【批評ギルド】2006年1月分 寸評
松本 卓也

評論文としての批評を書くにはなにぶん初めてなので、
書き続けながらどういう方向性で書いていくかを決めよう。
そんな適当な意思でもって始めさせて頂きますか。
とりあえず明確に決めている事として、「酷評する」事が前提。


いとう
「はじめての王国」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=59515
結局のところ、「王国」と言うのが何を指していたのか。
1連目で出てくる「鉄塔」なのかというと、
少なくとも「鉄塔は〜のように」なので比喩として用いられているに過ぎない。
なのに、2連目から「鉄塔」は「王国」そのもののように扱われ、
その流れのまま最後まで書ききられているので、
「王国」は「鉄塔」なのだろうと結論付ける事にした。
(少なくとも、僕には「王国」から別の何かをイメージするには至らなかった。)
仮に「鉄塔」は「王国」ではないとするならば、
「鉄塔」ではない「真なる『王国』」の存在をある程度明確に示したほうが良いと思う。
題名は「はじめての王国」であるが、この詩での表現は、
徐々に朽ちながらも存在感を示す「王国」であるように感じるので、
何がどう「はじめて」なのかは読み取る事は出来なかった。

蛇足。
何となくだけど、「ジョジョの奇妙な冒険-第4部-」に出てくる
鉄塔の中に住むスタンド使いを思い出した。


桐原 真
「早朝」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=59946
最初のツッコミどころとしては、句点の配置に統一性が無いので、
読みながら引っ掛かりを覚えてしまった所だ。
部分的に半角のスペースが使われており、
それもこの詩の、文体における一貫性の無さを感じ、もどかしい。
描かれた感情自体、一言で言えば散漫としているように感じた。
この詩の中には様々な感情が潜んでいるように思う。
悲しさや寂しさ、不安などだ。
ただ、その感情自体、様々な表現でぼやけていっている。
「早朝」と絡めて感情を表現しようとしているのか、
「早朝」そのものを描写しようとしているのか、
そこらへんが余りにも不透明な印象。


銀狼
「時間に線を引く」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=59478
句点と空白の配置の一貫性であるとか、効果であるとか考えると、
この詩での句点および、空白の配置もまた、一貫性に欠け、効果的ではない。
音読する際の障害になるような、そういった配置が幾つかあるので、
詩の雰囲気そのものに、ある種のつまずき、思い切りの無さを感てしまう。
詩本体の評に移ると、この詩で言う「梯子」は過去の時間を辿る為のものだと思った。
ただ、この詩は「線を引く」事で時間、つまり「過去」を切り離していくものなのか、
記憶を辿る梯子が燃え、崩れ、やがて全てから解放される事を表現したものか、
言うなれば、「時間」ないしは記憶に対する筆者の決別の意思が複数あると感じる。
表現しようとしている事に一貫性が無いといってもいいだろう。
顕著なのは5連目で、「塗りつぶす」と言う行為に走っているのが、
表現しようとしている事に、一貫性に欠けると感じた最もたるところだ。
最後の「星」は、まるでとって付けたような唐突さだった。


今猿人
「イソップの詩法?」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=59791
?なので?があるのかと探してみたら無かった。
登場するのはウサギと亀のはずなのに、
5連目でなぜか、唐突に、はっきり言えば意味もなく「男」が出てくる。
全体の流れを阻害している連といっても良いくらいだ。
この詩は、全体を通して非常に説明的であるといえるが、
その説明が意味的な説明に終始しているために、
平たく言えば、イメージができない。
頭の中に文字しか浮かばないので、難解な言い回しに首を捻りこそすれ、
この詩で表現されている事へ感情を抱くのは難しい。
何が言いたいのかは、丁寧に「《》」で括られているので分からないでもないが、
その言いたい事に至るプロセスに関する表現が、難解な「だけ」になり、
端的に言えば、結論に結びついていない。
硬質な文体も、素材となる寓話の雰囲気を損ねてしまっている。
もう少し言葉が少なくても良いように思えてならない。

RABBITFIGHTER
「MIKADO」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=59668
この散文のタイトルである「MIKADO」がいわゆる「帝」、
つまりは「天皇」について書かれている印象を持ったが、
事実がそうであるかはわからない。
そもそも仮に舞っているのが「帝」であるとすれば、
見出した物語で「神々の前で踊る」のは
アメノウズメであってアマテラスオオミカミではないのだ。
仮にアメノウズメであるのならばタイトルの「MIKADO」は
どこに出てきて何になぞらえられているのかがと考えてしまう。
逆に「MIKADO」をなぞらえるのならば、「物語」では舞う側ではない必要がある。
他に、最初の一文の必要性を鑑みると、
観客側の視点が無いのでこの一文は死んでいると言う印象だ。
また、殆どの文が「〜している」となっているため、
肉体的、情態的な動きが阻害されていると感じる。
一枚一枚の写真を順を追って見ているような感覚に近い。
書き手はたぶん、この散文に殆ど感情を込めていないのだろうと感じだ。


散文(批評随筆小説等) 【批評ギルド】2006年1月分 寸評 Copyright 松本 卓也 2006-01-08 22:25:14
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