エゴイズム、ぼくはエゴイスト
アルビノ

ぼくが最も多感だったのは14歳から17歳くらいで、その時考えていたことを今になって思い出した。

ぼくは独り暮らしの寂しさから同居人を求め、一羽のセキセイインコを飼った。まだ性別はわからず、半年ほど経ってくちばしが青くなったら雄だという。名前は日和(ひより)。性別を問わない名前にした。日和が家に来たのが9月の半ば、10月1日にあっさり日和は死んでしまった。一緒に暮らして2週間、日和はぼくを置いて飛んでいった。


忘れていたことを思い出した。思春期のぼくが思っていたこと。それは動物を飼うことは人間のエゴだってこと。
生き物が生き物を飼うなんて滑稽だと思った。明らかなる上下意識のもとの愛情などエゴイズムの極地だと思った。自分より下等だと思う生物を甲斐甲斐しく世話する奢り。もとは世話などされなくても生きていたのに。同様に植物を庭に植えて世話するのもエゴだと思っていた。
すっかり忘れていたけど。

愛犬家の母親は言う。あんたはむずかしく考えすぎだって。当の本人であるぼくですら今はそう思う。


でも日和を思うとぼくはエゴイストなんだって強く思う。寂しさから一緒に暮らそうと考えて、
あっさり死なせてしまった。(原因はわからないけどみんなは先天性の病気だったんだろうと言う。その解釈もどうなんだ?)雄か雌かもわからないまま死なせてしまった。ぼくの名前も呼ばないまんま死んでしまった。たった2週間。あっさりと、一緒にいた時間より多くの時間が流れていった。だんだん朧気てくる日和の輪郭に、エゴイスト!と叫んでやりたいけど、やっぱり寂しさに悶えるぼくは、また誰かと暮らしたいと、躊躇しながらも考えているどうしようもないエゴイスト。


散文(批評随筆小説等) エゴイズム、ぼくはエゴイスト Copyright アルビノ 2005-11-30 23:11:21
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