私は何故年末に紅白ではなく第九を観てしまうのか。
和泉 誠
第九とはご存じ、
ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱」
私が一体いつ頃この曲を知ったのか、
定かではありませんが、気がつくと第四楽章の出だしの
「フロイテフロイテ…」は自然に口ずさめるようになっていました。
たぶんみなさんもそうだと思います。
物心ついてから初めてこの第九に出会ったのが
当時は社会現象になっていた「新世紀エヴァンゲリオン」の
第弐拾四話「最後のシ者」での引用シーン。
ブームだった当時は私はエヴァに完全に引いてました。
ところがブームも終わった頃、
当時通っていた高校にいた狂気の天才美術教師に
芸術について一からたっぷり調教されて、
それが現代風にアレンジされたエヴァに魅せられてしまいました。
そして第九に出会ったとき、なんというか、
背筋がゾクゾクして全身に鳥肌が立ちました。
ただその荘厳な重圧感に押しつぶされてしまった感じでした。
そのしばらく後に私はもう一度第九に出会います。
問題作ばかりを発表するので有名なスタンリーキューブリックという
監督が作った「時計仕掛けのオレンジ」という映画があります。
その作品の中では、人の生きる喜びを歌ったはずの第九が
主人公アレックスに地獄の苦しみを与えるという
強烈な皮肉のキーアイテムとして使われていました。
それを見て、なんてかっこいいんだ!と酔いしれてしまいました。
私はすぐさま第九を私はCDショップで購入して
ヘッドフォンをつけて大音量で流しながら毎晩寝ることにしました。
そうしなければ色々嫌な事が浮かんでしまうからだった気がします。
当時の私には辛いことしか身の回りになかった。
だから当時の私には第九だけが心の支え、
生きている事の喜びを信じさせる歌であり、
私は歌われている美しい世界をただひたすら信じて、
振り落とされないようにこの世界に必死でしがみついていました。
鼓膜をどんどんと打ちつけるような打楽器の音
頭を焦がすように高く鋭い弦楽器の音
一時の安らぎを与える柔らかな管楽器の演奏
そして頭の中を真っ白にする最後の合唱
天国の門が本当に開いてしまったかのようなラストスパート
極度の興奮のために失神するように私は毎晩意識を失っていました。
そんな生活が高校の間ずっと続いていたような気がします。
このような経緯を辿ってルーヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェンの
交響曲第9番ニ短調作品125「合唱」は私にとって特別な歌になりました。
ちなみにあまりにも有名な第4楽章「歓喜に寄す」は
詩人シラーが作詞し、彼はかの文豪ゲーテと親友だったとか。
ドイツには二人が並んで歩く姿を刻んだ彫刻が置いてあるらしいです。
ちなみに、ゲーテとベートーヴェンは知人ではあるけれど
仲は悪いらしいです。原因は二人が一緒に散歩をしている時に、
とある偉い人とすれ違い、若くて革新的なベートーヴェンが
頭を下げずに素通りしようとした事に、
年をとり保守的なゲーテが腹を立てたとか。
まあ、それは年の差というか
どうしようもないことのような気もします。
ジェネレーションギャップというやつ?
二人とも男性だったということが、運の尽きでしょうかね?
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