セックスボランティア(R18)
宮前のん

(下記の文章中には話の流れ上、性的な表現が多数含まれます。18歳未満の方はご遠慮頂いた方がいいかもしれません。)

 今から15年も前の話である。
 私はその頃、大阪の堺市にある大病院の研修医をしていた。
 今でこそ研修医の待遇は改善されつつあり、人並みに生活も出来るようになったみたいだが、その頃の研修医ときたら、奴隷以下だった。
 いや、奴隷という仕事を詳しく知らないので、こう言ってはまずい。要するに、週に2日しか家に帰れなくて、週2日は徹夜して、風呂にゆっくり浸かれないのでシャワーばっかり浴びて、食事は5分で済まして、週の残業時間が軽く100時間を超えていて、それでも月額手取り8万円の給料しかもらえないのが、その頃の平均的研修医だった。時給を計算したら200円に満たない月があって、労働基準法もへったくれもないなあと同僚と笑い合っていた事もあった。

 それで、その夜も9時頃だったが、私は読まなければならない英語の文献を胸に抱えて、電気の消えた病院1階の廊下を、白衣のままひたすら医局に向かって小走りに急いでいた。やっと病棟の仕事から解放されて、早く夕食(大抵は宅配ピザか出前かインスタントラーメン)にありつきたかったし、少し仮眠も取りたかったし、さっき暗い図書室でコピーしたばかりのこの文献を明朝までに和訳しないといけなかったからだ。

 だから、後ろから「す、すみませんが。。」と声をかけられた時は、ちょっとムっとした気持ちで振り返った。見るとそこは身体障害者用の広いトイレの前で、車椅子に乗った患者さんが一人、こちらを向いていた。それは、脳性麻痺の20歳くらいの男性患者さんであった。
 知っている人は知っていると思うが、脳性麻痺というのは運動麻痺はあるが知能は正常なのである。生まれる前後に難産等で低酸素状態になったのが主な理由で、手足を動かしている神経への脳からの配線が切れて、知能は正常なのにそれをうまく言葉として発することが出来なかったり、手や足がうまく動かせなかったりするのである。(一度、学生時代に脳性麻痺の患者さんの施設に見学に行ったことがあったが、彼等が身障用ワープロで書く文章の知的さや会話の高尚さに、心底驚愕した覚えがある。運動が思うように出来ないので、頭の中で遊ぶことを覚えたのだと、その時知り合った人は言っていた。)
 話を元に戻すが、要するに脳性麻痺用リハビリテーションのために整形外科に入院している脳性麻痺の患者さんが、消灯時間の直前にトイレに来たのだと、その時の私は考えた。整形外科病棟は5階にあるが、身障者用トイレが2つしかないのを知っていたので、たぶん待ちきれなくて1階のここを利用しようと降りてきたのだろうと思った。案の定、彼は聞き取りにくい声ではあったが、はっきりとこう言った。

「トートイレに行きたいんだけど、ち、チンボ、自分で、だー出せないので、手伝って欲しい。。」

 仕方なく、私は身障者用トイレの引き戸をガラガラと開け、彼の車椅子を押して中に入り、戸を閉めた。この手のトイレはセンサーがあって自動的に電気が点く。抱えていた文献を車椅子の背もたれの後ろポケットに押し込んで、彼に向き合った。そして、彼のズボンのジッパーをおそるおそる降ろした。
 言っちゃあ何だが、この時の私は花も恥じらう24歳で、バージンではなかったが男性経験もほとんどないという初心な乙女であった。医学部という学部の性質上、勉学にばかり勤しむ超多忙な学生生活を送った結果、遊び下手の経験貧弱な状態で妙齢を迎えてしまったのである。なので、状況としては患者の排泄行為を介助する医療従事者という図式なのだが、慣れないシチュエーションに心臓はバクバクであった。
 すると、何かがおかしい。いつも見ている糖尿病のじーさん達のそれとは、何かが違う。つまり、ジッパーを割って出てきた彼のそれは、あきらかに勃起していたのである。
 いや待て、と私は思った。かなり焦ってはいたが、少しでも冷静になろうと試みた。そうだ、確か膀胱が尿で満杯になった時に、その刺激で勃起するって、泌尿器科の教科書に書いてあった。うん、たぶんそうだ。この人は膀胱がパンパンなんだ。
 それで、私は彼のにそっと手を添えて、固いそれをなんとか便器の方向に向け、努めて冷静な口調で彼に言った。
「どうぞ、排尿して下さい。」

