となくムカッとした。
「この人はこういう人だ」というのは先入観以外の何物でもない。
何十年も一緒に暮らした熟年夫婦なら話は別だが、
第一印象やちょっと付き合っただけでその人のすべてを理解する事など不可能なはず。
それなのに僕らは人と接する時に「この人はこういう人だ」と勝手に枠に当てはめて、
それに相手がうまく当てはまらないとイライラする。
だったら勝手に当てはめるなと言われても、そうもいかない。
それは何故?と問い詰めれば多少おもしろい本になるかもしれないが、
僕は今の所、こういう現実があると受け止めるだけに留めて置くつもりだ。