チキンは自分の産まれた記憶をもっているのか?
あまくちペルノ
最近毎日考えていて思うのは
アタシからは何らかの感情が欠落しているということで、
それはアタシが生きていく為に会得したことなんだけれど、
(ひとつを捨ててひとつを得る、)
たぶんそれは本当の生きる、ということから
眼をそらして生きる為に身につけたものなんだろう。
本当の意味で 生きる という事をしたいと思った時
このままでは如何にも稚拙で幼稚なものもの、未熟さが
アタシの持ちたいと思うものに勝ってしまって、
あまりにもかけ離れていて
アタシは一体生きてきたのか、
あまりにも生きてきたとは自分で言いにくい部分、
それを一体どう扱ったらいいのか分からなくなる。
生きる、辞書で調べれば
『この世で命を保つ、生存する。』
しかし一緒に『活きる』とあって
『効果を発揮する、生き生きする。』
多分、アタシは『生きる』上で『活きたい』んだと思う。
まだ全然活きてない、アタシ。
この自分の中の余計な知恵と生存方法を捨てたい。
今までのアタシが生きる には必要だった、
でも活きる には必要の無いものが
存在していて、アタシが崩れ去りそう。
感情が欠落したと思い込んでいるのか本当に欠落したのか。
神様、どうか取り戻す方法を教えて。
掴んでも掴んでみても崩れるばかりで、
私は本当の形を未だみないまま今日がまた来た。
改革には痛みがつきもの、とある男が言ったけれど
殻を割る、外に出て行くという事はものすごいエネルギーだ。
卵を突き破って生まれる鳥も 母親から出てくる人間も
それをするときの気持ちは、本能的に生を求めている事に
他ならなくて、きっと出てくる瞬間は
痛みなんてものが思いつかないほど全身で生を欲しているように思う。
体中が『いきたい』で出来ているんだろうな。
”それがむずかしい
どうしたものかチキン野郎、
なあ。
チキンは産まれて卵か自分がこの世にでてきた記憶を
忘れているのか?
知っているのか?
チキンでもいきたいと、全身そのエネルギーで満たされて
この世に出て来たってのに。
アタシはチキンだ。
記憶は無い。と
思い込んでいる。
思い込むとこの世で生きやすくなるが、
しかし活きにくくなった。
チキンはチキンをやめて活きたい。
チキンは記憶を探す旅に出る、
飛ばない羽根を持って。”