 ところが、である。彼の勃起したものの先端をしばらく眺めていたが、待てど暮らせどそこから尿がほとばしる気配がないのである。そして、彼は私に向かってまた辿々しい、けれどはっきりした口調でこう言ったのだ。

「もーもっと、チンボ、つ、強く握って。。」

 私はかなり混乱した。これは一体、何なのだろう?
 排尿を手伝うはずではなかったのか?
 彼は私に何をさせたいのだろう?
 私は一体、何を手伝っているのだろう?

 それはわずかな時間だったに違いない。なぜならその後、医局に逃げ帰った時、時計はまだ9時半を指していなかったからだ。だが、その時の二人だけの混沌とした密室の中の時間は、その時の私には一晩中でも続くように思えた。ただ彼の言いなりになったまま、勃起した彼のものを片手で握りしめて、私はなす術もなく、トイレの中で立ち尽くしていた。



 やがて、変化が訪れた。排泄も何もしていないのに、彼のものが柔らかく萎れはじめたのだ。見ると彼の横顔は暗いトイレの電気でも判るほどに赤くなっていた。私はなぜか自分が悪いことをした気分になって、ぶっきらぼうに
「もう、しまっちゃっていいですか?」
と尋ねた。小さな声で「はい」と言ったような気がしたので、私は彼のものをジッパーの奥に押し込んで、再びジッパーを上げた。手を洗ってペーパーで水気を切ると、車椅子のポケットの文献を取り出して、戸を開けた。トイレの戸を開きっ放しの状態にしておいて、彼に向かって
「もう私、行きますよ。あとはご自分で病棟に帰れますよね?」
すると彼は、車椅子で後ろ向きのまま、私に向かってこう言ったのである。
「に、握ってくれて、ありがとう」


 電気の消えた暗い1階の廊下を小走りに急ぎながら、私は自分でもわかるくらいに赤面し、そして憤慨していた。今が夜中で良かったと思った、それぐらい形相が歪んでいたと思う。目の前の文献の文字が揺らぐほどに怒りを覚えていた。
 要するに、私は利用されたのだ。彼の性的欲望のはけ口として。トイレで排尿するつもりなんか、彼には始めから無かったのだ。彼の勃起したものを女の手に握らせることが目的だったのだ。まるで痴漢じゃないか! たぶん、夜中そのトイレの前を通る若い女なら誰でも良かったのだ。私が通らなければ、誰か別の夜勤の看護婦さんが同じ目に遭っていたのだ。
 その時の私には、彼の行為に対し嫌悪感を覚えて憤怒する以外、どうしようもなかった。こんなこと、誰にも言えないと思った。無理矢理犯されたも同然だという気がした。医局に逃げ込んでから、一度洗ったはずの手をまた何度もゴシゴシと長い時間かけて洗った。それから、狂犬に噛まれたと思おう、と思った。恋人にも友達にも言えなかった。「私は騙されて彼氏以外の男の人のものを握りました」なんて、口が裂けても言えないと思った。忘れるのが一番いい。実際、そうした。本当にこの事を記憶の奥深くに埋めてしまった。


 それから15年たった、昨年の話である。ある大学の助教授をしている方が書いているブログを読んでいて、偶然このような単語を目にした。

「セックスボランティア」

 興味深くクリックを繰り返しているうちに、あるサイトの存在を知った。そこは、身体障害者の人たちと、その世話をするボランティアの人たちのサイトで、主に障害者の性についてのサイトだった。サイトといっても、ほとんど掲示板だけあるような状態のものだ。
 身体障害者の人は、その病気にもよるが、男性も女性もその外観的ハンディから、性的経験がほとんどない人が多いのだそうだ。性の欲求は本能的なものであるから、例えば脳性麻痺の患者さんでもあるのが当然なのに、その存在を無視され続けてきた、というのだ。そのサイトを開いた人は、沢山の若い脳性麻痺の患者さんからそういう悩みを聞き、思案にくれたあげく、セックスボランティアを掲示板で募集するという大胆な手段を考え付いたのだと言う。掲示板にはある女性から障害者男性への「私で良ければボランティアを請け負います」という返事とか、男性の障害者女性に対して「俺で良かったら面接しませんか」という書き込みで溢れていた。
 それ以外にも、さすがに注意事項がものすごく綿密に書いてあって、たとえば女性障害者に対する男性ボランティアは、必ず避妊と感染予防のためにコンドーム装着とか(当たり前なんだけどね)、体の不自由な人が多いので無理な体位をさせないとか、一応誰でもいいってわけじゃないからボランティアの人が面接に付き添うだとか、ホテル代とか費用についての話し合いとか、びっくりするほど細かい配慮がされていた。売春禁止法に触れるんじゃないの?という質問に、何人もの人が熱心に答えていた。
 このサイトを見て、私は頭を殴られるほどの衝撃を受けた。こんなボランティアがあることを私は今まで全く知らなかった。そして、初めて気がついたのだ、あの15年前のあのトイレでの出来事、あれはまさにそれだったのだと。

 私はたぶん、知ろうとしていなかったのだと思う。本来、健全な人間にあって当たり前の性への要求が、身体障害者の人にもあるとは考えたくなかったのだ。なぜなら、それは極めて難しい問題だからだ。
 問題というのは、それに解決する見込みがある場合にのみ、人は拾い上げることが出来るのだと思う。なぜなら、解決する見込みがないのに拾い上げてしまうと、抱えたまま途方に暮れることになるからだ。だから見ぬふりをしていた。見たくなかった。ずっと記憶の奥底に閉じ込めたまま、そんなもの無いふりをしていたのだ。
 私があの当時、彼の性の問題に対峙していたとしても、どうやって解決できたであろう。いや、今でもおそらくは、直接的には何もしてあげられないように思う。私は性に関しては古風な考え方をする。つまり恋愛感情を抱けない男性とはセックスできない性質なのだ。だから、仮にあの時の脳性麻痺の彼の性的欲求に気がついていたとしても、彼のものを手でしごいたり、口でくわえたりなんていう行為は不可能だったと思う。それは今でも変わらない。私の場合、それすらセックスの一部と考えるからだ。
 だが、今ならわかる。彼は性的に孤独だったのだ。そうして、彼なりの手段でもって欲求を満たそうとした。それは、半分詐欺のような間違った手段ではあったけれど、おそらく彼はそこまで追いつめられていたのだと思う。自分でもコントロールし得ないほどに高まった性の欲望を、なんとか満たすためにあんな手段に出たのだと、今なら理解できる。

 だから、もし今の私なら、直接的には何も出来なくても、もの知らずだった24歳の私よりももっと優しい気持ちで、彼のものを握ってあげたと思う。そうして、出来れば彼のセックスボランティアが見つかるようにと、代理で掲示板に募集の書き込みをするなど、もっと間接的な形で協力してあげたに違いないのだ(当時はインターネットなんて便利なものは無かったけれども)。


 今夜、あの15年前の脳性麻痺の彼が、誰かとしあわせなセックスをしていることを、心から願っている。


セックスボランティア
http://sexvolunteer.com/

書籍
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4104690015/249-2212256-3736328
 



散文(批評随筆小説等) セックスボランティア(R18) Copyright 宮前のん 2006-01-18 02:04:42
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